夏休みの午後
うっかりアイスを食べたことを喋ってしまい、翔太に散々文句を言われた。しかし、お使いに行ったからアイスを食べれたんだ、と強引に言いくるめた。実際にそうだし、どんなに翔太が不満だろうが、翔太はお使いには行っていないのだ。だから食べる資格はない。
これ以上文句があるなら「電気アンマの刑」だと脅して黙らせた。
昼食後は、ふたたび外に遊びに行く。
翔太はまた別の友達の家に遊びに行った。もっと小さい時は人見知りが目立ったが、今は友達もたくさんいて大丈夫なようだ。反面、交友が広がったせいか、いろいろと友達の影響を受けてくる。それもあって、結構生意気になってきた。
意気揚々と家を飛び出していく翔太の背中を見送りつつ、涼子はまた藤崎工業の工場に行った。
工場は今は昼休みで、工場建屋の裏の日陰では、数人の職人が昼寝をしていた。みんな藤崎工業の下請けである、村山興業が連れてきた職人で、最近きたばかりなこともあり、顔に覚えがない人ばかりだった。
見た目はヤクザとしか思えない、ちょび髭パンチパーマのオッサンや、隠してはいるものの、背中一面に刺青を背負った厳つい男もいた。しかし、みんな仕事は真面目で優れた技能を持った職人だ。
こういうヤバそうな男たちも、子供には非常に優しい。
涼子や翔太を見つけると飴玉をくれたり、休憩中だと周囲の草むらでバッタやカマキリを捕まえるのを手伝ってくれたりして、翔太は意外なほど懐いていたりした。
涼子は市川照久を探した。照久は叔母の弟で、気さくで明るい性格であり、とても優しかった。涼子にとって大好きなお兄ちゃんなのだ。
昼休みはよく工場の裏で職人たちと一緒にいる。将棋をやったり、好きなオートバイや自動車の話などをしている。昼寝していることもある。
まだ昼休みだと思うので、ちょっとくらい遊んでくれるかもしれないと思った。
涼子は工場の裏へ行こうとしたら、事務所の隣にいるのを見つけた。自分のオートバイに跨ったまま、雑誌か何かを眺めていた。
そっと近づいて驚かせてやろうかと思った。
「……てぇぇるさん!」
「うん? ああ——涼子ちゃんか。どうしたの?」
しかしあまり驚かなかったようで、ちょっと残念だった。
「ちぇ、驚かそうと思ったのに。……何を見てるの?」
「ああ、これはね。車の雑誌だよ」
「へぇ、照さん、車を買うの?」
「ああそうさ。中古車だけどね」
そう言って、照久は雑誌に掲載されている中古車情報のページを見せた。車の写真がいページにたくさん並べて掲載されている。それぞれ年式や値段も書き込まれており、安価なものから高額なものまで幅広く載っていた。よく見ると、セリカやシルビア、サバンナRXー7などスポーツカーばかり掲載されている。照久はスポーツカーを考えているようだった。
「——これ、お父さんの車があるよ」
涼子は小さな写真の羅列のなかに見覚えのある車を見つけて、指差して言った。
「それはレビンだな。社長のはカローラのセダンだけど、これはカローラレビンといって、クーペなんだぜ」
「ふぅん、クーペ」
「ちょっと見にくいが、ドアが片方に一枚だけだろ? 社長のは二枚あるはずだ。ドアが前だけしかない。これがクーペなんだ。でもやっぱそれならZかソアラだよなあ。特にソアラなんて乗ってりゃもう……えへへ」
照久は、自分が運転するソアラの中で、美女が自分にしなだれ掛かっている様を妄想してニヤけた。それを察知した涼子は、照久に白けた視線を投げかけた。
「なんかやらしいなあ……」
「えっ? あはは……いやぁ、勘弁してくれよ、涼子ちゃん」
「ふぅん……」
「まあなんだ……やっぱりね、女の子とデートするには車が欲しいところなんだよな。単車もいいけど、やっぱちょっとガキ臭いんだよな。大人はやっぱり車だよ」
この当時、自動車はデートのための最強ツールと言ってもよかった。高級車、もしくは高級外車は当然ながら、特にカッコイイ車、シャープで鋭い速そうなスタイルのスポーツカーは、女の子の人気も高かった。令和の今では考えられないかもしれないが。
ちなみに「単車」というのは、オートバイのことだ。サイドカー(側車)に対してオートバイ単体であるからである。
「デートするために車を買うの?」
「そうだよ。今付き合ってる女の子とデートに行くのにさ、この歳で単車じゃあね。彼女も車でデートしたいって言ってるし……って、子供にはまだ早いな。あのねえ涼子ちゃん、大人にそんなこと聞くんじゃないよ」
「それ照さんが勝手に喋ってるだけでしょ」
「あはは、そ、そうだね……」
照久はたじろいだ。
「そういえばさ、照さんは結婚しないの?」
それを聞いた照久は、キョロキョロと周囲を見渡して、涼子に顔を近づけると、小さな声で言った。
「……まあ、なんだ。内緒の話だけど——すぐじゃないが、将来的にはさ、結婚は考えてはいるんだ」
「えっ、相手の人ってどんな人?」
涼子はパッと表情が明るくなり、笑顔で聞いた。
「しっ! 声が大きい。……今付き合ってる子と考えているんだけどね。いろいろ難しいんだよ」
「……何か難しいの?」
「姉貴が結婚しろって見合いの話を持ってくるんだよ。でも、俺は付き合ってる娘がいるしさ」
「それを弘美叔母さんに言ったらいいじゃない」
「まあ……なんていうか……ちょっとな……涼子ちゃん、このことは絶対に秘密だぜ?」
「う、うん——それはいいけど……」
ちなみに照久が付き合ってる女性というのが、実はまだ高校生だった。昨年に知り合って、周囲に内緒で付き合い始めたが、少し前にバレてしまった。未成年と交際しているというのを問題視した姉(敏行の義妹、弘美)が、強引にでも結婚させて別れさせようと見合い話を持ってきていたのだ。しかもその女子高生は、いかがわしいところに出入りするような不良娘ということで、弘美は特に嫌っていた。
照久は本気のようだが、実は相手の女子高生はそれほど本気には考えていないようで、後年別れる羽目になるが、それは関係ない。
なんかやっぱりマズい話になりそうな気もしたので、照久は別のことに話を振った。
「それよりもさ、涼子ちゃんも仲のいい男の子がいるじゃないか。今日は一緒に遊ばないのかい?」
「仲のいい……ああ、悟くんのことかな」
「うん。この間、そこの用水路のとこで一緒に遊んでた子」
まさに悟のことだった。正直、異性で友達付き合いがあるという子は、幼なじみだとかいうのでなければ、意外と多くない。涼子にとっても、幼稚園の頃からの友達ということもあり、今でも時々一緒に遊ぶことがある。
だが基本的には、やはり男女の趣向の違いもあり、同性だけで集まって遊ぶ場合が多い。意外と男女で遊ぶことは少なかった。下手に仲よくし過ぎると、アベックだなんだと揶揄われる。
「うぅん、悟くんねえ。……まあ、悟くんはいい人なんだけど……やっぱり友達だよねえ。カレシとかカノジョとかはちょっと……」
「ははは、男を選ぶかい。なかなか罪な女だねぇ——」
照久が、喋っている最中、ふいに敏行の声がした。
「おい、照。仕事だぞ。何をやってんだ?」
「あっ、はいはい。……じゃ、涼子ちゃん。またな」
「うん、お仕事頑張ってね」
涼子は、工場のほうへ慌てて駆けていく照久を見送ってから、自宅に戻っていった。
それから家に戻って本を読んだ。バーネットの代表作のひとつ「小公女」だ。この間、西大寺公民館に連れていってもらって、図書館で何冊か借りてきていたうちの一冊だ。
ちょうど今、毎週土曜の午後七時半から放送している「小公女セーラ」の原作である。涼子も毎週視聴しており、原作が気になったので借りてみたのだ。アニメのほうでも作中で夏休みに入って、セーラの苦難は続いている。しかし、この「世界名作劇場シリーズ」は時々ナイター中継で潰れる。先週もナイターだったものだから、放送していなかった。あまり野球に興味がない涼子には、それが不満でしょうがなかった。おのれ、ナイターめ……。
ともかく……午後三時、真知子がおやつを用意してくれたので、おやつを食べる。
食べ終わって、子供部屋に戻って小公女の続きを読み始める。
いつ頃まで読んでいただろうか。ふいに体を揺すられて意識が戻った。真知子の顔が見えた。
「涼子、もう晩ごはんよ」
「……へ? あぁ、ばんごはん?」
「もう、何を寝ぼけてるの。早く食べなさい」
真知子はそう言って子供部屋を出て行った。
時計を見ると、もう午後六時を過ぎていた。いつ頃から居眠りしたのかは覚えていないが、読書の途中で寝てしまったのは間違いないようだった。
ちょっと気分が悪い。涼子は昼寝をすると、どうも寝起きが悪いのだ。朝はどうもないのに。
涼子はノロノロと部屋を出ていくと、夕飯のある居間に行った。
夕飯を食べると気分もスッキリ、あとはテレビを見て寝るだけだ。
午後七時から「北斗の拳」を見て、そのあとは「スケバン刑事」だ。敏行がナイターを見たがるが、子供が見たい番組があるとそちらが優先される場合が多い。なんだかんだ言って譲ってくれる。ちょっと不満そうだが……。
夜遅くまで起きていると、真知子がきて「早く寝なさい」と叱られる。しかし、昼寝をしてしまった涼子は、なかなか眠気がこないのであった。
こうして夏休みの一日が終わっていく。