人間の無理解
昔、とても我が儘で癇癪持ちの意地悪なお姫様がいました。お姫様はとても可愛らしく素敵な髪と綺麗なお顔、しなやかな手足を持っていました。しかし、その意地悪で酷い癇癪で年の近い子供達をいじめていたため、お姫様と仲良くするお友達はいませんでした。
お姫様のお家はとても立派な名家で、お姫様のお兄様やお姉様はお姫様と同じ美しい容姿にお姫様とは違う優しい性格でしたのでお友達はたくさんいます。
家ですれ違う兄姉の連れている人はみな笑うのに自分の周りは誰もいない。たまに声をかけられても泣きそうにしている子ばかり。
お姫様は段々悲しくなり自分のお部屋に籠もるようになりました。お食事は部屋で食べ、お風呂もトイレも付いているお部屋から殆ど出てきません。お姫様のお兄様やお姉様は妹が可哀想だとお部屋に会いにきますが、お姫様は一切出てきませんでした。
いつも世話をしてくれる侍女と護衛の騎士だけがお姫様と毎日顔を合わせて10年。
お姫様は住んでいる国の定めに従って王国の学園に通う年になりました。
「ああ、嫌だわ…。人の目のあるところに行かなければならないなんて」
ため息を吐き出しながらお姫様、エンヴァレンス公爵家令嬢リリアーノ様は窓の外を睨みつけていらっしゃいます。絹のように素敵な髪とドールのように精巧で綺麗なお顔、若木のようにしなやかな手足。淑女らしい優雅な身のこなしと女性らしいまろやかな曲線美。どなたが見ても感嘆たるものでしょう。
かつて我が儘で癇癪持ちで意地悪なお姫様だったリリアーノ様は見ていた窓から振り返り、背後に佇む侍女が揃えたお茶とお菓子を見つけ小さく笑いながら言います。
「さすがわたくしの侍女ですわ。欲しい時に欲しい物を用意してくれてありがとう」
リリアーノ様は変わりました。もう自分の意に少しでも反する者を叱責していた幼いお姫様ではないのです。職務として当たり前であっても自分のために何かをしてくれた者には例え下働きの者や道端の孤児でもお礼を伝えます。
幼いうちにご自身の部屋に籠もったリリアーノ様は心を閉じ込めてしまわれました。慌てたのは公爵夫妻たるリリアーノ様のお父様とお母様です。
いくら兄姉がいるからとリリアーノ様を蔑ろにしていたわけではありません。愛おしい娘であるリリアーノ様が本当にドールのような無感情で無関心の状態は公爵夫妻を酷く悲しませました。
自分がいじめてしまったと気づいた、どうかこの手紙を届けて欲しいといじめてしまった子供達への謝罪の手紙と家族への書き置きを残して心を閉じ込めたリリアーノ様。生命維持に必要な行動はしますが、人の言葉に返事をしたり反応したりということは一切しません。
必死に話しかけましたが変化はなく、お抱えの公爵家専属医が診ても原因は分かりません。
どうにかならないのか、と秘密裏に様々な分野の医師や呪い師を呼び寄せ1年。
公爵夫妻と旧知の仲である王国一の魔導師がお屋敷に訪れました。そして悲痛な表情でリリアーノ様を見つめ、公爵夫妻に告げたのです。
癇癪は安定しない魔力と周囲からのストレスが原因だ、リリアーノ様は人をそして自分を守るために心を閉じ込めたのだろう、と。
宮廷医師でもあるその方に診断されてからリリアーノ様は徐々に落ち着かれました。身近な侍女や護衛の騎士達の献身的なお世話もあってのことでしょう。
幼い身に合わない強大な魔力はリリアーノ様の精神に影響を与えていました。
本来であれば暴走し大規模の爆発や広域が消滅してしまうような魔力を幼い精神で抑えていたリリアーノ様。その状態は外部からの刺激に酷く弱かったのです。
ちょっとからかわれただけでも魔力の抑制に集中できなくなり、強いストレスを感じていました。ストレスの元を排除しようとする行動が過激で周囲から見れば我が儘で癇癪持ちの意地悪なお姫様になっていたのです。
公爵家令嬢であるリリアーノ様は多少のことでは動じないよう教育されていたため、本来の優しく穏やかな性格が変わっていくのが見逃されていました。多少強気でも問題はない、むしろそこに公爵家令嬢としての誇りがあるならば好ましいことだと判断されていた為です。
ゆっくり回復したリリアーノ様。ご自身や周囲に関心が持てるほど回復した後は様々な教育を自らに課しました。
公爵家令嬢としては勿論、専門性の高い学問や戦闘のための実技も叩き込むように学ばれました。侍女に専門書を取り寄せさせて独力のみで学び、魔力を使って作った空間で護衛の騎士と戦闘の訓練に明け暮れていらしたのです。
リリアーノ様ご本人はお気付きではないでしょうが、この王国一の魔導師と騎士がまとめて攻撃を仕掛けてきても防ぎ反撃することができる実力をお持ちになりました。
身体を鍛え知識を身につけたリリアーノ様。
それでも侍女や護衛の騎士以外の人と関わることは相当にストレスを感じていらっしゃいます。ご両親である公爵夫妻でも同じ空間で緊張が解けるには時間がかかりますし、兄姉を自室に招いたり一緒に談笑することはいまだにできていないのです。
リリアーノ様の事を考えた公爵夫妻は国王へ学園への入学免除・実力による卒業資格獲得の特例を願いました。これまでの状況から同年代の子供達が集まる学園に入学すれば、リリアーノ様がまた酷いストレスに晒されると容易に予想できた為です。
リリアーノ様は入学前に行われる試験で過去に類を見ない高得点、規定上の100点ではなく解答の上に書き綴られた問題に対する考察や研究についての意見などが加わった150点以上を叩き出して在学期間を本来の3年から短縮することに成功しました。卒業生よりも遥かに高い学力から学園への入学を免除し、相応以上の能力があると定めることもできたはずでした。
しかし、学園を卒業したというリリアーノ様の経歴をつけるには、学園側の利益となるリリアーノ様が在学していたという功績のため最低1年は学園の寮に住むことを条件に上げられたのです。
国王は特例として王家の伴侶となる事を条件に卒業という経歴をつけても良いとも言いました。
公爵夫妻とリリアーノ様の話し合いの結果、王家の伴侶という条件がリリアーノ様のストレスとなることが確実であり、公爵夫妻が娘をその立場につけることは絶対にしないと断り、学園側の条件を受け入れる事になったのです。
リリアーノ様は心を許せる侍女と護衛の騎士を連れて学園へ入学なさいました。
人前で注目を浴びることを嫌い、新入生挨拶や成績優秀者が入る生徒会や戦闘能力重視の風紀委員会などからの打診は全て断りました。なるべく人と関わらず済む図書館や資料室などで過ごしていらしたのです。
学園の者達はあまりリリアーノ様に近付いてきません。公爵家の我が儘令嬢という噂があるためでしょう。たまに下心のある媚びや嘲笑を含む態度の生徒や教師が近付いてきましたが、公爵家からリリアーノ様に害のあるものは近付けさせないよう厳命された騎士によって秘密裏に排除されていました。
極々少数の、害悪のない者がリリアーノ様のご友人と呼べる立場となり無事1年が終わるだろうと密かに侍女が安堵していた頃。
リリアーノ様を悪とする生徒会、風紀委員会、上位成績優秀者達による糾弾が起きました。
かつて癇癪持ちで我が儘で意地悪なお姫様だったことから公爵家での引きこもった生活、国王の配慮を無視して学園に入ったこと、公爵家の権力で侍女や護衛の騎士を常に引き連れていること、試験などで卑怯な手を使い必ず1位をとっていること、授業を受けず取り巻きと遊び呆けていること、一部の生徒に嫌がらせをしたことなどが朗々と語られます。
国王やエンヴァレンス公爵夫妻、学園長や他の生徒達の親もいる学園舞踏会の中で行われた糾弾はいずれもリリアーノ様の事情を知らない、リリアーノ様に負けた者達の憶測と妬み僻みからのものでした。リリアーノ様は眉間に深いシワを刻みながら第三王子を筆頭にした集団を睨みつけます。
リリアーノ様を知るご友人達や侍女や護衛の騎士は悲痛な表情で心配そうにリリアーノ様を見て、次いで糾弾している集団を射抜かんばかりに睨みつけました。
「…国王陛下、この場での発言の許可とわたくしの発言によって起こる責をわたくし自身とするとこをご承認くださいませ」
「よかろう。そなたの発言を許し、そなたの行った結果による責を公爵家や他者に負わせないと認める」
「感謝いたします」
睨みつけていた集団から視線を動かし、一番高い位置で事態を見ていた国王へ発言の許可と周囲の責の回避について認めさせたリリアーノ様。自分達を無視されたことが不満だと表情で分かる第三王子とその集団。しかし、国王の前で口を挟むこともできないようです。
今一度、自らを糾弾する集団と対峙したリリアーノ様は不機嫌さを隠すこともされず、言葉を綴られました。
「わたくしが我が儘で癇癪持ちで意地悪であった幼少期や公爵家で引きこもった生活をしていたことは認めましょう。しかし、国王陛下とのお話はわたくしのみではなくエンヴァレンス公爵家としてもお断りしている事です」
リリアーノ様個人のみでなく公爵家が断ると判断を下し、国王陛下が認めた話を関係のない者達が口を挟む気か?
リリアーノ様の言葉の裏にある意味にはっと数人の生徒が息を飲んでいます。
「そして公爵家の権力を使って、と仰いますけれど授業以外であれば申請を通していれば侍女や護衛の騎士を伴わせることに問題はございませんのよ?この程度のことは糾弾する前にお分かりになって然るべきと思いますけれど?」
成績優秀者かつ素行も良い、一定以上の爵位を持つ生徒ならば申請して寮の生活の質を上げています。リリアーノ様のように移動時まで付き従うことは稀ですが、病弱であったり魔力の安定の為に侍女や護衛の騎士を連れている生徒もいます。
学園の常識をご存知ないのかしら?というリリアーノ様の幻聴が聞こえたのは親しい方々のみでしょう。
本当か?と近くの教師に今更ながらに聞く者、でまかせだと決めつける者、リリアーノ様が理性的に対応する姿に顔色を変える者と様々です。しかし糾弾する集団を率いた第三王子はふてぶてしく笑うままでした。
「仮に侍女や騎士の件が学園で認められていても、不正や授業を受けない事と嫌がらせをした事実はある!」
「何を持って事実と仰るのか理解できませんわ。皆様にこう伝えるのは失礼かと思いますけれど、わたくしが不正をしていると仰る方々は本当にこの学園の試験をこれまで受けていらしたのかしら?魔力の登録によって答案用紙の取り替えは不可能、不正行為をしようとした者には警告が出る魔法が試験期間ずっとかけられていると先生方が試験の度に説明してくださっているでしょう?」
幼い子供の拙い疑問に答えるように溜め息混じりで確認するリリアーノ様。第三王子は羞恥のためか顔を赤くし、その背後の集団はに逆に青くなっている者もいます。
「か、仮に試験の不正がないのなら、全ての試験で満点以上で必ず1位など可笑しいではないか!」
「何故、試験の配点以上の点数を得ることが可笑しいのです?先生方の問題にきちんと答えれば配点上の満点。それ以上に先生方に追加点を加えて頂けるような回答が出来れば満点以上があって当たり前でしょう?この学園で研究をしている生徒の半数はそうして先生方から評価を頂いていますのよ?まさか、成績優秀者の方々がご存知ない、ということはないですよね?」
全ての教科で満点以上の点数を叩き出す生徒はリリアーノ様以外におりません。しかし、自分の研究科目や得意分野で追加点をもらう生徒は多いのです。
明確な答えが存在する問題は勿論、追加点は特に正当な評価であることが学園で認められています。
リリアーノ様のお言葉に同意するというように複数の生徒が頷き、教師達も同じ反応を示しました。
自分が満点を取ってもリリアーノ様がそれ以上の点数を出しているのは可笑しいと思っていた第三王子はさらに真っ赤になりながらも怒鳴り散らしています。
「ならば義務である授業を放棄し、あまつさえ一部の生徒に嫌がらせをしているのはなんだ!だいたい、授業を受けず満点以上の点数が取れる訳がない!だからこそ自分を負かしそうな上位成績優秀者へ嫌がらせをしたのだろう!?」
「わたくし、授業を放棄したことはありませんわ。学園から教室で学年相応の授業を受けず、先生方からそれぞれ個別指導をしていただけることを条件に入学したのですよ?皆様と同じ授業は受けたところで何も学べませんもの」
1年間学園の寮に入ることが卒業条件だというのならその条件を飲んでやる。ただし学園の名の通り、娘が望むままに学ばせろ。
実力を示したにもかかわらず、既に知っている事のために娘の時間を使わせるなど絶対に許さない。
滅多に感情を乱さないエンヴァレンス公爵を近年最も怒らせた学園が怒りを静めるために確約した条件です。
「せっかく最高峰の研究をしていらっしゃる先生方から学べるのであればより濃く深い内容を教えて頂きたい、と思うことは可笑しいのですか?それに、わたくしはこちらにいらっしゃる上位成績優秀者の方々とお会いするのは入学直後以来ですもの。試験の勝ち負けにこだわった事もなければ、実力以外のもので相手の優位に立ちたいなど思ってませんわ。嫌がらせなどする時間があるならば先生方の授業を1つでも多く取りたいですし、友人達とのお茶会に時間を使います」
そもそも眼中にないし、貴方達などの為に使う時間が惜しいと告げるリリアーノ様。涙目になる糾弾していた集団の生徒達。
見守っていた教師やリリアーノ様のご友人は優先順位の高さに嬉しそうな笑顔です。
これ以上用がないのならば外部から来ている方々の為にも早急に学園舞踏会の続きを再開しなくては、とリリアーノ様が動き出そうとされた時。
「なんなのだ!?王家の伴侶のくせに!私を蔑ろにするのか!?」
涙目になって震えていた第三王子の叫びに場の空気が凍りました。
糾弾されていた時はどのような内容か伏せられていた国王が出した条件であり、先々降りかかるであろう負担からリリアーノ様を守る為公爵家が断った王家の伴侶。
王家と並ぶ立場となる他にも見方があります。
王家に迎え入れ、民の信頼性を保つ生贄。
王家に忠誠を捧げ、戦時に活躍する人間兵器。
王家の血を引いた優秀な次代の子供を育む苗床や王家の血に自らの血を混ぜた誉れ高き種馬。
いずれにしても、その立場を望まない者にとっては王家を支え国を繁栄させる駒となるも同じことです。
そして、苗床や種馬とされるのはできる限り多くの優秀な血を受け継いだ子供を残すよう既婚未婚を問わず、王家の異性全員の相手をすることになるからです。
もはや奴隷のようだ、あまりにその優秀な者達の尊厳を踏みにじっていると撤廃を進言し続けたのは歴代のエンヴァレンス公爵でした。
しかしこれまでは王家の伴侶の立場にあった者が優秀な平民であり、貴族の中でも極一部の者しか倫理観から撤廃するよう求めなかった為現在もある特殊な立場。
その立場の意味を、栄華以外の面を知っていれば、絶対に愛しい子供を王家へ差し出しはしないでしょう。
「これはどういうことでしょう、国王陛下?我が娘が身に覚えのない罪で糾弾され、あまつさえお断りしたはずの王家の伴侶であると第三王子殿下が仰っているのですが?」
怒りから普段の優しげな表情を一変させ主君である国王を射抜かんばかりに睨みつけ言葉を紡ぐエンヴァレンス公爵。公爵の隣で第三王子を殺してしまいそうなほど憤怒の表情で見る公爵夫人。そして学園舞踏会の後に妹であるリリアーノ様とお茶会の約束をしていた兄姉はリリアーノ様を心配そうに見つめています。
「息子が先走った…許せ。今は王家の伴侶ではない」
謝罪とも言えぬ国王の言葉にエンヴァレンス公爵家の方々は勿論、公爵家と繋がりの深い複数の貴族達が灼けるような怒りを持ちました。そのことに気付いた王族は、不幸なことにいませんでした。
「先走った、今は、というお言葉と第三王子殿下が決定しているかのように仰ったところを見れば学園卒業後、何らかの形でリリアーノを取り込む気だと分かりますよ。…ふざけるな!」
激昂するエンヴァレンス公爵を止めるため国王の近衛兵が動き出そうとしました。しかし、踏み出そうとした足も、剣に添えようとした手も、石化したかのように動けなくなっています。
「過去の王家の伴侶へ与えていた栄光の勲章と同じ様な魔道具を贈られても、リリアーノが大丈夫だと!公爵家に負担をかけたくないと!そう言うから我慢してきた!それを知らぬと思い増長する王家など主君と仰ぐに値しない!」
栄光の勲章とは王家の伴侶となった者を縛る、表向きは最上の誉、実際は身につけた者を隷属させ魔力を一方的に奪い続ける奴隷の魔道具です。
人格を壊すほどの隷属ではありませんが、個人の自由を縛るには十分過ぎる効果があります。
奪われた魔力は国の防衛の為に遣われるものの、本来その防衛に使う魔力は王家が負う責務でもあるため、厄介事全てを王家の伴侶に押しつけているとエンヴァレンス公爵家は代々子供達に教えていました。
リリアーノ様はご自分の魔力が国の防衛に使われるなら、と隷属の効果だけを打ち消し、今なお魔道具に魔力を奪われ続けているのです。リリアーノ様の力を持ってすれば魔道具自体を壊すことも可能だというのに。
「ならば我を討ち反逆者となるか?エンヴァレンス?」
自分の優位を疑わない国王はエンヴァレンス公爵を嘲笑いました。過去に1度たりともエンヴァレンス公爵家が王家に刃を向けることは無かった、という驕りもあったのでしょう。
「他者の犠牲を踏みにじり、その上に立っていることを忘れた王家を討つのは我々エンヴァレンス家の役割じゃない。…エンヴァレンスの一族は公爵の地位を破棄してこの国を棄てる!…二度と会うことはないでしょう」
いつの間にかエンヴァレンス公爵、いえ元公爵の近くに集まっていたエンヴァレンス家の面々は悲しそうに笑い魔道具を外したリリアーノ様を抱きしめていました。
連れていた従者達もその近くに寄り添い、やっと触れ合えた兄姉とリリアーノ様を微笑ましそうに見つめています。
「その者達を捕らえよ!」
魔力の動きを感じた国王の命令が響いた瞬間、エンヴァレンス家の方々を中心に光が渦巻き王家やリリアーノ様の糾弾に関わった者達を除く半数以上がその場から消えていきました。
呆気にとられる者達だけが残ったとき、王家と王家に媚びへつらう者しかその場にいないのです。近衛兵ですらそれほど残っていません。
石化の解けた近衛兵達がその場を探しても、消えた人達はどこにもいませんでした。
後に衰退の期と呼ばれる王国の崩壊はこの時より始まったと言われます。
リリアーノ様を始め、国の防衛を担っていた王家の伴侶や上層部の誠実な貴族、権力はそれほどないものの民を大切にする貴族、そしてその貴族達を慕っている領民が全て王国から消えたのです。領民だけではなく、領地、建物、田畑、鉱山、森林、泉、動植物などその土地にあった全てが消え、もともとそれらがあったところは土とも言えない灰色の地面が広がっていきました。
税収の大部分を担っていた領地が消え、残ったのは強欲な貴族が私腹を肥やすために圧政を強いた収益の少ない領地と王都だけです。
そして王家に媚びへつらっていた貴族は今までの生活ができなくなったと悟ると次々に国外へ逃げ出しました。圧政を強いられていた領地の領民が貴族と王家打倒を掲げ、残った貴族達全員を襲い始めたからです。王族から臣下に下った公爵や長い歴史を持つ侯爵家も襲われ、溜め込んでいた金品や食料を奪われ、殺されていきました。
王家であっても同様で、臣下であった貴族から襲われることもあったようです。
そうして革命と政変を繰り返した後、灰色の地が作物も育たず人も住めなくなったその王国は滅びたのです。
「お姫様はー?リリアーノ様は幸せになれたのー?」
ああ、可愛らしい子達が物語のお姫様の行く末を気にしています。優しく、賢い子に育った事がどれほど嬉しいことか。
「消えた全てのものを別な地に移したエンヴァレンス家とリリアーノ様は色々な苦難はありましたが、それを乗り越え幸せに暮らします」
「良かったー!幸せになれなかったら、お姫様、可哀想だもん」
話を聞いていたのは齢10歳を迎えた、もう少しで大人と同じ扱いを受ける子供達。
近くの子と笑いながら自分のことのように喜べる、なんと素直な子達でしょう。
「そろそろお家に帰りなさい。お母さんやお父さんが心配しますよ」
暮れかかる空を見て帰りを促せば離れていたところで遊んでいた、それぞれ家の近い子や弟や妹を連れて帰って行きます。ああ、私も連れて帰ろうとしたことがありましたね。
「ふふ、あの綺麗な魂を一緒に連れて帰りたかったけれど我慢して良かった」
私が見つけたリリアーノ様の魂はそれはそれは美しく、母体にいるうちに天へ連れ帰ってしまおうかと思ったほどです。リリアーノ様が魂だけの状態でも家族から離れたくないと仰るので、せめて綺麗な魂のままいて欲しいと殊更強く祝福してしまったせいでリリアーノ様に苦労をかけてしまったのは大きな反省点でした。
それでも家族といたいと願ったリリアーノ様を支えたエンヴァレンス家の方々は素晴らしい。ここまで見てきたからこそ、私は満たされているのですから。
もう少しでリリアーノ様、今はリアと呼ばれる魂が天に招かれるでしょう。天命を全うしてなお穢れなかった魂。
今度は私とのお喋りに少し時間を貰いたいですね。
ああ、あの王国は人間達にとって見本となったでしょう。
自分が最上位などということは有り得ない、誰かの幸せを踏みにじって幸せは手に入らないと。