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無限転生 -転生勇者の魔王譚-  作者: ホモンロ
序章 無限転生
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第一話 『無限転生』

 それはもう遠い昔。

 勇者である彼が初めて死を体験した時のことだ。


 死の淵にまどろむ彼の耳元に呪いの言葉が際限なく聞こえてきた。

 意識すら曖昧な、魂さえ既に世界から隔離された場所にまで付き纏ってくるのだ。

 勇者として臨んだ最後の決戦に朽ち果て、世界に遺して逝ってしまった人々の声である。


『どうして魔王を殺せなかった』

『残された私たちは魔王に支配され続けろと言うのか』

『お前が死んでしまってはこの世界は終わりだ』


 勇者として最大の責任を果たせなかった彼への恨みが、死という概念さえ超えて耳元に届く。心無い声が彼の意識の部分に冷たく囁き続ける。

 当時の彼は罪悪感に溺れた。悔やんでも悔やみきれない後悔に苛まれ、朽ちた魂にやり場のない憤怒が滾った。

 魔王への怒り、自分自身への怒り。今となってもその序幕のことだけは忘れもしない。

 死んでなおも未だ感情以上に記憶へと纏わり付いて来る。

 それが彼にとって悠久に続く苦痛の始まりだった。


 紛れもなく息を引き取ったはずの彼が次に目を開いたのは、見慣れない天井から始まった。

 死後の世界だと思った彼は、悔やんだ。取り返しのつかない失敗は涙となって零れ落ちる。

 固く握った拳の震え、食いしばった歯の頭蓋まで響く痛み、今でも感覚が残っている。


 端的に結論から言ってしまうと、そこは彼の想像した死後の世界などではなかった。

 彼が死後に背負ったのは、勇者として世界を守るために戦ってきた報いか、あるいは魔王に敗れた業なのか。

 そこに存在したのは天国や地獄、そんな生温いものではない。


 転生。

 新たな肉体を持って、新たな環境を持つ。

 唯一、同じ記憶、同じ精神を共有する。

 それは理不尽に繰り返され、その度に絶望をもたらした。

 どれだけ繰り返そうとも終わりはしない。

 繰り返すごとに擦り減っていく精神の自覚が壊れ征く玩具を俯瞰しているようで、さながら自分のことではないような感覚にまで陥る。


 新たな世界でも、あらゆる肉体でも、彼は勇者だった。


 生まれ変わる彼の終わらない人生は続く。



 ◆



 それはすっかり曖昧になってしまった数字だが、ブレインの記憶の通りであるならば――およそ九百九十九度目にも及ぶ死後からの目覚めだ。

 無論、正確に数えていたわけでもなければ、正解を教えてくれる存在など居るはずがない。その数字が間違っていたところで別段問題が起きるわけでもなかった。

 ただ彼――ブレインが悠久の人生を勇者として歩んできた倦怠感からの暇つぶしのようなものだ。淡々と数えてみることで、どこまで続くかもわからない悠久の人生に廃れてしまった精神の自我を保っていた。

 そういう意味ではこの名とて同じである。

 ブレインとは、この終わりなき旅路が始まる前の最初の名前だった。勇者としての最初の敗北を味わってから、以来共に歩んできた本名だ。

 覚えていても無駄に過ぎないが、ただそれだけのことに幾度転生しようとも魂の部分で繋がっていられる気がするのだ。

 この名さえも捨ててしまったとき、今ここに至るまで幾度も勇者として魔王に立ち向かってきた矜持すら失ってしまうことだろう。

 あらゆる世界で勇者として生まれ変わったブレインがその役目を果たしてきたのは、紛れもなく最初の後悔がそうさせている。

 そこに誇りすら消え去れば魔王を討つ役目も放棄することになるかもしれない。

 精神以上に嫌でも記憶へと染みついている後悔が、それを許さなかった。


「――終わらない人生、か」


 例の如く見慣れぬ天井。

 眠っていた質素なベッドから上半身を起こしたブレインは、自ら呟いた戯言に嘲笑する。

 そんなものは遥か昔から覚悟の上だ。自分に安らかな眠りは訪れないのだと悟ったのは、具体的にはどれくらい前だったことか。

 あえてややこしい表現をすれば、前世よりも遥か先、ほんの十数回ほど死後からの目覚めを経験した頃だろう。

 否、その時はブレインもまだ未熟で、その命に約千度もの人生を背負っているとは思っていなかったのかもしれない。

 とにかく。

 それは年老いた老人が赤子の頃の記憶を思い出そうとするくらい途方もなく、実に無駄なことなのである。


 何度死のうと、何度魔王を討とうと、ブレインの意思を無下にして理不尽な転生は繰り返されてきた。

 一度、二度目の頃こそ世界を救えなかった自分への罪滅ぼしの場だと思い込んで魔王の討伐に没頭していたこともあったが、今となっては虚無感以上に得られるものも無い。

 それもそうだろう。明確に討つべき存在が居て、そのための準備や旅路を経て一年以上の時間は下らない。ブレインはそれを約千度に及び繰り返してきた。

 勿論、魔王を討ったその瞬間に次の世界へと転生するわけでもない。


 ――千年、否、それだけでは足らない人生をブレインは無駄にしてきたのだ。


 途方もない、未だ先も見えない人生に精神は廃れていく。

 全てを達観して少しずつ世界への興味を失っていった。

 勇者の業に憑りつかれたブレインが魔王と対峙する義務は果たそうとも、その決戦で敗れたところでただ次の世界へと転生するだけの一環である。そこに怒りや後悔を伴うことはなく、いつからかそんな合理的な思考が染みついていた。


 嫌気が差して目覚めた直後に舌を噛み切ったが、気がつけばまた綺麗な身体で目を覚ましたときは流石に堪えたのを覚えている。

 終われないのだと悟ったその時の絶望でさえ、ブレインは自分の中で克服され始めていることが怖かった。


 幾重にも繰り返した――理不尽に繰り返されれてきた転生。

 終わりない人生の中、愉悦を感じられなくなってしまう程度には寂れてしまった。

 巡る世界が何処も似通っていてはそれも必然だろう。

 適当な世界で富と権力や名声を得ても、いずれ虚無感に飲み込まれてしまう。それらは既に魔王を討つだけの活力には差し代わってくれない。

 ブレインの巡る世界の住人からしてみれば、甚だ迷惑被ることだろう。

 だが、どの世界に行こうともブレインの苦痛を理解できる者などブレイン以外には居ないのだ。

 正直のところ魔王など、否、世界の平和など、ブレインにとって義務感以上の動機にはならない。


 見知らぬ世界で魔王を討伐する。

 千度も強制的に繰り返させられれば当然飽きもする。

 世界を救えようと失敗しようと、ブレインの中で僅かな利益にもなりえないのだ。

 この悠久の時の中で忘れてしまった感情の一つ、喜びとはなんだったか。

 罪滅ぼしと気負って一人の仇を討った瞬間は、紛れもなく高揚感を得たはずだ。

 もはやそれすら思い出すことも出来ない。

 思い出そうとしたところで、何も得られはしない。

 下らない事を考えたと、ブレインは独りでに頭を振った。


「だからと言って、世界を見殺しにはできない俺は愚劣の極みなのだろうな……」


 所詮それはあの時の後悔であり、勇者としての業だ。

 自己満足ではあるが、魔王を討つための努力はする。だが、結果が伴わなくとも簡単に割り切れる。更に言えば、世界の行く末など自分の気まぐれに左右される。

 そんなブレインの心境など理解せず、あらゆる世界の人々が勇者と、口々に慕ってきた。

 当然、彼らにとっては世界を救ったブレインは英雄だろう。

 ブレインにとっては千に近い世界を巡ってきた一端にすぎない、その中の有象無象に好かれようと滑稽に見えてしまう。

 英雄の顔をする裏にこんな感情を持っていては目に映るものすべてが鬱陶しく見えてしまっても仕方がないのだろう。

 正義感と言うのも無粋な心事に勇者としての欠落感を抱えながら人々の声に答えるのは苦痛に近い。

 やがて有無すら定かではないこの正義感もいずれ完全に無くなってしまうのだと、今の内に開き直っていた方が良いのだろう。


 そういえば、と。

 以前魔王を討伐し損ねた時、その世界の貧弱な勇者の肉体となまくらな伝説と呼ばれる聖剣に責任を押し付けたことをふと思い出す。

 既に薄れ始めていた正義感に、落胆すれば良いのか、開き直ってしまえば良いのか、ブレインは分からなかった。


「もし、この先……、俺に救いが在るとするならば……」


 つい口走ってしまった感情が気付けば救いを求めようとしている。

 改めて考え直すことも無く、ブレインは『永遠の死』を望んでいた。



 ◆



 あまりにあっけない。


 ぽっかりと空いた胸の内に浮かんできた言葉は、ブレインの落胆を表すのに十分な含意を持っている。

 改めて口に起こす気にもなれない言葉を秘め、ブレインはその身が朽ちるのを、ただ待っていた。

 崩れ行く瓦礫の雨に埋もれ、それに抵抗もせず、この肉体が――九百九十九度目の肉体が朽ち逝くのを、ただただ待っているのだ。


 仰向けに横たわるブレインが手に持っているのはどす黒い血の滴る剣。

 虚脱した視線の先に捉えているのは、豪奢な着飾りを纏ったまま地に伏す人影だった。

 贅の限りを尽くされた装飾から破滅と滅亡の禍々しい色を読み取れる。

 破壊と支配によって得た物々だろうと、ブレインは察した。


 この世界の誰もが忌み嫌い、同時に恐れた存在。

 支配されながら、逃げ惑いながら、戦いながら、勇者の存在を待ち続けた人々の怨敵。

 略奪と支配を繰り返してきた人類の絶望。

 だがしかし、ブレインにしてみればそこにしがらみなど存在しないが――魔王が、そこに眠っている。


 眠っている、なんて丁寧なものでもない。

 ブレインの握る剣に滴る血と同じ色の血を腹部から垂れ流しながら、死んでいるのだ。

 醜悪に濁った魔王の血は受け皿も無く地面に染み込んでいく。

 行き場も無くこの魔王の城に沈んでいる。


 表情は憎悪に歪んでいた。

 ブレインも、魔王に敗れた時はこれと同じように醜い顔をしているのだろうか。

 ブレインに死んだ後の世界はあっても、ブレインが死んだ後の世界のことなど知りえない。

 だからこそより興味も薄れていく。

 思い出せるのは後悔のみ。

 後悔すらも、もはや義務感に成り果てた。


 この旅路の幕引きはあまりにあっけなかった。

 とある世界ではブレインが一から情報を集めて探した伝説の聖剣も、九百九十九度目の彼は目を覚ました瞬間にはベッドの横に立てかけられていた。

 ブレインの数える限りに節目となる千度目の転生へとお膳立てしてくれているような、余計な干渉である。

 すっかり死すらも厭わなくなったブレインにとって何か急かされているような感覚にも思える。

 それもまたそれとして、ブレインには都合がよかった。


 魔王直属の魔物たちは剣で簡単になぎ払い。

 魔王も同様に、この剣の一振りで屠った。

 何かの予兆であるように簡単に事が運んでいく。

 この居城にしてもそうだ。

 過去にブレインが体験してきた世界では、もっと漠然とした拠点を構える魔王が多い印象である。

 世界への興味を持つことすらも煩うブレインには魔王の居場所を探す行為など無駄な手間なのだ。

 分かりやすく魔王の権威を誇示するまでも無く恐れられる存在が、よもや城という存在感を誇張してくれているのだから、居場所を探す手間も省けたとさえ思っている。

 城を力の誇示とすると、漠然とした拠点に潜むこととどちらが魔王にとって順当かなど、そんなことには興味がない。

 何となく。正真正銘ブレインとして生きた元の世界では、後者であったことを思い出す。

 決戦の場というにも粗末な、だだっ広い空間が広がるだけの魔王の拠点で剣を交え、敗れた。

 今となってはその時の後悔だけに義務感を背負っていると言っても過言ではない。

 感傷すらもどこか節目を跨ぐ前兆に思えてしまうのは、ブレインが今正にこの九百九十九度目の人生を終えようとしているからだろう。


 この状況に至るまで、それはもうそれなりの激闘もあったわけだが、それらは既にブレインの記憶からはするりと抜け落ちている。

 ブレインにとってはどうとでもいい生死を賭けた死闘の最中、魔王とブレインが刺し違える瞬間、ブレインの剣で貫かれた心臓に魔王は口から血を吐きながら最後の力を振り絞った。

 魔王はブレインを道連れにしようと、城に魔法を唱え沈めているのだ。

 ブレインは脱出しようと思えば抜け出せるだけの余力はあったが、まんまと道連れにされようとしている。

 瓦礫の雨に身を置き、殴打される身体が耐えられずに倒れたところを、豪奢なシャンデリアに下敷きにされた。


 逃げることを煩ったのではない。

 生きることを、煩ったのだ。

 魔王を殺し、新たな世界へ巡り、また殺す。

 その作業の一環である、わざわざ自分から死ぬ手間を省いてくれるのならそれに越したことは無いだろう。


 止めどなく流れる血の感覚がこの身の限界を告げる。

 痛みさえ苦ともならない精神は、あまりに都合の良い事運びに何か怖いものを感じさせた。

 あるいは、死の淵に置ける現状に相まったただの生理現象なのかもしれない。

 今更死すら厭ぬ精神に震えるものを思わせるだけ、それ自体にどこか怖さを感じているのだろう。

 久しく思い出した感情はやがて激しいまどろみに呑まれ始める。

 丁度良い具合に血が抜け出してきた肉体に、ブレインは身を委ねた。


 流れる血の感覚に心地よささえ感じながら、彼は悠然とその瞳を閉じた。



 ◆



 ――そして、千度目の転生。


 区切りの良い機会にこのまま眠らせてはくれないか。と、ブレインは考える。

 そこに自我が存在した瞬間にブレインの願いは儚く散っている。

 既に芽生えている意識に、新たな人生は嘲笑から始まるのだった。


「……下らんな」


 まぶたも開かぬ先、取るに足らない愚考を軽く一蹴する。

 徐々に覚醒していく意識を気だるく受け入れていく。

 そして、その瞳を悠然と開いた。


「――どうかなさいましたか?」


 不意にブレインの耳へと届いたのは丁寧に紡がれた女性の声。

 ブレインは声の在処に顔を向けられなかった。

 そこで初めて目覚めがいつもと同じようなベッドの上ではないことに意識が向いたのだ。

 いつものように眠っていたわけではない。座っている。

 嫌に重厚的な座り心地の腰掛に据えながら、頬杖をついて佇んでいた。


 何よりも、見開いた先に広がる光景に強烈な既視感を覚えて、脳内は動揺に支配されていた。

 千度も見慣れぬ天井から始まったはずの目覚めが、新たな世界との最初の対面が、こんな形で目を疑うことは今までに無い。

 知らない光景で始まることに先入観を持っていたのはブレインかもしれないが、過去に同じ世界へと転生したことは一度も無かった。

 この光景をブレインが知っているというのは、ここが新たな世界ではないということなのか。

 否、だが、間違いなく、死んだはずだ。

 千も死を経験したブレインがその感覚を間違えるはずもない。


 次に聞こえてくるブレインを呼んでいるのであろう呼称は、混乱も相まってあまりにも耳になじまなかった。


「――魔王様」


 ブレインにとってこの光景とは、忘れるはずのない因果が染みついた場所である。



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