ぶつかり合うふたつの勢力
公園の片隅にある茂みの裏側、ひとりの女の子がジローと涼子の決闘の行方を見ていた。しばらくのあと、悟が公園を飛び出したのを確認すると、女の子もすぐに公園を離れた。
女の子は、小学校高学年……いや、中学生くらいだろうか。子供とはいえ、涼子に比べるとかなり大人びて見える。運動は得意なのだろうか、足取りは軽やかで駆け出すとなかなかに足が速い。すぐさま、ある住宅の陰になったところに停めてあった少し古いセダンに近づいていく。少し珍しい、からし色の車だ。そばにやって来ると、車の運転席の窓が開いた。中から青年が窓から顔をのぞかせた。
「どうだった?」
「出たわ。行動開始よ」
「わかった」
運転席に座る、大学生と思われる青年は、そのまま女の子を残してどこかに走り去った。それを見送った女の子は、また別の場所に移動するようだ。
「へへん、ブス! オマエはそんなモンかよ!」
ジローは、余裕の表情で尻餅をついている涼子を見下した。ニヤニヤと薄笑いを浮かべ、もう勝負はついたとでも言いたそうだ。
「まだまだ……ただの乱暴者なんかに負けてたまるか!」
涼子はすぐに立ち上がって、ジローと距離をとった。
やはり取っ組み合いなっては、どう考えても不利だった。そもそも喧嘩なんてしたくない。逃げ回って悟が大人を連れて戻って来るのを待つか、やっぱりそれしかないか……でも、それやると、また「ケットウだ!」とか言って、同じことを繰り返すことになりそうではある。根本的な解決になっていない。
――ハァ、困ったガキ大将だ……。
涼子はジローを睨みつつ、ため息をついた。
ヨシキは知世を連れて、全然別の場所へ連れて行こうとしている。
「こっちだよ。こっち」
グイグイと引っ張るように手を引くヨシキは、まるで誰かから逃げているかのようでもあった。引っ張られている知世は、何か不安でも感じているのか、まったく喋ろうとしない。
「ちょっと君!」
ヨシキはふいに背後から声をかけられた。振り向くことなく、すぐに歩く速度を上げた。
「ちょっと待ちなさい!」
叫ぶ声にさらに歩みを速くするが、すぐに追いつかれてしまう。
ヨシキは振り向き、追跡者の顔を見た。例の中学生かと思われる女の子である。
「もう逃げられないわ。その子を放しなさい」
女の子は、優しそうな目つきを一瞬で鋭く尖らせて、ヨシキを睨む。
ヨシキは苦渋の表情で、呻くようにつぶやいた。
「……姉ちゃん、何者だよ」
「あなたに名乗る必要はないわ。――金子芳樹ね」
「へえ、オレを知ってんの? もう一度聞く。お前、何者だよ?」
金子芳樹は、女の子を睨みつけると、ふたたび同じ質問をした。しかし、彼にはもう女の子が何者か予想ができている様子だ。
女の子は、ゆっくりと口を開く。
「……公安よ」
「けっ、政府の犬がご登場かよ。お前らだな。『遡行』を使いやがったのは」
「それに応える義理はないわ。その子を離しなさい」
公安の関係者だという女の子は、動じることなくふたたび勧告する。
「まったく、偉そうに。オレはお前らみたいなクソ野郎が一番嫌いなんだよ!」
「嫌ってもらって結構よ。もう一度言う。その子を離しなさい」
金子芳樹は、連れている知世を公安の女の子の前に突き出した。知世の顔が女の子の目の前に晒された。
「な……あ、あなたは……?」
女の子は、芳樹の隣にいた知世の顔を見て驚愕した。事前に魅せられている写真の知世とは別人だった。偽物――どうやら謀られたようだ。
「まさかっ! 囮?」
「はい、ざんねぇんでしたぁ。犬はやっぱバカばっかしだな。吠えるしか能がねえ! ぎゃははっ!」
芳樹は女の子の悔しそうな顔を見て、小馬鹿にするようにはしゃいだ。
「くっ! なんてこと!」
女の子は芳樹と替え玉の子を残して、その場を慌てて走り去った。
「よし、あれだ。車だ」
ヒデオは、目の前の古いセダンを見つけて近づいた。事前に打ち合わせていた、からし色のセダンだ。こんな色の車はあまりないので間違いない。外部の人間を雇ったそうだが、どうせしばらくドライブするだけの仕事だし、問題はないと言える。
「知世ちゃん、涼子ちゃんのところには、あの車で行くんだ」
ヒデオは、慣れないせいか少し引きつった顔で、知世に話しかける。
「ふぅん、そうなの?」
知世は、何がなんだかよくわかっていない風だ。
ヒデオは、知世の手を引っ張って、車の前までやって来る。
「おい、早く乗ってくれ!」
運転手の青年が、ヒデオと知世を急かす。青年は一旦車を降りると、後部座席のドアを開けて乗車を促した。
「わかった!」
ヒデオは、そこに知世を押し込んで、自分も慌てて乗り込んだ。
「いやあ、助かった。これで、俺の役目は終わりだ」
後部座席で安堵の表情のヒデオは、無事任務を完了できたことに満足の様子だ。
あとは、金子芳樹が公園に乗り込んで、ジローを蹴散らして、「決闘」を無理やり終わらせてしまうだけだ。決して大柄ではない芳樹だが、喧嘩はとても強い。ジロー相手でも蹴散らせるだろう。
もう終わったようなものだった。
「お、おい。この車、どこに行くつもりだ?」
ふと、ヒデオは窓の外を見て、不安そうな声をあげた。どうも事前に聞いているルートと違う気がする。北か西に向けて、なるべく遠くに向かうと聞いている。しかし、こっちは……。
「公園だよ」
「公園?」
ヒデオは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「ああ。——知世ちゃん、涼子ちゃんのところに連れて行ってあげるからね。そこには、涼子ちゃんのお友達もいるんだよ。片山次郎君とかね」
青年は振り向くと、知世に向かって笑顔で言った。それを聞いたヒデオは、一瞬何が起こったのか訳がわからないという顔をしていたが、すぐに理解すると顔を真っ赤にして怒鳴った。
「お、おいっ! どう言うことだ! お前は何者だ!」
「田中秀夫だな。――公安だ」
「なっ! ま、まさか……」
ヒデオは、真っ赤になった顔が、次第に血の気が引いていくのを感じた。しかし、すぐにそれを振り払って、行動を起こそうとした。
「チクショウ! こうなったら!」
「おっと、そこまでだよ」
「誰だ!」
よく見ると、助手席には男の子が座っていた。幼稚園児の男の子だ。小さくて、そこにいたことに気がつかなかった。ヒデオは、絶望的な気分に押しつぶされそうになりつつも虚勢を張った。
「て、てめえ!」
「――もう、逃げられないよ」
――手強い。ジローの力は圧倒的で、自分が勝てそうなのは逃げ足くらいなものだった。もう地面を転げたのも何回めだろうか。少なくとも五回は転んだはず。先ほど前のめりにつまずいて、擦りむいた膝が赤く滲んでいる。
「おい、ブスりょうこ。そんなモンかよ!」
ジローは、またしても尻餅ををついた涼子を見下ろして、ニヤニヤと笑っている。
「……ふん」
何も言い返せなかった。
――でも、こんなところをお母さんに見られたら、大事になりそうだけど。でもしょうがない。
ふと、公園の入り口に小さな人影が見えた。
――もしかして、悟くん? やっと……え?




