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見知らぬ世界

 ……僕の目の前に光が見える。とても優しい光だ。僕の心を包み込んで抱擁してくれる、とても優しい光だった。


 涼太はゆっくりと意識を取り戻していった。氷漬けにされた体が光に照らされて、じわじわと解凍されていくかのように、とてもゆっくりと。

 ぼやけた視界が、次第にはっきりとしてくる。同時に、何かが見えた。丸いものがふたつ。何だろう? とても懐かしい感覚だ。これは……。


 目の前の若い男女。見覚えのある顔だ。二十代くらいだろうか。男は、時代がかった七三分けに白いシャツを着ている。昭和の頃の古い写真から飛び出してきたような、今時いないような格好である。女も、男と同様に昭和を思わせるような、古臭いヘアースタイルと服装だった。

 涼太は、自分の記憶の引き出しをすべて取り出して、このふたりのことを知ろうとした。どのくらいかっかったかはわからない。たぶん五分か十分か、そんなものだろう。

 そして、涼太は思い出した。

 ——そうだ、これは……両親だ。うちの両親の顔だ。

 これはどういうことだ、と不思議に思った。どうして若い頃の両親が自分の目の前にいるのか。何かこう……昔撮っていた古いビデオ映像をどこから見つけてきて、懐かしさを抱きながら見ているかのような、そんなものが目の前にある。この目の前の物事は現実だ。これは映像などではない。

 それから、もうひとつ問題があった。どうやら涼太の体が自由にならないのだ。手や足を動かそうと思っても、まともには動かない。まったく動かないという訳ではないようだが、とてもじゃないが、体を起こせるようなレベルには程遠い。体が動かないのだから、状況を確かめようもない。せめて、この体にどんなことが起こっているのか、それを知りたかったが、自分の手を見ることすらできない。これはかなり不味い事態だ。


 ——どうなっているんだ?


 涼太は、この事態に一抹の不安を覚えた。

 しかし、自分の目の前に見える若い両親は、涼太をどうにかしてやろうとは考えていないらしい。ふたりとも笑顔だ。その嬉しそうな表情は、涼太をとって食おうと考えているような印象ではない。

 ここは病院のベッドだとか、そういう場所だろうか? 体を動かせないくらいの重症を負って、病院のベッドで目が覚めて、両親は涼太の意識が戻って喜んでいる、とかいう場面。ありえる。

 でも、それでは……両親が若いのはどう説明するんだ?


 

「……目を覚ましたわ。りょうちゃん、おはよう」

 涼太の母、真知子は涼太に向かって声をかけた。とても嬉しそうな表情で、慈愛に満ちた笑顔だった。

「な、なあ。お父さんだぞ」

 涼太の父、敏行もニコニコと、いつもならまず見せないような、だらしない笑顔で声をかけている。敏行の若い姿はとても懐かしい。実をいうと俊行は——すでに亡くなっていた。だから、父の顔を見ること自体が久しぶりだった。懐かしさで涙が出そうになったが、ここはこらえて冷静に今の事態を考えた。

 涼太の両親が、若い姿で目の前にいる。そして自分はまともに動けない。両親は、自分に対して嬉しそうに声をかけている。それも、大人に向けていうような言葉ではない。


 ——僕は多分……赤ん坊なんだろう。それも生まれてまだ、そんなに経っていない頃の。両親の若さから察するに、この時代は……僕の生まれた昭和五十年だとか、そんな頃ではないだろうか。

 涼太が生まれた一九七五年——昭和五十年の九月十二日かもしれない。いや、日にちは多分もっと後だろう。

 視界に映る部屋の様子をよく見てみると、どう見ても一般住宅の部屋だ。ここは病院ではない。幼児期に住んでいた自宅かもしれない。一戸建てかアパートかはわからないが、もし本当に過去の自宅なら、一戸建ての借家なはずだ。あまりよくは覚えていないが、あまり大きな家ではなかった。2Kくらいの小さな家だったように思う。

「……りょうちゃん、お母さんよ。いい子ねえ、うふふ」

 真知子は涼太の頭を優しく撫でて、ニコニコと微笑んでいる。

「感無量だよなあ。我が子かあ」

 敏行は妻と我が子を眺めながら感慨にふけっていた。

 そんな様子をただ受け入れていくしかない涼太は、とにかく状況をはっきりさせないと、と考えて、ひたすら思考することにした。どうせ動けないんだし。



 それから三日くらい経った頃。母親——真知子の言葉に気になる部分を見つけた。

「ねえ、『涼子』を連れて、日曜日には遊びに行きたいわねえ」

「そうだなあ、もう少し大きくなったら……」

 という両親の会話を聞いたのだ。「涼子」と言っていた。涼子? これはどういうことだろうか? 聞き違いなのか? いや、そんなことはない。間違いなく涼子と言った。

 これは——涼太の名前が、ここでは涼子となっている。

 嫌な予感がした。



 あれから一週間くらい経っただろうか。次第に、ことの顛末が見え始めていた。

 ここは過去の世界。多分、七十年代——涼太が生まれた時代ではないかと予想された。

 一九七五年。昭和五十年だ。涼太が生まれてまだ一ヶ月もならない頃であろうと考えられた。なにせまだまともに体を動かすこともできないし、声もろくに出せないのだ。両親の会話が頻繁に聞こえてくるが、その中には、そうとしか考えられないようなことが、行くつも含まれていた。カレンダーは見えないが、まだ十月にもなっていないかもしれない。

 そして、涼太は——「涼子」という名前になっている。これは、現状では確認できないが、おそらく『涼太は女の子になってしまっている』のではないか、という予想ができた。涼子なんて男の子につける名前ではない。どう考えても女の子だろう。どうして女の子になってしまっているのかは、まったくわからない。どちらにせよ、どういうわけなのか、涼太は生まれた頃に戻ってしまっている。

 そもそも、これがもう異常事態である。まるでSF小説の世界だ。まさか、夢でも見ているのだろうか、そんなことも考えた。

 ただ、もうそんなことはどうでもいい。とりあえず、この事態を受け入れなくてはならない。

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