密談
永安橋の方へ向かう芳樹を尾行する涼子たち。
「あれ? 金子くんのところに車がきたよ」
典子が言った。
西大寺方面から永安橋を渡って、一台の白いセダンがやってくる。そして橋のたもとに立っている芳樹の前で止まった。そのセダンからは、二十代くらいの青年と女性が降りてきて、芳樹に何か話している。
「なにやってるんだろう?」
典子は車に乗ってきた大人が、小学生の前にやってきて何かを話している様子を目の当たりにして、不安そうな顔をしている。
「知りあいなのかなあ?」
奈々子も何か怖いことでも起きたりしないか、なんて考えて青い顔をしている。
岡山県東部を流れる吉井川。この吉井川河口付近に、川を挟んで東と西に西大寺の街並みがある。街といっても寂れており、日本三大奇祭のひとつ「西大寺会陽」くらいしかない。
ちなみに、今の岡山県辺りを支配した戦国武将、宇喜多直家は幼少の頃、この西大寺観音院で暮らしていたことがある。
島村観阿弥の奇襲によって城を追われた幼少の直家は、ここで尼となっていた叔母に預けられていた時期があるのだ。愚かなふりをして叔母を嘆かせ母を悲しませたが、これが実は自分を警戒させないための策略だと打ち明け、母を喜ばせたという話が残っている。知略に優れ策謀で敵を打ち倒して備前に覇を唱えた戦国武将は、小さい時からやはり謀将としての才能を見せていた。
話が逸れたが、この吉井川の西大寺観音院の近くから架かっているのが「永安橋」だ。現在も永安橋はあるが、それは昭和六十一年にできた「新」永安橋で、この頃はまだ四つの無骨なアーチのついた「旧」永安橋だった。現在の場所より少し北の、観音院の南にある五福通りにつながっていくルート上にあった。
金子芳樹は、白いセダンに乗ってきた青年に声をかけた。
「おい、本当に大丈夫なんだろうな?」
「ああ、問題ないはずだ。任せろ」
青年は表情を変えずに答えた。彼は以前から芳樹とともに因果の妨害などを行なっていた、再生会議の構成員だった。
「頼むぜ。これは今の俺には無理だ」
「心配するな。仕事自体は簡単なものだ。失敗しようがない」
「ああ。どうにせよ、気をつけてくれ」
「わかっている。宮田さんもなんだかんだ言って、お前を重要視しているんだ。当然だが——生きてもらわんと、因果を潰せないらしいからな。それじゃあ、俺は準備に戻る」
「ああ」
青年は車に乗り込むと、後ろからクラクションを鳴らす中年オヤジを鬱陶しそうに睨んで車を発進させた。それを見送る芳樹。
「和樹……絶対に……」
「何を話しているんだろ?」
「こわそうな人だね。金子くんって前から思ってたけど、なんかこわいかんじだよね」
典子は以前からそう感じていた。まあ、見るからに人を寄せ付けない雰囲気を周囲に漂わせていることからも、典子に限らず他の同級生たちにも同じ考えであろう。
涼子は、金子が未来から因果とやらを巡る、いざこざのために来ていることを知っている。見た目は子供でも、頭の中は大人なのだろう。話している雰囲気は、見知らぬ者同士という印象はない。お互い顔見知り以上の関係のようにも思える。
「ねえ、もしかして『ゆうかい』かなあ。テレビでやってた」
「ええ! こわい! だれかよんできたほうが……」
「うん、そ、そうだね」
奈々子と典子が恐ろしげに話している。しかし、涼子はそれを遮った。
「待って。大人の人、車に乗ったよ」
「え? あ、ほんとだ。車、行っちゃった……金子くんは乗ってないし」
「何だったんだろう?」
「まあ、いいんじゃないかな。別に誘拐されなかったし」
涼子は言った。おそらくだけど、ふたりは仲間だと思っていた。何か悪巧みでも話していたんだろう、そう思った。
「うぅん、涼子がそういうなら……金子くん、どっか行っちゃうよ」
芳樹は用が済んだということなのか、その場を離れていく。家に戻ろうとしているのかもしれない。
「あ! 今何時? 子犬!」
「そうだ、はやく行こ! 貴子待ってるよ!」
奈々子と典子は慌てて自転車に跨がった。
「涼子、いそごう! はやく子犬見に行こうよ!」
「うん、待ってぇ」
涼子もすぐに自転車に跨がると友達ふたりの後に続く。
金子芳樹は何のために、ひとりで年の離れた仲間に話していたのか? 普通でない人であるために、とても気になる。しかし今はそれをどうこうすることは無理だった。
後で悟たちに話しておこうかとも考えたが、それも本当にそうしていいものか。ちょっと考えてやめておいた。朝倉のことがちょっと好きになれないからか? それは……。
慌てて行ったが、友達たちは待っていてくれた。中村孝子は、とても可愛らしい新しい家族を誇らしげに自慢した。涼子も撫でさせてもらったりして、十分に楽しんだ。途中、貴子の母がお菓子を持ってきて、みんなで食べてお喋りしたり、
「かわいかったよね。いいなあ」
帰宅途中、自転車を走らせながら奈々子は言った。
「うちも犬かいたいなあ」
典子も子犬が羨ましいようで、ずっと「飼いたい、飼いたい」ということをブツブツ言っている。
「典子、どんな犬がいいの? ブルドック?」
「ちがうもん! 貴子みたいなのがいい。黒と白のかわいいの。ブルドックはナナがかったらぁ?」
「えぇ、わたしもイヤだしぃ」
やはり見てきた犬が一番気に入っているみたいで、芝犬の黒白毛が気に入っているらしい。しかし、ブルドッグはふたりの目にはブサイクに見えるようだ。あれはあれで可愛らしいと思うが……余談だが、ふたりともブルドックと言っているが、ブルドッ「グ」である。
東日本では、「ブルドックソース」がよく知られており、これの影響かと思うかもしれないが、岡山県ではあまり有名ではなく、「オタフクソース」や「イカリソース」の方が一般的だ。単純に言い間違いだろう。
「涼子はどんな犬かいたい? ブルドック?」
またブルドッグか。
「私も孝子んちの子犬みたいなのがいいな。でも私は茶色のやつ」
「あぁ、茶色もいいよね。わたしも茶色がいいなぁ」
「ナナも? 仲間だねぇ!」
「あぁ、じゃあわたしも!」
「典子はブルドック! あはは!」
「もうっ! ちがうんだから!」
くだらない話をしながら、のんびり帰る。もう空は茜色で、家では母親が夕食を作って待っている。
涼子は思った。こうしてありきたりな生活が続いていく中で、やっぱり不穏なことが身の回りにはあるんだ、と金子芳樹の姿を見て思った。
目に見えて、不穏なことが起きているように感じる。今後、もっと目に見える形で平穏な生活を壊されていくのではないか、そんなイヤな予感が心のそこに残っていた。