過去に来た理由
吉岡に用事を頼まれて、悟と一緒に職員室に行っていた涼子は、それが終わったあと教室に戻っていく。
が、4Bの教室のある校舎へ入ろうとした時、ドタドタと数人の生徒が出てくる。見れば、その中のうち、朝倉が真っ赤なハンカチを抑えたまま持田たちに連れられていた。
「ちょ、ちょっと。どうしたの?」
涼子は驚いた。特に真っ赤なハンカチはインパクト十分で、とんでもない事態が起こっていると思った。実際は鼻時が止まらないだけだが。
悟が声をかけた。
「大丈夫かい?」
「ま、まあ……大丈夫だ。ただの鼻血だ」
「大丈夫じゃないだろ。早く保健室で見てもらわないと大変だよ!」
持田たち数人の男子が、少々強引に引っ張って行った。呆然とそれを見送る涼子と悟。
「ちょっと様子を見てくるよ。涼子ちゃんも一緒に来る?」
「誰が行くもんですか。それに大丈夫そうだったじゃん」
「まだ、仲直りできてないみたいだなあ……」
「仲直りもなにも、初めから仲良しじゃないってば!」
涼子は悟を置いて、校舎の中に入っていった。
「やれやれ、隆之もだけど、涼子ちゃんも本当に頑固だな」
悟は涼子の姿が一舎の中に消えるのを見届けると、持田たちを追って保健室に向かった。
「――もう止まってるし、大丈夫よ」
保険医の先生は、いろいろ見て回ってみたが、特に問題なしと太鼓判を押した。まあ、すぐに止まらなかっただけで、保健室にやってきた時点ではもう止まっていたし、本人も大丈夫だと思っていた。
「しかし、本当に叩かれたとかではないの? 最近は戯れていたとか言って、実はいじめてたりするのよ。この間も三年生の子がね、突き飛ばされて腕に痣を作って――君、何か知ってる?」
保険医の先生は、先ほどやってきた悟に聞いた。
「いえ、僕はここに運ばれてきている途中だったから、わからないんです」
「うぅん、そうなの」
「先生、違います。特に何かやったと言うわけじゃありません」
「そう、ならいいんだけど……まあ大丈夫とはいっても、ちょっと休んでいきなさい。昼休みの間だけでもね」
「はい」
朝倉は座っていたベッドに寝転んだ。そのベッドの脇に悟が座っている。持田たちは運んだあと、すぐに戻っていった。
「それじゃ、私はちょっと職員室に行ってくるから」
保険医の先生は、そう言って出て行った。それを見送ったあと、今度は悟が立ち上がった。
「無事そうだし、それじゃ僕も教室に戻るよ」
「ああ、俺もすぐ戻る」
「ははは、何なら五時間目を保健室で寝ててもいいんじゃないかい。宇野くんたちも、そのほうが真剣に考えるかもよ」
「ふん、ああ言うバカは死んでも治らん。そもそも、こんなところで休むほどのことはない。大袈裟だ」
「君らしいね。まあいいや。まだ十五分くらいあるし、ゆっくりしていきなよ」
悟は保健室を出て行った。
――まったく、小学生など……。
朝倉は、どうもうまくいかない現実にもどかしさを感じていた。悟は人付き合いがうまく、小学生という子供相手にうまく溶け込んでいる。悟だけじゃない。他のメンバーもうまくやっているように思っている。自分だけが、どうも子供社会に馴染めない。
「チッ、あの金子芳樹も……なんだかんだいってうまくやっているというのに」
「——俺がどうしたって?」
ふいに声がした。予期していないことに朝倉は驚いた。
保健室に生徒が入ってきた。金子芳樹だった。
「ヨォ、情けねぇな――ガリ勉」
「なんの用だ。ふん、笑いに来ただけなら、さっさと帰れ」
朝倉は、忌々しいやつが来た、と思った。世界再生会議を抜けたのは間違いないようだが、それでも自分たちにとって敵であることには変わりない。全面的に協力すると言うならまだしもだが、それも言葉だけでは信用できない。
「ケッ、いつもそうだが、刺々しいやつだな。そんなんじゃ、いつから仲間から愛想つかれるぜ」
「黙れ! お前なんかにどうこう言われる筋合いはない!」
朝倉は感情をあらわにして怒鳴った。先ほどの焦燥感をズバリ指摘されたような気がして、余計に不愉快に感じた。
「おおコワ、ずいぶん嫌われてるみてぇだし、そろそろ戻るか……」
芳樹はそう言って、朝倉に背を向けて保健室の出入り口まできた。そして、そこで立ち止まると、戸を開けず話し始めた。
「なあ、お前――どうして未来を戻そうとした?」
「……それを聞いてどうする」
「俺は弟の命を救うためだ。再生会議の誘いに乗ったのも、当然同じ理由だ。しかし、お前にはどうも理由がはっきりしない。及川は相当人生を捻じ曲げられているし、他のザコどもはお前の誘いに乗っただけだろう。でも、お前にはこれといった動機になるものがない。お前が加納から話を持ちかけられたと聞いた。こんな胡散臭い話を信用して動いたのはなぜだ?」
「馬鹿なことを言うな。俺はお前のような単細胞ではない。前の未来では世界再生会議が影で日本を支配しているんだぞ。そんな世界のどこかまともな未来だ。まともじゃない世界は正常な形に戻すべきだ。そもそも本当の未来の記憶を得たのだ。であれば、信じるのは当然だろう」
朝倉の言うことは、まさに正義の味方というべき理由だ。だが、あまりに優等生過ぎる。
「ほぅ、そりゃ御大層な理由だことで。ま、いいけどよ――そんな建前でごまかせると思うのか?」
「どういう意味だ」
「再生会議は……以前からどうもおかしな動きがあった。何か別の意図を持って動いている向きがな。宮田の意向とは別のな」
「……意見の違いから仲間割れが起きている、という情報は聞いている」
「ま、俺の弟の件でよ、ビビリの宮田が余計なことをやっちまったからな。でもそれとは別だ」
「どういうことだ?」
「……お前、門脇を知ってるか?」
「門脇——宮田のブレーンだな。素性は不明だが、要注意人物だと認識している」
「門脇のクソ野郎はよ、ずいぶんお前たちの事情に詳しいからな。お前たちの中に知ったヤツがいるんか? と思っただけだ」
「貴様——我らの仲間にスパイがいるとでも言いたいのか!」
「そうカッカすんじゃねえ、鬱陶しい。ちょっと思っただけだ……あばよ」
芳樹は保健室の引き戸を開け、さっさと出ていった。
「……ふん、スパイだと? 門脇と内通しているものがいるかもしれん、だと? ふざけるな!」
朝倉は吐き捨てるように言うと、そのままベッドに寝転んだ。
——我々に裏切り者などいない。身元はちゃんと調べているからだ。
——そして、俺が過去にやってきた理由。えみ……いや、いい。いいんだ。今はいい。今はただ、未来のためにやる。
ふいに壁の時計を見ると、あと五分くらいで昼休みが終わる。朝倉はベットから起き上がると、五時間目に間に合うように保健室を後にした。