空気を読まない少年
「よし、それじゃあここまでだ。……ああ、そうだ。明後日の算数の授業、テストをやるからな。みんなちゃんと勉強しておくんだぞ」
突然のテスト宣告。もちろん教室は「えぇぇ……」という明らかに不満の色が見える声が上がる。テストは定期的にあり、毎度のことなので驚くことではないが、やっぱりみんなテストは嫌なようである。
特に涼子の教室――4年B組の担任である吉岡は、宿題が少なく、自由でのびのびとした教育を目指すという、新進的な考えを持つ教師だった。しかし、時々独自のテストを割と頻繁に実施したりする。これがなかなか難しかったりして、結構厄介なものだった。
男子の中には全然問題が解けず、百点満点で十点という壊滅的な結果に終わり、親に散々怒られたという子もいた。
涼子はこういうテストは得意中の得意なので、わざわざ教科書を読み直したりしなくても問題ない。そもそも涼子は東大卒の天才科学者の頭脳と学力を持っているので、小学生のテストなど、まずわからない問題などない。むしろ、いつも百点だと変に見られそうだから、わざと間違えて八十点から九十点くらいを狙って点数調整をやっていた。もちろん時々百点にもする。
聞けば、未来からやってきた人たち、悟や佳代たちも同じようなことをやっていたようだ。みんな考えることは同じだったようである。
しかし――それを一切やらない、完全に空気を読まない人もいた。
朝倉隆之だ。彼は、昨年この学校へ転校してきて以来、やったテストはすべて百点だった。これには教師たちも驚きを隠せない。前の学校でも同様だったようで、国語算数理科社会においては「これはすごい子だ」と噂になっていたようだ。運動はからっきし駄目なため、すべてが完璧なわけではないが。
休憩時間になって、村上奈々子が涼子のそばにやってきて言った。
「ねえ、涼子。またテストよ。やだなぁ……」
「そうだね、吉岡先生ってテスト好きだよねぇ」
「そうそう。わたしさぁ、前のテストあんまりよくなかったから、お母さんに怒られたのよ」
「そういえば、言ってたね」
吉岡はテストが好きな先生だった。他の先生に比べて宿題の量が非常に少ない反面として、テストに注力している風だ。授業でも、頻繁に問題を出して生徒に答えさせる。答えられなくても怒ったりせず冗談を言って笑いに持っていったりするので、この辺は生徒もあまり気にしていないが、テストの多さは閉口ものだった。
「悪いとさぁ、おこずかいへらされそう……あぁあ」
そして明後日の算数テスト。配られてきたテストだが、涼子にとってはやはり簡単すぎる問題だった。近くの席の奈々子は、相当頭を捻っているようだ。
翌日、早速テストが戻ってきた。順番に呼ばれ、採点されたテストを受けとっていく。
吉岡は生徒に渡す時、ひと言言うのだが、これが良いも悪いも等しく言うので困りものだった。
「持田くん、今回はいいぞ。よく頑張った。なんと九十点!」
教室がどよめく。持田は照れ臭そうに「いやぁ、それほどでも――」ある、とても言いたげに受け取っていた。
「次は……おい、安田くん。これはいかんぞ。もっとがんばれ。もっともっとがんばれ」
具体的な点数は言わなかったが、かなり悪いことは容易に想像できた。一部の男子が馬鹿にしたような表情でニヤニヤしている。安田はどうにも恥ずかしそうに、そそくさと席に帰っていく。
「続いて女子――」
こうして全部配り終わると、吉岡は生徒たちに向けて話始める。
「今回、どうもみんな勉強不足を感じたぞ。割と簡単な問題を用意したつもりだが、もっと頑張って欲しいな。……それにしても、朝倉くん。君はすごいなあ。先生もここまで優秀なのは見たことがない」
吉岡は朝倉のことをベタ褒めだった。教室中の注目が一気に朝倉に集まる。しかし、当の朝倉はそれほど嬉しそうにもしていない。
涼子は、そんな朝倉の様子を見て、さらに悪い印象を抱いた。
――なんか嫌な感じ。「そんなの当然だろ」とでも言いたげでさ。
休み時間、朝倉のところに悟がやってきた。
「すごいね。また百点じゃないか」
それを聞いた朝倉は、チラリと悟の方に視線を移してつぶやいた。
「馬鹿馬鹿しい。どうでもいいだろう」
「そんなことないだろ。いくらなんでも、ずっと百点を取り続けるのは難しいだろ」
「……小学生だぞ。そんなわけないだろ。分からんでもないが――お前だって、小賢しいことなんかしなくても問題はないだろう」
朝倉は険しい顔をして、周りに聞こえないように小さな声で言った。
「はは……相変わらず大胆不敵だね。でも、本当に問題ないだろうか?」
「問題はない。北海道でも問題はなかった。こっちに来て一年ほどなるが、まったく問題にはされていないだろう。考え過ぎだ」
「そうかねぇ……」
悟は苦笑いした。いつも思うが、朝倉は物事に極端だ。もう少し柔軟な考えでもいいと思うが、こういう性格的なことは、なかなか変わりはしないだろう。
そんなことを話していると、チャイムが鳴った。悟も自分の席に戻っていく。
昼休み。
朝倉は窓の外を眺めていた。悟たちが言っていることもわからない話ではない。しかし、たかが小学生時代のことだ。そんな些細なことなど、何も未来に影響しない。あいつらが気にしすぎなんだ、と考えていた。
ふと、朝倉の周りに人影が現れた。
「おい、朝倉。お前、ちょっと調子に乗ってんじゃないか」
そう言って朝倉を睨むのは、同級生の宇野毅だった。他に波多野浩二や武藤貴昭など、涼子たちからは不良組と呼ばれている男子だ。三人とも仲がよく、一緒にいることが多い。またこれまででも、いじめや悪戯行為などをやってきた問題児だった。
「ふん、だったらどうなんだ。悪ガキども」
「なんだとテメェ!」
朝倉の不遜な態度に宇野は激怒する。朝倉のシャツを引っ張って殴りかかろうとした。が、朝倉は遅れる気配もなく、宇野を睨んでいる。宇野は殴る真似だけして、脅かしてやろうとしたようで、すぐに拳を止めた。
朝倉はそれを見透かしていたようで、一瞬ニヤリとした。それを見た宇野は逆上し、本当に朝倉を殴った。拳は鼻と目の間辺りに当たったようで、朝倉は苦痛に顔を歪ませ顔を押さえた。
「お、おまえがわるいんだ! だ、だから……」
予想以上に痛そうな様子なので、ちょっと怯んだようだ。さらに、朝倉の顔と、押さえた手の間から血が垂れてきた。手を離すと、鼻血が出ていた。
その様子に気づいた横山佳代が、「ちょっと、何やってんの!」と駆け寄ってくる。
朝倉は、すぐにポケットからハンカチを取り出して鼻に当てるが、なかなか止まらない。だんだんとハンカチが赤く染まっていくに従って、宇野たちの顔は青くなった。また、近くにいた女子がその様子に驚いて、「朝倉くんが血を出してる!」と叫んだ。教室中の生徒が一斉に注目する。
だらだらと鼻血が垂れ続け止まる気配がない。鼻血が出ているだけで、それ以外はどうもないのだが、真っ赤に染まっていくハンカチは、子供たちの目にはかなりショッキングに映った。
「朝倉くん! 大丈夫なの?」
佳代は、教室にいた友達に「保健室に連れて行こう」と言って、一緒に運ぼうとした。すると、持田と友達数人がやってきて自分たちが運ぶぜ、と言って佳代たちから朝倉を預かって、教室を出て行った。騒然とする教室の中で、宇野は「ちがう! ちがうんだ!」と必死に叫んでいる。
「何が違うってのよ! 暴力を振るうなんて最低!」
佳代は宇野たちを叱りつけた。