なんだか大ごとに
昼休みが終わり、東野が教室に戻ってきた。すぐにチャイムが鳴ったので、誰も東野に声をかけられなかったが、何を思ったのか、いやに自信に満ちた表情だった。
五時間目の授業が終わった後、六時間目までの間の休憩時間。東野の周りに一斉に数人の男子が集まってくる。
「なあ、ヨッちゃん。あの話はどうなんだ?」
「女子がなんか言ってるけど、そんなわけないよな」
東野の友達が声をかける。しかし彼は、得意な顔で口を開いた。
「あの話はさあ、まちがいだよ。まちがい」
「まちがい?」
周囲の生徒たちは怪訝な顔で聞き返した。
「どうしてエミちゃんと悟くんの話になっているのやら。あれは、ぼくのお兄ちゃんとカノジョの話なんだけど」
「ええ? そうなの?」
「そうさ。なんでこんな話になっているのかなあ」
東野が言うには――彼の兄、東野正行とその彼女、恵美がキスをしたということだった。
結局、東野は――「自分は正確に言ったのに、なぜか間違って伝わっている」ということにしたらしい。
正直なところ、理恵子の案と大して変わらないが、間違えたのが「自分」なのか「他人」なのかが違うようだ。昼休みに東野が心配していた部分は、まったく解消されているとは思えないが、これで納得したらしい。
得意げに語る東野を冷めた目で見る涼子たち。理恵子と美香も、完全に呆れ果てているようだ。あれだけ頑なだったにも関わらず、そんなのでいいのか……。
「なんだ、そうだったのか」
「そうそう、エミはエミでも、ちがうエミだし」
どうも一定の説得力があったらしく、周囲の関心は一気に萎んでいった。が、それで納得がいく生徒ばかりではなかった。
「じゃあ、ヒデちゃんがまちがったのか?」
ひとりの男子がこう言ったのを聞いた野崎は、火がついたように反論した。
「そんなわけないだろ! ぜったい聞いたし! ぜったいまちがってないし!」
野崎はあくまで東野が「及川悟と富岡絵美子が」と言ったと主張した。それに野崎の友達が援護し、東野の「聞き間違い説」では収まらなくなった。
東野も、「絶対にそんなこと言っていない」と強硬に主張すればまだ違ったかもしれないが、実際にそう言っていることもあって強気に出れない。
結局、問題解決には至らず休憩時間が終わって、今日最後の授業である六時間目が始まるチャイムが鳴った。
六時間目が終わると、帰りの会が続いて、それが終わると下校だ。下校の段になって、先ほどの問題の続きが再開した。もはや噂の内容よりも、「誰が嘘をついたか」という部分が焦点になっていた。
なんでこんなことに、とオロオロしている東野を、涼子たちは「当たり前でしょ」と遠くで傍観している。
しかし、事態は一向によくならない。なんと、野崎の味方に金子芳樹が加わった。かなり意外な展開だが、それだけではない。三年生に進級して、芳樹の子分みたいになっている小林英樹と安田明彦までいる。野崎の味方は、教室の男子で六、七人にまでなっていた。また、同級生たちの心情としては、東野のほうが嘘をついているように感じて、教室の空気も野崎に味方しているように感じられた。
反対に、東野の方はちょっと不利だった。仲のいい三人が味方になっているが、明らかに野崎派の方が数が多い。
「おい、東野! こいつがウソ言ってるにきまってる!」
「そうだ! ウソつきやろう!」
野崎派は次々に罵倒の言葉を浴びせた。窮地に立たされた東野だったが、こちらも意外な人物が味方に加わった。
「ふん、金子芳樹。こんなどうでもいいことに首を突っ込むとは、何がしたいんだ?」
そう言って挑発したのは、朝倉隆之だった。
「んだとコラッ! 調子に乗ってんじゃねえぞ!」
鋭い目で睨みつける芳樹。朝倉もまったく怯むことなく対抗する。
「お前がこんな幼稚な連中に付き合うとはな。呆れたものだ」
睨み合う、朝倉隆之と金子芳樹。放課後に緊張が走る。
女子の誰かが、担任の斎藤を呼んできた。険悪な事態に、大きな顔をさらに膨らませてふたりの間にはいった。
「ちょっと! どうしたの!」
斎藤の登場に、ふたりは睨み合いを中断させた。
「別に。なんでもないです」
朝倉は、すました顔で斎藤に言った。
「ふん」
一方の芳樹も特にどうとも答えることなく、おとなしくしている。
「先生はね、別に喧嘩をするなとは言わないわ。人はそれぞれ、色々あるものね。喧嘩するほど仲がいいとも言います。でもね、周りの友達を、仲間を心配させるような喧嘩はだめ!」
「ええ、特に何もありません。なあ、金子くん」
朝倉は、ことを荒立てるような事態にはしたくないようだ。頭のいい人物だし、抜け目なく……悪い言い方をすれば、ズル賢い。金子芳樹も、その点は同様で、「ああ、朝倉の言う通りだ」とだけ答えた。
「……わかったわ。先生は朝倉くんと金子くんを信じます。さあ、もう下校時間よ。みんな、もう帰りなさい。今日の宿題、忘れないようにね」
斎藤の言葉に残っていた生徒は返事をして、次々に教室を出ていった。
もう数人しか残っていない教室。朝倉と芳樹はまだ無言で教室に残っていた。
「なあ、芳樹くん。そろそろ帰ろうよ。オレん家でさ、キン消しで遊ぼうぜ。オレ、バッファローマン手にいれたんだよ」
芳樹の子分、小林が言った。
「フン……ああ、そうだな。帰るか」
芳樹は最後に、一度だけ朝倉を睨んで子分たちを一緒に教室を出た。
朝倉は、その後ろ姿を見送って、ニヤリと微笑んだ。
「まあ、いいさ。……帰るか」
そう言って席を立つ朝倉。教室の後ろの棚に置いてあるランドセルを取りに行こうとすると、悟と佐藤信正がいた。悟は朝倉のランドセルを渡した。
「なあ悟、信正。後で一緒に遊ばないか」
「ああ、いいよ」
「俺もかまわん。そうだな、遊ぼうか」
悟と佐藤は了解した。そして三人で教室を出ていった。教室の中にはもう日直の生徒がいるくらいだった。彼らももうすぐ下校する。
しかし……この一触即発の原因はいない。ちゃっかりと、もう帰ってしまったようだ。