運動会
夏の暑さが少しおさまってきた十月。まだ秋の色は見えてこないが、気候は少しづつ染まって行きつつあった。
そんな秋の学校行事といえば「運動会」だ。この由高小学校でも当然のように毎年運動会がある。
運動会は、小学生にとってとても重要なイベントだ。運動の得意な子は、この運動会は最大の見せ場であり、ヒーローへと成り上がることができる。
反対に運動が得意でない子にとっては、とても気が重い話だ。小学生は勉強ができるより、運動ができる子の方が周囲の人気を得やすい。なので、どんなに勉強が得意でも、運動が苦手なせいで、リレーなどで足を引っ張ったりしようものなら、あっという間に「あいつはダメだ」と烙印を押されてしまうのだ。
運動が苦手な涼子の友達、奥田美香は運動会が嫌いだった。理由は前述の通りである。
涼子たち仲のいい友達は、足を引っ張ることがあっても逆に励ましてくれるが、あまり親しくない女子などは、陰で美香のことを悪く言う。さらにひどいのが男子で、直接「ノロマ」だとか「グズ」だとか言ってからかってくる。
一度、あまりの酷さに泣いてしまった美香に涼子が激怒し、その男子をぶん殴って逆に泣かしたことがある。小学生になって落ち着いたようにみえて、まだ気性の荒さは治っていないようだ。
そんなある日の下校中、暗い顔をした美香に、涼子は励ましの言葉を送っている。
「大丈夫だよ。二人三脚とかなら順位とか誰も気にしないし、みっちゃんでも大丈夫だと思うよ」
涼子は沈んだ面持ちの美香を励ました。
「でも……」
「走るの遅いっても、私だって遅いよ。大丈夫だって」
一緒に帰っている津田典子が言った。典子も背が低く、運動は苦手だ。しかし大人しい美香と違って典子は友達も多く、嫌う同級生もいないため、からかわれることは少ない。なので典子には美香の悩みはわからない。
「そうそう、大丈夫だって。A組だって遅い子いるし、なんとかなるでしょ」
今度は太田裕美が美香を励ました。
「そうかなぁ……はぁ」
来週は運動会だ。九月の半ばから練習や準備など、運動会にむけて学校は慌ただしかった。
涼子の学級、四年B組も各競技に誰が出るかなど決まり、それぞれの教室で用意する必要があるものなども、ほとんど揃ってきていた。時々、全校練習などもあって、入退場や「由高音頭」などの練習をやっている。
ちなみに「由高音頭」というのは、運動会でよくある、全校生徒や学級毎などでみんなで連なって踊りやらをやったりするあれだ。各生徒が紙製のポンポン(正式名称不明)をふたつづつ作って、それを両手の中指に輪ゴムで止めて音頭を踊るのである。
なかには「音頭とかダサい」「カッコいいダンスがいい」などと嫌う生徒もいるが、大抵の場合、踊りが嫌いというよりは、練習が嫌いな場合が多い。由高音頭だけでなく入退場の練習などは、生徒全員で練習することもあり結構大変なのだ。うまくみんなに合わせられていないと怒られるし、やらされている感もあり本当につまらない時間である。涼子もあまり好きではない。
なんにせよ、万全の体制が整った4年B組だが、一週間後の運動会を目前に、大変なことが起こった。
なんと、ひとり怪我人が出てしまったのだ。同級生の西村容子が自宅の近くで遊んでいた時、二メートルほどの高さの段差から転落し、足を骨折してしまった。全治一ヶ月ほどらしい。
このため、西村容子は運動会で走ることができず、彼女の出場種目に別の生徒が出ることになる。その種目が何かというと、リレーだった。
リレーは、学級から男女毎に四人組が二チーム、学年ごとに種目がある。A組とB組からふたりづつ並んで、一度に四人が走ることになる。学級から男子八人、女子八人が選ばれるが、例えばこの四年B組などは、片方に足の速い子を集めてエースチームで一等を狙う方針で選んでいる。
A組の方も同様の選び方をしており、この四年生はリレーでの勝利にこだわりがあるようだ。しかし今年の五年生などはあまり勝ち負けにこだわっていないらしく、人選は適当だ。学年学級で様々である。
4Bの女子で西村容子が走る方のチームは、学級では一、二を争うくらいの俊足である涼子や、同じく同級生の中では足の早い真壁理恵子、比較的運動を得意とする太田裕美が決まっていたので、一等は確実だと目されていた。西村容子も足の速さが自慢だった。
なので急遽、別の生徒に走ってもらう必要が出てきた。学級会で誰に走ってもらうか決めようとしたが、どうも決まらない。
なぜかというと、選ぶ選手は学級の俊足たちが揃っている方のチームだ。それに自分が入って足を引っ張ろうものなら、いじめの対象になりかねない。それに、みんな速いのに自分だけがノロノロ走らざるを得ないというのは恥ずかしい、ということだ。
もうひとつのチームは一等狙いではないので、そちらから足が早い子を入れて、という提案があったが、やはり自分が足を引っ張るような役にはなりたくないので、誰も手を上げない。
どうしたものか、と考えてた時、「奥田さんを入れたら」という提案があった。これは、大人しい奥田美香なら、推薦されたら断らないだろうともくろんでのことだ。
案の定、美香はしどろもどろで嫌そうな顔をしていたが、はっきり断らない。それをいいことに、数人の女子が、「奥田さんに決定!」などとからかい気味に言っている。
涼子はそれを聞いて反発した。
「みっちゃん、困ってるじゃない! 別の人がいいと思います!」
それを聞いた美香は少し表情が明るくなった。
しかし、それに水を差すような発言が出た。
「藤崎さんは奥田さんといっしょの組じゃいやなの? あぁあ、奥田さんがカワイソォ」
それを言ったのは、野村和枝だった。彼女の言い方は明らかに刺のある言い方で、涼子を攻撃するつもりだ。
「そんなことないわよ! ただ、みっちゃんは走るのが苦手だから――」
「ふぅん、だから奥田さんをのけ者にするの? これってイジメじゃない?」
「違う!」
「何が違うのよ。藤崎さんってイジメとかするんだ」
「だから違うって言ってるでしょ!」
つい怒鳴ってしまった。教室はシィンと静まり返る。
「――おいおい、藤崎さん。ちょっと落ち着くんだ。野村さんもだ。喧嘩はいかんぞ、喧嘩は」
担任の吉岡は、慌てて制止した。
野村和枝はちょっと性格が悪い。自分より劣る子を馬鹿にしたり、陰湿な嫌がらせをしたりと、今年初めて同じ教室の同級生になったが、前から悪い噂は聞いていた。
これに野村和枝と仲がいい、山田貴代子と山本充代が揃って「意地悪トリオ」である。
強そうな相手にはあまり近づかないが、大人しい子には時々嫌味を言ったりからかったりする。ありがちな嫌味なやつである。
涼子とはまったくそりが合わず、親しくすることはない。同様に涼子の友達たちとも親しくないようだ。
涼子は結局、言い返すことができず、美香が西村容子の代わりに走ることになった。