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夏休みの昼

 外に出ると、割と派手な音が鳴っている。ガリガリ、バリバリ、ガガガと、金属を加工する音だ。父、敏行の町工場での仕事の音だ。今は忙しいらしく、毎日残業をやっている。この間、工場を覗いたら、かなり大きな機械らしきものがあって、それを制作中のようだった。何ができるのだろうかと、ちょっと興味がある。そういえば見かけない人が数人いて、賑やかだった。

 すぐに汗が滲んできそうな気温ではあるが、何か面白いものはないかと、涼子はちょっと行ってみることにした。



「おぃ、まだかぁ!」

「もうちょっと待ってください!」

 汗をダラダラと滝のように流しながら、職人が金属部品を加工している。敏行と社員の市川照久だ。

 市川照久は敏行の義妹(弟、哲也の妻)の弟である。まだ二十代半ばの若者だが、なかなか頑張っている。来てからもう四年ほどなるが、まったく知識も技術のなかった素人だったが、藤崎工業の仕事も大体のことはできるようになっていた。敏行も褒めていたのだ。最近、車を買い替えたいらしく積極的に残業をやりたがっているみたいだ。


「――よし、それじゃあ一服するか」

「了解っす! ふぅ、汗が止まんねえや」

 敏行と照久が汗だくなまま、工場の外に出てきた。敏行が汗を拭っても拭ってもまたすぐ汗が吹き出てくる。今日も真夏日であった。

「お父さん、照さん、お疲れ様!」

 涼子はニコニコしながらふたりに声をかけた。

「やあ涼子ちゃん、どうしたの? 危ないから、あんまり入ってきたらいけないよ」

 照久もニコニコしながら、涼子の頭を撫でて言った。涼子は工場の中にある大きな鋼鉄の機械らしきものを指差して言った。

「えへへ。ねえ、照さん。あれは何?」

「うん? これかい」

 照久は工場の中を振り返って、工場のど真ん中に鎮座する大きな機械を見た。

「これはね、糸を作る機械なんだそうだよ。まあ、これは骨組みだから、これにいろいろ部品がたくさんついて、機械として動くんだけどね」

「ふぅん。でも、これがどうやって糸を作るの?」

「ははは、さすがに俺には、それはわからんなあ。俺は作る方で動かす方じゃないからね」

「ふぅん」

 涼子は大して興味を抱かなかったようだ。

「おい、涼子。宿題は済んだのか?」

 ふいに敏行が声をかけてきた。

「もう結構済んでるよ。お父さんがどこにも連れて行ってくれないから暇してるんだよ。お父さんがどこにも連れて行って、く、れ、な、い、か、ら!」

「お前なあ、お父さんは忙しいんだ。もうちょっとしたら、爺ちゃん婆ちゃんのところへ連れて行ってやるから我慢しろ。それに知ちゃんや純ちゃんとも久しく会ってないだろ。」

「それはわかってるけどねえ……私の友達がさあ、東京タワーに登るんだって。私も東京タワー行きたい!」

「あのなあ、そんな金がどこにあるんだ? 他所は他所、ウチはウチだ。……まあいい。涼子、ちょっとアイスクリームを買ってこい」

 敏行は財布から千円札を取り出して、涼子に渡した。休憩の時に職人たちに食べてもらうつもりのようだ。

「四、五、六……八人だな。おい、八つだ。それと、お前も好きなのを買っていいぞ」

「ホント? うん、買ってくる!」

 涼子は嬉々として千円札を握り締めて、近所の鶴海商店に走って行った。もちろん、自分が食べるアイスクリームを買っていい、と言っていたからだ。涼子は時々お使いに行ってくるが、母のお使いは何もないが、父のお使いはよくお駄賃をくれる。だから積極的に行ってくる。

 鶴海商店は近所である。よく駄菓子を買いに行くので、馴染みの店だ。抹茶とかバニラとか適当に選ぶと、自分用を選定する。お使い分は適当だが、自分用は真剣だ。悩んだ結果、「いちごフロート」にした。カップ入りのかき氷系のやつで、真ん中にバニラが入っているあれである。涼子はこれが好きだった。

 代金を払うと、すぐさま工場に帰り事務所に持っていった。事務の小母さんが五、六個を持って工場の方へ行った。事務所に入りきらない職人が工場の裏で涼んでいるらしく(風が通って涼しいらしい)そこへ持って行ったようだ。

 涼子は事務所の中で自分のを食べた。やっぱり、いちごフロートは最高であった。少し溶けて、中央のバニラと混ざった状態が特に美味しい。最後に全部溶けてジュースのようになったのを啜って飲む。いやはや、やはり最高だ。

 翔太は友達の家に遊びに行っていて知らない。だからアイスを食べたことは内緒だ。



 昼食は素麺だった。透明の器に真っ白な素麺が入っている。涼子と翔太、そして真知子の三人で食べる。敏行も食べに戻ってくるのだが、まだ戻ってこないので、先に食べ始めた。

「やっぱり夏はソーメンだよね!」

 涼子は嬉しそうに言って、ズルズルと麺を啜る。翔太は麺類が全面的に大好きで、素麺ももちろん目がない。涼子と競い合うように食べている。

「こら、お父さんの分もあるのよ。……翔太、つゆをこぼさないの」

 真知子は、放っておくと子供たちに全部食べられそうだったので、別の皿を持ってきて、敏行の分を分けた。今回はいつもより量が少なかったが、問題ないだろうかと思っていたものの、やっぱり少なかったようだ。敏行の分がちょっと足りないような気がしたので、おにぎりか何か別に作ろうかしら、と考えた。

 そんなとき、敏行が帰ってきた。

「いやぁ、アチィなあ。茹で上がりそうだ――お、今日は素麺か」

 手拭いで顔の汗を拭いながら、縁側から直接居間に上がってきた。そして、自分用に分けて盛られた皿を見て、少し驚いたように言った。

「……って、えらく少ないな。おい、もうないのか?」

「ちょっと少なかったわ。待ってて、おにぎりでも作るから」

「本当かよ、まあしょうがねえな。早くしてくれよ」

「はいはい」

 少々不機嫌そうな夫を尻目に、真知子は台所に向かう。

「お母さん、私もおにぎり作りたい」

 涼子も後を追って台所に向かった。翔太は、大して興味がないのか、麦茶を美味しそうに飲んでいた。


 真知子と涼子は台所でおにぎりを作る。最近は時々夕飯の手伝いをすることがある。不器用な涼子にはまだ包丁は危ないので、調理ではなく料理の盛り付けだとか、その程度をやらせている。そんな程度ではあるが、涼子は楽しんでいるようだ。

 もっと小さい頃は、なかなかのお転婆ぶりだったので、女の子らしいことができるようになるのは、真知子にとって嬉しいことだった。

「涼子――何なの、それは。ご飯はおもちゃじゃないのよ。遊んでないでちゃんと作りなさい」

「これハートのおにぎりよ。こっちは星で」

 得意げに、嬉々として説明する娘のにぎったおにぎりは、あまりそういう風には見えない。この子はどうも手先が不器用ねえ……。と、勉強はできてもこういうのは得意ではないのは残念だった。真知子は比較的器用な方で、裁縫だとかはお手のものだ。破れた夫の作業着も、いつも簡単に直してしまう。

 だが、夫の敏行は意外にも不器用だったりする。金属加工の職人にもかかわらず。涼子は敏行に似たようだ。容姿は母親似な印象があるが、内面的には父親似であった。



「お父さん、これ私が作ったのよ。これこれ」

 涼子は自分の作った、ハート型と主張する歪な形をしたおにぎりを指差した。

「変な形をしてるなあ。こっちも……これも涼子が作ったのか?」

「そう。それは星だよ」

「星……? まあ、いいか」

 よく見たら、二、三箇所に出っ張りがあるように見える、変な形のおにぎりをひと口かじる。そして思わず吐きそうになった。

「ブッ……お、おい涼子! こりゃ、えらく塩辛いな」

「えぇ、そうかなぁ。でもこれは大丈夫でしょ――げっ! ゴホッ、ゴホッ……からぁい……」

 涼子は塩を入れすぎたようで、特に涼子がかじったものは、相当塩辛かった。真知子は涼子が作っているのを見て、塩の入れすぎを注意していたので、やっぱりかという顔をしている。

「涼子ったら、やっぱりね。入れすぎなのよ。だから言ったじゃない」

「難しいなぁ……」

「おねえちゃんのはこれかな? こっちがおかあさんがつくったのかな? ぼく、おかあさんがつくったのをたべる」

「ムッ、なんか文句でもあるの? これ私がつくったのよ。おいしそうでしょ。これなんて獅子丸よ」

 涼子は少々不機嫌になったが、適当に丸ただけのようにしか見えないおにぎりを翔太に勧めた。

「えぇ、ぼく、おかあさんがつくったのがいい。おねえちゃんのはイヤ」

「はぁ、なに言ってんのよ。——お母さんのは十円よ。私のだったらタダだけど」

 涼子はさらに機嫌を悪くすると、「十円払え」とでもいうように翔太の前に手を出した。

「こらっ涼子! 何を馬鹿なこと言ってるの!」

「冗談だよ、冗談。もう、お母さんったら本気にするんだから」

 涼子は慌てて言い訳した。そんな姉に、翔太の不審の目が刺さる。

「まあ、汗かいてるからちょうどいい。涼子のは俺が食べてやるぞ」

 敏行は、先ほど涼子がひと口かじって食べなかったおにぎりを取ると、それを頬張った。それを見た涼子は、パッと表情が明るくなった。

「やっぱりお父さんね! だからお父さんって大好き。アイス買ってくれたし」

 涼子は敏行の背中に抱きついた。

「えっ……おねえちゃん、アイスって?」

「あ、やば……」

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