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習字教室にて

 翌週ふたたび販売店を訪れ、カローラの購入を決めたようだ。

 涼子は翔太と一緒に、店にいた他の家の子と、鬼ごっこみたいなことをして遊んでいたので、詳しい契約内容は不明だが、敏行は終始にこやかだった。

 納車はまだ一ヶ月以上先の八月上旬になるらしく、納車後の家族でドライブは夏休み後になりそうだ。

「涼子、車が来たら一緒にドライブに行こうな。ははは、どこにでも連れて行ってやるぞ。好きなところを言ってみろ」

「じゃあ、ディズニーランドに行きたい!」

「……そこは車じゃ無理だな」



「とじまぁり、よぉじん、ひのようじん!」

 下校中、涼子の友達、村上奈々子がコマーシャルの真似をして歌っている。隣で同じく友達の津田典子が、道端に落ちていたコンクリートの破片ふたつを、拍子木の代わりにして叩いている。カチン、と割合いい音が鳴ったので拾った。これがコマーシャルの真似をするきっかけになったようだ。

 このふたりの後ろを、涼子や一緒に帰っていた他の友達が続いている。

 涼子と同年代の人には懐かしい、「日本船舶振興会(現在の「日本財団」)」のコマーシャルである。「戸締り用心、火の用心」の歌と最後の「一日一善」の掛け声を聞くだけで「ああ、あれだ」と思い出すだろう。頻繁に流れていたこともあり、よく覚えている人も多いと思われる。

 作曲家の山本直純を先頭に、子供たちと笹川良一が続き、一番後ろから元関脇の高見山が太鼓を叩きながら行進してくる。最後は「モーターボートの収益金は、防犯防火のために役立っています」で締めくくる。

 余談だが、高見山はこの年の五月に引退している。

 この頃も、テレビを見ているとよく見かけるため、涼子たちもよく知っていた。よく知っているために、こうやって子供たちが真似をする。


 途中、太田裕美の家が近づいたので、裕美は「じゃあ後でね、バイビー!」と言って別れた。それをきっかけに「戸締り用心、火の用心」は終了した。

 今度はおしゃべりしながら歩く。ほどなく涼子の自宅が見えてくる。奈々子は、手を振って離れていく涼子に声をかけた。

「涼子、何時に行く?」

「四時半過ぎくらい!」

「わかった、バイビー!」

「うん」

 なんのことを言っているのかといえば、涼子たちは、今日の午後三時から「習字教室」があるのだった。学校では、今年から習字の授業が始まり、それに合わせて習字の習い事をすることになった。というか、真知子が近所の奥様方と交流している時に、やはり習字教室くらいは行かせたほうがいいという話を聞いたらしく、涼子習わせることになった。この習字教室が、町内の集会所で行われていたため、家から近いのもあった。というのも、この集会所は、いつも集団登校時に集まる場所でもあったからだ。

 あまり大きくない建物で、中に十二畳程度の畳部屋がひとつあるだけである。

 奈々子や典子も一緒に習うが、ふたりとは示し合わせたわけではなく偶然だった。奈々子たちの住む町内には習字教室はなかった。ということで親たちが一番近い場所を探すと、この川口集会所の教室だったというわけだ。裕美は歩いて一、二分という近さだ。

 同級生が全部で八人いて、ふたりは一年生の時から、ひとりは去年から、残りは今年からだ。女子のほうが多く、五人いた。

 三人いる同級生の男子は、A組の北川勝と、涼子と同じB組の東野義行と及川悟だった。北川は赤井の友達で、お笑い好きな子だ。東野は見た目からしてナンパな印象を受けるが、性格も実際にその通りで、ちょっとマセた子供だ。及川悟はいうまでもなく、涼子の友達であり、未来を元に戻すために過去にやってきた少年だ。


「ただいま!」

 涼子は家に帰ってくると、すぐに子供部屋に向かう。

「おかえりなさい――涼子、今日は習字の日よ」

「うん、わかってる」

「遅れないように行くのよ」

「うん!」

 真知子はいつも「今日は何の日だ」ということを逐一言う。涼子は分かっているので、母のこういうところを煩わしく思うが、まったく関知せず他人事の敏行と比べると、母のほうが真剣に考えてくれているのだろうと思い、あまり邪険にはできない。

 まだ時間に余裕があるので、宿題でもやっておくことにした。翔太はいない。近所に遊びに行っているようだ。

 服を着替えると、早速ランドセルから宿題の漢字ドリルを取り出して、宿題のページを開いた。当てはまる漢字を書けとか、この漢字の読みを答えよとか、どれも涼子には簡単な問題だった。あっという間に答えを書き込んでいく。涼子は答えを当てる問題は得意だったが、書き方の練習などのような、繰り返し書き込んでいくような宿題は苦手だった。不器用な涼子は、漢字を書き続けるといったことは得意ではないのだ。

 ちょうど終わったところで、玄関から声がする。「涼子ちゃぁん、習字いこぉ!」

 奈々子と典子の声だ。

「はぁい! ちょっと待って」

 すぐに習字セットを持って部屋を飛び出した。ドタドタという音で、真知子が台所から声を上げる。

「涼子! 家の中は走らないっていつも言ってるでしょ!」

「はぁい!」

 涼子は返事だけして、そのまま玄関まで走った。


 向かう途中、悟がやってきた。

「一緒に行こう」

「うん」

 悟は涼子の家よりもまだ向こうから来るが、時間を見て出発するので、時々途中で涼子たちと会うことがある。そうすると一緒にいくことが多い。


「やあ、涼子ちゃん。今日も習字がんばろうね」

 そう言って声をかけてきたのは、同じ教室の東野義行だった。基本的に誰にでも気さくで馴れ馴れしいので、同級生の間では好き嫌いのはっきりした生徒だ。気さくな面を好む生徒は仲よくするが、馴れ馴れしさを嫌う生徒は、よく彼を無視したりする。しかしそれでもあまり落胆した感じはなく、楽観的な性格なのだろう。


 涼子は下手だが、友達と一緒にこういった習い事をするのは楽しかった。そんなに厳しい先生でもないため、変に緊張せずに習うことができた。

 習字教室が終わった後、いつの間にか東野義行が近寄ってきた。そして満面の笑みで声をかけてきた。

「ねえ、涼子ちゃん。涼子ちゃんのこと、涼子ちゃんって呼んでいい?」

「え? それはいいけど……ってもう言ってるし」

「本当に? うれしいなあ! ぼくさあ、涼子ちゃんのことって、とってもカワイイと思ってたんだ」

 涼子は驚いた。自分にカワイイと言ってくる男子がいたことよりも、男子が女子にそんな簡単に「カワイイ」だとかいうことにだ。東野とは三年生で初めて同じ教室になったが、二年生の時から、女子とやたら仲良くしているという噂を聞いていた。

 学年一の美少女と噂される、富岡絵美子にも一年生の時から馴れ馴れしく話しかけていたようだ。生真面目でキツい印象のある真壁理恵子には、滅多に近寄らなかったらしいが。

 涼子はあまり好きなタイプの男子ではない。こういうナンパな性格の人間はどうも信用できない、と考えていた。親しくしてくれる男子でも、及川悟のような芯の通った感じの人柄には好印象を抱いているが。

「私、これからナナたちと遊ぶから。じゃあね」

 涼子は素っ気なく東野の側を離れた。そして奈々子や裕美のいる方へ行ってしまう。

「あ、涼子ちゃん、僕も一緒に遊んでもいい? みんな習字教室の仲間だしさあ。たまにはいいじゃん」

「うぅん、そうは言ってもねえ……」

 奈々子は難色を示した。これから奈々子の家に集合して遊ぶ予定なのだ。普段からあまり縁のない男子が混ざってくることを、よく思わなかった。

 結局、涼子以下みんな東野と遊ぶのを拒否したため、東野は一緒に遊ぶことができなかった。

「なら、明日学校が終わった後にいっしょに遊ばない?」

「明日もナナと遊ぶからダメ」

「じゃあ、明後日は?」

「明後日も」

「ええっと、それなら……」

 あまりにしつこいので、奈々子がちょっと怒気を含んだ声で東野に言った。

「ちょっと待った。涼子が困ってるんだけど。しつこくしないでくれる?」

「ご、ごめん。ごめん。じゃあまたね」

 奈々子の迫力に慄いた東野は、慌てて女の子たちから離れていく。

「まったく。しつこいよね」

「なんなんだろうね。あれじゃきらわれるだけなのに。涼子、気をつけなよ。ぜったいまたくるよ——」

 奈々子たちは口々に東野の批判を始めた。

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