東野の醜態
翌朝、東野が登校すると、教室は東野が言ったという噂で持ちきりだった。
教室に入るなり、複数の男子が東野の元に詰め寄った。もちろん、例のことについて聞きたいのだ。東野は答えに困っていると、今度は女子が数人やってきた。もちろんこちらも同じ理由だ。しかし、この女子たちは、友達の富岡絵美子が件のことで悲しんでいるのが、東野が原因だということで、抗議にもきたわけだ。
「……ああ、まあ……その……」
東野の言葉は少ない。その後が続かず誰かが急かしたが、チャイムが鳴り、授業が始まる。みんな一斉に自分の席に戻る。
その後、授業が終わって休み時間になるたびに、東野は追及を受けた。しかし、普段のにこやかな表情は影を潜め、追及をかわすことに専念しているようだった。
由高小学校の運動場には「クスノキ」がある。話では百年前の学校創立時からあるらしい。新校舎の二階と同じくらい高さがあるため、結構大きな木だ。よく目立つ反面、これといった何かしらのイベントがあるわけでもなく、生徒たちにとって、単に学校の象徴というか、そういう程度の存在であった。みんなよく知っているが、特に誰もクスノキで何かしようとはしないわけだ。
しかし、いまこのクスノキの下で途方に暮れている男子がいる。東野だった。木陰にうずくまって体育座りをしている。
昼休み、運動場では大勢の生徒が休み時間を満喫している。運動場で遊ぶ生徒は多く、昼休みは雑然としていた。
「……はぁ、たいへんなことになっちゃった」
東野は困り果ててしまった。今更、あれは嘘だったとは言えない。
そう、あれは嘘だった。つい言ってしまったのだ。
同級生たちは東野に対して、疑惑の目を向けているように感じられる。及川悟も富岡絵美子も、同級生たちの印象はいい。友達も多い。ふたりをからかう生徒もいるが、それぞれの友達たちがそれに抵抗している。特に絵美子の友達は攻撃的だ。
相対的に、東野への信頼は揺らいでおり、一部の同級生は、東野が嘘を言っていると考えていた。騒ぎの元になった野崎も、身の保身からか、東野が嘘ついた、自分は悪くない、と言ってまわっている。
「あれがウソだなんてバレちゃったら……みんなにきらわれそう。はぁ……」
そんなことをつい漏らした時――ふいに東野の前によく知った生徒が現れた。涼子だった。東野を見下すその表情は、明らかに不信感が出ていた。涼子の背後には涼子の友達、奥田美香もいる。オロオロと不安そうに涼子と東野を交互に見ている。
「……ふぅん、嘘。あっそう、嘘だったんだ。やっぱり」
「――ああ、いやっ、その! あの……」
顔を真っ青にして狼狽する東野。
「その嘘のおかげで、とんでもない迷惑なことになってるんだけど。みんな困ってるんだけど!」
涼子は不満が爆発し、当然のように手が出た。すでに半泣き状態の、東野の腕を掴んで睨んだ。涼子は小学生になって、幼稚園のころのお転婆なイメージは影を潜めたが、言う時は言うという姿勢は変わっていない。
「りょ、涼子! お、おちついて!」
美香は慌てて涼子を止めた。
「みっちゃんは黙っててよ! 一発くらい殴ってやらなきゃ、気が済まないんだから!」
涼子の興奮は収まらないようで、美香はさらに慌てた。東野は、この世の終わりかと思うような、絶望的な顔で泣いている。
そんな様子を見た近くにいた生徒が、涼子を止めるために美香に加勢した。
「ちょっと! 何やってんの!」
その生徒は真壁理恵子だった。涼子の成績のよさから、ライバル視している生真面目少女だが、最近仲よくなっていた。
理恵子は美香と一緒に涼子をなだめた。そして事の顛末を聞いた。
「ええ? じゃあ、今うわさになっているアレ……東野くんのウソだったの?」
涼子から事情を聞いた理恵子は驚いた。
「そうなのよ。まったくこのボンクラのせいで」
涼子はまだ完全には怒りが収まっていないようだ。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさいっ!」
ひたすら謝り続ける東野。その様子を見た理恵子が言った。
「とにかく、みんなにウソだったと正直に言うことね。でないと富岡さんと及川くんがかわいそうよ」
「そ、そんな……ぼ、ぼくにはできない! ぜったいできないよ!」
この期に及んでまだ覚悟を決められない東野。さすがに呆れ気味の涼子たち。
「さっさと来なさいよ! ほら、みんなの前で言いなさい!」
涼子は東野を掴んで教室に戻ろうとした。が、東野はクスノキにしがみついて離れない。なんとか引き剥がそうとしたが、あまりにも必死にしがみついてるせいか、どうしても引きはがせなかった。
あんまりなので、理恵子はひとつ提案した。
「しょうがないわね。これじゃいつまでたっても、終わらないわ。何か別の方法を考えよ」
「そ、そう! それがいいよ! さすが真壁さん、やっぱりステキだなあ!」
こんな時でも調子のいい東野に、涼子はもう怒る気にもならない。
「どうするの?」
美香が言った。それに理恵子が答える。
「かんちがいだった、っていうのはどうかな?」
「かんちがい?」
「そう。だれか別の人のことを言ったと思ったら、うっかり富岡さんと及川くんの名前を言ってしまった、というのは」
「しょうがないな、本当はそれでも不満だけど」
涼子はあくまで、本当のことを白状する方がいいと考えているようだ。
「わたしも、かんちがいの方でさんせい」
美香は真壁案がいいらしい。
「ま、ままままってよ! それじゃあ、ダレとまちがえたんだって言われるじゃないか! それはイヤだよ!」
「はぁ? 大丈夫でしょ。そんなこという人いないって」
「ダメだよ! ぜったい言われるよ! イヤだイヤだ!」
東野はふたたび木にしがみついた。それを見て頭を抱える理恵子。
「あのね、そんなこと言ってられる立場じゃないでしょ。何考えてんの、男でしょ! この意気地なし!」
涼子は思わず怒鳴ったが、東野の態度は頑なだ。
女子三人は、途方に暮れていた。