冬の日の子供たち
「涼子っ、それっ!」
奈々子は黄色いゴムゴールを涼子に投げた。直径十数センチのあまり大きくないボールで、数年前に放送されていた人気アニメ、「キャンディキャンディ」のイラストが描かれている。いつ頃買ってもらったのか覚えていないが、よく使い込まれ汚れも目立つ、ちょっとボロいボールだ。
涼子はボールをうまくキャッチすると、
「ナナ!」
と、言うなり奈々子に向かって投げた。奈々子はそれをキャッチする。
「ナイスボール! それっ!」
奈々子はすぐに投げ返した。
ふたりはしばらくそれを繰り返していた。キャッチボールみたいなことをして遊んでいるようだ。
冬の田圃は子供の遊び場だ。ふたりとも涼子の家の近くにある田圃で、ゴムボールを投げて駆けずり回って遊んでいる。固まった泥や刈り取った跡の残った稲株は、転んでも簡単には怪我はしない。外でよく遊ぶこの時代の子供は、一見危なそうに感じる場合でも、意外とうまく危険を回避できるものなのだ。
しばらくボールで遊んで程よく体が温まってくると、少し疲れてきたのか家の中で遊ぼうということになって、涼子の家に向かった。
奈々子と一緒に自宅に戻ってきた涼子は、その先に三人の中学生が和気藹々としているのを見つけた。
「おや? 洋子お姉ちゃんかな?」
「みたいだね。ほかの人も中学生かなあ」
奈々子は見知らぬ年上の女の子たちに、少し怖気付いているようだ。同年代には怯むことない奈々子でも、さすがに中学生は少し怖いらしい。
「やっぱりフミヤよね。かっこいいわぁ」
「だよね、それにカワイイ!」
家の前で同級生と思われる少女たちと盛り上がっている曽我洋子。涼子と奈々子が近づいてくると、気がついて声をかけてきた。
「お帰りなさい、涼子ちゃん。あら、ナナちゃんも?」
「はい、涼子ちゃんの家であそぼうと思って」
奈々子は洋子のことは知っているが、なぜか改まって答える。そしてなぜか涼子を「ちゃん」付けで呼ぶ。
「そう。暗くなるのも早いから、遅くならないようにね」
洋子はそう言って、再び女の子たちと話を再開した。
「フミヤもいいけどさ、トオルもかっこいいよね!」
「私さぁ、ナオユキも――」
どうも「チェッカーズ」の話で盛り上がっているらしい。
チェッカーズは、昨年昭和五十八年の九月に「ギザギザハートの子守唄」でデビューした七人組バンドだ。セカンドシングル「涙のリクエスト」が大ヒットし、社会現象とも言えるほど凄まじい人気を誇った、国民的アイドルである。
一ヶ月ほど前に、その「涙のリクエスト」が発表され、女の子たちの人気が急上昇、洋子のような中学生も虜にしていた。
洋子はチェッカーズのファンらしく、同じくファンの友達とよくチェッカーズについて話していた。
「チェッカーズって人気あるんだね」
涼子は、奈々子に話を振ってみた。
「うん、すごいよ。わたしはちょっとよくわからないけど」
奈々子はまだアイドルには関心が薄いようだ。しかし後年、彼女も次第にアイドルのファンになっていく。
「よくテレビで見るなあ。あの何とかって歌、いつもテレビで聞くよ」
「そうだね、わたしも見た。——なみだぁのぉ……」
奈々子が出だしを歌い始める。
「似てる似てる、ナナうまい!」
「そぉ、じゃあもうちょっと」
奈々子は涼子の机にあった鉛筆を持って、マイクのつもりで歌い始める。歌詞はろくに覚えていないので、よくわからないことを歌っている。そのうちメロディもまともに覚えていないので、無茶苦茶になっていった。
「――はいり、はいり、ふれ、はいりほぅ」
いつの間にか丸大ハンバーグのCMに変わってしまっている。
「おおきくなれよぉ!」
一緒に叫んで大笑いした。小学生はしょうもないことでよく盛り上がる。お淑やかな女の子には程遠い、まだまだ子供で、ゲラゲラ笑って楽しいようだ。
ちなみに、丸大食品のCMの中で特に有名なのがこの「丸大ハンバーグ」のCMだろう。巨人が訪ねてきて「ハイリ、ハイリ、フレハイリホー。ハイリ、フレ、ホーホー」の歌に最後の「大きくなれよ」のやつだ。この当時を知っている人は、見るまでもなく思い出すのではないだろうか。頻繁に流れていた。
丸大は他にも「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」のフレーズで有名なものもある。「歩け、歩けぇぇえ、道がある――」というこのCMも当時を知る人なら覚えている人も多いだろう。
いつの間にか時間はかなり過ぎてしまったらしく、窓の外は夕焼けになっていた。午後五時前である。
真知子が子供部屋にやってきて、「ナナちゃん、もう帰らないと暗くなるし、お母さん心配するわよ」と言った。
奈々子は「はぁい」と返事をして、「それじゃあ、もう帰るね」と涼子に言った。
玄関まで見送って、奈々子が「涼子、バイビー」と言って手を振ったので、涼子も振り返した。
子供部屋に戻ろうとしたら、真知子がやってきた。
「涼子、晩ごはんだから、お父さん呼んできて。今日は五時にはお仕事を切り上げるって言ってたから」
「はぁい」
涼子は早速、工場の方に走って行った。
工場では、ちょうど大河原老人が自転車に乗って、工場を出たところだった。老人は涼子に気がつかず、そのままゆっくりと帰って行った。
工場に併設されている事務所には、まだ明かりがついていた。戸を開けて入ると、敏行は山村と一緒に雑談で盛り上がっていた。山村はそれに気づいて声をかけた。
「おう、涼子ちゃん、どうしたの?」
「お母さんが、晩ごはんだって」
「おお、そうか。すぐ閉めて帰るからって言っておいてくれ」
敏行は言った。
「うん」
涼子が家に戻ろうとしたら、敏行が言った。
「そうだ。涼子、小遣いやるから煙草買ってきてくれ。いつものやつな」
敏行はそう言って、涼子に煙草代と小遣いの五十円玉を渡した。
「涼子ちゃんは偉いなあ、お使いまでできるんだから」
山村は涼子を褒める。
「行ってきまぁす」
「暗いから気をつけてな」
「はぁい」