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日常の出来事

 藤崎家の近所には近い歳の子供が数人いる。隣の山田家には、直樹という男の子がいて、さらに三軒先の小出家には良平という男の子がいる。直樹は三歳年上で、良平は二歳年上だ。他にも二、三人いるが、特にこのふたりの男の子と仲がよかった。これは、涼子たち子供が仲がいいというよりも、母親同士が仲がいいという方が正しい。

「なおくぅん、えい!」

 良平は、直樹に向かってゴムボールを放った。バレーボールより一回り小さな、オレンジ色のボールだ。

「わぁ、このぉ」

 直樹はやってきたボールを取ると、反対に良平に向かって投げた。

 涼子は、それを少し離れたところから見ていた。

「りょうこちゃん、それぇっ」

 直樹からきたボールを、良平が今度は涼子に向かって放った。ふいを突かれて慌てるが、どうせゆるいボールなので、落ち着いて掴んだ。

「もう、りょうちゃんたらぁ」

 涼子も直樹みたいに、良平に向かってボールを放り返した。涼子は、どうしたものかと一瞬思ったが、やはり子供っぽくしないとまずいだろうと思い、同じ様にした。

「りょうちゃん、怪我しない様にねぇ」

 良平の母親が声をかけた。

「元気いいわねえ。男の子はやっぱりああ出なくちゃね」

 真知子が言った。

「元気がよすぎるのも大変よ。何をしでかすか、わかったものじゃないもの」

 直樹の母親が言った。

「そうよねえ、すぐ服を汚すし」

 良平の母親も言う。

「まあ、それもそうね。でもやっぱり男の子だものねえ」

「うふふ、そうだわねえ。ああ、そうそう……」

 母親たちは、いつもの世間話に移行していく様子である。そんなことなどお構いなしに、じゃれて遊ぶ涼子たち。

「いたぁい、うわあぁぁん!」

 子供たちの誰かが泣き出したようだ。母親たちが見ると、どうやら良平である。

「もう、どうしたの?」

 すぐさま、そばにやってくる良平の母親。続いて真知子たちも来た。

「りょうちゃんが、りょうこちゃんを押したらこけたんだ」

 直樹が事情を言った。良平がじゃれて涼子を押したら、勢い余って自分が転んだらしい。

「まあ、涼子ちゃん怪我はない?」

 良平の母親が、心配そうに涼子に聞いた。

「うん、痛くない。でもりょうちゃんが……」

「ああ、いいのよ。ちょっと転んで、擦りむいたくらいなんだから」

 良平の母親は言った。

「泣くなよ、りょうちゃん。ほら」

 直樹は、座ったま泣いている良平を立たせた。

「りょうちゃん、お家に帰って赤チン塗ろうね」

 良平の母親は、膝の擦り傷の治療をするために、一度家に連れて帰った。

 「赤チン」とは、マーキュロクロム液と言って、いわゆる殺菌消毒液である。実は、数年前には日本国内では製造が中止されていているのだが、今の時代——七十年代では、まだよく使われていて、一般家庭などにも常備薬として大抵の家庭では所有していた。同様の効果の薬であるマキロンなどが普及しつつあるものの、赤チンを好む層は多く、良平の家庭でも「消毒には赤チン」と頑なに信じているようである。

 涼子の家では、少し前に叔父が「これはいいぞ」と言って、マキロンを薦めてきたこともあって、マキロンに替わっている。マキロンは赤チンと違って透明なので、患部が真っ赤にならなくていいのだ。


 良平が自宅に戻って、再び復帰してから少し外で遊んだ後、山田家にお邪魔してお菓子をご馳走になった。そこでしばらく遊んで、午後三時ごろに家に帰ってきた。

「ただいまあ」

 涼子は、真知子が玄関の引き戸を開けると、真知子より先に玄関に入って言った。

「ほら、涼子ちゃん、靴を脱ごうね。ほら座って」

 真知子は涼子を玄関に座らせると、片方づつ靴を脱がせた。涼子の履いている靴は、ビニール靴である。子供向けの絵柄などがプリントされた幼児向けの靴だ。足の甲にゴムがついていて、ここが広がって脱ぎ履きしやすくなっている。

 涼子のは、まだあまり派手なものではなく、ワンポイントで、アニメ調の女の子のキャラクターがプリントされている。何のキャラクターかは不明だ。もう数年後には、アニメキャラクターが派手に全面プリントがされたものが人気になるが、涼子の履いているものは、そこまで派手なものではない。

 涼子は当然、こういう靴はあまり好きではないが、幼児が履けるかっこいい靴など今はまだない。スニーカーですらこの七十年代では、有名なエアジョーダンやエアマックスなどは、まだ販売されていない。後に、ファッションとして人気を博すことになる、クラシックなスポーツシューズが、ようやく競技用として出回り始めている時代だった。

 このビニール靴は涼子が選んだものではなくて、両親が選んで買ったものである。子供は成長が早い。どうせすぐに履けなくなって、買い換えることになる。が、しばらくこういう靴を履いていくことになるだろう。

 靴を脱いで家に上がると、そのまま居間の方に歩いていく。それを見た真知子が、涼子に向かって言った。

「涼子、お外から帰ってきたら、まず手を洗うのよ」

 そう言って涼子捕まえると、そのまま洗面所に連れていって手を洗わせた。

「きれい、きれい」

 涼子は時々やっている、手を洗った後に母に手を広げてみせる動作をした。なるべく子供っぽくみせるためだ。

「うん、綺麗になったわねえ」

 真知子は、娘の愛らしい笑顔に自然と自分も笑顔になる。

「さあ、お夕飯の準備しなくちゃ」

 涼子を居間に連れていって「ご飯作るから、いい子にしててね」と言って、隣の台所に行った。


「あっはっはっ!」

 テレビの前で敏行は、ビール片手に笑い転げている。勢い余ってうっかりこぼして、慌ててそれを布巾で拭いている真知子に怒られている。

 何の番組が放送されているのかといえば、「ドリフ大爆笑」である。同じくドリフターズの番組である、「八時だョ!全員集合」と共に、昭和のバラエティを代表する人気番組だ。一九七七年の二月に初回が放送され、その後も高い人気を誇った。敏行は最初はあまり興味がなかったららしいが、会社の同僚が「面白いから見てみろよ」と言われて、実際に見たらかなりハマったらしい。涼子も小さい頃に好きだった番組だ。とても懐かしいうえ、コントもとても面白い。敏行の膝の上に座って、一緒に見て笑っている。「八時だョ!全員集合」も好きだったので、これも両親と共に懐かしく見ている。こういうのは、過去に戻ってよかった、と思えたことのひとつだ。



 年が明けて一九七八年。寒さも最高潮に達する二月頃、おめでたい出来事がわかった。

「本当か? なあ!」

「え、ええ。本当よ。赤ちゃんよ」

「おお!」

 敏行は少し興奮したようで、普段より大きな声が出た。

 真知子は妊娠していることがわかった。このまま順調なら、十月か十一月頃に出産となる。

 涼子は、——きたか! と思った。これは間違いない。翔太だ。翔太は前の世界において、今年の十一月に誕生している。

 どうなるんだろう。本当に翔太が……自分の知っている翔太が生まれるのだろうか?

 不安と期待が入り混じった複雑な気分に包まれて、今夜は眠れないかもしれない——なんて思ったりしたが、結局いつの間にか普通に眠っていた。

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