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王平伝演義  作者: 阿雄太朗
司馬懿の台頭
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木門の戦い・二

 気付いたら、目の前にいる。王平の言っていたことが現実となって起こっていた。

 敵襲の報を受け、杜祺は持ち場に建てた簡素な櫓に駆け上った。陣の前衛では、草葉で迷彩を施した柵に早くも縄がかけられている。

「第一陣、弓を射かけろ。第二陣は、戟を持って弓の後ろに並べ」

 杜祺は櫓の上で指示を飛ばしながら、柵の向こうに目を凝らした。

 張の旗が風に靡いている。杜祺は足の先から震えが上ってくるのを感じ、膝頭を掴んでぐっと力を籠めた。

「隊長、狼煙が上がりました」

 櫓の下から部下が叫ぶ声が聞こえた。しばらく耐えていれば狼煙を見た味方がすぐに来てくれるはずだ。そう思うと、幾らか足の震えは治まった。

 第一陣から矢が放たれ始めた。しかし矢のほとんどは敵に届かず、届いても剣で打ち払われている。ここにいる全員が、あの張郃を前にして、腰が引けていた。

 すぐに柵は倒され始めた。焦ることはない。杜祺は口の中で呟き、自分に言い聞かせた。柵の次には馬を遮る溝があり、まだ時は稼げる。

「第二陣、戟を構えて前へ」

 弓を持った百五十の第一陣が退がり、戟を持った同数の第二陣が前に出た。柵を倒した張郃軍はどんどん押し寄せてきている。

 落ちろ。杜祺は拳を握り締めて小さく叫んだ。だが溝に落ちたのはほんの数騎で、後続は溝の手前で馬首を返していた。

 落ちた数騎に、味方の戟が集中した。すぐに溝の向こうから、馬上からの弩による反撃がきた。矢に射かけられた兵の悲鳴が耳に響いた。

「戟兵、退がれ。弓兵はもう一度前へ。溝を渡らせるな」

 戟を持った兵が退がり、弓兵が前に出ると、張郃軍は速やかに退いていき姿を消した。馬の動きも、将の判断も早い。これで逃げ帰ったのではなく、迂回路を探しに行ったはずだ。

 とりあえず、一息つけそうだった。

 杜祺は櫓を下り、損害の報告を受けた。五百の隊が、四百と少しにまで減っている。

 あの溝を嫌って迂回するとなれば、またここに来るまでに一刻は要するはずだ。敵の狙いが兵糧庫であるならば、あえてまたここに来るということはないだろう。先ずは、一安心だろうと思えた。

 ふと見ると、櫓の柱にしがみついた蔣斌が、どうしていいか分からないといった顔でこちらを見ていた。こんな日に伝令に寄こされるとは、全く運の無い奴だ。

「おい、蔣斌。お前はいい時に来たな。これが戦だ。調練とは違い、血が流れ、人が死ぬ。これをよく見ておけ」

 いつものように肩に手を乗せて言うと、それで幾らか安心したのか、蔣斌は強張った顔を少し緩ませて頷いた。

「狼煙を見た王平殿が、もうすぐここに駆けつけてくれるはずだ。俺はこれから、敵を見失わないよう追尾する。お前はここで大人しく待っておけ」

「わかりました」

 蔣斌の声が震えていた。

「伝令。敵兵力は二千。ここの陣を避け、東方へ駆け去った。杜祺はこれから敵の追尾を始める」

 伝令の兵が復唱し、駆け出して行った。

「杜祺殿、御武運を」

 言った蔣斌に、杜祺は頷いて答えた。そしてすぐに馬蹄の音が聞こえてきた。

「王平殿がもう来たか」

 こうなれば王平に直接報告しようと思い、杜祺は馬群が近付いてくる方へ馬首を向けた。さすがに王平が熱心に調練しているだけあって速い。北から馬を仕入れた王平軍の騎馬隊も、魏軍の騎馬隊に決して劣らないだけの力を持っているのだ。

 周りでは、怪我を負った者の護送準備が始められている。

 馬蹄の音が近付いてくる。砂煙を上げる馬群。それを目にして、杜祺は両目を見開いた。馬群には、魏の旗が立てられていた。

「敵襲。速やかに陣を組め」

 杜祺は振り返って怒声を張り上げた。

 落着きを取り戻しつつあった陣内が再度、騒然となった。戦える者は慌てて武器を取り、戦えない者はその場に捨て置かれた。

「陣を組んで戟を構えろ。急げ」

 馬群は見る見る内に近づいてくる。味方は集まってきているが、間に合わない。そう判断すると同時に杜祺は馬を下りた。馬上だと、狙い撃ちにされかねない。

 陣ができかけていたところに、魏軍の騎馬隊が雪崩れ込んできた。敵はそのまま駆け抜け、駆け抜けたところには死傷した兵の体が転がった。

 杜祺は歯噛みした。何故、敵の騎馬隊は一つだとしか考えなかったのか。急襲部隊とはいえ、二千では少ないと、何故思わなかったのか。敵は過ぎ去ったと思い完全に気を抜いてしまっていた。

 杜祺は蔣斌の姿を探した。騒然とする隊の中で、腰を抜かした蔣斌の姿があった。

 魏軍騎馬隊が駆け抜けた向こうで反転した。もう一度、来る。

「戟を敵に向けろ。逃げようとすれば、敵に背を突かれるぞ」

 潰走はまだ始まっていない。しかし、いつ始まってもおかしくない様相だった。

「蔣斌」

 杜祺は蔣斌の首根っこを掴み、血に塗れた二つの死体の間に押し倒した。

「ここから動くな。いいな」

 杜祺は言い捨て、迫りくる馬群に向かって剣を構えた。俺は、ここで死ぬのだ。そう思い定めれば、楽なものだった。夏侯の旗が見えた。それが、お前の名か。死ぬ前に、俺の隊を滅茶苦茶にしたお前を斬ってやる。

 杜祺は腹の底から声を上げた。速いはずの騎馬が、ゆっくりしたものに見えた。魏軍の騎馬隊など、その程度か。これなら、俺がここでやられても、王平殿が楽に捻ってくれるはずだ。

 馬上から戟がきた。寸前で身を捩ったが、右肩に受けた。倒れそうになるのを踏ん張り、左で剣を振った。何かに当たったが、敵を倒した手応えではない。片腕だけでは、骨まで断てない。

 後続の馬体が、杜祺の体を吹っ飛ばした。息ができない。見えるのは、どんよりと曇った見慣れた空だけだ。倒れた顔のすぐ横を、蹄が唸りを上げて通り過ぎて行った。

 呼吸は、すぐにできるようになった。杜祺は剣を地に立てて身を起こした。味方が潰走している。

 蔣斌はどうなった。目をやったが、被せた死体が邪魔で、よく見えない。今の一撃で、馬に踏み潰されてしまったのかもしれない。

 敵がまた反転を始めた。俺の隊を、殲滅させようというのか。この体では、もう剣を振れそうもない。

 地が響く。別の馬蹄の音が聞こえてきた。もう張郃がやってきたのか。やはり、張郃の騎馬隊は強い。俺のような男が太刀打ちできるはずもなかったのだ。

 姿を現した新手はこちらにではなく、反転した敵騎馬隊に突っ込んでいった。

 王平が来たのだ。

 杜祺は安堵した。同時に、気が遠のいていった。


 見えた。蒼い旗を翻す騎馬隊。数は、およそ三千か。杜祺の隊が算を乱して逃げまどっていた。

 王平は敵騎馬隊に、駆けつけた勢いのまま突っ込んだ。不意を突けたはずだったが、ぶつかる直前、敵は四方に分散して衝撃の力を削いできた。流石に魏の騎馬隊はそう簡単にやらせてはくれない。

 王平の騎馬隊は数で劣るため、初撃で敵将の首を飛ばして一気に勝負をつけたかった。それができなかった王平は頭を切り替えた。ここは時を稼ぎ、周囲から集まって来る味方部隊を待つべきだ。見ると一番近くにいた五百が到着して、杜祺の隊と合流していた。あそこはもう心配ない。

 十隊ほどに分かれて散った敵はまた一つにまとまり、王平に狙いをつけてきた。王平はぶつかる素振りを見せ、直前で二千を二つに分けてそれをかわした。敵は、王平がいる千を追ってきている。

 王平は激しく揺れる馬上で振り返り、敵三千の指揮は誰かと目を凝らした。夏侯の旗。なるほど、またお前か。そんなに俺の首が欲しいなら、地の果てまでもついてこい。

 王平は駆けながら、前の一点を見続けていた。そろそろあそこから出て来るはずだ。戟の列。王平軍の一隊が、喚声を上げて地から湧くようにして現れた。

 並べられた戟の後ろに逃げ込むと、夏候覇は向きを変えてそれを避けた。夏候覇の後ろを追っていたもう一方の千と合流し、今度は王平が夏候覇の後ろを追った。新たな伏兵を怖れてか、ここから離脱しようとしている。しかし遅い。もうお前は罠にかかったのだ。

 夏侯の旗を追いながらも、王平は周囲への目配りを怠らなかった。敵はこの三千だけではないはずだ。この近くのどこかに張郃もいる。

 王平は鞍で揺れる連弩に手をやった。何度も通用する手段ではない。決められるのは、一度きり。その一度で、この騎馬隊を壊滅させてやる。

 杜祺の隊から大分離れると、歩兵はもういないと踏んだのか、夏候覇が三千を反転させた。王平はまともにぶつかるのを避け二千を横に逸らした。夏候覇が追ってくる。数の優位を得たと判断した夏侯覇が追ってくる。岩壁。逃げ場の無いそこに目を付け、走った。追ってくる夏侯覇の三千が、追いつめたとばかりの勢いで迫ってきている。

「横列。弩、構え」

 足を止めた王平騎馬隊が弩を構えた。先頭で駆けてくる夏候覇の顔が表情まで見える。笑っている。俺を追い詰めたとでも思っているのか。追い詰められたのは、お前の方だ。

「矢、放て」

 迫る夏侯覇の三千は身を屈め、馬甲と具足を頼んで突っ込んできた。放たれた二千の矢が、悉く弾かれた。屈んでいた三千の騎兵が一斉に身を起こす。夏候覇の顔に、勝ちを確信した笑みが貼り付いている。いいぞ。もっと近づいてこい。

 夏候覇の顔が、さっと青冷めるのがわかった。しかし、もう遅い。

「第二矢、放て」

 二千の矢が、吸い込まれるようにして敵の体を貫いていった。

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