オレの名はジロー
――午後ののどかな日差しの中、事件は起こった。
「なんだ、おまえは」
目つきの悪い大柄な園児は、ぶつかった可南子を睨みつけた。
「あ、ああ……えっと……」
恐怖に怯えて、言葉が出ない可南子。
「やってくれるじゃねえか、ええ!」
「……ご、ごめんなさい」
可南子は声を振り絞って謝るが、目の前の大柄な園児は、そんことは無視して、恫喝している。
「このやろう!」
大柄な園児が、可南子を突き飛ばした。突き飛ばされた可南子は、後ろに向かって倒れて尻餅をついた。
「あ、あ……うわぁぁん!」
それをきっかけに泣き始める可南子。近くにいた他の園児たちが騒動に気がついて、何だろう? と思って周囲を囲んで様子を見ている。
涼子が、外から教室の方に入ろうとした時、室内では何やら騒動が起きている様子だ。
「どうしたの?」
そばにいた男の子に、何度かと聞いてみた。
「あの子がね、あのおっきな子にぶつかって、叩かれたの」
「ええ? あっ、あれ、かなちゃんじゃない!」
涼子は、可南子が床に尻餅ついたまま、泣いているのを見て言った。園児たちをかき分けて、可南子のそばにやってくると、大柄な園児に向かって叫んだ。
「ちょっと! かなちゃんに何してるの!」
涼子は怒り顔で、大柄な園児のそばに近づいていった。
「な、なんだあ? おまえ、ジローさんにモンクあるんかよ!」
取り巻きと思われる背の低い園児が、涼子の近くに寄ってきて、精一杯怖そうな表情を作って睨んだ。もともと気の弱い子なのか、涼子の怒気に気後れしている風だ。
「あるわよ! かなちゃんを泣かしたわね! 許せない!」
涼子はそう言った勢いのまま、その取り巻きと思われる背の低い子を突き飛ばした。可南子と同じように後ろに向かって尻餅をついたその子は、やはり同じように泣き出した。
「うわぁぁん!」
「な、何よ。そのくらいで、弱虫!」
以外にも、その程度で泣き出してしまったことで、焦った涼子が苦し紛れに言い放つと、その子はさらに泣き始めた。
「こいつ、やったな!」
もうひとりの針金みたいに痩せた男の子が、涼子に向かって叫んだ。
「やったら、どうなのよ!」
涼子は針金みたいな子に近づいて、その子の脛を蹴った。涼子より頭ひとつくらい背の高いその男の子は、そのままへたり込んで、蹴られたところを手で押さえて、やはり泣き出した。
「いたぁい、わぁぁあん!」
――ち、ちょっと、そんなくらいで泣くとは……。
涼子は、威嚇するくらいな気持ちで蹴ったつもりだったので、困ってしまった。どうやらこのふたりは、女の子から攻撃されるなんて思ってもみなかったところに、やられてしまったことで、怖くなってしまったようだった。
どうしたものかと思っていたとき、泣いてる男の子の後ろから、大柄な園児が涼子を睨みつけた。
「おい、おまえ! よくもおれさまのケライをやってくれたな」
大柄な園児は一歩前に出ると、涼子の目の前に立ちはだかった。
「オレの名はジローだ! ここのソーリダイジンだ!」
「ジ、ジロー……」
涼子はその圧倒的な存在感に少し気圧された。
――出たか、ジロー。しかも、総理大臣……幼稚園児のくせに、そんな言葉よく知ってたな。涼子は、聞き覚えのある目の前の少年を睨みつける。
「おまえ、なにものだ。名を名のれ!」
ジローは常に威圧的な態度を変えない。
「わたしは藤崎涼子よ!」
しかし、涼子も負けずに名前を叫んだ。いつのまにか可南子が、涼子の後ろでオロオロしている。
「りょうこちゃん……」
「大丈夫、わたしはあんなのに負けたりしないから」
涼子は背後の可南子に、少し離れているように言った。
――しかし、デカい。さっきの針金くんより背が高い。しかも横幅もあるし……。
そう考えている間にジローはさらに一歩近づいて、涼子の目の前に手を突き出した。ちょうどおでこに手が当たって、その衝撃で後ろに突き飛ばされた。尻餅をつく涼子。しかし、涼子はジローを睨んで、
「やったわね!」
と、すぐに起き上がって、ジローに向かっていった。しかし、大柄なジローの方がリーチがある分、ジローの手の方が先に涼子に当たって、ふたたび涼子は尻餅をついた。それでも起き上がろうとした時に、騒ぎに気がついた先生がやってきた。
「ちょっと、どうしたの!」
騒動の中心にやってきた先生は、立ちはだかるジローと、尻餅をついている涼子を交互にみて、
「喧嘩をしたらだめでしょ、何があったの!」
と、心配そうな顔をして言った。
涼子はすかさず先生に言いつけた。
「先生、あの子がかなちゃんを泣かしたの!」
「なんだと! おまえがオレのケライを泣かしただろ!」
「そっちが先じゃない!」
「おまえはふたりも泣かした!」
涼子とジローはお互い自分の主張を譲らず、一触即発の雰囲気だ。
「ちょっと、だから喧嘩はやめなさい!」
「だから、あの女がオレのケライを泣かしたんだ!」
「その前に、あんたがかなちゃんを泣かしたんじゃない!」
その後、親が迎えにきた後に事情を説明している時も、涼子とジローはお互いを罵っていた。
「ちょっと、やめなさい。どうして仲良くできないの? みんなお友達でしょう」
先生は、仲良くしないふたりに困り果てていた。
「涼子、ちゃんと謝りなさい!」
真知子が、いつまで経っても譲らない娘に言った。
「で、でも……」
「謝りなさい!」
「……ごめんなさい」
涼子は意気消沈して、ジローや泣かした男の子たちに謝った。
「坊ちゃん、お父様に叱られますよ」
ジローの関係者と思われる女性が、ジローに向かって言った。四十代くらいと思われるこの女性は、母親というには少し年上に見えた。察するに、お手伝い――家政婦か何か、そういう人ではないかと思われた。
「パパはカンケーないだろ!」
ジローは少し動揺の色を見せつつも反論した。しかし、家政婦らしき女性は、ジローに対して微塵も動じていない。無言のプレッシャーを与え続けている。
「……ごめん」
とうとうジローも陥落したようだ。
涼子が泣かしてしまった、男の子たちの母親は、「女の子なのに元気ねえ。それに比べて……」と、息子が泣かされたことより、男の子を泣かしてしまった涼子を感心している風だった。
「本当に申し訳ありません――」
「いえいえ、元気がよくて羨ましいですわ。うちの子にもそのくらい……」
親たちが話している側で、涼子は思った。
――そういえば、こんな奴がいた。まるで、漫画に出てくるようなガキ大将だし。確か、最後まで色々と対立していた。何かと厄介な子だった。と、前の世界におけるジローのことを考えていた。




