問題児
ジローは絵に描いたような問題児だった。
ジローというのはもちろんあだ名で、本名は片山次郎という。名前から察するとおり次男で、四歳上の兄がいる。この兄は生真面目で、弟とはかなり性格もちがう。
父親は県会議員の片山信男だ。若干三十一歳で三年前に初当選した若手議員である。しかし、片山家はこの周辺に強い影響力を持っているため、若手とはいえ議会における影響力は大きい。また片山信男は、父が社長をしている地元の土木建築会社「片山工務店」の役員もしており、まあ要するに大金持ちなのだ。
ジローももちろん、この強力な七光りを背に我儘し放題というわけである。
「涼子、あの大きな子がいたでしょ。次郎くんっていう子」
真知子は深刻そうな表情で言う。
「ジローくんがどうしたの?」
「あの子とは、もう喧嘩したらだめよ。涼子ちゃんより体が大きいし、怪我をするわ」
「喧嘩なんかしないよ」
「だったらいいのだけど……」
真知子の口ぶりは、それだけが懸念ではない感じがしている。理由はわかっている。涼子はジローのことを知っている。もちろん前の世界のジローのことだが。
ジローは県会議員の息子で、まあこの辺の地域の有力者の息子という訳だ。喧嘩して、涼子の家族が睨まれると、色々と不都合があるかもしれない、もしかすると真知子はそう考えているとも予想される。
「でも、お友達をいじめたりしたら、わたしは許さないんだから」
「涼子……あのね、それはとてもいいことなんだけど、喧嘩はよくないのよ」
「――でも」
「それに涼子ちゃんはね、女の子なのよ」
真知子はとても不安そうである。聞き分けのいい、女の子らしい子になると思っていたら、この様子だ。
「なあ、別にいいじゃないか。子供だぞ。元気がいい方が子供らしいだろ」
側で聞いていた敏行は、涼子の思わぬ気の強さに感心したようだった。敏行も、涼子にはおとなしい印象を持っていたようで、嬉しそうである。
「あなた。元気がいいとか、そういう問題じゃないでしょ! 女の子なのよ。今時、お転婆なんて流行らないでしょ」
「まだ幼稚園だぞ。お転婆なくらいでちょうどいいじゃないか」
「だめよ! 女の子なんだから、おしとやかにしなきゃ。今からそんなじゃ、この先……」
この先どうなるのかしら……と、真知子は頭を抱えた。
「フフン、どうだ! これを見ろ!」
ジローはプラスチックの板状をしたものを手に持って掲げた。
「ええ、なあに?」
近くにいた子が、不思議そうな顔をしてジローの持っているものを見ている。
「おまえたち、おどろくなよ! これは……」
ジローの取り巻きはそこまでいうと、いきなり黙った。
「ゲームウォッチだぁ!」
取り巻きの口上を引き継ぐ形で、ジローは誇らしげに叫んだ。
「ゲーム?」
別の女の子がキョトンとした表情で、ジローを見た。
「ああっ、ゲームウォッチ! すげえ!」
また別の男の子が、ジローの持つそれに気がついて叫んだ。
「ゲーム&ウォッチ」――任天堂がこの年の四月に発売したばかりの、携帯型電子ゲーム機である。非常に単純なゲームばかりで、現在の携帯ゲーム機と違って、ソフトを入れ替えることすらできない専用ゲーム機になっている。しかし発売以降、社会現象になるほどの高い人気を誇り、当時莫大な借金を抱えていた任天堂に、大幅な黒字をもたらしたとされている。またこの大成功が、後にファミコンの開発に繋がり、その後の任天堂によるゲーム機路線へ繋がっている。
ジローの周りに園児たちが群がってくる。その中心にいるジローは、いっそう得意げにゲーム&ウォッチを周囲に見せびらかしている。
「わぁ、すごぉい!」
男の子が興味津々で、ジローの持つゲーム&ウォッチを見ている。
「どうだ、オレはこれだってすぐに買ってくれるんだぜ!」
羨望の眼差しに囲まれるジローは、大層ご機嫌である。
そんなジローを冷めた目で見ているのは涼子だ。前の世界のジローを覚えているので、ヤツはやっぱり変わっていない、嫌な感じ、と改めて思った。
「すごい人気だね」
可南子は涼子の隣で、ジローの持つハイテクゲーム機を物珍しそうに見ている。
「あんなの、大したことないよ」
涼子はそう言ったものの、やはり金持ちは何でも手に入れられるんだな、と思った。ふと気がつくと、向こうから先生がやってきた。
「あれ、みんなどうしたの?」
いつもと違う様子に驚いているが、ジローが何やら騒ぎの中心にいるらしい様子なので、嫌な予感がした。
「次郎くん、どうしたの? ……あら、何それ?」
先生はジローの持っている、見慣れないものに気がついた。
「ゲームウォッチだあ!」
誇らしげに、先生に見せびらかすジロー。
「こら、だめじゃないの。こんなものを持ってきて!」
先生は当然の反応を見せた。それが意外だったのか、たじろぐジロー。
「次郎くん、幼稚園ではね。みんなと一緒にお遊戯して、歌を歌ったり、お勉強するところなのよ。そんなものを持ってきて、見せびらかして自慢するところではないの」
先生は正論を言う。前から傍若無人なジローも、先生にはどうも弱いらしく、反論の言葉が出てこない。結局、先生に取り上げられた挙句、怒られてシュンとしていた。
「よう、ブス」
ジローは涼子の姿を見つけると、ニヤニヤと薄笑いを浮かべながら近づいてきた。少し前、先生に怒られたことなど、もう忘れているかのようだ。
「わたしは『涼子』よ!」
「わりいわりい、名前わすれてたわ。あっはっは!」
小馬鹿にしたような言い方に、怒りが湧いた涼子は、
「もう忘れたの? アタマ悪いのねえ」
と、挑発した。
「このやろう! チョーシにのりやがって!」
ジローは、激怒して涼子の両肩を押して突き倒した。
「――い、いったぁ」
突き倒された涼子は、少しだけ痛そうな顔をすると、すぐに立ち上がって、
「やったわね!」
と応戦した。
「ブスりょうこ、チビのくせにジャマなんだ!」
ジローと涼子の身長差は歴然で、大柄なジローから見たら、涼子は実際に小さく見える。涼子の身長は一〇一センチで、園児の中では真ん中くらいだ。決して低いわけではないが、ジローは、一二八センチもある。もちろん四歳組では一番背が高い。
「チビだって負けないから!」
しかし、この体格差では勝てる見込みはなく、ふたたび転ばされて、その拍子に椅子の角に肘をぶつけて血が出て大騒ぎになった。ちょっとした切り傷でしかないのだが、場所が場所なだけに血が出ると、ことが大きくなるようである。




