二月のこと
涼子はもうひとつのことを聞いた。
「それで、二月に事件があるんでしょ? それはどういう内容なの?」
「加納くんのお父さまは、富岡絵美子——エミの父親と親しいのよ。共に魚釣りの趣味があって、休日など、ふたりで魚釣りによく出かけていたそうだわ」
「ふぅん、加納くんの家とエミの家って近いもんね」
ちなみに、家が近いというだけでなく、同級生でもあるそうだ。
「そうね。それで、二月十四日の土曜日。翌日は日曜日ということで、夜釣りに出かけるのね。そこで事故が起こる。端的に言うと、加納くんのお父さまは、足を滑らせて海に落ちてしまうのよ。助けようとしたのだけれど、結局は助からなかった」
「……それで、さっきの話に繋がると」
涼子はなるほどと思った。
「そう。お母さまは門脇と親しくなり、後年再婚して——悪夢の未来よ。しかし、お父さまが亡くならないなら、この未来はない。加納くんは、両親と幸福な人生と歩み……」
「そう言うことなのね。でも、どうやって阻止するの?」
「これまでの計画では、当日までに必要なことをこなしていれば、加納くんはエミと仲のいい友達になっている。すると、この日、夜釣りに行かなくなる」
「そうなんだ。でもなんで?」
「エミが加納くんを誘うのよ。二月十四日に」
二月十四日と言えば……すぐに閃いた。
「あ、もしかしてバレンタインデー?」
「そう。加納くんのお父さまは急な仕事の都合で、その日休みになったのよ。それで息子を連れて遊びに行こうとか考えて誘ったけど、エミに誘われていたこともあって断った。それで、その後に別の友人に誘われて出かけた。これで昼間不在となり、その時に偶然にも同じように会社が休みになったエミのお父さんから、夜釣りに誘われるはずだったのが、誘われなくなるのよ。だから結果的に事件は起こらなくなる」
反対に、加納が誘われていなかった「元の世界」においては、昼間に息子と一緒に出かけ、夕方に帰ってきてから、その時に絵美子の父から夜釣りに誘われる。そして事故に遭ってしまうのだ。
「バレンタインにお誘いってチョコ渡すから? まあ学校には持っていけないもんねえ。先生に怒られるから」
「多分そういうことね。それで、ふたりでどこかに遊びに行くとか……」
「デートか……エミも結構やるわね」
小学生で男子をデートに誘うなんて、と涼子はちょっと驚いた。
「それはいいとして、ここで誘われるかが問題なのよ」
「なるほどね。で、誘われていないと、加納くんのお父さんは魚釣りに行ってしまうわけか」
「そうよ。現状だと結局は誘われないようね。だから別の方法でエミと仲よくなる手段を考えていたわけだけど、加納くんはどう結論を出したのか……」
去年の山の学校で、これに関することがあったらしく、それに失敗したので計画が狂ってしまった。知らぬからしょうがないが、涼子たちが反発したのが原因である。
「どうって……具体的な計画内容は知らないの?」
「ええ、山の学校以降、加納くんと私たち仲間の間でギクシャクしてしまって……断片的に指示を出すだけで、詳しいことは言わなくなってしまって……」
早苗の表情は暗い。そこからも関係の悪化が伺えた。
「そんな険悪になってたの? でもさ、あの加納くんが、そんなに感情的になるって想像もつかないわね」
涼子からしたら、加納はいつもすました顔で、ニコニコしている風だった。ニコニコしていると言っても、目が細く垂れ目であるから、普通にしてても笑っている風に見えるだけなのだが。
「私たちも戸惑っていたのよ。そうこうしていたら、いつの間にか杉本が接近しているし、しかし加納くんは杉本のことを信用しているとは思えないし、わけがわからない状態なのよ」
早苗も戸惑いを隠せないようだ。もちろん涼子にもさっぱりわからない。
「ねえ、やっぱりさ、悟くんとか朝倉くんにも話して協力してもらおうよ。きっと協力してくれるって」
「……駄目よ。無理だわ」
早苗はそう言って顔を伏せた。
「どうして? 悟くんは優しいよ。きっと力になってくれるって。私にはわかるんだ。朝倉くんは……性格悪いけど大丈夫よ」
「確かに及川くんは人がいいから、協力してくれるかもしれない。しかし……朝倉くんは駄目」
「どうして?」
悟ならよくて、朝倉は駄目だという。涼子には何で駄目なのか、さっぱりわからない。
「加納くんとエミが仲よくなり過ぎると、未来が変わる」
「未来?」
「その後、ふたりはそのまま交際するようになり——将来、結婚する」
「え、そうなの? あ……まさか」
涼子は、本来の世界において、朝倉と絵美子が夫婦であったことを思い出した。
「そうよ。エミの本来の結婚相手は朝倉くんよ。表には出していないけど、多分エミに対する思いは消えていない。協力するどころか、邪魔をする可能性がある」
「それは……確かに」
こういうことだと、朝倉が一番頼りになると考えているが、そういった関係を考慮すると、この話はできないなと思った。
「まあさ、悟くんには私から話しておくよ。がんばろう!」
涼子は早苗の手を取って言った。
「ええ——ふふ、それにしてもやっぱりね」
「何が?」
「あんたと及川くんよ。別に意識している風じゃないけどさ、将来の夫婦同士ね。なんだかんだで信頼しあっている」
「え、いや……まあ、やだなぁ! もう、さなったら。そんなんじゃないって」
涼子は顔を真っ赤にして言った。本来の世界においては、涼子は悟と結婚していた。当然、涼子も悟も記憶があるので知っている。が、お互い照れ臭いのか、それを口にすることはなかった。
早苗は立ち上がると、物陰から周辺の状況を眺めて言った。
「隠さなくてもいいわ。さ、もう行きましょ。私も杉本たちの追手を振り切らないと」
「大丈夫なの?」
「任しといて。あんな馬鹿どもに捕まるほど落ちぶれちゃいないわ。奴らも所詮は子供だしね」
「気をつけてよ」
「ええ、それじゃ」
早苗は行ってしまった。本当に大丈夫だろうかと心配したが、その背中をただ見送るしかなかった。
翌日、涼子は悟に昨日のことを話した。悟は真剣な顔をして聞いていた。
「……そういうことだったのか。おかしい話ではないし、信用に足りると思う」
「でしょ。さなを助けてあげようよ」
「うん。世界再生会議の野望を挫くことができるなら、僕は喜んで協力する。しかし……それはいいんだけど、隆之のことが問題だね。やっぱり、内緒にしておいた方がいいと思う」
悟は予想通り快諾してくれた。しかし、やはり朝倉のことが気に掛かるようだ。ぶっきらぼうに見えて、正義感は強い性格だ。協力するかもしれないが、朝倉が未来の妻——富岡絵美子に対する想いも強いのも知っている。悟には、この選択を朝倉に強いることになるのは残酷なように感じた。
「加納くんの願いを叶えてあげても、朝倉くんの未来が……何とか両立できる方法ってないかなぁ」
「そういう方法があれば一番いいのだけど、情報収集が先決だね。杉本のこともだけど、その二月のこともよく調べないと」
「そうだよねえ。あと、佳代とかミーユとかにも話してみようかと思うんだけど」
「いや、それは待ったほうがいいよ。迂闊に話を広めると、どこかで隆之の耳に入りかねない。それはまずいだろうし」
「そっかぁ、それもそうよね」
「とにかく情報を集めよう。お互い悟られないように気をつけて」
「うん」
「うぅ、寒いなあ……」
杉本の仲間数人が、何やら準備で慌ただしい西大寺観音院の片隅に集まっていた。ここは「はだか祭り」こと、西大寺会陽を行っている場所だ。毎年二月に行われるので、それに向けた準備がそろそろ始まっているようだった。
「杉本たち、まだかなぁ。遅えよ」
どうやら約束の時間になっても杉本たちは姿を見せないので、困っているようだ。
それから十分ほど後に、ようやくやってきた。杉本を中心に、用心棒の大島などが脇を固めている。
「悪りぃ悪りぃ、ちょっと遅れちまったよ」
「早くやろうぜ。俺、今日塾があるんだ」
「スマンスマン、じゃ早速——」
人目につきにくい一角に移動すると、そこで何やら話し合いが始まった。
杉本たちは今後の計画を話していた。特にこの二月の事件だ。
「加納はまだ、俺たちの計画には気がついていないようだな」
「そりゃそうだろ。気がついたら大ごとだぜ?」
やはり彼らは加納を騙して、何かをやろうとしていた。
「今のところは順調だな」
「そうだな、小林とあのガキも追い出せたし、もう邪魔モンはないぜ」
杉本の仲間たちは、口々に現状を言った。それが終わった後、満を持すように杉本が口を開いた。
「で、我らが作戦参謀、山田直樹センセイ。こんな感じでよろしいかな?」
杉本が茶化したように仲間のひとりに声をかけた。少年はゆっくりとした動作で眼鏡のブリッジを指で上げると、ニヤリと笑みを浮かべ口を開いた。
「いいぜ。俺たちの天下はもうすぐだ」




