車を買いに
六月も後半になると、梅雨の季節に入っていく。雨の日が多くなり鬱陶しいものだ。雨が降って面倒なのは洗濯物だろう。外に干しておくにも、乾く前に雨が降ったり、そもそも一日中雨だったり。
土曜日で昼前に下校する際には、もう雨が降りそうな天気だったが、午後二時ごろにはパラパラと小雨になってきた。それがあっという間に本格的に降ってきた。
真知子は宿題をやっていた涼子を手伝わせて、慌てて洗濯物を取り込みにかかる。布団カバーなどの大きなものを真知子が取り込んで、シャツや下着など小さなものを涼子が取りにいった。下着はハンガーにぶら下げてある。急いでいたこともあり、慌てたせいでハンガーを竿から外せず、しょうがなくハンガーの洗濯バサミから直接洗濯物を取っていった。その間にもどんどん濡れていく洗濯物。
走って持って行こうとして涼子は転びそうになり、ギリギリ踏みとどまったが、自分のパンツと真知子のブラジャーを落とした挙句、ブラジャーを踏んでしまった。
「お母さぁん、踏んじゃった!」
「いいから持ってきなさい!」
涼子は両手に抱えたものをとりあえず持っていき、泥だらけになった、真っ白だったパンツとベージュ色だったブラジャーを拾ってきた。
「これで全部かな?」
涼子は庭の物干し台を見た。ふと真知子が、片隅に残った洗濯物を見つけた。
「涼子、まだお父さんのランニングが残ってるわよ」
「あっ、本当だ!」
涼子がすぐにランニングシャツ(タンクトップ)を取りに行った。
「あぁあ、ランニングもびしょ濡れだね……」
涼子がランニングを絞ると、ダラダラと水が絞り出されてくる。相当に濡れてしまったようだ。
「しょうがないわねえ、中で干しておきましょ。本当によく降る雨だわ」
真知子は、濡れてしまった洗濯物を、居間の片隅に紐を張ってぶら下げていく。
「涼子、そのお父さんの作業着は湿ってるから干しておきましょ。それから、あんたのTシャツと翔太のズボンも干しといたほうがいいわねえ」
夕飯の際、敏行が明日は車を見にいくと言った。
「車? もしかして車を買うの?」
涼子が言った。前にも車を買わねばということを言っていたので、すぐに閃いた。
「そうだ。あのボロ軽四も長く乗ったが、もうそろそろ限界だしな。事故をしてもいかんから、もう買い換えんとだめだろう」
「えっ、くるま? ぼく、いきたい! くるまかいにいきたい!」
翔太も車を買い替えると聞いて、ちょっと興奮気味に言った。翔太は乗り物に興味津々だ。涼子も好きなことは好きだが、この時代の自動車は基本的に古臭すぎる。未来の記憶を持っている涼子には、翔太ほど興味が注がれなかった。
「こら、翔太! 座りなさい。お行儀悪いでしょ」
興奮気味に立ち上がった翔太を真知子が叱った。
「ああ、みんなで見にいこう。翔太、車がたくさんあるぞ」
はしゃぐ翔太の頭を撫でながら、敏行は嬉しそうに言った。
敏行の自家用車、ホンダ・ライフは九月が車検だった。最近発売された車種と比べると、かなり時代を感じさせるスタイルであり、古さは否めない。
藤崎工業も安定しており敏行の稼ぎもよくなっていることもあって、次の車検までに買い替えることにしていた。もう六月であり、そろそろどの自動車を買うのか決めてないといけない。まだ三ヶ月あるが、どのくらいで納車するのか、支払いがどのくらいになるのかなど、実際に販売ディーラーで具体的な話を聞かないとわからない。
「今度こそはセダンにするつもりだ。軽四なんかじゃないぞ。普通車だ。大きいぞ」
楽しそうに語る敏行に、翔太は聞き入っている。どんなすごい車なんだろう、と今から楽しみでしょうがない様子だ。
ふと涼子は、どの車を買うつもりなんだろうか、と思った。
「お父さん、なんていう車にするの?」
娘の問いに、敏行はニヤリとした。
「カローラという車にするつもりだ」
「ふぅん、カローラ……あ、さっきコマーシャルでやってたやつ?」
「そうだ。あれだよ」
夕飯を食べる前に、見ていたテレビでカローラのコマーシャルが流れていた。
「すてぇきにぃ――カローラ!」
涼子はコマーシャルの真似をする。
この頃のカローラのコマーシャルは、郷ひろみが出演しており、昨年発表されたシングル「素敵にシンデレラ・コンプレックス」がCMソングになっていた。涼子は郷ひろみには大して興味がないが、よく流れているので覚えてしまった。
敏行はトヨタのカローラセダンを考えていた。
昭和五十九年六月現在、新車販売されているカローラは、五代目……E8#型と呼ばれるモデルだ。昨年、昭和五十八年五月にフルモデルチェンジしており、ちょうど販売から一年ほど経ったモデルだった。
この五代目モデルは、カローラ初の前輪駆動を採用したモデルであり、先代と比べて、とてもスタイリッシュなデザインになっている。
後年、漫画の影響で非常に高い人気を得る、クーペ及び3ドアハッチバックモデルのAE86……いわゆる「ハチロク」はこの五代目モデルのときに販売されていたモデルである。
自分の会社を作ったり、その会社がとても忙しかったり、そして妻の真知子が渋ったりと、なかなか車を買い替える機会を作れなかったが、ようやく買い替えができる。以前からセダンに乗りたかった。それなりの歳になれば、やはりセダンだ。
平成――令和の時代となれば、ファミリー層にはミニバンやSUVなどが人気だろう。しかし、この頃のファミリー層は、やはり自動車の王道とも言えるセダンタイプが好まれていた。敏行の好みも当然セダンだった。
「明日は楽しみだよなあ! はははっ!」