知世がいない
「りょうちゃん、あそこにいっぱいお花が咲いてるよ! きれい、きれい」
知世は、公園のフェンスの向こうを指差して言った。フェンスの向こうには田んぼがあって、その田んぼを割るように小さな川がある。コンクリートで固めた用水路ではなくて、草花が覆い茂る小川だ。その川の脇に、綺麗な花が咲いていた。カキツバタの紫色の花が見える。
「ほんとうだ、きれいねえ」
涼子と知世は、もっと近づいてみようとフェンスの方へ向かおうとしたところ、背後から声がした。
「——りょうこちゃぁん」
誰かが涼子を呼んでいる。声の方を見ると良平だ。よく見たら、後ろにもうひとりいた。直樹もいる。
「りょうちゃんとなおちゃん、どうしたの?」
ふたりのそばにやってきて、涼子が言うと良平は恥ずかしそうにもじもじしている。横から直樹が、「りょうこちゃんが見えたから。いっしょに遊ぼうよ」と言った。
「うぅん、今日はね。いとこのともちゃんが来てるから……」
「ともちゃん? いとこ?」
良平は不思議そうな顔をしている。
「うん、いとこ」
涼子はそう言って、ふたりの顔をじっと見た。
「ふぅん……じゃあ、しょうがないな。りょうちゃん、うちで遊ぼう。じゃあね」
直樹はそう言って涼子に手を振って別れた。良平も同じように手を振って、直樹について行った。
それを見送った涼子は、振り返って知世の名前を呼んだ。しかし、返事は返ってこない。
「あれ、ともちゃん?」
涼子は目を疑った。さっきまで奥のフェンスの所にいたはずの知世がいない。どこかの遊具に隠れただろうか、とそこらじゅうを探したが姿は見えない。もしかして先に家に帰った? まさか、ひとりだけで勝手には帰らないだろうし、そもそも出入り口にいる涼子がいる以上、出て行こうとすればわかるはずなのだ。さっきまでいたのは、この東側のフェンスだ。
——おや? 涼子はふとフェンスが結構傷んでいることに気がついた。一部がフレームから外れてブラブラしている……あっ! これは。涼子がそのブラブラしている部分を持ち上げると、簡単に持ち上がった。そこには、人が通れるくらいの開口部ができてしまっていた。
——まさか、ここから向こうの田んぼの方に行ったのだろうか。
涼子はフェンスにしがみついて、田んぼを見渡した。しかし、姿は見えない。まさか、さっきの小川に落ちたとか? 涼子はすかさすフェンスの網を持ち上げて、向こうの田んぼに出てきた。そして、水の張った田んぼに落ちないように気をつけながら、あぜ道を通って小川の方へ近づいた。しかし、いない。もう少し向こうには……と思って、さらに歩いたが、やはり知世の姿はなかった。
「ともちゃぁん!」
大きな声で呼んだが、返事は返ってこない。涼子の胸に、嫌な予感が湧き上がってきた。しかもこれは、ただの嫌な予感ではなかった。このまま知世を見つけられないと、二度と会えないかもしれない、そんな予感がしていた。