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無限転生 -転生勇者の魔王譚-  作者: ホモンロ
第一章 魔王レイヴン
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第八話 『帝国-04』

 都市中から絶え間なく上がる断末魔、一人事切れる毎にまた新たな獲物を襲う。どこからか聞こえてくる悲鳴は止むことなく、ユークリッド帝国における戦乱は依然混沌を要していた。

 否、帝国の滅亡はもはや見るも明らかなほど時間の問題であり、逃げ惑う人々を如何に魔族たちが追い詰めるかという作業に成り代わっている。

 帝国が帝国で在る要因として、残すところは、アイゼンフォート城へと続く大通りに敷かれた防衛線と、人々に残される唯一の逃げ場となった東門だけである。都市の中でもいくつかの区画に分けられた内、既に東部と充てられた部分にまで食指は伸びていた。逃げ惑いながら、黒煙の上がってない地域を目指し人々は死地を掻き分けていく。

 それすらも、逃げるという前提がもはや帝国を明け渡しているのと同義なのは言うまでもない。


 骨の兵士と生ける屍が帝都を行きずり、人間の躯が地を埋め尽くす光景。

 業火が際限なく滾る地獄そのものといったような惨たらしい戦火の中、これ以上人々に何を一望させようというのか、焔すらも眩むほどの存在感を放つ姿がある。

 策など無いに等しい魔族の一軍、なれどその無策は的確に人々を追い込んでいた。統率が計れていないが故に圧倒的な武力を擁し、それぞれの行動理念に則り武具を振るった。その大半に宿る魔王への忠義が、自然に人間の殲滅へと脚を赴かせているのだ。

 聞き浴びるほどの断末魔の中で魔王への忠義を武功で応える者たちは、有象無象から傑出した武勇を要している。それは単体で一個小隊を相手取る中に平然と散歩するようなほど、人数がどうかという問題でなく圧倒的な差である。彼らが兵士たちの間を縫って歩くと、歩いた跡には兵士たちの首が転がっていくのだ。兵士たちは戸惑いまた武具を向けるが、手であしらうほどで簡単に捌かれる。

 それと似た現象は戦地のいくつかの場で起きていた。


 あるところには、戦火を駆け抜ける、狼のような、しかし、人の形をした面妖な影。

 またあるところには、剣に斬られ、槍に貫かれ、されど倒れることの無い少女の姿。

 更にあるところには、騎士の姿をした貴公子が、人間の身体を斬り伏せ、瞬きの間に過ぎていく。


 彼らは決まって笑っていた。共通する意志を持った上でそれぞれの笑みを携えているのだ。その破顔の意味は、人々の想像を超え、人間たちに向けられたものではないことも理解する。蹂躙しながらもこの場所にあらぬ意志は人々の畏怖を助長していた。

 その笑みは何を見据えているのか、人知を超えた想像に次第に恐怖の虜となる。

 自分が何と戦い何から逃げ惑っているのかと、想像はやがて疑問となっていく。


 彼らと対峙した瞬間から、魂の慟哭が聞こえてくるように胸がざわめく。

 絶対的強者ともつかぬ様相には傲慢が生まれてしまう。

 しかし、その過ちに気づくのは死を理解してからだ。

 何故気付けなかったのだと、その後悔ばかりが人々の死の淵を支配する。

 変わらない結果までを想像できない人々に、後悔など無駄に過ぎなかった。



 ◆



 戦地を縦横無尽に駆ける、狼の姿。否、だが、それがただの迷い込んできただけの獣はでないことなど火を見るよりも明らかだ。狼と言うには大柄な体躯、獣というには人の形に似通った手足を、意気揚々と奮っている。何よりも、武装した兵士を次々と屠っていく様相は豪傑そのもの。

 彼の表情には獰猛な破顔が張り付いている。


「足りねぇ。足りないねぇ……」


 その手には武勇の証拠を提げながら、破顔には相容れぬ物足りなさを口にしていた。手足を人と同じように動かせることも然ることながら言語までも同じものを扱っている。ただの獣だと思う者など誰も居ない。それが蹂躙される立場である人間ならばな尚更のことだ。

 彼が口にする渇望は、兵士たちに屈辱を植え付ける。

 言動そのものが彼の矛盾を言外に表しているようだ。


「まだだ。まだ、足りない」


 何をそこまでに求めているのか、剣を交じらう兵士たちならばこそその意味を理解し、同時に屈辱と畏怖を覚えるのだ。

 彼は、さながら野兎を狩った狼のように、小隊の隊長に当たる兵士の雁首を引っ提げながら鋭い眼光を飛ばしている。

 そこで何故満足しないのかと、疑問に思う者は居なかった。彼の表情に張り付いた破顔は、彼が何に対する欲望を抱いているのか暗示している。そしてそれを心のままに愉しんでいることも、言葉にせずとも誰もが認識した。


 口にする渇望と表情に現れた充足感。矛盾しているようにも思える二つの感情は、貪欲なまでの切実なる欲求である。

 この戦地が彼にとって欲望を満たす場でしかないことが、兵士たちには屈辱だった。同時にそれが畏怖であることも理解し、その咎めるような厳しい視線に対して竦み上がることが精一杯になる。仮にも訓練を積み重ねてきた兵士たちのその情けない姿こそ、彼の欲望を満たさせぬ要因の一つだった。


「――貴様らぁ! 誇り高き帝国の兵士がたかが狼一匹風情に何を手こずっているかッ!」


 情けない体たらくに見かねて現れたのは白馬に騎乗した騎士だった。高貴な姿に秘められた武勇は隠せない。その口調もまた、少なくとも端役の兵士共とは格が違うことを思わせる。人間の中では強者であると、魔族は直感的に思う。

 爛々とした眼光を這わせるのは、狼の姿をした彼だ。

 侮辱と取れる言葉には意も介さず、舐めるようにその騎士を観察している。


「ハ、ハワード様ッ! しかし、奴の強さはもはや異次元に達しております! 我々では止めようもありません!」


「喧しいッ! ここが落とされれば我が国は奴らの手に渡ったも同然だぞ!」


 ハワードと呼ばれた騎士は容赦なく一蹴する。国柄により攻め込まれることも想定した訓練を施した兵士たちが、言わば本拠地における有利なはずの戦いに敗れようとしているのだ。帝都の深部にまでも易々と踏み込まれた状況下において、自らの無力を表す言い訳程見苦しいものは無い。

 無論、ハワードの言葉は大げさに告げている部分もある。それが意味するところは、つまりは兵士たちに帝国の心血の一部であることを自覚させようとしているのだ。このユークリッド帝国の地以外に彼らに与えられる死に場は無いと、容赦なく教え込む。

 ハワードの言葉で、情けない声を上げる口数は確かに減っていた。


 その様相を静観する狼の姿をした彼は、やはりハワードを強者と見込む。

 品定めを終えた彼の口角は狂乱に歪んでいる。


「ガチャガチャ言ってねえでよぉ、この俺と殺し合う(やりあう)つもりで来たんだろう? これだけ殺してきて、まだまだ物足りなくて仕方ねえんだよ。身体が疼いちまって止められそうにねえ。さっさと始めようぜ」


「野蛮な魔族め……! ふぅん……、よかろう。貴様の要望に応えて、帝国一の将、このハワード・ストラトスが相手をする」


 ハワードは帝国一と称されたその腕を、剣を掲げる。帝国一と謳われる、それは魔族の拠点と隣接する国柄として世界でも有数の武力を誇る中の頂点であり、人間の中では世界でも一、二を争う武勇である。剣技においては、あるいは勇者以上の実力を持っている。

 それを見て、彼は雁首を放り投げ獣のように構えた。


「ハッハァ! 良いじゃあないか。やっと敵に会えた。この戦いは存分に楽しめそうだ」


 此度の戦いにおいて物足りなさが支配する胸中に、初めて強敵の存在を意識させた。彼が渇望した強者の存在、至上の戦い。彼の欲求を唯一満たしてくれるもの。愉しそうな振る舞いの中に、物足りなさを感じていた。

 戦うことへの悦びが、獰猛な笑みとなって表情に零れ落ちている。



 ◆



 狼の影が縦横無尽に駆け巡る、至上の戦いに身を投じた、その裏。

 荒れ狂う戦地の中を、ゆるりと、舞い踊るように一人の少女が闊歩する。

 艶やかで流麗な碧い髪を二つに束ね、深く碧い瞳と、豪奢な碧いドレスで血飛沫の舞う戦地を舐め歩いていた。


 あるいは、雄叫びの飛び交う戦地に似合わぬその可憐な姿に見惚れていた者も居るだろう。こと戦場において脚を止めて呆けることが命取りになることなど言うまでもない。そして脚を止めていた者は皆、決まって首を刎ねられていた。

 抵抗も出来ないその無様な姿に、少女はくすくすとあどけなく笑っている。


「知らないのぉ? 戦場ではね、ボーっとしてるとすぐに死んじゃうんだから」


 戦地の中、帝国の一個小隊に囲まれながら綽々とした余裕を携えて笑って見せる。その言葉がそのまま返ってきそうな傲慢な態度、されどそれを指摘できる者は誰も居なかった。現実に、首を刎ねられた彼らは正に彼女の言った通りに散漫となっていた瞬間を討ち取られている。その愚を咎められる者は、誰も居ない。

 それは偶然首を刎ねられたのが彼らだったというだけで、生きている彼らもまた彼女の可憐な容姿に見惚れ、油断し、気を揺るませていたからだ。

 よもや、彼女自身の鮮やかな手捌きが彼らを葬ったのだとは思うまい。その佇まいは気品こそ携えているのだが、それでいて稚拙で茶目っ気のある振る舞いを見せるただの少女が、一瞬にして兵士たちの首を取った。誰かが最初にその事実を気付いたのは、彼女の華奢な指先に滴る血を見てからである。

 認識は遅れて初めて理解へと繋がっていく。


「……な、何ィ!? こ、この少女がやったというのか!?」


 己の身を屈強に鍛え上げた男たちだからこそ、戦場における少女の姿に覚える違和感は大きい。

 その違和感を取っ払う要因として、魔族だからと、彼らは瞬時に理解した。しかし、脳の理解と視覚的違和感は如何とも食い違う。無論、ユークリッド帝国の膨大な軍隊の中には物好きな女の兵士も存在する。そこに対する偏見は、比較的僅かなものだと言っていいだろう。その彼女らと決定的に違うのは、身に纏う装束の差が大きく油断を拗らさせている。

 兵士たちが男女問わず鎧を身に纏っているのと比べ、妙齢にも見える少女のドレスは身を守るための意味を持たない。

 さながら興業でもこなすように、戦場の舞台を艶やかに着飾っていた。


 認識は繋がったはずの兵士たちだが、怪訝げな耳打ちが広がり騒めきになっている。状況が最大に表す少女の強大さを信じられないのだ。仮にも誉れ高き帝国の兵士、こんな少女に負けるはずがないという疑念は死者が生まれた事実を盲目にさせる。

 少女は兵士たちのその姿を見て、またあどけなく笑っていた。


「ねぇお兄さんたち。せっかく教えてあげたのに、抵抗しないんだぁ」


 指先に滴る血を艶やかに舐め掬う。妖艶な雰囲気とアンバランスな幼さが、兵士たちの視覚的認識を一瞬にして恐怖へと挿げ替える。背筋に通過した寒気を払うように武具を構え、多数の切っ先で少女を囲った。

 その中心で、少女は未だ余裕を見せている。鋭利な刃を向けられながら、何も恐れず変わらぬ笑みを絶やさない。その姿がまた兵士たちの恐怖を煽るのだ。


 少女と兵士たちが対峙し合う状況はしばし続き、薄く乗った微笑みと対照的に眉間に力の入った表情が両者の心境を表している。

 少女が武装した兵士に囲まれている状況で、有利と不利の関係に甲乙つけることは容易いが、一概に勝者と敗者の因子は決められない。

 それが人間と魔族か、種族の違いは大いに因果を狂わせる。

 少女一人と武装した兵士という差は、この場において視覚的な認識に意味を成さなかった。


 やがて、兵士たちの中の一人が調和を乱した。

 少女が何もしないことで保たれていた均衡は、畏怖に生まれた緊張感に耐えきれなくなった一人が逆上したことで崩壊する。

 比較的若い兵士だった。若さ故に恐怖に打ち克てなかったのだ。

 狂乱した叫び声と共に手に握った武具で少女へと斬りかかる。

 積み重ねてきた訓練の効果を発揮していない一太刀は、意外にも容易く通った。


「――え……? えっ!?」


 戸惑いを見せるのは斬りかかった本人。我ながら恐怖のために腰の入っていない一振りだったと、反撃を待つつもりで死を覚悟した。しかし、視界に広がった鮮血と生の手応えは、生きていることを裏付けている。

 一人が発狂すれば、また一人と釣られて調和が乱れていった。

 剣で斬り、槍で貫き、一人の少女を無数の刃が襲う。


 取り囲んだ兵士の多くが手応えを感じ、余韻が静寂を生んでいた。

 埋め尽くさんばかりに覆い被さられて見えなくなった少女の姿、その更に周囲で静けさを伺い見る兵士は結果に息を飲む。

 これだけの数で襲っていればと、少女の姿を思い浮かべどこか後ろめたさも覚えながら、早とちりに勝利を確信する。

 誰もが浮かれ気味に笑みを零しかけた瞬間、取り囲んでいた兵士たちの首が弾けた様に空高く舞い上がった。


「――あーあ。せっかく魔王様にお見せしようと思ってたドレス、破れちゃったじゃない。どうしてくれるの?」


 そう言って、覆いかぶさった兵士を雑に退かして姿を見せる少女。取り囲んでいた兵士は斬りかかった事実とは真逆に倒れ伏していた。その中心に佇む少女は驚くほど平然としている。

 否、斬られた跡は確かにあるのだ。ドレスの端々が破れ、少女の身体から血が流れている。

 だが、何故か苦しむような素振りはなかった。


 その疑問の答えに行き着くのは、魔法を扱う者には容易かったことだろう。

 少女を取り囲んでいた兵士とは別に、魔法の痕跡が垣間見えた。

 魔法の光が少女の傷口に触れると、傷付いた先から癒えていくのだ。


「……ば、化け物め……!」


 誰かが、そう形容した。


「こんないたいけな女の子つかまえて化け物だなんて、酷いわね」


 冗談がましく口にした少女。そこに絶大な差を感じ、武具を手から落とした者さえ居る。逃げ出したいという感情に駆られた者がどれだけ居たか。逃げることすらままならぬ畏怖に竦んだ脚が、少女の表情から背けることも許さなかった。

 やはり少女は、相変わらずあどけない笑みを携えている。


「――ああ……魔王様ぁ……ッ!」


 やがて恍惚に蕩けた笑みへと変貌し、心ここに在らずとばかりに身を悶えさせる。

 戦場におけるその行為が、兵士たちに絶対的な畏怖を植え付けていた。



 ◆



 帝都ユークリッドの東部に当たる区画。そこに騎士の姿をした気品ある男が独り佇んでいる。

 どこか物憂げな雰囲気は、あるいは、死者を憂いているような悲哀の表情である。


「クソがッ! 退きやがれってんだよ!」


 何処かから聞こえてくる荒げた声。騎士は周囲を見渡し、東門と呼ばれる大門の前で小競り合いする二人を見やる。兵士の武装をした若者と、片や一般市民のごとき老人だった。醜い言葉が一方的に老人へと吐き捨てられていた。

 その足運びは焦慮に駆られ、若干もたついた足取りだった。どうやら、逃げ惑うように走っていたところを兵士の不注意により交錯したらしい。老人はその運びから理不尽な暴言で罵られているようだ。

 騎士は様子を眺め高貴な甲冑の下で眉をひそめる。

 老人を蔑むことに注力していた兵士の背後へとおもむろに近づき、兵士の腕を背中に回して捻り上げることで止める。

 途中で気配を感付かれることも無く、気づけば背後に回られていたというのがその場の認識だった。


「痛ゥッ! て、てめえ何しやがる! 誰だてめえは!」


「醜い真似は辞めなさい。せめて、私の目にかからなければ生き残れたというのに……」


 やはり騎士は憂う。騒ぎ立てたことで彼の目に入ってしまった、兵士自身に対して悲哀を見せた。

 兵士からしてみれば、急に腕を取られ会話も通じない相手を不気味に思うのは当然のこと。それが騎士の格好をして、尚且つ部隊の一部である兵士にも見覚えの無い甲冑姿に疑心を抱くのは必然でもある。

 何者かと推測するよりも先に、焦りが思考を妨げていた。


「なに訳わかんねえこと言ってんだ! さっさと離しやがれッ!」


 身動きの取れない身体をもがいて外そうとするが、簡単には手を緩めない。

 当然、抵抗されれば更に力が加わり、腕を締め上げるばかり。

 そこで兵士の視界に一つの影が映った。


「……ま、魔族が……来た……!」


 兵士の視線に合わせ、騎士と老人もまた目を向ける。そこに居たのは骨の兵士と生ける屍。押し寄せるほどの勢いはないが、まばらに姿を見せることが逆に恐怖感を煽った。次から次と東門へと現れ、やがて人々にとって唯一となった逃げ場すらも占拠されてしまうのかと、一体ずつ姿を見せることが想像に現実感を持たせるのだ。

 ついに、この東門すらも魔族の手に掛かり始めた。兵士が焦っていたのは、この東門を目の前にしてもたついた時間で魔族に追いつかれることを気が急いていたのだろう。終着点を目前に転んでしまうことほど空しいものは無い。この場合、それが即ち死を意味している。

 兵士は兵士としての役目を放棄し、一般市民と共に逃げていたのだ。軍規における敵前逃亡が打ち首であることなど承知の上で、死より勝る地獄から逃げ出したのだ。

 もとより、既にユークリッド帝国の滅亡は決まっているようなもので、規則に従順でいる方がよっぽど馬鹿げている。


「助けてくだされ兵士殿! 騎士様!」


 老人は慌てふためいて二人に縋る。

 非力な者が戦う力を持った者に頼るのは当然のことだ。

 それは誰にも咎められるものではなく、しかし、兵士はそれに対して舌打ちを鳴らすだけ。

 老人の言葉に緩んだ隙を逃さず、兵士は騎士の拘束から抜け出した。


「うるせえ! 戦場じゃあな、自分の身も守れねえ奴から死んでいくんだよ! 俺は死にたくねえから逃げさせてもらうんだ!」


 それだけを言い残し、兵士は門の方向へと立ち去っていく。

 戦場では非力な者から死んでいくのが性だ。その見解に対する反論は残された二人のどちらにもない。だが、蹂躙者を前に予感する死とは、如何とも恐ろしいものだ。縋るしかなかった想いを理不尽に踏みにじられ、されど恨むよりも先に生へとしがみ付く。

 逃げ出した兵士には目もくれず、老人にはまた騎士に頼るしかなかった。


「き、騎士様ッ! 騎士様ァ!」


 騎士の膝へと掴みかかるように、老人は顔を見上げる。言葉すらもはや意味を持たず、形振り構わず醜く縋ることしか出来ない。時としてその醜さは、他人の心を突き動かすのだ。醜くとも、生きることに縋る想いは誰しも秘めているものだ。

 騎士は見上げてくる老人に優しく言葉を掛け、慈悲を下す。


「逃げなさい御老人。決して脚を止めることの無いよう。振り返ることは無く逃げるのです」


 この地獄の戦火の中で老人の顔つきは初めて晴れやかなものになった。

 兵士が見せた待遇との較差で、より騎士の言葉が心に響く。

 二、三の謝礼の言葉と共に、この場に居座りすぎることが騎士の慈悲を無駄にする行為だと理解し、老人もまた兵士と同じ方向へとふらついた足取りで逃げていく。


 騎士は老人の背中を見届け武具を構えた。

 やがて骨の兵士が騎士の下へとたどり着き、顎を打ち鳴らしてからからと笑いだす。


「……静かにしなさい」


 骨の兵士へと語りかける。

 その口元は、不敵に笑っていた。




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