同じ学級
涼子は時々、敏行のお使いに行くこともある。大抵は煙草だ。
まだ小学生の子供に煙草を買いに行かせるとは、しかも夕方の暗くなって……と驚愕の方もいるだろうが、このころでは子供が煙草を買うことに特に抵抗はなかった。売る方も別に売らないということもなく、普通に売ってくれた。「お使い? えらいねえ」と褒めてくれることもある。
涼子は「つるみ商店」へ向かう。家から歩いて五分程度の近所にある店で、食品や調味料、駄菓子などの食べ物以外にも、文房具や日用品、果ては野菜や果物なども売っている。
煙草は基本的に外の自動販売機で販売していて、一緒にジュースなどの販売機も並んでいた。
つるみ商店は午後六時には閉めるが、冬の頃などは日が暮れるのも早いこともあって、今は午後五時半頃だがもう閉めていた。
外の自動販売機で買うので店が開いているかは関係ない。すぐに煙草の自動販売機の前に行って、お金を投入する。涼子はあまり背が高くないこともあって、二段並んでいる上の段には腕を伸ばしてギリギリ届くくらいだ。敏行の好きな「マイルドセブン」は下の段なので、問題なく押せた。
マイルドセブンを取り出して、家に帰ろうとする。店が開いていれば、もらった五十円で何か駄菓子を買って帰ってもよかったが、しまっているので後日にする。
帰ろうとした時、ふと声をかけられた。
「あっ、涼子?」
その声は、典子だった。ニコニコしながら近づいてくる。
「あ、典子。どうしたの?」
「うん。お母さんにお使いたのまれたの」
典子は手に持った財布と買い物カゴを涼子に見せた。
「つるみ、もう閉まってるよ?」
「ううん、ジュース。自どうはん売きで買うの。ハイシーのオレンジよ」
「ああ、そうなんだ」
典子は百円を入れ、「HIーC」のオレンジを買った。複数買うらしく、さらに百円玉を投入し合計四本の「HIーC」を買った。すべて持ってきていた買い物カゴに入れて、無事購入し終えた。
コカ・コーラ「HIーC」は、かつて販売されていた清涼飲料水、ジュースである。昭和四十八年に、オレンジが国内で初めて販売開始され、翌年アップルも販売され人気が出た。
果汁の割合が高く、結構好みの分かれるジュースだと思うが、ぐっと割合を下げた飲みやすいものも後年販売されている。
国内では、平成に入って二〇〇〇年までに販売終了しており、現在では基本的に売っていない。何度か復刻しているようで、最近の若い人の中でも覚えている人もいるかもしれない。
涼子たち昭和の後半を生きた人たちにとっては、よく知られたジュースだった。
「ねえ、涼子。来年は三年生だね」
「そうだね」
「来年は一緒の学きゅうになれるかなあ」
「どうだろうね。でも一緒だったらいいのにね」
「だよね。いつもいっしょに帰ってるし、よくいっしょにあそぶけど、やっぱり同じ学きゅうがいいなあ」
典子は少し寂しかったのかもしれない。涼子はともかく、奈々子は幼稚園の頃からずっと一緒だったと聞くので、やはり毎日顔を合わせていても、教室が違うのは、どこか隔たりを感じるのだろう。
一年生の時から仲のいい友達は、別に典子だけがB組に変わったわけではない。涼子も仲のよかった同級生と教室が離れ離れになっている。
しかし、同じ地区で顔馴染みだった太田裕美のように、新しく同じ学級になって仲よくなる場合もある。
人生いろいろ、友達もいろいろ。学校だっていろいろだ。余談だが、島倉千代子の代表曲「人生いろいろ」が発表されるのはまだ数年先――昭和六十二年の話である。
こうしてしばらく話し込んでいると、ふいに声をかけられた。
「あら、アンタたちどうしたの?」
薄暗闇の中から姿を現したのは、つるみ商店の奥さんだった。よく夫に代わって店にいるので、涼子たちもよく知っている。
「もう何時だと思ってるの、早く帰らないとお母さん心配するよ」
「はぁい」
きた時よりも暗くなっている。自動販売機の前には街灯があってそれほど暗いと思わなかったから、つい話し込んでしまった。
「涼子じゃあね。バイビー」
「バイビー」
二人は別れてそれぞれの自宅に戻った。
それにしても、学年が変わるということは、これまで同じ教室の同級生だった子たちと学級が変わる可能性がある。この小学校はどの学年も一学年に二学級しかないため、別れたとしても特に疎遠になるわけでもない。典子とも教室は別だが、帰りはいつも一緒だし、一緒に遊ぶことも多い。
そういえば悟たちはどうだろうか? と、涼子は考えた。彼らは目的を持ってこの過去の世界にやってきている。頭の中は大人なのだ。まあ、そんな人たちだから、学級が違うとか関係ないんだろうけど。