脅迫
岡山駅のすぐそばにある商業ビル「岡山会館」。現在は「成通岡山ビル」という。二〇〇三年に倒産して競売に出されると、パチンコメーカーの成通が落札、その後しばらく使われていなかったが、現在は家電量販店のビックカメラなどが出店している。この当時は、ドレミの街と並ぶ、岡山駅東口の顔として建っている。この岡山会館の北側方面は、雑居ビルなどが立ち並び閑散としている。
ある古いビルに、ふたりの若い男が殺風景な部屋の中にいた。そのうちのひとりは、誰かと電話している。受話器の向こうから聞こえる声は、どこか幼い。小学生とか、そのくらいのように聞こえる。姿はもちろんわからない。また、もしかしたら声色を変えているのかもしれない。
『どうなっている?』
「ええ、まあ。今回は今のところは順調です」
『いつも順調だな。そのくせ、去年のあの件は失敗だったが』
「ああ、いえ。それは――あのガキがモタモタしたせいで……いや、まあ、それ以外は完璧でした。それは本当です。信じてください」
『まあ、それはいいだろう。片山信男の件は大丈夫だろうな』
「任せてください。これは完璧です。あの程度の小物、すぐに落ちますよ」
『これは完璧に達成するんだ。この『因果』が起こったら、面倒になる。片山信男は遠ざけねばならない』
「ふぅ、やれやれ。何者だろうな」
受話器を置いた男は、ひと息ついてつぶやいた。
「わからん。だが、相当な人間だろうことは間違いない」
もうひとりの男も、電話の向こうの人物が何者なのか、全く知らない。この男たちは、某地方暴力団の末端構成員だ。いつものように自分たちの上の人間に紹介されて、ここで電話の向こうの依頼主からの指示を受けて様々な行動を行なっている。具体的な方法は指示されず、これこれの目的を達成せよ、という指示だ。いくつかの依頼をこなしてきて、明らかに犯罪であるものも多いように思っていた。中には事故に見せかけた殺人などというものもあったが、支払われる報酬が桁違いであることもあり、そろそろやばいと思いつつも今も続けている。
それにしても依頼主の声の印象は、何度聞いてもどこか子供っぽいにもかかわらず、言葉遣いはどう考えても大人としか思えない。そういうところも不思議——いや不気味な感じがして、背中に冷たいものが走る。
「――しかし、県会議員の片山信男か。噂じゃ、金持ちのボンボンだっていうよな。図体ばっかりデカくて頭は空っぽだって聞いたぜ」
「らしいな。いかにもな話だ。しかし、どうやるんだ?」
「片山の愛人のことをネタに使う。関係をバラすと脅して、他所に引っ越しさせるんだ」
男は自信ありげに語る。
「あのおっさん、愛人がいるっていう噂は聞いたことがあるが、本当にいたのか?」
「ああ、本当だ。調べもついてる。……なあに、大丈夫だ。スキャンダルをバラされたらもう終わりだ。失敗するわけがねえ。フフフ」
男は不敵な笑みをこぼした。
『進捗状況は?』
「はい。片山に愛人がいることをネタに脅しをかけます」
『うまくいくだろうな?』
「県会議員の不倫スキャンダルは強力でしょう。まず間違いなく成功するはず」
『よし。成功すれば、報酬はさらにだす』
「そりゃあ、ありがたい! 必ず成功させます」
——電話が切れた。
「おい、こりゃあ益々やる気がでたぞ。終わったらキャバレーで豪遊だぜ!」
「おいおい、はしゃぐのもいいが、本当に大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫だって。お前だってキャバレーのネエちゃんにチヤホヤされてえだろ」
「まあなぁ……」
片方の男は、ふともうひとりの男に尋ねた。
「なあ、ちょっと思ったんだけどよ。遠ざけるって言ってもなあ、手っ取り早く片山信男には死んでもらわんでもいいのか?」
「奴は死ぬとまずいらしいな。後々に存在が重要になるとか、よくわからんがそう言う話だ」
「そうなのか。まあ、確かによくわからんな。何を考えているのか」
「もしかしたらよ、神の啓示とか何とかってか。宗教かよって話だな、ははは!」
どういう理由があるのか不明だが、彼らの依頼主は、片山信男を生かしたまま、この地域から離してしまいたいようだった。意味不明の仕事だが、大きな報酬がもらえるなら、そんなことはどうでもいいことだった。
「……も、もしもし。片山だ。お前は誰だ?」
片山信男は、電話の向こうの見知らぬ男の声に、何かよからぬことを持ちかけてくるのだろう、と予想した。そして、それは的中した。
『あんたが片山信男か。これから言うことをよく聞け』
「……何をだ」
『これから一ヶ月以内に引っ越ししろ』
「引っ越し? そんなの無理に決まっているだろうが!」
『お前に拒否する権利はない。言う通りにしろ』
受話器の向こうから聞こえてくる見知らぬ男の声は、凍りつくような冷たい声だった。
「……どういうことだ」
ここは祖父の代から続く地元だ。簡単に離れるわけにはいかない。そもそも県会議員の立場で、そう簡単に他所に引っ越すわけにもいかない。
『……「あけみ」という女を知っているはずだ。お前とはイイ仲らしいな』
「どうしてそれを!」
信男の顔は一瞬で真っ青になった。まさに恐れていたことが起きてしまった。目の前がぼやけ、足元がふらつく。思わず尻餅をつきそうになり、慌てて体制を整えた。
『県会議員でいたいんだろう。公になったら……どうなるかわかっているな』
「そ、それは……お、お願いだ! それは、それだけは勘弁してくれ!」
『だったら言われた通りにしろ。一ヶ月以内に、県外にでも引っ越せ。いいな』
「そんな、そんなの無茶だ! 他県に引っ越したら、そもそも議員を続けるのが難しくなるじゃないか!」
『ははは、県外は冗談だ。だが、倉敷でも備前でも津山でもいい。岡山市から出ろ』
「そんな……それだけは……それだけは勘弁してくれ!」
『だめだ。三日待ってやる。それまでに結論を出せ。いいな』
電話がきれた。もう繋がっていない電話の受話器を握りしめたまま、信男は――どうしたらいいんだ――と不安と恐怖に体が凍り付いていた。
――まずい。非常にまずい。
信男は頭を抱えた。どうして引っ越さなきゃならんのだ? 意味がわからん。
実際、どういう理由で引っ越しの必要があるのか、あの脅迫犯の意図はなんなのかまるで理由が不明だった。
――まさか、あけみのやつ。美人局か何かだったのか? 背後にいるのは誰だ?
信男は、愛人の「あけみ」が脅迫犯と繋がっているのでは、と考えた。しかし、そうだとして、どうやってこのピンチを切り抜けたらいいのかまるで検討がつかない。
考え抜いて、結局は寺田に泣きつくことにした。
「まったく言わんこっちゃない。のう、先生」
「て、寺田さん! す、すいません。お、お願いです。助けてください!」
「……まあ、落ち着け。とりあえず、こちらで調べる。それまでは大人しくしておけ。……いいな」
寺田の真顔がとてつもなく恐ろしい。どう考えても、まともな人物ではない。しかし、この危機を乗り越えるためには、寺田に頼るほかない。




