八月十二日午後六時
八月十二日、そろそろ盆の時期だ。いつもこの時に両祖父母宅へ行くが、今年はこの頃が忙しく、十六日まで仕事があって行けなかった。ということで、まだ自宅にいる。
昼間、友達の津田典子と一緒に遊んだ。典子はこの間、東京に住む親戚の家に行ったそうで、その時、現在も開催中の「つくば万博」に行ってきたという。その時の万博の話を沢山してくれて、涼子は興味津々だった。
「つくば万博」は九月に閉会するので、この夏休みが最後のチャンスというところだが、残念ながら連れて行ってもらえる可能性はゼロだった。典子のように、せめて関東圏に親戚でもいればと思うが、涼子の親戚は基本的にみんな岡山県内在住である。土産話に耳を傾けるしかないのだ。
夕食後、「クイズ100人に聞きました」を見終わって、次はチャンネルそのままで「水戸黄門」を見るか、チャンネルを変えて「ザ・トップテン」を見るか、はたまた別のチャンネルに変えるか——涼子と翔太はテレビの前でチャンネルボタンを押しては、また別のチャンネルを、とチャンネル争いを繰り広げていた。
テレビの前で喧嘩を始める子供たちに、敏行の苛立ちが募る。
「おい、そんなところで喧嘩するな。テレビが見えんだろうが」
「だって、翔太が悪いのよ! 私はトップテン見たいのに、変えようとするんだもん!」
「ぼくはちがうのがみたいの! うたとかヤだし!」
「何言ってんの、明菜が出るのよ! 薬師丸ひろ子ちゃんも新曲歌うのよ! アンタわかってんの? ……はい、もうトップテン見ることに決まり!」
涼子は素早く画面横のチャンネルの部分を両手で覆い、翔太がボタンを押すのを強引に妨害した。
「おねえちゃんのバカ! はなせぇ! バカ!」
翔太は涼子にしがみついて、チャンネルを覆う手を除けようとしている。
「もうダメェ! バカっていう子がバカだし! 翔太がバカ!」
涼子は、しがみついてくる翔太の腹を膝でグリグリ押して、翔太を引き離そうとする。翔太は必死で涼子の手と足を除けようと足掻く。
「あんたたち、もうやめなさい! 涼子、意地悪しないの!」
結局、真知子に叱られる。
しかも、あれだけワァワァ騒いだわりには、これを見たいという番組が出てこない翔太。なので結局、涼子の希望するザ・トップテンを見ることになった。だったら最初から邪魔すんな、と思うが、弟としてはチャンネルを独占しようとする姉に、とにかく抵抗したかったのかもしれない。
ザ・トップテンが始まって早々、速報に切り替わった。テレビを見ていた敏行は、不穏なニュースに表情が強張る。
「おいおい、ジャンボ機が消息を絶ったって」
「まあ、どうしたのかしら」
なんだ、なんだと敏行と真知子はテレビに注目していると、長野県に墜落した、とさらなる続報が入ってくる。涼子も翔太も深刻な内容に黙りこくって、両親と共にテレビに釘付けである。
未来から意識が遡行してきた涼子は、この事故のことを知っている。当時、史上最悪の飛行機事故として大きく話題なった。
「ねえ、お父さん、墜落したって言ってるよ」
「ああ、こりゃ大ごとだな。ジャンボって何人乗ってるんだ? 百人やそこらじゃないだろう。もっと沢山……」
敏行はかなり深刻そうな顔をしている。かなり凄惨な状況が頭に浮かび、これは子供に見せられないと考えた真知子は、子供たちにもう寝るように言った。
「あんたたち、もう寝なさい。そろそろ寝る時間でしょ」
「えぇ、まだ早いよ。お母さん、墜落したって」
「いいから寝なさい!」
真知子は大きな声を出して、テレビを消した。
「そうだぞ。もう寝る時間だ」
敏行も妻に同意し、なかなかテレビの前から離れない翔太を抱えて隣の寝室に連れていった。涼子も渋々、寝室に行く。
翔太がブツブツ言っていたが、涼子が「ちょっと黙ってなさい。寝たふりしないと、お母さんたちがテレビつけないじゃん」と諭すと、涼子の意図を理解したようで布団に潜り込んだ。涼子も同じように布団に潜り込んで寝たふりをした。
一時間くらい経った頃だろうか、涼子は隣の居間でテレビの音が聞こえてくるのに気がついた。——やっぱりニュースを見てる、と思った涼子は、隣の布団の中にいる翔太を小声で呼んだ。
「……翔太、テレビ見てるよ」
どうも反応がない。布団をめくってみると、翔太はすでに眠っていた。なので起こすのもなあと思い、そのままにした。そっと布団から出て、居間との間の襖の前にいくと、少しだけ隙間を開けて、向こうを見た。テレビを見ている両親の背中と、その向こうにテレビの画面が見える。
長野県の山の上に落ちたこと、五百二十人が亡くなったことなどがニュースで伝えられていた。
前述の通り、涼子はこの事故を知っているが、やっぱりその時の生のニュースを目の前にすると、その衝撃は計り知れない。
今日の夕方頃、あっという間に五百人以上の人が死んでしまった。遠い外国の話ではなく、この日本で。呆然としたままただ聞いていた。
それから少しして、ゆっくりと布団に戻った。山中で起こった惨状を思うと、目が冴えてしまい眠れなかった。なのに、あれほど眠れなかったにも関わらず、いつの間にか朝に目が覚めた。
なんだかんだいっても、人間寝るときは寝てしまうものだ。
八月十三日の朝、テレビでは大騒ぎになっていた。
昭和六十年八月十二日、午後六時五十六分、日本航空123便のジャンボ機が、群馬県の山中に墜落した。乗員五百二十四名中、五百二十名が死亡、生存者は四名という大惨事だった。
当時を知る人は、その惨状がテレビを通してよく覚えている人も多いのではなかろうか。
午後六時に羽田空港を出発、それから二十四分後に以上発生。それからどんどん迷走をし始め、最終的に山中に墜落という最悪の事態を起こした。
涼子は朝もラジオ体操から帰った後、朝食の時もテレビでやっていた報道特番などを見た。昨晩同様、親たちはあまり見せたくないようで、チャンネルを変えたかったようだが、自分も見たいために結局そのまま変えることはなかった。
その後、昼食を食べた後、典子と一緒に村上奈々子の家に遊びに行った。奈々子も八月の初め頃から旅行に行くなどして、先週に戻ってきていた。
涼子だけまだどこにも連れていってもらっていない。とはいえ涼子も、今週末から祖父母の家に泊まりに行くのだが。
「ねえ、見た? ジャンボ機が墜落したって」
「うん、五百人とか死んだって……なんかすごいことになってるね」
行って早々、村上家の庭先の木陰で日航機墜落事故の話題でおしゃべりが始まった。特に典子は東京に行った際、飛行機に乗ったこともあり、かなり深刻な様子だ。
「わたしさぁ、この前初めて飛行機乗ったけど……すごいって思ったけど……こわいね」
「……うん、わたしはまだ飛行機乗ったことこないけど、つい落したらどうしよう……」
奈々子もこの事故には恐れ慄いている。
「ねえ、涼子は飛行機乗らないの?」
「うちはどこにも連れていってくれないからなあ、よくておじいちゃんの家くらいか……せめて他の県に連れていってくれたらなあ」
涼子はなかなか連れていってくれない不満を漏らした。親が自営業だとどうしても休日の家族サービスが疎かになってしまう。わかっているけど愚痴りたくもなる。
「それはそれでいやだよね。でもさ、岡山だったら飛行機乗らなくてもいいよ」
「あはは、それだけが取り柄だよね」
涼子は自虐気味に言った。そして、いきなり表情をパッと明るくして言った。
「——それもそうだけどさ、ナナ!」
涼子の意図をすぐに察知した典子も嬉しそうに言う。
「そうそう、ナナん家に来たのって、あれよあれ!」
「うふふ——それじゃ上がって。ご案内しまぁす!」
奈々子の家に遊びにきた一番の理由は、奈々子の家に「ファミコン」がやってきたからだ。夏休みに入ってからすぐに、奈々子はとうとうファミコンを買ってもらった。
「友達はみんな持っている、持ってないのはうちだけだ」「みんなから仲間外れにされる」と、弟と一緒に嘘や誇張も織り交ぜてひたすら説得し、孫に甘い祖父を味方につけて、ようやく買ってもらうことになった。一学期の最後の方であった算数のテストで、なんと百点をとったことも有利に働いたようだ。
奈々子の家の応接間に行くと、そこにあるテレビの前のテーブルに、ファミコンが置いてあった。なんともわざとらしく置いてある。普段は邪魔になるから、こんなど真ん中に絶対に置いていないだろうが、涼子たちが来る予定だったので、事前に出して用意していたのだろう。
「ファミコンだわ。ナナん家のファミコン!」
涼子は、まだ新しいピカピカのファミコン本体を見て嬉しそうに叫んだ。典子はすでにファミコンを持っているが、それでも友達が買ってもらったのが自分のことのように嬉しいようで、涼子同様、目を輝かせている。
「ねえ、ナナ。カセットは何にしたの?」
涼子と典子はすぐにファミコンに駆け寄り、本体に挿してあるカセットを見た。
「マッピーっていうのにしたの。これ」
奈々子は、ソフトの箱を見せた。前にどれを買うかで弟と意見が分かれたようで、奈々子は「ナッツ&ミルク」、弟は「スパルタンX」がいいということだそうだが、最終的に買ったのは、それらとはまた別のソフトだった。
「マッピー」は、昭和五十九年十一月にナムコから発売されたアクションゲームだ。マップ内をトランポリンなどを使いながら点在するアイテムを回収していく内容だ。どっちを買うか決まらない中、いとこが勧めてくれたことで決めたという。
早速ゲームプレイとなるが、村上家ではファミコンは一日一時間までと決められているらしく、友達が来た時だけ特例で三十分延長可能らしい。
涼子も典子も「マッピー」は遊んだことがないので、かなり夢中になって遊んだ。途中、奈々子の母がおやつを持ってきてくれたが、それも後回しにするくらい熱中した。あっという間に時間が過ぎ、もう一時間三十分がきてしまった。少々過ぎたくらいわからないだろうと思ったがそれは甘く、どこからか奈々子の母の声がした。
「奈々ちゃん、もう時間よ。ゲームはやめて他のことして遊びなさい」
「……はぁい」
奈々子の返事は小さい。しかしやめないと怒られるのは必至であり、もうやめざるを得なかった。
やむなく外に遊びに出た。外は暑く真夏の盛りである。しかし民家の陰は風が通って結構涼しい。そこでファミコンの話をした。次は何を買おう、涼子も早く買ってもらったら、私は今度これが欲しい、などずいぶん長く話し込んでいた。
その後は三人で鶴海商店に駄菓子を買いに行く。よくやる定番である。そしてまた、店の前でああだこうだとファミコンのことで話し込む。そんなことをしていると、あっという間に時間は過ぎてしまった。とにかくファミコンに心奪われているのである。
まだ外は明るいが、もう五時半であり、そろそろ帰らないと怒られる。そこでお開きになってそれぞれ自宅に帰った。
「涼子、典子、バァイ!」
「バァイ、ナナ」
「バァイ!」
涼子は家に帰る最中、やっぱりうちにもファミコンが欲しいという思いをさらに強くするのだった。なんとか今年の自分の誕生日に買ってもらえないかと考えたが、誕生日プレゼントはちょっと難しいか、と思った。とにかくファミコン嫌いの母——真知子が問題なのだ。
ちなみに涼子の記憶からすると、クリスマスプレゼントを狙ったが、それもダメで、購入は確か年明けの正月に、翔太の自分のお年玉を出し合って買ったはずだ。
——はぁ……、やっぱりお正月まで待たないといけないのかなぁ……。