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イシュタルの罠  作者: 秋主雅歌
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騎士の砦 第四章

 「兄弟ファビアン、トグルルが『ララ』という言葉を口走ったそうだな?それは仲間の名前か?」

「分かりません。トグルルが信頼している人の名だろう、とは思うのですが」

 管区長代理のフィリップの執務室で、ファビアンは答えた。フィリップは顎を触りながら、傍らに立つ修道騎士ジャンに顔を向けた。

「その『ララ』とやらが、首謀者の『山の老人』の名かもしれぬな。兄弟ジャン、何か心当たることはあるか?君はこの地に八年もいるのだから、何か『鷹の爪』について知っていよう」

 ジャンは決まり悪げに頭を垂れた。

「申し訳ありません、管区長代理殿。ご期待に添えるような知見は私には何も…。ララとは、この地では『宦官』を意味するそうですが、それとは関係はないでしょうし…」

「ふむ、そうか」

 フィリップはジャンの答えに、あからさまに不満な顔を見せた。「それでは、あの歌の方はどうなっている?何か分かったか?」

「はあ…。何でも遠くバビロンの都に伝わる、とても古い歌らしいとしか…」

「そのようなことはどうでも良い。つまり、何も分かってはいないのだな」

 フィリップの声に苛立ちが滲む。ジャンとファビアンを見やって言った。「君たちはもっと真剣にことに臨むべきではないのか?兄弟たちがあの『鷹の爪』によってどれほどの犠牲を強いられたか、ちゃんと考えているのか」

「それは…」

 ファビアンは一瞬、激しい苛立ちと怒りに駆られた。そんなことは言われるまでもない。ギイを失った怒りと憎しみは、フィリップとて分かるまい。

 突然、トグルルの言葉が蘇ってきた。

(虫けらのように、そいつを身代わりにした管区長を恨め)

 いや違う。恨むべきは、当然ながら神に背く『鷹の爪』だ。残酷にギイを殺した連中だ。それ以外にはありえない。トグルルたちだ。

「管区長代理殿、あの、お役に立つ情報かどうか分かりませぬが」

 ファビアンが口を開いた。

「何だ?」

「トグルルの息の臭いから推察するに、『鷹の爪』が刺客に使っている薬は、特殊な麻の葉と思われます。この薬の常習者は、薬を得るためなら何でもやります。トグルルには、禁断症状が出ています。薬をちらつかせ、少し味わわせれば、彼はどんなことでも話すのではないかと」

 フィリップは顔を上げた。

「本当か?だが、我らの元に、その『特殊な麻の葉』はあるのか?」

「私ども、騎士団医療班の薬箱に無いものはございません。それをトグルルに使ってみようと思います。ただ麻の葉は乾燥させたものを煙にして吸い込むため、周囲にいる人間にも危害が及ぶ可能性がありますが、使用のご許可をお願いできますでしょうか」

「危害とは?」

「常とは違う夢を見ると聞きます。常習に陥る危険が高く、過ぎると廃人になってしまうとか。この薬を使うときは、番をする者たちも牢から遠ざけた方がよろしいかと思います」

 ファビアンの言葉に、フィリップは眉を寄せた。

「それでは、誰がトグルルから話を聞き出すのだ?」

「私が」

 ファビアンは表情を変えずに言った。

「おお、なんと!」

 対照的にフィリップは大げさに驚いて見せた。「何という尊い犠牲的精神だ。兄弟ファビアン、君の行いは、必ずや主の御心に沿うであろうぞ。それでは、件の薬の使用を許可する。迷える羊を導くがよい」

「はい」

 ファビアンは両の手を握り締め、深々と頭を下げた。

 正直、ファビアンは決して犠牲的な精神から危険な薬の使用を申し出たのではなかった。

(あの獣をさらに薬漬けにして、もっと苦しめてやる。薬を欲して、泣き喚き、私に哀願するがいい。その、あまたの人を殺してきた手を涙に濡らし、私に許しを請うがいい。そしてギイに泣いて詫びるがいい)

 そこまで考えたところで、ファビアンは頭を振った。そんな復讐心は、常に冷静沈着、公平であるべき修道騎士としてあるまじき感情だ、と。

 だが、奴は人殺しなのだ。悪いのはトグルルたちであり、我々ではない。我々は人殺しではなく、盗人でもなく…。

(盗人?)

 ファビアンは、トグルルの言葉を再び思い出した。

「すみません、管区長代理殿」

「何だ、兄弟ファビアン」

「トグルルが妙なことを言っておりました。俺の指輪を返せ、と」

 一瞬、フィリップの顔が引き攣った。傍らにいるジャンがその様子に気付かずに答える。

「指輪?そういえば、そのような物がありましたね、大きな石の指輪を嵌めていた。そうですよね、管区長代理殿」

「…ああ、確かに、あった。そうだ、そうだ。ああ、これだろう」

 フィリップはなぜかうろたえた様子を見せた。それを必死で誤魔化して平静を装いながら、机を開け、小さな箱を取り出した。

 開けると、そこには大きな緑の石が嵌められた指輪が入っていた。

 ファビアンは見た瞬間、気味が悪い、と思った。

 それは濃い緑の石だった。今まで見た、どんな宝石とも違う輝き。滑らかに磨かれた球形で、大きさは人の瞳くらいもある。実際、魚の卵か、人間の目玉のように見えた。というのも、深い河底のような緑色の中に、赤黒いものが見えたからだ。それが一瞬、生き物のように収縮したようにも見えた。

「こ、これは、生きているのですか?」

 ファビアンの言葉に、フィリップが笑った。

「何を言う、兄弟ファビアン。石が生きているわけがないだろう」

「…そ、そうですね。すみません。ですが、なぜトグルルの指輪が貴方様のお手元に?」

 ファビアンは指輪を凝視したまま、フィリップに問うた。

「い、いやなに。そう、何か『鷹の爪』の手がかりがあるかと思って、調べていたのだ。大した価値はない、つまらない石だがな」

 フィリップは取り繕うように言った。だが、彼がその石に執着しているのは明らかだった。

 ファビアンは不審そうに目を細めた。

「トグルルは…変なことを言っていました。その指輪は、選ばれた者以外が持てば災いを呼ぶ、と」

「それなら大丈夫だ。選ばれた者とは、主に選ばれた我々のことではないかね、兄弟ファビアン」

「…そうですね、確かに我々は神に選ばれた者」

「その通りだ。だから、この石の夢を感じても不思議ではない」

 妙なことをフィリップが口走った。

「夢?」

「い、いや、どうでも良いことだ。兄弟ファビアン」

 フィリップは慌てて指輪を小箱にしまった。

「トグルルは、奴は言っておりました。指輪を返せ、と」

「それは出来ぬな。何かの証拠になるかもしれぬ。それに奴も、どうせどこかから盗んだのだろうよ。これは私が預かっておく」

「ですが、トグルルは…」

「そ、そうだ、院長がそろそろ来るはずだ。もう下がっていいぞ、兄弟ファビアン」

 フィリップは一方的にそう言うと、ジャンやファビアンに向かって手を振り、出ていくように指示した。

 ファビアンは訝しげにジャンの方を見た。ジャンもフィリップの妙な態度に当惑しているようだ。

 フィリップの執務室を出、薬部屋に向かう道すがら、ファビアンは口を開いた。

「管区長代理殿は…何かを隠しておいでなのでしょうか?」

 ジャンは否定しなかった。

「だが、我々下級騎士には知る必要もないことだ、兄弟ファビアン」

 ジャンはそれ以上何も言わなかった。騎士団は絶対服従。命令に疑問を差し挟むことなど許されぬ。

 ファビアンもまた、湧き始めた疑問に蓋をした。



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