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大忙しの藤崎工業

 盆の頃には敏行の仕事は忙しい。盆休みを取るために、早めに仕事を済ませてしまおうと忙しくなる場合や、工場などでは盆に設備を停止させておくと、その間に工事業者はメンテナンスや改造工事などの発注があって忙しくなる場合もある。

 敏行の会社、藤崎工業は前者の方で、八月に入ってからは怒涛の仕事漬けだった。あまりに多いので、知り合いの同業会社に丸投げしたり、他所から職人を連れてきて仕事をさせるなど、あの手この手を尽くして仕事をこなしていた。

 ここ一週間くらいは、夕食も事務所で休憩中に食べている有様で、朝は涼子が起きるより遅いが、夜は家に戻ってくるのが十二時以降で、敏行は我が子の顔もまともに見ていない。


 藤崎工業の工場では現在七人が仕事をしている。藤崎工業の社員である大河原老人と、義妹の弟である市川照久のふたりに加えて、以前からの知り合いが会社を立ち上げ、若者ふたりと三人で藤崎工業に仕事をやりに来ている。社長は敏行の二つ年下で、若者ふたりは片方が二十代前半、もうひとりが十六歳の少年だった。どちらも威勢のいい見た目で怖い印象だが、仕事は真面目な上に一生懸命で、言われたことは何でもやる優れた若者だった。

 この六人に加えて、近所に住む四十代の女性を事務員として臨時できてもらっている。大河原源三宅の隣に住む主婦で、子供もひとりは県外の大学に、もうひとりも高校生で、手のかからない年齢なので、仕事を探していたのだ。若い頃に事務員で働いていたので、正直なところ真知子よりもかなり優秀だった。


「おい、そっち持て。――そんな持ち方しとると怪我するぞ!」

 いつもの倍以上の職人たちが、藤崎工業のあまり大きくない工場の中で忙しく仕事をしている。孫請けで来ている山村興業の社長、山村伸夫はふたりの若手を叱咤し、自身も全身に汗にまみれて仕事に精を出している。

「おぉい、やまちゃん。そろそろ休憩入れようぜ」

「ええ、そうします――おい、これ移動させたら休憩だ」

「はい!」

 汗だくの若者たちも、暑さに負けず返事した。


「いやぁ、アチィっすね。ふじさん、ずっとでしょ。頑張るなあ」

「もう慣れたがな。それでもまだここは、風通しがいいぶんマシだけどな。前に働いてた会社なんて周囲に建物があって蒸し風呂だったぞ」

「そりゃ、キツいっすねえ」

 敏行と山村が、団扇を仰ぎながら雑談に花を咲かせている。藤崎工業は周辺に建物がなく、唯一北東方向に自分の家、藤崎家宅があるだけだった。南は道路で残りの北西東は畑だ。鉄工所は金属加工の騒音が大きく、隣り合わせに住宅があると少し気を使うものがあるが、これだけ離れているとそれほど気にもならない。

 また、周辺に建物がないというのは風通しがよく、正面の大扉や窓を開け放っていると、熱い工場内も時々涼しい風が入ってきて、火照った体を癒してくれる。

「ごくろうさま、麦茶をどうぞ」

 涼子が麦茶を持って、事務所兼休憩所にやって来た。

「お、ご苦労さん。涼子、そこの机に置いていてくれ」

「はぁい」

 涼子は麦茶を入れたポットを机の上におくと、山村が笑顔で声をかけた。

「涼子ちゃんは偉いなあ。ちゃんと家の手伝いができるんだから」

「えへへ、そうかなあ」

 涼子は褒められてニヤニヤしている。しかし敏行が水を差すようなことを言う。

「おいおい、そんなことはないぞ。いつも遊んでばかりだからなあ」

「でも通信簿はいいんだろう。いいじゃねえっすか。うちのガキなんざ、本当に遊ぶばっかりだから悪いのなんのって、自分でいうのもなんだが将来、碌でもねえ大人にならなきゃいいがなあ」

「お前なあ、そんなことはないだろ。お前が手本見せてやれ」

「俺じゃ手本にゃならねえっしょ。ようやく旗揚げできたっつっても、高校も出てねえし……ウチのガキにゃ高校だけは行かせてえもんだ。涼子ちゃんほどとは言わねえけど、せめてもちょっとでもなあ」

 山村の息子は現在中学生で、いわゆる不良だった。山村が十八歳の時に未成年にも関わらず、当時働いていた工事現場の近くのバーに毎日のように通い、そこのホステスと付き合い始めて間も無く子供まで作ってしまった、その子供だった。ちなみにその後も子供ができて、現在四人いる。

「まあ、やまちゃんが真面目やってりゃ、いつかは丸くなるよ。子供ってのは親の背中を見て育つもんだ」

 敏行は事務の小母さんが注いでくれた麦茶を飲みながら、しみじみと言った。


 休憩が終わって職人たちが工場に戻っていく。

 外では涼子が翔太と一緒に遊んでいた。よく見ると、近所に住む曽我洋子が一緒にいた。どうやらふたりの遊んでやっているようだ。工場の門のそばに植えてある低い木のそばで何かしているが、セミなどの昆虫でも探しているのだろう。

「おい、危ないから用水路の側では遊ぶなよ」

 敏行が姉弟に向かって言った。

「はぁい」涼子が返事した。そして、曽我洋子も微笑んで軽く会釈した。とても礼儀正しい少女だ。学校の成績もとてもいいと聞く。将来はいい嫁さんになるだろう、と敏行は思った。


 夕方。今日は残業五時間。午後十時までやる予定だ。

「すまんけど、今日も頼むわ」

「わかってますよ。儲けさせてもらいますわ」

 山村は作業服の裾で額の汗をぬぐいながら、笑顔で言った。

「ああ、じゃんじゃん儲けてくれ。みんなで幸せになろうや」

 敏行はそう言って笑った。



 日が暮れて、もう外は真っ暗だ。しかし藤崎家と曽我家の間の砂利道では、子供達が花火を楽しんでいる。

「ほぉら、涼子」

「あ、隼人! こっちに向けないでよ!」

 花火を自分の方に向けられて火花が飛んで来たので、涼子は怒鳴った。

「こら! あんた、何やってるの!」

 隼人はすぐに姉から怒られる。

「わぁい! それ、それっ!」

 翔太が隼人の真似をして、持った花火を振り回した。

「翔太! 危ないからやめなさい!」

 真知子は翔太を叱った。

「ほら、あんたが馬鹿なことをするから、翔くんが真似するんでしょ! 来年中学生になるような歳で、幼稚園児みたいなことしないでよ、情けない」

「うぅ、幼稚園児って……」

「あはは、隼人は幼稚園児だって。私の方がお姉さんだねえ。隼人くん?」

 涼子は調子に乗って、隼人をからかった。

「何を馬鹿なことを言ってるんだぁ? この!」

 隼人はまた花火を涼子に向かって振って、火花を散らせた。

「またやる! この馬鹿弟がぁ……!」

 隼人はまた姉に怒られる。楽しい時間が過ぎていた。

 涼子はふと工場の方を見た。目の前の畑の向こうに、煌々と明かりが灯る工場が見える。少し離れているのでそれほどでもないが、大きな音がずっと鳴り響いている。

「お母さん、お父さんは何時まで仕事するの?」

「十時までって言ってたわね。涼子はもう寝る時間だから、お父さんが戻って来る前にちゃんと寝るのよ」

「うん……でもお父さん、毎日だね」

「そうね。お父さんはとっても強い人だから、毎日でも平気なのよ。涼子が大きくなっても困ることがないように、お父さんは毎日頑張っているのよ。だから、涼子ももっと勉強して、立派な大人にならなきゃね」

 真知子は涼子の頭を撫でてやった。そして同じように工場の方を見た。

「――あら、そうだわ。そろそろお夜食持って行ってあげないと」

 八時くらいには、夜食のおにぎりを持っていく手筈になっていたのを思い出した。

「もう全部使っちゃったわねえ。そろそろ片付けましょ」

 曽我の小母さんがそう言って、花火のパッケージを拾って、洋子と隼人に水を入れたバケツを持って帰るよう指示した。

 お開きになった後は、それぞれ家に戻った。涼子は翔太と一緒に風呂に入った。真知子は作っておいた大量のおにぎりを持って工場に行った。それから少しして、工場からの音が静かになった。休憩に入ったのだろう。

 涼子が風呂から出て少しした頃に、また音が鳴り始める。涼子と翔太は、父の奏でる仕事の騒音を子守唄に眠りにつくのだった。

 藤崎工業の忙しい一日はもうしばらく続く。

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