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王平伝演義  作者: 阿雄太朗
漢中争奪戦
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理不尽な投獄

 辟邪隊の初陣が決まった。行き先は下弁。劉備軍に占領されたこの地を放っておくと、陽平関を攻める際に側面を突かれることになる。逆に下弁を奪っておけば、こちらの攻め手が増えることとなるのだ。下弁攻略部隊の司令官は、長安から来た曹洪という将軍だった。その下に若い副官が二人いて、曹休、曹真という。三人とも夏侯淵と同じく、曹操の親族である。

 対する相手の将軍の名を聞き、王平はぎょっとした。張飛。昔、巴西で見たことがある虎髭の将軍だ。あんな化け物と戦わなくてはいけないのかと思うとさすがに気が引ける。

 与えられた兵糧は、ぎりぎり足りるかという程度のものだった。もう少し余裕があってもいいのではないかと思いはしたが、それは曹洪という将軍の性格がそうさせているのだと耳に挟んだ。辟邪隊は森の中で獣を捕ってを食うこともあるのでその量に問題はなかったが、洛陽出身の兵でそれを愚痴る者が幾らかいたらしく、打ち首にされた五人の首が陣中に晒された。趙顒に蹴られた際、一歩間違えば自分もああなっていたのかもしれないと思うとその晒し首はとても他人事とは思えず、王平は戦慄した。

「お前が、辟邪隊の王平か」

 辟邪隊が指揮下に入る、曹休将軍だ。あばた顔の曹真と馬を並べて軍の見回りにきたところで話しかけられた。

「丞相が、お前のことを褒めて下さっていたぞ。今回の戦では、良い働きを期待している」

「恐れ入ります」

 隣にいる曹真は、自分達には無関心そうな顔をきょろきょろとさせていた。

「兵糧は足りているか」

「はい、足りています」

 試されているのかもしれないと思い、王平は背中に冷たいものが走った。しかし曹休の顔を見ていると、そうではないのだとすぐに分かった。

「無理はするな。もし足りぬと感じれば、私に言ってこい。配られる兵糧は多いものではないが、決して蓄えが少ないというわけではないのだ」

「わかりました」

 そして曹休と曹真は数騎の供を連れ、見回りへと戻って行った。思っていたより、話の分かりそうな上官だった。兵の首を晒したのは、将軍である曹洪か、兵に無関心そうな曹真がしたことなのかもしれない。

 やがて陣営がそわそわとし始めた。もうすぐ始まる、という緊張感が軍内に充溢していた。

そして、命令が来た。夜間での、敵陣のかく乱。敵将の名は雷銅。陽動の構えを見せる張飛の軍が、下弁の陣を離れている間に急襲しようという作戦だ。あの虎髭将軍が相手ではないということで、王平の胸は幾らか安堵した。

 進発前に曹休に呼ばれ、敵陣周辺の地図を見ながらどのように攻めるかを話し合った。

「敵の主力は、我等の後方を突こうとして本陣から離れている。この隙に、孤立した雷銅を叩く。それをやり易くするのがお前等の仕事だ」

 雷銅の陣は力押しで攻めるには難しい場所に置かれているが、夜陰に山中を忍べば後方撹乱くらいはできそうだと思えた。

「敵は正面に柵を立てて、後方に山を背負っている。辟邪隊は山中を通って敵の背後を乱せ」

 王平の思い描いたことと同じだった。辟邪隊の力があれば、難しいことではない。これなら安全に勝てる。勝ち抜けば、洛陽へと帰れる。

 辟邪隊の陣営に戻ると、さっそく部下達に準備を整えさせた。

「俺達が先ず敵をかき乱す。王双隊は機を見計らって突っ込んでこい」

「隊長殿、血が沸いてきたぜ。俺達の力を、敵にも味方にも見せつけてやろう」

 初陣で緊張しているかと思ったが、王双はそんな素振りは全く見せなかった。兵を不安にさせないために上手く隠しているのかもしれない。

 まだ陽が高いうちに、目的地へと出発した。隊を五つに分け、敵の眼を避けるために険阻な道を選んで進んだ。進む森の中に茂る木々は、洛陽周辺のそれとは違うものだった。王平にとってその森は、とても懐かしいものであった。

 夜が更けた頃に、予定していた集合地点に無事全隊が集まった。敵の背後の山中である。篝火の数が以外と少なく、見張りの数も柵を立ててある前方に比べると極端に少ない。敵は油断している。王平は王双の顔を見て頷きあった。その場で全員が木々の中に溶け込み、曹休に命じられた時刻を待った。王双隊も辛抱強くその場で体を固まらせていた。静寂しかない山中では、少しの音でも驚くほど遠くまで聞こえるのだ。日が昇り始める直前の暗闇。その時刻までは、あと二刻ほどだろう。夜空に星はなく、空気がよどんでいた。曹操に奇襲をかけて捕らえられた時も、こんな夜の森の中で息を殺していた。今回は、逆に騙されたりはしないだろうか。敵が油断しているように見えるのは、実は誘いではないだろうか。時が過ぎるのを待つ間、そんなことばかりを考えた。大丈夫だ、この作戦は成功する。成功すれば、家に帰れるのだ。

 時がきた。敵の陣営はすっかり寝静まっている。王平は強かに一歩踏み込んだ。その合図が、音もなく背後の部下達に伝わっていく。その先頭に立って駆けだすと、もう何も考えられなくなった。数少ない見張りの背後に素早く回り込み、声を出される前に短剣で首を掻き切った。陣内の篝火が次々と消されていく。光が消えても辟邪隊は視界を失うということはない。敵兵は異変に気付き始めたが、篝火も星もない暗闇の中ではどうすることもできない。背後から喚声と共に王双隊が突っ込んできた。敵は恐慌状態に陥り、同士討ちをする者も出始めた。王平はすかさず撤収の合図を出した。辟邪隊は素早く山中へと逃げ込み、移動を開始した。敵陣からはまだ混乱の声がやむことなく、火が消された暗闇の中でそれはやむどころか大きくなっていくばかりだった。

移動をしながら、部下の報告を聞いた。一人も欠けていない。敵をかく乱させるという任務は充分に果たせた。奇襲をかける直前に抱いていた不安は何だったんだと思うほどの戦果だ。任務成功の合図である狼煙を上げてきた部下も、無事に合流してきた。帰りは、待ち伏せされる危険性を考慮し、来た道とは違う道を選んで帰った。空が白み始めていた。狼煙を確認した曹休軍が攻撃を開始したようで、遠くなった敵陣から兵達の喚声が聞こえてきた。

 曹洪は雷銅を討ち取り下弁を占領すると、張飛軍は陽平関まで退いた。味方の大勝利である。勝利といっても戦の初戦を取ったに過ぎないが、王平は大きな自信と充足感で満たされていた。言われた通りの仕事ができ、部下を誰も死なせることはなかった。曹洪から送られてきた恩賞は思ったより少ないもので、それを曹休が気にかけてくれたが、王平にとって恩賞などどうでもよかった。王歓の待つ洛陽に一歩近づけた、と思うだけだった。

 下弁の敵は追い払った。劉備軍は陽平関に集結し、夏侯淵軍は定軍山に本営を進めて睨み合いを始めた。北方からは、曹操が率いる援軍六万が漢中に向かってきているという。

 自陣には精強な張郃軍がいて、もうすぐ曹操が大軍を率いて到着する。負けるはずはないと思えた。

「下弁では上手く敵をかく乱させたようだな」

 陣営に、夏侯栄がぶらりとやってきて言った。

「はい。夜が明ける前に、敵の後方をかき乱してきました」

「その言葉遣いはやめてくれ。と言っても、軍の中では無理なことなのかな。趙顒のことは悪かった。この戦が終われば、あいつは益州を任されることになっているんだ。だから少し気が立ってる」

 夏侯栄の態度は相変わらず大きかったが、悪い気はしなかった。

 下弁でのことを教えてくれと言われたので、王平は通って行った山中の様子や、じっと伏せていた時のこと、陣中に入り込んでどうやって敵を倒したかなど、こと細かに話した。夏侯栄はその一つ一つに頷き、興味深げに聞いていた。その後は、将軍達の話をした。

「ここだけの話だが曹洪様はな、けちなことで有名なんだ。指揮官としては上手くやっているが、吝嗇過ぎると丞相が嘆いていたのを聞いたことがある。曹休兄はいい人だぞ。俺は何度か曹休兄に軍学を教えてもらったこがあるんだ。武芸もできるし、何より優しいんだ」

「陣中では我々も、曹休様には声をかけて頂きました。曹真様と一緒に見回りにこられている時のことです」

「曹真様は、軍学はできるのだが、冷たい感じがしてどうも俺は好きになれないんだ。これも、ここだけの話だぞ」

 こうやって話してみれば普通の幼い少年に過ぎず、笑いながら見せる夏侯栄の白い歯が王平の気持ちを解した。この若者は、将来きっと良い将軍になるだろう。

「私は夏侯栄様が将軍になられたら、その下で働きたく思います」

「何を言う。まだまだそんな話をするのは早い」

 夏侯栄は顔を赤くさせ、照れを隠すように仏頂面になって横を向いた。

「ところで隊長は、巴西出身だと聞いた。陽平を抜いた後は巴西にも攻め込むことになるかもしれないが、その時に隊長は戦えるのか?」

「戦えなければ軍人をやっておりません」

「その言葉、本当か? 無理なら無理だと言えばいい。俺がなんとかして父上に取り成してもらえるように言ってやる」

 こういう気の使い方は、まだ子供である。

「洛陽には、子を身籠った妻がいます。私が望むことは、巴西を含めた益州を一日でも早く攻略し、我が家に帰ることです」

「そうか、なら死ねぬな」

「はい、死ねません」

 夏侯栄は何かじっと考え込む顔をした。洛陽で待つ王歓のことを想ってくれているのか、その顔は悲しそうだった。

 それから、夏侯栄は趙顒の眼を盗んでは王平の陣営に遊びにきた。一緒に調練に参加することもあり、その時はいかに相手が将軍の息子であろうと王平は厳しく接した。それを見た王双が顔を青くさせることもあったが、それは夏侯栄本人が望んだことでもあった。

 しばらくすると軍内の空気が異常な程に緊張してきた。もうすぐ始まる劉備軍との本格的なぶつかり合いを、誰もが肌で感じている。辟邪隊は五千の歩兵の中に組み入れられた。そこには明らかに辟邪隊とは異なる質の兵ばかりがいた。他の兵達は山岳戦の調練は積まされているもののそれは付け焼刃のようなもので、森の中を移動する時の基本であるこごみ歩きすらできない者ばかりだった。

「隊長殿、この編成はおかしくないか」

 王双がそう言ってくるのも無理はなかった。しかし、たかが一校尉である自分が将軍に上申などできるはずもなかった。定軍山の緊張感は頂点に達している。こんな時に編成の文句など言えば、首を落とされかねない。

「我等は六万の中の五百なんだ。これは、仕方のないことだ」

 王双は不満そうに鼻息を鳴らしつつも頷いた。これは仕方のないことだと、本当は言われずとも分かっているのだ。六万の中の五百でも有効な戦い方はある。しかし王平にとって、この戦の勝ち負けなどどうでもいいのだ。どんな戦い方をしようと、生き延びて、洛陽に帰る。そして王歓と生まれてくる子を抱いてやる。今までの調練の積み重ねは戦場で生き残るためにあった。戦場で命を失うことに、価値があるなどとは思えない。生き残れてこそ、様々な喜びを手にすることができるのだ。

 劉備軍は陽平関から河を下り、定軍山からほど近い興勢という所に陣営を築いた。そこでさらに睨み合い、いつ戦火が開いてもおかしくはないという状況が十数日続いた。蔓延する緊張感を小出しに吐くかのような小競り合いはあっても、大きなぶつかり合いはまだない。曹操自身が率いる援軍は長安まで来ているという。援軍が到着するまで定軍山を死守すれば、この戦は勝ちだった。それでも日が経つにつれ、陣中からは総攻撃をかけようという声が上がり始めた。興勢から一気に攻めてくると思った劉備軍が攻めてこない。それが定軍山の不安と緊張を爆発させようとしていた。夏侯栄が言うには、夏侯淵将軍は先に動いた方が負けだと考えているらしい。しかし定軍山には、先手を取って攻めるべきだという声が、日を追う毎に増えていた。


 王平が組み込まれた五千に任務が与えられた。定軍山から出て敵陣を迂回し、陽平から興勢に送られてくる物資を断てというものだった。それが成功すれば目の前の劉備軍は孤立することになるが、王平はその作戦が成功するとは思えなかった。五千のほとんどがこごみ歩きもできない兵だ。敵陣を迂回しようが敵に捕捉されずに後方へ回るのは至難だろう。それでも、将軍の命令には従うべきだった。それに反論しようものなら、一人の校尉である自分の首は簡単に飛ぶ。

 作戦自体は不安なものだったが、動き方によれば辟邪隊だけは大丈夫だと王平は腹を括った。森の中での動きには自信がある。移動中は五千の中心ではなく、端の方を静かに進めばいい。そして敵と遭遇したら、適当に戦って逃げればいい。

 進軍の仕方は、思った通り雑だった。五千が木々を大いに揺らして目的地に向かい、その様子に驚いた鳥達は慌ててそこから飛び立って行った。それでも五千の指揮官は、敵陣から遠いところを進んでいるから大丈夫だと思っているようで、その進み方をやめようともしない。辟邪隊はいつでも敵に遭遇してもいいよう、なるべく五千の外側を位置取って進んだ。臆病そうな者はなるべく五千の中にいたがったが、敵に襲われた時に一番混乱するのは中心にいる兵だということを辟邪隊は嫌というほど知っている。王平が指揮する五百はこごみ歩きで音もなく進んだ。ここみ歩きだからといって、普通に歩く他の兵に遅れを取るということはない。

 目的地まで半分かというところに達した時、王平は何か不穏なものを感じた。敵が見ている。それは勘のようなものであり、確信ではない。王双もそれに気付いたらしく、こちらに眼で合図を送ってきた。王平はその場で辟邪隊を止めた。五千の指揮官に敵がいると伝えるべきか。伝えたところで、確信もないこの勘を信じてもらうことができるのか。辟邪隊は進軍を止めたが、残りの四千五百は音を出さない辟邪隊に気付くことなく進んで行った。

 敵襲。前方からその声が聞こえるのに長い時間はかからなかった。敵の数は分からない。状況からしてその数は多いとは思えなかった。しかし視界の利かない森の中では、寡兵を大群と見誤ることは珍しくない。前を行く四千五百は、たちまち混乱の渦に巻き込まれていった。当然のことだ、と王平はそれを冷たい眼で見ていた。助けに行くつもりはなかった。無理に行けば、錯乱した仲間に攻撃されることも考えられるのだ。こごみ歩きもできずして、森の中で戦えるはずはない。目の前に敵兵らしい数人の影が走って行った。辟邪隊はそれをやり過ごすため、その場で息を殺した。敵の一人を見て、思わず王平はあっと声を漏らしてしまった。敵兵がその声に顔を向けてきた。それと同時に王平は一歩後ろに退いた。撤収の合図である。敵はこちらの様子をじっと窺っていた。その中の一人に、王平の眼は釘付けになっていた。句扶。顔に迷彩が施されていたが、一目見てすぐに分かった。向こうも自分に気がついたのか、その眼はじっとこちらに向けられていた。王双に腕を掴まれ、ようやくその眼をはずすことができた。辟邪隊のほとんどは、既に離脱してしまっている。もう一度目の前を向いてみたが、もうそこには誰もいなかった。

敵の兵站を潰しに行った五千は、ほぼ壊滅させられた。ただ辟邪隊だけが無傷だった。隊長として正しい判断ができ、部下を死なせずに済んだ。劉備軍の山岳部隊に、句扶がいた。それは王平にとっては、とても複雑なことだった。

「貴様は、巴西出身だったな」

 陣に帰還した辟邪隊のもとに、珍しく趙顒がやってきた。周りには、ものものしい雰囲気の兵達を連れていた。王平の背中に、嫌な予感が走った。

「何故、辟邪隊だけが無傷で帰ってこられた」

 裏切りの疑いをかけられている、とすぐに分かった。裏切りは、問答無用で打ち首だ。冗談じゃない。俺は、洛陽に帰らなければいけないんだ。

「我々辟邪隊は、山岳地帯で隠密行動をとるためにつくられた部隊です。山中では敵に気付かれないよう動き、敵と遭遇したとしても勝てないと判断すれば被害を最小限に戦場から離脱することも仕事の一つです」

「味方が目の前で殺されていたとしてもか。山岳戦のためにつくられた部隊なら、どうして味方のために山の中で戦おうとしないのだ」

「恐れながら、辟邪隊は敵を奇襲するための部隊です。その数も五百のみですので、五千を襲おうとする敵にぶつかればいたずらに被害を増やすだけです」

「下らぬ言い訳に過ぎぬ」

 趙顒が手を上げると、周りの兵が王平に槍の穂先を向けた。

「捕えろ」

 王平は兵三人に抑えつけられ、手枷がつけられた。

「趙顒様、これはあんまりです。私は、無駄に兵を消耗することなくここに戻ってきたのです」

 趙顒はそれに耳をかそうともせず、背中を向けて行ってしまった。そして王平らは、定軍山の地下につくられた一人一室の牢獄に手枷をされたまま入れられた。

 牢獄の中は暗く、ひどい臭いがたちこもっていた。獄の隅には用を足すための溝があるが、その溝には水を流しても流れていかなかった糞が塊となってひどい臭いを放っていた。何故こんなことになってしまったのか。このまま、俺は首を落とされてしまうのだろうか。戦中とはいえ、これはあまりにも理不尽過ぎはしないか。

 牢内で出された飯は何なのか暗くてよく分からないが、所々が固くて臭いものだった。手が使えないので、それを首だけで犬のように食う。まずい飯だが、早く食わなければ、糞をするための溝から入ってくる鼠に横取りされてしまう。こんな所で死んでたまるか。王平は洛陽で待つ妻の姿を暗い牢の中に思い浮かべ、妻子のためにと思いながら我慢してその臭くて固い飯を食った。牢獄の出入り口からは、牢の中へと光が漏れてきている。その光が陰によって遮られれば、誰かが入ってきたということだ。牢の中では、それくらいの変化しかなく、王平はその光を見つめながらじっと時が過ぎていくのを待った。

 四日目に、入ってきた兵にそこから出され、大きめの幕舎へと連れていかれた。中には、見覚えのある男が卓上で書を認めているところだった。その男が、横目でちらりとこちらを見た。

「手枷を解いてやれ」

 言われて、自分は殺されないのだと分かった王平は大きな息を一つ吐いた。よく見ると、その男は具足を解いた張郃だった。張郃はしばらく何かを書くと筆を置き、王平の方に体を向け直した。

「お前は、私の軍に組み込まれることとなった」

 張郃は無表情でそう言った。もしかすると、この人は自分のことを憶えていないのかもしれない、と王平は思った。

「趙顒殿に反逆の意思ありとして牢に入れられていたようだが、夏侯淵将軍の御子息から陳情があったのだ。そこでお前の戦場での判断を見直してみたのだが、私は何も間違えがあるとは思えなかった。だから、お前は私の指揮下に入ることとなった」

 軍人らしい、無駄のない言葉だった。王平はその場に平伏し、謝意を述べた。

「ところでお前は、夏侯栄将軍の御子息と何度か調練をしたと聞いたが、どう見る?」

 意外なことを聞かれ、王平は顔を上げた。

「我等のような兵にも気をかけて下さいます。将来は、必ず良き将軍にお成りになるかと存じます」

「そうか。私もそう思う」

 言って張郃は少しだけ笑みを見せた。そして椅子から腰を上げ、具足をつけ始めた。

「もうすぐ大きなぶつかり合いがある。劉備軍が、それを望んでいるようなのだ。お前にも、すぐに働いてもらうことになるぞ。本番の戦ではあの時のような負け方は許されんぞ」

 憶えられていた。王平は自分の顔が赤くなっていくのを感じた。


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