黒幕
翌日、学校から帰ってきて、宿題をやっていると、来客があった。
玄関の呼び鈴が鳴って、母の真知子が出てくる。
「はいはい、どなた――」
そこにいたのは涼子の同級生、金子芳樹だった。珍しい来客に少し驚きながらも、ニコニコしながら対応した。
「あら、確か涼子の同級生の……金子くんだったかしら。涼子にご用?」
「はい、涼子さんいますか?」
「ちょっと待ってね……涼子、お友達よ!」
「はぁい」
涼子が玄関までやってくると、真知子は入れ替わるように奥に引っ込んでいった。
涼子は玄関に立っている芳樹を見て驚いた。
「あれ、金子くん――どうしたの?」
「どうしたじゃないだろ。有益な情報を持ってきてやったぞ」
人が折角情報を持ってきたというのに、何を呑気なことを言っているんだ、とでも言いたげだった。
「え? まさか……本当に?」
「嘘をついてどうするんだ」
「ああ、いや、嘘だとは思わないけど……とりあえず上がって」
涼子は芳樹を子供部屋に案内した。
子供部屋には弟の翔太はいなかった。一時間も前に友達の家に遊びに行ってしまっていた。最近は行動範囲が広がったこともあり、学校から帰ってきても、日が暮れるまで家に戻ってこないことも多い。ともかく、涼子は座布団を出してきて芳樹の前に置いた。
「まあ、座って。金子くんすごいね。もう何か情報を手に入れたって」
「たまたまだ。杉本の仲間から話を聞いた」
芳樹は襟首を掴むような動作をしつつ言った。かなり手荒な聴取をやったらしいことが予想できた。あえて詳細は尋ねなかった。
「加納は杉本に騙されているぜ」
芳樹は言った。
「え? ウソ、どういうこと?」
「どうやら杉本たちが、初めから仕組んでいたことのようだな」
「仕組んでたって――」
「奴が組織の実権を握るために計画したようだ。そして……加納の親父が十四日に事故で死ぬっていうのも嘘だ」
「え? でも、それは実際にあったことじゃないの? そもそも加納くんが……」
本来の世界では、十四日に夜釣りに言って不幸に遭遇している。これは加納の記憶にも鮮明に残っている事実だ。しかし、さまざまな因果が絡んで、進んでいる未来にも変化があるのは、これまでにも見てきた。
「もう未来が少しづつ変わっている。そもそも俺の弟、和樹も生きているしな。そんな状況がこれまで続いてきて、現状はそのタイミングでは死なないらしい。まあ、小難しいことはよく知らねえけどよ」
金子が言った。もう本来の未来とは違う道を進んでいる。これは間違いないようだ。
「そういうことなのね……。でもさ、あの加納くんを騙すって結構すごいことだと思うけど」
これも信じられないことだった。あれだけ頭の切れる人物なだけに、そう簡単には欺くことなどできそうにないと、涼子は思った。その点は芳樹も同意しているようで、気に食わないながら、相当な切れ者であるとは考えていた。
「まあ、根本の部分から嘘だったんだろう。それじゃ看破るとか以前の問題だしな」
「それじゃあさ、加納くんのお父さんが事故に遭うっていうのはどうなったの?」
「加納の親父が事故で死ぬことは間違いないようだな。しかし日にちが違う。翌週の二十一日らしい。丁度、一週間後だ」
「一週間ズレたっていうことか。ともかく、加納くんは嘘の情報をもとにやっていたわけでしょ。すぐさなに知らせてあげなきゃ」
「まあ、どうなるかな」
芳樹は険しい顔をした。
「どうって、これでもう杉本さんの野望もこれまでよ。そして、加納くんのお父さんも無事に済むでしょ」
「加納が真に受けるとは思えねえけどな」
芳樹の懸念はこれだった。そもそも敵と見做されている早苗のいうことを信じるかというと、正直厳しいと考えられた。また、その情報の出どころが芳樹となると、とても信じられるとは思えない。
「そうかなあ」
「何せ、敵対している俺が持ってきた情報だし、信用しねえ可能性が高いだろ」
「まあ、言われてみれば……」
信じて欲しいものの、芳樹のいうことには納得できるものがあり、やっぱり信用されないかもと思い始めた。
「……まあ、言ってみるんだな。信じりゃそれでよし。信じなきゃ、その時どうするか考えりゃいいだろ」
「まあ、そうだよね。金子くんありがとう。金子くんっていざってときに頼りになるのね」
涼子はニコニコしながら芳樹の手を握った。顔を真っ赤にして、慌てて涼子の手を振り払う芳樹。
「……う、うっせえ! 俺が勝手やったことだ」
真っ赤になった顔を見られたくないのか、すぐに後ろを向くと、
「じゃあな。そろそろ帰るぜ」
「もうちょっとゆっくりしていきなよ。お母さんがお菓子持ってきてくれるから」
「いらねえよ」
そう言って子供部屋を出ようとしたら、真知子とばったり対面した。
「あら、金子くん。お菓子とジュース用意したから、食べていってね」
「は、はい……」
「それじゃ、ゆっくりしていってね」
真知子は台所の方へ行ってしまった。芳樹は何も言わず、いそいそと座布団のところに戻ってくると、崩れ落ちるかのような勢いで座り込み、ジュースの入ったグラスを手にとってひと口飲んだ。
「クッキーだよ。どうぞ」
涼子が笑顔で、皿ごと芳樹の目の前に差し出すと、俯いたまま出されたクッキーを一枚食べた。
涼子は翌日、早苗と悟に芳樹からの情報を話した。
「やっぱり! これで確信が持てたわ。敵は杉本よ。奴の野望がすべての元凶なのよ!」
早苗は、これで杉本を潰す口実ができたと息巻いている。
「結局、黒幕は杉本さんということなのか」
悟は反対に冷静である。随分考え込んでいるようで、気難しい表情をしていた。そんな悟の様子など気に求めていない早苗は、すぐにでも加納のところに飛んでいきたいような様子である。
「加納くんに伝えるわ。そして杉本を潰す!」
「ちょっと待った」
悟が言った。
「何よ」
「おそらくこれは事実だと思うけど、加納くんが信じてくれるかどうかはわからないよ。金子くんに情報を吐かされた仲間が、杉本たちに報告して、それはデマだと加納くんに吹き込んでいる可能性がある。そうなると信じるどころか、加藤さんのことをこれまで以上に敵視する可能性もある」
「あ……」
早苗はハッとして黙り込んだ。つい感情に流されてしまったものの、冷静に考えると悟のいう通りだった。
「でもさぁ、それは言えてるかもしれないけど、伝えないことには話が先に進まないと思うけど」
涼子が言った。
「それはそうだけど、あまり迂闊な行動は控えた方がいいよ」
迂闊なことをすれば、むしろ杉本たちに利する展開になる可能性もある。
「まあねぇ……」
どうやっていくか、意見を出し合ったものの、いい答えは出てこなかった。結局、このままお開きになったが、早苗の表情には明らかな焦りの表情が見えていた。




