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王平伝演義  作者: 阿雄太朗
陳倉の戦い
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拷問

 趙広はぼろを纏って漢中の市中を歩いていた。

 北伐から帰ってきた兵で漢中は賑わっていた。賑わいといっても、皆が心から喜んでいるようには見えない。所々に、荒れた人の心が見え隠れする賑わい方だった。

 治安が悪くならないように目を光らせておくことが、趙広に与えられた任務である。また魏から潜りこんできている間者を見つけ出すことも仕事の一つであり、物乞いの姿をしているのは敵の目を欺くためだ。

 先の戦で、父が死んだ。父の近くにいた兄は責任を感じて自決までしようとして、魏延に止められていた。自分はそこまで思うことはなかった。悲しくはあったが、それは表に出さないように努めた。忍びは、自分の感情を表に出してはいけないのだ。

 父を討った相手のことは、しっかりと調べていた。左腕の無い隻腕の男。そして父を討った時、右目に大きな傷を負ったのだという。その男は、何度も趙広の夢に現れた。すぐそこにいるのに、手が届かない所にいる。二人の間に流れの激しい川があることがあれば、深い谷があることもあった。そしてその男は、歯噛みをする自分を見て、高らかに笑うのであった。

「おい」

 肩をぶつからせた男が、趙広を睨みつけてきた。

「すまん、考え事をしていたんだ」

「乞食風情が、何を考えることがあるというのだ」

 平装であったが、蜀の兵士だということは体付きを見てわかった。その男は趙広の髪を鷲掴みにした。その後ろでは、同じ兵卒仲間だと思われる二人がにやにやしていた。周りの者は遠巻きにして、そんな光景に見て見ぬふりをしている。

 頭を鷲掴みにされたまま、路地裏へと連れて行かれた。

「おい、乞食。俺の足を舐めながら詫びろ。そうすれば許してやる」

 体の中に、黒々としたものが貯まっていた。それが何であるかは、よくわからない。腹の中で虫を飼っているようなものだと思えた。街亭で蜀軍が敗北してから、事あるごとにその虫は疼いた。父が死ぬと、その疼きはさらに大きなものになっていった。

「この辺りで行儀の悪い兵卒がいると聞いている。それは、お前らか」

「何」

 体の中で、黒いものがはじけた。趙広は頭を掴む腕を取り、捻った。そして腹に拳を打ち込み、首を捩じった。骨の折れる音が、掌に伝わった。

 残った二人をどうしようか。そう思った時には、その二人は既に逃げ腰だった。二人が踵を返すと、路地裏の入り口に小さな影が立った。影は二人の首元を掴み、路地の奥へと放り返した。

「待ってくれ。殺さねえでくれ」

 二人の兵卒は膝まずき、命乞いを始めた。

「馬鹿者ども。蜀の兵ともあろう者が、恥を知れ」

 句扶だった。二人はその場にひれ伏し、体を震わせていた。

「そこの死体を片付けろ。そして、戦場で死ね」

 二人は顔を上げて何度も頷き、首の折れた死体を担いで路地裏から出て行った。

「馬鹿者」

 句扶に蹴られた趙広の体がくの字に曲がった。

「句扶殿。あの者は何の罪もない民にも乱暴を働いていたのです。それなのに」

「だからお前は馬鹿だというのだ。俺はそんなことを言っているのではない。あの二人を逃して、残った死体をどうするつもりであったか、言ってみろ」

「それは」

「死体を放置しておけば、腐敗する。腐敗すれば、病の元となる。かと言ってお前があの死体を担いでこの路地裏から出れば、周りに顔を覚えられる。顔を覚えられれば、仕事がし辛くなる。違うか」

 趙広は俯いた。その通りであり、反論できる余地などどこにもなかった。

 体の中で黒いものがはじけた。そんなことは、言い訳にもならないことだった。

「まあいい。お前に新しいことを教えてやる。ついてこい」

 言われるがまま、付いて行った。市中を抜け、田畑のあぜ道を歩き、山中に隠れるように建てられた小屋に行きついた。かなりの距離を歩き、傾きかけていた陽は既に薄暮れになろうとしていた。その間、会話は一言も無かった。

 小屋に入ると空気が冷たくなった。朽ち果てたような外観に比べ、その中は驚くほどきれいに整理されていて、趙広はこの部屋がなんのためにあるのかすぐにわかった。部屋の隅には、頭に袋を被せられた男が柱に縛り付けられている。その体は、頭の袋以外に何も身につけていない。

 句扶は頭の袋に手をかけ、乱暴にむしり取った。傍らで、趙広は黙ってそれを見ていた。

「こいつは、漢中に潜んでいた間者だ」

「違うんだ、俺はただの」

 そう言いかけた男の顔に、句扶が手にした鉄の棒がめりこんだ。鼻から血がぼとぼとと流れ、男は呻いた。

「こいつを、これから拷問にかける」

 男の顔が、恐怖に歪んだ。

「違う。俺はただの商人だ。北から商いをしに漢中までやってきただけなんだ」

 今度は句扶の拳が男の腹にめり込んだ。

「よく覚えておけ。こいつがいくら喚こうが、轡はできん。だから拷問は、こういう人気の無い所でやるのがいい。深い地下でやるのも悪くはない」

 言った句扶の声は、いつものように落ち着いていた。教師が生徒にものを教えるといった感じだ。そして句扶は卓を指さした。趙広がそちらに目をやると、色々な形をした刃物が並べられてあった。

「それを使って、こいつが漢中で何をしていたか、聞き出してみろ」

 趙広は戸惑った。句扶が自分の知らないところで捕えた者に拷問をかけていたことは、何となく知っていた。いつかは自分もやるようになるのかと漠然と思っていた。その時が、今来たのだ。

 卓の上にあった刃物を一つ手に取ってみた。よく研がれた刃だった。それを手に、縛り付けられた男の前に立った。男の顔は、恐怖でひきつり涙をぼろぼろとこぼさせていた。

「句扶殿、一つよろしいでしょうか」

「何だ」

「もしこの者が、本当に商人であれば」

 句扶の蹴りが飛んできた。趙広の体は卓にぶつかり、刃物のいくつかが音を立てて床に落ちた。腹を蹴られた趙広は、その場に蹲って唾を垂らした。

 句扶は落ちた刃物の一つを手に取り、男の肩口に当てた。

「よく、見ておけ」

 言って句扶は刃を男の腕に突き立てた。鼻血を散らして男が喚いた。句扶が腕の皮を切り裂くと、流れ出る血が男の腕に赤い線をひいていった。苦痛を訴える男に何の関心も示さず、句扶は刃を縦に横にと動かしていく。切り込みが終わると、句扶は腕の皮に手をかけて一息にひっぱった。腕の皮がずるりと剥け、獣のような絶叫が山中にこだました。男の腕は赤い肉の塊となっていた。そして句扶は血の滴る皮を両手で広げ、嬉しそうに男に見せつけた。

「やってみろ」

 言われて、趙広は震える手で、刃物を取った。全身から汗が噴き出していた。奥歯が震えるのを、噛みしめることで耐えた。

 趙広は見よう見真似で腕に刃を入れていった。反対側では、句扶が血止めのために肩口をきつく縛っている。あくまで、じわじわと嬲り殺す気だ。

 切り込みを終えた。それを見て句扶が、足りない所に刃を入れた。趙広は、黙ってそれをじっと見ていた。句扶がやったのと同じように、皮をひっぱった。嫌な感触と共に、皮がずるりと剥けた。

「なかなか筋が良いではないか」

 句扶が口元で笑いながら言った。趙広は顔がひきつるばかりで、笑うことなどできなかった。

「おい。言っておくが、まだ殺さんぞ。先ずは、生まれてきたことを後悔させてやろう」

「違う。本当に、俺は違うんだ」

 男は両腕から血をぼとぼとと滴らせながら、叫ぶようにして言った。句扶の刃が、男の脇腹に入った。

「死にたくなったら、いつでも言え。お前の知っていることと交換に、死をくれてやろう」

 言いながら句扶は、男の腹に入った刃をぐりぐりと捩じった。男の喉の奥から、声にもならない声が出た。刃が急所を避けているのは、見ていてわかった。

 趙広は、まるで自分がそこにいないかのような、不思議な感覚に捕らわれていた。

 何故か昔のことが頭の中によぎりだした。成都の館で兄と遊んでいた時のこと。漢中の軍営で魏延や王平にしごかれていた時のこと。敵に傷を負わされ虫の息になっていた父のこと。今までの全てが、自分ではないように思えてきた。

 句扶が血だらけになった腕の肉を小さく削ぎ始めた。男の叫び声は、もう耳に入らない。趙広も、自分が剥いだ腕の肉を削いだ。肉を削ぐと白いものが見え、それはすぐに赤く染まった。男は何度も気を失い、その度に句扶が活を入れた。

 句扶が不気味に笑っていた。その笑い声は、男に聞かせているのだということはよく分かった。そして耳と鼻を削ぎ、性器を切り落とした。気付くと、自分も笑っていた。自分はどうしてしまったのか。そう思っていると、男も笑い始めた。

「殺せ。頼む、殺してくれ」

 全身を血だらけにし、肉の塊になりかけている男が、か細い声で言った。もう一息だ。趙広の耳元で、句扶が囁いた。

「殺してもらいたければ、喋れ。そうすれば、楽にしてやる」

 そう言いながら、句扶は赤く熱っした鉄の塊を男の腹に押し当てた。嫌な臭いがたちこめ、男は人間とは思えないほどの暴れ方をし始めた。命が燃え尽きようとしている。趙広の目にはそう見えた。しかし、簡単には燃え尽きない。目の前にある男の命は、完全に句扶の掌の上にあった。

「狙っていたのは、魏延と王平という者の命だ」

 句扶の手が止まった。止まると男の動きも止まり、血だらけになった顔が少し笑ったように見えた。

「何故、その二人なのだ。知っていることを、全て吐け」

「あの二人を殺せば、蜀軍は骨抜きになると言われた。諸葛亮でないのは、軍を魏領内に引き寄せて叩くから、殺すなと言われた。もう良いだろう。頼む、殺してくれ」

「まだだ」

 言って、句扶は赤くなった鉄を押し付けた。男は苦痛の顔をしたが、もう叫び声すら出なかった。

「指示したのは、郭奕という男だ。あの野郎、俺をこんな目に合わせやがって」

 男がか細い声で、呟くように言った。そして何かわけのわからないことをぶつぶつと言い始めた。

「そんなことは知っている。俺が何を求めているか、分かるだろう」

 句扶が子供をあやすように、優しげな声で言った。それで男は、顔をにやけさせながら、何度も頷いた。

「肉屋だ。漢中の城郭に入ってすぐにある。その地下蔵が、俺らの集合場所だ」

 句扶が、男の首にさっと刃を走らせた。血が噴き出し、男の全身から力が抜けて行った。絶命する直前、男の顔は喜悦に満たされていた。今まで見たことない、禍々しい喜悦の顔だった。

 震えは止まっていた。小屋に充満する血の臭いも、もう気にならなくなっていた。

「聞き出したら、すぐに行くことだ。逃げられてしまえば拷問をした意味がなくなってしまう。死体はお前が片付けておけ」

 句扶はそう言い残し、漢中の市中へと戻っていった。残された趙広は穴を掘り、手を血に塗らして男を縛っていたものを解いた。豚や牛のようなものだった。句扶は、これを一人でできるようになれと言っているのか。

 趙広は死体を埋め終え、近くにあった井戸の水で血を洗った。洗い落とすと疲労を感じ、小屋の外に寝転んだ。木々が生い茂る隙間から、いつものように星が見えている。昨日まで見ていたのと同じ星で、全く違う星のようにも見えた。

 父の死とは、全く違う死であった。世の中には、こんな死に方もあるというのか。それは頭の中に描いていたものと、現実に目の当りにしたものとでは、雲泥の差があるものだった。

 目を瞑ると、血だらけになった肉の塊が項垂れていた。趙広は全身が粟立ち、さっき埋めた死体の方に目を向けた。土が、動いたような気がした。いや、実際には動いていない。趙広は跳ね起き、走り出した。その場から、少しでも早く逃げ出してしまいたかった。


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