第六話 『帝国-02』
帝国への侵攻、占拠における作戦会議。
ブレインは玉座に座したまま、作戦とも、会議とも言えぬ集いに手段を告げる。
集いすら、ブレインの発言を側近を通じてそれを配下の者へと流用するだけの、断じて集会と呼べるものではない何か。
段取りは優秀な側近に命じてしまえば、期待した応えが返ってくるのだ。
千度の人生に廃れた精神は、倦怠感と同様に、面倒をも避けたがる。
細やかなことは全てを側近に託していた。
責任は丸投げだった。
「とにかく、全魔族。各地の同胞を集い、この地の防衛に燻ぶっていた者も含め、全ての魔族で帝国へと乗り込む」
つまりは、数には数を、と。
種として血の気の多い魔族には分かりやすく、それでいて最も確実な手段だろう。
個々の力を取って魔族が人間に負けることは無い。それが数と数の勝負になった時、百や千の部隊が万をも凌駕する。
ましてや、この地の防衛に当たる者とは、魔族における最も重要とする拠点に配属され、それだけに力のある猛者たちだ。
力のある将を敢えて防衛に充てていた意図を汲んだ上で、攻めへと転ずる。
勇者が死に、魔王を脅かす脅威の去ったこの状況で彼らを燻ぶらせることなど、それこそユークリッド帝国のお偉い方と同じである。
ユークリッド帝国には優秀な将が居ると、ブレインの記憶にあった。だがその者は魔王の拠点と隣接するという状況下で、勇者一行に協力するでもなく、国より防衛を命じられていたのだ。結果としてあっさりと勇者は死んだ。
彼の者が勇者に付き従っていたところで、魔王の力を前に結果は変わることも無かったのだろうが、事実眺めているだけよりはと思わせる愚かな結末になっている。
よもや、それが直接の起因でなくとも、帝国はこうして魔王の標的となっているだけに保身的な行為がいかに浅はかであるかを告げていた。
僅かでしかない魔族の土地。それは勇者だったブレインと、純然な魔族である側近との差か。この世界の魔族にとって、その僅かな土地こそ彼らの守るべき故郷だ。勇者として世界の命運をかけて戦ってきたブレインと似ているのだろうか。
多角な意見を物申すことも使命である進言の中に、ブレインは彼女の言葉に私見とも感じるような内容を読み取っていた。
「それではこの地の人員が手薄になってしまうのですが、よろしいのでしょうか」
「防衛のことは考えなくていい。勇者が死んだ状況で迂闊に飛び込んでは来ないだろう。もとより、この魔王が居る限りこの地を譲ってやるつもりはない」
力ある者の保身的な行為は、王には当てはまらない。本来玉座に踏ん反り返って指示を出すだけでいいはずの王が、最も大きな力を擁す場合は、配下の彼らの役目まで奪うことになる。それは、防衛ですらないからだ。
仮にこの地の人手が手薄になったとて、そこに甘い匂いを感じて近寄る蟻如きなど気に留める必要もない。玩具にもならず手を払うだけで死んでしまう虫けらは、この魔王の興味を掻き立てる要因にはならないのだ。
側近は、この魔王の有無も言わせぬ威厳に忠誠を誓った。
魔族の中で、否、この世界の全ての生物の中で最も大きな力を擁す、他ならぬこの魔王が言うのなら、それに勝る懸念などあるはずもない。
魔王が些細な命令をも側近に託すように、魔族の命運を魔王に託す。魔王の威厳によるその傍若無人な命令が、側近には心地よかった。
信頼を得られているとは烏滸がましくも、この身に託された命令を忠実にこなすことで、忠誠を表す。
魔王の支配する時代。
勇者の死がその思い付きを生み、手始めとして帝国を占拠すると魔王は簡単に言ってみせた。長らく膠着していた帝国との国境際における戦線は、それが一筋縄ではいかせないことを意味している。
ただ、このあまりにも分かりやすい策と、拠点には魔王が居るだけという安心感が、その傍若無人な命令だろうと従わせられてしまうのだ。
あるいはこの魔王ならと、揺るぎなく高鳴る予感が、側近の頭を下げさせていた。
「以上だ。伝令を頼めるな」
「畏まりました。では、早速に参りたいと存じます」
「征け」
相変わらず様式的な短い受け答えを経て、側近は再び頭を下げると淡く輝きだした魔法陣の中へと消えてしまう。
彼女の得意とするところの転移魔法を、魔王の要望を応えるための最も手短な手段として、空間を後にした。
魔族が今、この世界へと魔族の権威を投じる。
あるいは、そこに逸るものを感じたことが側近を機敏に衝き動かしたのだろうか。
凛とした厳格さの中にちゃっかりと公私の二面性を側近から読み取り、ブレインもまた、少年のように口角を吊り上げるのだった。
◆
それから一刻、あるいは、半日は経っていたのかもしれない。
千という人生により元々時間への認識は曖昧だったブレインだが、柄にもない胸騒ぎで、待ち惚けることにどこか小気味好くすらなっていた。
時間の認識が曖昧だったことに暇を委ねてその間を埋める。
独り、玉座に頬杖を付いたまま待つだけの時間が、胸騒ぎに満たされていた。
玉座にどっかりと腰を落とす。頬杖をついた肘掛けとは向かい側に行儀悪く片脚を乗せ、座るというよりは、横たわるような形だ。
掛けた脚とは逆の足の底で鼻歌交じりにぱたぱたとリズムを取る。
体裁を一切も気にしなかった時、ブレインの中で無意識に機嫌の良い証拠だった。
機嫌が良いなんてことが極めて希薄なブレインだからこそ、誰にも阻害されることの無いこの時間だけは自由になる。
鼻歌が異様に響く空間に帰った気配。
鼻歌とリズムをぱたと止めたが、それは決してブレインの気分に茶々を入れるものではなかった。
「ただいま帰って参りました、魔王様」
「おお! 戻ったか」
頬杖から浮かせる程度僅かに体を起こし、機嫌の良さが勢い余って表情にまで浮かび上がる。ただ、改まることは無い。見せて困るような羞恥はとうに捨てた。
喜々とした険相の中でどこか無気力感に比重の置かれた表情というのが、ブレインの面相を表す。
それが怒りであっても、または悲しみやそれ以外であっても、同じだった。
喜怒哀楽の概念を他人に見せること自体が極稀である。
そのブレインが見せた喜びとは、向けられた者もまた、似たように薄く笑みを携えている。
凛とした厳格さの印象の中に、公私の二面性が見られた。
「それで。どうだ。何時出れる?」
「魔王様の御声次第で何時なりと。我々魔族とは常に戦いに備えているもの。皆、この日を待っていたようです」
落ち着き払った口調だが、声色は弾んでいるようにも聞こえる。
ブレインの捲くし立てるような語勢に対し、魔族としての悦びが側近の居ずまいから垣間見えた。
魔族とは常に戦いに備えている、その言葉の意味に隠された人間への鬱憤や憎悪が、募り続けた果ての結果なのだ。
それが備えられたものでなく魔族としての前提であることにブレインは気付いた。
この日を境に勇者が死に、遂に解放される時。
尊大な態度を持って先走った想いを告げる。
「なら今直ぐだ」
文句の一つを付け入るような隙もなく、たった一言。
帝国の終焉を表すに、あまりに簡易的な言葉だ。
ただ側近にはそれだけの言葉で事足りる。
魔王の言葉を代理する者として、足りない指示を如何に肉付けしようかと考えたところで、思考を止めた。
魔王が今直ぐだというなら、それ以上に配下の彼らを突き動かす言葉が他にあるだろうか。
逸り、昂る彼らの気を押さえつけていた勇者は死んだ。
後は魔王の言葉さえ、聞ければ。
魔王の意思を自らの言葉で濁すことほど無粋なことはないだろう。
側近もまた、勇者と魔王の戦いを目の前にし、昂っている。
此度は、魔族と人間の戦いだ。
魔王の戦いをそれに置き換え、想像したとき、圧倒的な蹂躙に側近は勝利のみを確信していた。
あるいは、魔王を含め、勝利こそ魔族全体としての前提なのだろう。
「それともうひとつ」
帝国への侵攻とは別にといった具合に、ブレインはおもむろに重ねて命じる。
魔王が言うからには意味のないこととは思えず、側近は改めて聞き直す。
「帝国の攻略に当たって功績を残した者……、三人ほど。お前を含めた四人、この魔王の側近として新たに近衛を侍らせる」
「近衛を……?」
「まあ、功労者への一種の褒美のようなものだな。この魔王の近くで仕える権利をやる。その功臣の選出を頼むことになる」
自ら口にする分には随分と自惚れた評価だが、ブレインとて自分を客観的に見れぬほど目は衰えていない。
魔王の側近として仕える権利、それは魔族においてこの上ない栄誉なのだ。
その栄誉には力ある者こそ相応しい。
帝国を攻略する上の功労者という、手っ取り早い選出には都合の良い機会だ。
新たに加える、三人という数には、あるいは、ブレインは無意識にかつての仲間の姿を重ねて浮かべているのかもしれない。
戦士ドルカス、魔導士マーリン、今もまだこの魔王の拠点のどこかに併設される牢に捕らわれた、聖女リジェッタ。
側近という、魔王となって以来常に傍らに寄り添った彼女をかつての恋人として見立ててみたら、不思議と収まりが良いのは偶然か。
否、敢えて、ブレインはわざとらしくその姿をなぞっている。
敢えて似た道を通ることで、かつての自分との差を実感しようとしているのだ。
「僭越ながら、私めではその役目を果たせないのでしょうか」
「いや、勿論、お前のことは信頼に足る者だと感じている。が、お前には何かと下命を下すことも多いだろう。お前だけに負担を掛けてやるつもりはない」
あながち嘘ではないが我ながらに歯の浮いた台詞だった。
「寛大な御心痛み入るばかりですが、それでしたら私から推薦した者を従いになされることには出来ないでしょうか。御言葉ですが、魔王様の選ばれ方ですと……、確かに力ある者が召しつけられるとは思うのですが……」
功績を残した者とは、言うなれば戦いを好む者。
そこまでの言葉が喉に出掛かって言い出し辛そうな側近の言葉を遮り、ブレインは代弁してみせる。
「――野蛮な輩が多い、か。構わん。自分から騎乗した馬の手綱も捌けないほど、俺も愚かじゃあない。それとも、俺の目が届かないようなところはこの魔王に反旗を翻すような愚か者ばかりなのか? 多様な者が居てこそ面白いじゃあないか」
「魔王様が仰るのでしたら……」
「丁度、話相手が足りないと思っていたところだからな」
それらしいことを嘯いて押し切ってみせた。
何も心にもないことを口にしたわけではないが、特別に必要な存在であるか問われたとすると頷きかねる。
千度の人生に染みついた排他的な思考は孤独に慣れていた。むしろ望んでいた。
ただ、この側近が居る限り一人になれる時間などあってないようなものだ。ならばそれが三人ばかり増えたとて同じこと。
席を外せと命じることも出来るだろう。だが、敢えて意図的に命じることほど、それこそブレインには億劫なのである。
もとより、この魔王の命令に対して承る以外の選択肢はなかった側近は、やむなく言葉を呑む。
彼女の主張したいことも分かる。絶対の忠誠を誓って従事する王だからこそ、野蛮で無礼な者など近づけさせたくはない。
此度選ばれる三人が得てしてそうであるとは限らないが、忌憚なく断言して不穏な輩が多い魔族だからこそ、側近の想いは強かった。
せめて自分の選んだ者ならばという進言に対し、面白いからと一蹴されてはそれ以上に申し立てるようなことは無かった。
多様な者が居てこそと、ブレインは言う。
やはり、そこにかつての仲間を重ねてしまう。
故郷も人柄も違い、旅の中で出会った三人。
分かち合い、時には反発し、旅を続けた。
魔王が支配する時代を築く、その上で、無条件に服従する者に囲われるのは得策とは言えない。
食い違う意志があったからこそ勇者としてのブレインの旅は続いたのだ。
もっとも、魔族の中で魔王に反発できる者など居そうにもないのだが。
こうして、帝国の終焉を告げる日は決まった。
そして新たに魔王の支配する時代の歴史が始まるのだ。
それから三日から、四日に掛けたほどという日付に、ユークリッド帝国の長い歴史に終止符が刻まれたのである。
勇者の死亡と共に、ユークリッド帝国の滅亡は世界へと広まってゆく。
◆
勇者の死という人類において由々しき事態を伏せながら、日柄を同じくして、ユークリッド帝国の国内外を問わず人々の間に天地を震わせるほどの衝撃が走った。
ユークリッド帝国の国境際における防衛戦線が突破された、と。
それは人々にとって無視は出来ない事実だった。
膠着状態を極めていた防衛戦線がいともたやすく破られ、破った戦線は尚も帝国の中心へと向かう歩みを止めなかった。
それはつまり、魔族が人類への反逆に打って出たということ。
その裏に隠された意味を詮索した時、大方の予想がついてしまう。
まず第一に、勇者の死亡。
これは魔族が進軍してきたこと自体に直結する。
魔王討伐の最終準備に勇者一行が立ち寄ったのは、他でもないユークリッド帝国だった。
魔王の拠点と隣接した国としてそれなりに持て成し、英気を養った後に送り出したのだ。それがつい数日ほど前のこと。
その意味を素直に受け取り裏を返せば、自ずと答えは見えてしまう。
いくら想像を否定しようとも現に攻め入られている事実は覆しようがない。
勇者と魔王という存在に互いに恐れ合い、牽制していた状況は勇者の死を持って崩壊したとすれば推論に合点がいく。
勇者の存在に保たれていた均衡は破られたのだ。
次に、帝国の戦線を破った魔族の数について。
かつてこれだけの数の魔族が一挙に集う様相は誰も見たことがない。その中には人々の間にも名の知れた魔族の影が点在していた。
人類に比べその数の差で圧倒的に劣るはずの魔族が、ことこの戦線の場において一向に見劣りしない。個々の力に劣る人類がその数を減らされ続ける中で止めようはなかった。
それもまた裏を返せば、ユークリッド帝国の戦線とは別に手薄になった拠点を直接狙われようと怖くないということになる。
ならばちょっかい出せるのかと問われると、進軍してくる魔族の存在自体に彼らの自信を感じるようで否が応にも攻め手に欠けてしまう。
彼らの底の死力を理解する。
それらを含め最も人々の脳裏を掻き立てたのは、支配と略奪の予感である。
此度の抗争は今後魔族が人類への引け目を感じることは無いと、宣告されているようなものだ。
個々に力を持つ魔族とは違い、騎士やそれに準ずる人々とは別の、力を持たない一般市民は絶望に打ちひしがれることしかできない。
現に自分たちの身を守ってくれるはずの戦線は簡単に突破されたのだ。
彼らの恨みの行方は、既に死んだ者へと向かう。
『どうして魔王を殺せなかった』と、呪い。
『残された私たちは魔王に支配され続けろと言うのか』と、嘆き。
『お前が死んでしまってはこの世界は終わりだ』と、悲しむ。
誰にも便宜の無い無責任な怒りばかりが募っていく。
負は負の連鎖を呼び込むばかりだ。
恨みは勇者だけにあらず、その仲間と、戦線を維持していた兵士達へも向いている。
いつしかユークリッド帝国全体が、敗北を認めるように、気落ちしていた。
もはや誰も侵攻の勢いは止められないと息を飲み、祈り、また絶望する。
ユークリッド帝国の中心、帝都まで戦火が伸びたのはそれから僅か一日ほどの時間を要した頃だった。
上弦の月明かりに照らされた戦場は爛々と炎を立ち上げた。
剣の弾き合う甲高い音と、高らかな雄叫びが戦場を舞う。
帝国に、血飛沫が舞う。