この頃の流行もの
秋も深まる十月。先月の九月には涼子の誕生日だった。この誕生日で、涼子は九歳になる。もう一度、誕生から生き直して、もう九年もなるのか、と考えるとなんとも感慨深いものがあった。
小さい時の思い出など、多くは成長と共に忘れていくものだろうが、大人の意識を持ったままの涼子は、この九年間も割とよく覚えていた。
様々なことがあった。思い出せば、とても懐かしい気持ちになる。
そういえば、この九年間において、すでに自分の記憶とは違う人生となっている。自分が女の子であることは言うに及ばず、亡くなっていたはずの、いとこの知世が生きている、しかもその妹まで誕生している。そして、何より大きいであろうことが、昨年の十二月に事故で亡くなったはずの父、敏行が生きていることだ。
敏行の死は、その後の生活に多大な影響を及ぼした。主に金銭面で苦労していた。
それが、この人生においては、普通に生きている。敏行は変わらず藤崎工業を経営している。今はもう自分の記憶の中の人生ではないのだ。新しい人生だ。
とても楽しい生活だが、少し不安を感じる時もある。これまでは、ある程度先のことが予測できた。このころに――こういう出来事があるはずだ――だとか事前に予習するようなことができたが、もう難しいだろう。記憶では、小学五年生の時に転校するが、それもない可能性が高い。すると、それ以降はさらにわからない人生になっていくだろう。
これが当たり前だといえば当然だが、今までできていたことができなくなると、急に不安を感じるものだ。
「すずしくなったねえ」
集団登校の集合場所で、友達の太田裕美はつぶやいた。裕美は同じ川口地区に住んでいることもあって、毎日一緒に集団登校している。
「そうだね。今月から衣替えだもん、もう暑くないなあ」
涼子は今月から、夏用の制服から冬用の制服に変えている。まあ冬用とはいっても、上着を着るのと、帽子が麦わら帽子からベレー帽に変わるだけだが。
「一年中このくらいだったらいいのにね。わたし、あついの苦手なんだぁ」
「私も苦手だなあ。でも夏はプールがあるから好きなんだけどねえ」
「あ、わたしもプールはすき! それに、夏休みがあるし」
「そうそう、夏休み! 楽しい楽しい、なっつやっすみぃ!」
「なっつやすみぃ! あははっ」
ふたりとも楽しそうである。
ふと近くで五年生の女の子が、涼子たちと同じように雑談している。
「ねえ、これ見て。カワイイでしょ」
「あ、エリマキトカゲ じゃないの。カワイイ」
エリマキトカゲは、オーストラリアなどに生息するトカゲだ。
頭の周囲にぐるりと襟状の皮膚があり、それが名前の由来になる。地上を移動する際に後ろ足だけで二足歩行し、かつ威嚇する際に襟を広げる。この時の姿が珍奇で可愛らしいということで、人気に火がついたというわけだ。
今年……昭和五十九年の三月頃からテレビコマーシャルで流れると人気爆発、社会現象とも言えるくらいの近気を博した。このコマーシャルは、三菱自動車の小型車「ミラージュ」だ。
人気が出ると、すぐに関連グッズが世に溢れ出す。ちょっとした小物から玩具まで、実に様々なグッズが登場した。
しかし人気が落ちるのも早く、それからあっという間に騒がれなくなり、いつの間にか過去のものになっていた。翌年には「ウーパールーパー」が大人気であり、ちょうどエリマキトカゲ と入れ替わった感じだ。
この五年生の女の子たちは、シールを手に入れていたようで、当時よく使われていた缶ペンケースに、エリマキトカゲのキャラクターイラストが描かれたシールを貼り付けている。これを友達に見せてワイワイ言っているようだ。
裕美は「わあ、カワイイ」と、その五年生のところに行った。涼子も一緒に輪に入る。
「でしょ。……そうそう、ノートも持ってるのよ」
そう言って、ランドセルを下ろして中からエリマキトカゲの可愛らしいイラストの描かれたノートを出してきた。それを見た同じ五年生の子は、羨ましそうに言った。
「あぁ、いいなあ。私も欲しいのに。ねえ、どこで買ったの?」
「昨日ジャスコに、お買い物に行ったのよ。その時にね――」
嬉しそうに語り出す五年生。涼子と裕美は、それを興味深そうに聞いていた。
学校では、男子が何か持ってきて見せびらかしているようだ。
「じゃあ、ぼくのカンガルーレットとこうかんするかい?」
「えっ、もっちゃんいいの? じゃあ、キカンチュウとカニッポンとどれがいい?」
何かのシールのようだ。そうしていると別の男子が持田たちのところへやってきて、羨ましそうにつぶやいた。
「あ、もっちゃん。「まじゃりんこ」たくさん持ってんだな。いいなぁ」
「まじゃりんこシール」は、ロッテが発売していた、チョコレート菓子のおまけシールだ。昭和五十二年に「ビックリマンチョコ」を発売し、これにおまけシールを封入していた。
チョコレートをウエハースで挟んだ、六、七センチくらいの正方形型の菓子で、値段は三十円だった。
一年から半年くらいでシールをリニューアルし、「ドッキリシール」だとか「ウッシッシシール」、そして「まじゃりんこシール」など、それぞれシリーズの名称をつけていた。
この「まじゃりんこシール」は昭和五十七年に登場した。「新まじゃりんこ」「続まじゃりんこ」など、シリーズ続編がその後も続き、あのシリーズに交代する。
あの「天使VS悪魔シリーズ」である。
スーパーゼウスだとか、ヘッドロココだとか、懐かしく思う人も多いのではないだろうか。これはまだ登場していないので、また紹介することもあると思うので、このくらいにしておきます。
涼子たちの周囲では、まだ「まじゃりんこシール」は人気が出始めていたという程度だが、当時の小学生男児などに買われることが多かったようだ。
「あ、あれ。うちの弟も集めてるのよね」
持田たちの様子を遠くから見ていた村上奈々子が言った。
「ふぅん、何かおもしろいの? わたしも見たことあるけど」
太田裕美が言った。
「よくわからないけどさ、なんかヘンテコな絵だけど……何がおもしろいのやら」
奈々子は呆れたような表情で答えた。
「そういえば、おにいちゃんがこの間買ってたよ。あ、そうそう……聞いてよ。ひどいのよ。わたしの机にね、シールはるのよ。勝手に。はがすのにくろうしたんだから」
津田典子が言った。この種のシールは、貴重でないものほど簡単に貼ってしまう。よく学習机や箪笥などがシールだらけになっているのは、ありがちな光景だ。漫画雑誌のオマケなどのシールもよく貼られる。典子の場合、兄に意地悪されて貼って欲しくないところに貼られたようだ。
「あぁ、それひどい! わたしが弟にされたら、弟をひっぱたいてやるんだけど」
奈々子は言った。そう言っているが、実は以前、弟が大事にしていた超合金のロボット玩具の顔の部分に、雑誌についてきたシンドブック(ミンキーモモに登場する犬のキャラ)のシールを貼り付けて泣かしたことがある。
母親に叱られて剥がしたはいいが、拍子に細かい部分を壊してしまい、さらに弟を泣かしてしまったことがあった。
みんな典子の愚痴に同調して典子の兄を非難した。
そうしたなか、涼子は別のことを考えていた。
――机か……典子はちゃんとした学習机なんだよね。本棚があって、電気スタンドが付いてて、そういえば時計が内蔵されていた……いいなあ。