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エピローグ

 ――お母さん、お母さん

 声が聞こえる。自分を呼ぶ声だ。

 涼子はそれに引き戻されるように目を覚ました。ぼんやりした意識の中で、目の前にる少女を見た。娘の郁美だ。

「あら……郁美。どうしたの?」

 眠っていたようだ。

「どうしたじゃないでしょ。呼んでも返事がないからどうしたのかって心配したんだから。もう五時よ」

「ああ、そうだったわ。ごめんね、ちょっと居眠りしちゃったわ。あ、いけない。晩ご飯作らなきゃ」

 涼子は壁の時計を見て、慌てて立ち上がると言った。それを見た郁美は、ニコニコしながら提案する。

「お母さん、私がお買い物してくるからさ。晩ご飯の献立、私が決めてもいい?」

「もう、しょうのない子ねえ。まあ、いいわ。何にするの?」

「ええとね――」



 時代は平成。あれから三十年近い年月が過ぎた。

 実は涼子は、本来の世界とは違う未来を生きている。本来なら、科学者として「意識を共有させる技術」を開発するなどしているはずだった。

 しかし、涼子はその道を進まなかった。高校進学の際、偏差値では岡山五校(県の総合選抜制度を行なっていた高校。朝日、操山、芳泉、大安寺、一宮の五高校)へ進学できた。本来の未来ならそうしていた。が、彼女は地元西大寺の岡山県立西大寺高校へ進学した。そして、大学も東京大学ではなく、地元岡山の岡山大学へ進んだ。

 大学卒業後は、地元の企業に就職したが、それほどいい企業ではなかった。(いわゆる就職氷河期世代で、厳しい時代だった)しかし転職することなく、この企業で働き続け、二十四歳の時に悟と再会した。そして、五年後の二十九歳の時に結婚した。

 夫である及川悟は、岡山市内の総合病院に勤める勤務医である。涼子が別の道を歩いたのが影響したのかはわからないが、彼も科学の道ではなく、別の道——医学の道を進んだ。

 ふたりの子供に恵まれ、平穏で幸せな家庭を築くことができた。

 長女の郁美とその弟、長男の要。郁美は高校生で、要は中学生だ。

 どうして違う道を歩んだのか、涼子にも明確なことは言えない。どこか避けたい、同じことを懲り返してはいけない、そんな思いがあったのかもしれない。


 長い年月の間、涼子の周りにもいろんなことがあった。

 父の敏行は、相変わらず自分の会社、藤崎工業を経営している。しかし、すでに六十代後半の敏行と同世代の職人とふたりだけで続けていた。長年の付き合いもあって仕事は安定してあるものの、最近腰を痛めたせいか、数年のうちに廃業を考えている。

 弟の翔太は跡を継がず会社員になってしまったため、後継者もいない。母の真知子も「歳も歳だし、無理はしない方がいい」と夫の引退を勧めている。かつては翔太が跡を継いでくれるのを期待していたが、大学に進学したいと言い、卒業後はそのまま大手企業に就職した辺りで半ば諦めていたようだ。

 昭和の頃に働いていた、弟哲也の義弟である市川照久は、二十年ほど前に、妻の父親が経営する建築関連会社に転職してしまった。後継者がなく、娘婿に跡を継いでもらいたかったようで、照久はそれを受けた。現在もその会社におり、数年後には後を継ぐようだ。

 元々中古物件だった実家も古く、あちこちガタがきている。年に数回帰ってくるが、見るたびにくたびれて見える。住んでいた頃はあまり感じなかったが、実家を出て時々しか見なくなると、やはり老朽化が目に見えてきた。

 時の流れは止まることはない、それを感じさせた。

 実家付近もあちこち田んぼと畑だらけだったが、多くはアパートや民家に変わり、建て替えられた家も見られる。


 母校である由高小学校も、学校敷地内にあった幼稚園が校外に移設され、古い校舎であった一舎と二舎は立て替えられた。名残はあちこちに見られるが、もうあの頃とはかなり変わってしまった。

 涼子たちがよく遊んだローラー滑り台などの遊具はなくなり、学校の象徴ともいえたクスノキも今はない。

 今の由高小学校は、今の生徒たちのものだ。時代が変わるとともに、学校も変わっていく。涼子は以前、戦前や戦中の由高小の写真を見たことがある。そこには涼子の通った由高小とは随分違う校舎があった。しかし、その時代にその校舎で学んだ先輩たちがいるのだ。そして涼子も、こうして昭和五、六十年代の由高小の卒業生として、その先輩たちの中に加わっている。


 それから朝倉隆之。彼はやはり存在していた。ずっと会うことがなく、涼子には消息がわからなかったが、その後、悟と交際していたころに、大学からの親友だとして紹介された。その時はもう立派な青年だったが、小学生の頃の面影はある。あの頃の懐かしさが心を満たし、思わず涙が出そうになった。

 彼の妻は、涼子の小学校時代の友達、富岡絵美子である。東京に住んでいることもあって、滅多に会うことはないが、家族ぐるみで親しい。


 そして加納慎也。彼は強い人だった。辛い青年時代を越えて生きている。妻の加納早苗は加藤早苗、小学生時代の友達だ。ひとり息子と共に家族三人で今はアメリカに住んでいる。

 早苗は想っていた人と今は幸せに暮らしているようだ。もう付き合いはほぼないが、彼らには幸せになってほしいと思っている。


 矢野美由紀や横山佳代たちは皆県外に出ており、この歳になると電話で話すことはあっても、あまり会うことはない。

 村上奈々子は今も実家の近くに住んでおり、三歳年上の地元の男性と結婚している。同じ岡山市内在住であることもあり、今でも時々会う。彼女との時間はとても楽しいひと時だ。

 津田典子は大学進学して県外にいたが、結婚を機に岡山に戻ってきた。夫が倉敷市の会社に勤めており、家も倉敷である。この間、久しぶりに会って昼食を共にしたが、相変わらずでとても楽しかった。

 太田裕美も岡山県在住で、自分と同じく岡山市内に住んでいる。小学校時代の友達では、現在彼女が一番住んでいる場所が近い。なので、今でも一番よく会う友達だ。

 奥田美香はイラストレーターになり、東京へ。そこで結婚して、現在は愛知県に住んでいるようだ。もうしばらく会っていないが、電話やメールで時々やりとりがある。ちなみにイラストレーターとしての仕事は、結婚以降はもうやっていないそうだ。


 時代は流れ、涼子も歳をとった。子供も大きくなり、あまり手がかからなくなって、生活にも余裕が出てきた。

 ……何かやりたいと思っていた。 



 平成二十九年、春。


 涼子は数年前から、小説を書いていた。もともと物語を考えるのは好きで、小説も数多く読んできた。しかし、自分の考えた物語を文章にすることまでは考えることはなかったが、三十代後半頃には、何となくパソコンで簡単なものを時々書くようになっていた。

 そして、平成二十七年頃から本格的に描き始めた。多くの人に読んでもらいたいと思い、ネット小説投稿サイトにて作品を投稿した。

 評価は芳しくなく、大して読まれていないかもしれないが、それでも何かやれた気がしていた。以後、マイペースで創作を続けている。


 ある夜、夫の悟と一緒にのんびり雑談している際、次の新作について話した。

「へえ、今度はタイムトラベルものかい?」

「ええそうよ。私の子供の頃に戻ってね、それでその裏に悪の組織がいて、大きな陰謀が渦巻いているのよ」

「面白そうだね。でもネット投稿するより、どうせなら新人賞にでも応募した方がいいんじゃないの?」

「受賞なんて難しいでしょ。正直、才能なんてないんだから、これで十分なのよ」

「そうかい。でも期待しているよ」

「うふふ」

 涼子は、子供の頃の出来事……あの、涼子だけしか憶えていない、あのことを小説にすることにした。あれは夢でも幻でもない。確かにあの時、あそこにいた人たちは、そこで生きていた。だから、それを自分の記憶の喪失と共に、このまま消えてなくなっていいわけがない、と強く感じるようになった。

 だから涼子は、あの世界ことを小説に書くことにしたのだ。

 これはただのSF小説でしかない。しかし、そこには涼子以外から忘れられた『物語』があった。何らかの手段で、その物語を残さないわけにはいかなかった。

 もしかしたら、涼子はこの「忘れられた物語」を書くために、この歳になって、ふと小説を書こうなんて考えるようになったのかもしれない。

 書いているものは、さまざまな憶測や勝手に考えた部分も多い。しかし物語というのもは、得てしてそういうものだ。

 この物語を作者自身の体験談を元にした、などと言っても信じる人はいない。涼子もそんなことを信じてもらおうとは思わない。ただのサイエンス・フィクションでいいのだ。


 悟は、涼子の語る大まかな内容を、ニコニコしながら聞いている。彼は子供の頃からSFが好きで、よく小説も読んでいた。妻の新作にはとても興味津々のようだ。

「そういえば、タイトルはもう決めたのかい?」

 悟が言った。涼子はニコリと笑みをこぼし、少し考えるような素振りをしてから言った。

「そうね、『リターンガール』とでもしようかしら。過去に戻ってしまう少女の話」



                         【了】

最後まで読んで頂き、どうもありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 完結おめでとうございます。すごく面白かったです‼ 私も先生のような作品を書けるようになりたいです。 今後も期待してますので、お互いに頑張りましょう‼
2022/01/15 18:31 退会済み
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