4Bの出来事
始業式から少し経って、四月の中頃。入れ替わった同級生にも慣れつつある。涼子と仲のいい友達はみんな同じ教室だった。前年からA組B組が変わった生徒は、おそらく四分の一程度だと思われる。
やっぱり二教室しかないせいか、生徒の入れ替えはあまりないようだ。もっともこれは年度によってちがうのかもしれない。
男子がずいぶん盛り上がっている。その輪の中心は、またしても同じ教室になった、持田啓介だった。
「これいいだろう。コスモ星丸のキーホルダーだよ!」
持田はランドセルにぶら下げていたキーホルダーを外すと、これみよがしに掲げ、自慢げに語った。周囲を囲む教室の男子たちは、それを驚きと感嘆で眺めている。
「あっ、もっちゃん。そのてさげのは?」
ひとりが、机の横に提げている手提げ袋についているバッジを指差して言った。
「ああ、これ? バッジさ。これもつくば万博のだよ」
「すげぇ、バッジもあるんか。……いいなあ、つくば万博いいなあ」
「あとさぁ、これもあるんだよね。ふふん」
そう言って手提げ袋から取り出したのは、つくば万博のパンフレットだった。
「つくば万博」とは――昭和六十年(一九八五年)の三月から九月までの半年ほどの間、開催された国際博覧会である。
正式には「国際科学技術博覧会」という。
四十八カ国、三十七の国際機関、二十八の企業及び団体が参加し、各々のパビリオンでは、未来を予感させる多種多様な科学技術が展示され、入場者は合計二千万人以上の人気となった。
マスコットキャラクターは「コスモ星丸」で、あちこちに露出していたこともあり、当時、万博に行かなかった人も知っている人は多いのではないかと思う。持田が持っていたようなキーホルダーなど、様々なグッズが用意された。
持田は開催して間もない春休み中に行ったらしく、それから半月ほどなる四月の上旬、満を持してグッズを持ってきたようだ。しかし調子に乗って、持ってきてはならないものを持ってきてしまった。
小さなキーホルダーなどは、特に目をつけられることはなかったが、パンフレットは「漫画」を学校に持ってきているのと同等に見られたようだ。
涼子は相変わらずの持田の自慢に、冷めた目で見ていた。涼子とお喋りしていた同級生も、「まぁた始まった……」とでも言いたげな顔をしていた。
鼻高々な持田の様子を見て、村上奈々子が険しい顔をして言った。
「あぁ、持田くん! 学校に不要なもの持ってきてる!」
その声をきっかけに、教室中の生徒が一斉に持田たちを注目した。持田はそれに気がついて、気まずそうにキョロキョロと周りを見回した。
「あ、えぇ――いや、あの……これはちがうんだ!」
「何がちがうのよ。それ持ってきたらいけないものでしょ。先生に言うから!」
奈々子は万博のパンフレットを指差して批判した。
「ちょ、ちょっと待って!」
持田は慌てて奈々子を制止しようとする。しかし、その後ろから奈々子に向かって罵倒した。
「女子がうるせぇな! つげ口すんな、ブス!」
持田の友達たちが一斉に吠えた。
「何よ! 持ってくるのが悪いんでしょ!」
奈々子は気が強い。逆上して敵意を剥き出しにしている男子に掴みかかろうとした。しかし男子たちは、素早く散って奈々子を囲むように睨みつけて、一斉に罵声した。
「うるせえ! うるせえ! ブスブスブゥス! 村上ブス!」
あんまりな罵声に奈々子は半泣きになる。すると今度は涼子たち女子が一斉に男子を攻撃した。
「もう絶対に言うから! 先生に言うからね!」
太田裕美が男子に向かって叫んだ。睨み合う女子と男子。それを尻目に青くなる持田。
そうこうしているとチャイムが鳴った。程なく担任の吉岡がやってきて、涼子たちは慌てて自分の席についた。
「きりつ、れい!」
学級委員の声に合わせて起立と礼をする。
「それじゃ始めようか、ええと――」
その時、村上奈々子が立ち上がって声をあげた。
「先生! 持田くんがいらないものを持ってきています!」
「うん? ……持田くん。そうなのか?」
吉岡は持田を見た。その吉岡の視線が痛いほど刺さる持田。
「あ、えっと……その……」
「さっきみんなに自慢してたでしょ、つくば万博行ったって! 先生、持田くんはパンフレットを持ってきてます!」
村上奈々子は徹底的に追求する。吉岡が持田のそばに歩いていく。
「持田くん、そりゃいかんな。どうなんだ?」
「……す、すいません」
持田はやむなくパンフレットを取り出して、吉岡に渡した。
「うむ、潔いな。持田くん。こういうものは、学校に持ってきたらいかんということは知ってるよな?」
「は、はい……」
「これは没収するから、今日の放課後に職員室に来るようにな。話があるから」
「……は、はい」
持田は半泣き状態だった。放課後、職員室でどれだけ怒られるのだろう、とビクビクしていた。鼻高々で自慢していたが、まさかこんなことになろうとは、と今では後悔していた。
もっとも、放課後にいざ職員室にいくと、最初大きな声で怒鳴られたものの、その後はそれほど怒られるわけでもなく、逆に万博はどうだったかなど、楽しい歓談に変わっていたようだが。
涼子はこの騒動の中、教室の片隅でつまらなさそうに外を見ていた、金子芳樹に気がついた。彼もまた同じ教室だった。
――金子くん、今度の因果は……。
このゴールデンウィーク前に起こる因果で、弟の命に関わる事態に直面する金子芳樹の心情を思うと、敵ながら居た堪れなかった。
――人が死ぬのが正しい未来だって……それはしょうがないと言えばしょうがないのだろうけど……でも、人が死ぬことがわかっていながら、それを見過ごすのは……。
涼子は複雑な感情を滲ませながら、過ぎていく時間の経過をただ見守るしかなかった。