浸食される現実
「おはよう。」
最悪の目覚めだった。
あの夢も見ることなく久しぶりに熟睡出来たのだが……
「とりあえず、降りろ」
目が覚めたら女に跨られていた。
こいつ、東との生活が始まって3日目。
俺はこのわけのわからない状況に立たされていた。
これを美味しい展開と考えられるなら、どれだけ幸せだったか……
初日は何度も包丁が飛来し、二日目は寝てる俺に鍋の直撃だ。
そう、こいつは致命的に料理が下手だったのだ。
「こんな起こし方は嫌い?」
首を傾げながらこちらを見つめている。
悪くはないんだが……
「このまま首でも絞められるのかと思ったぞ。」
ドサッ
跨っている東を振り落とし立ち上がる。
”繋がりを薄めるためにも……しばらく私と暮らしてもらうわ。”
そう東は言ったが、これじゃあまるで新婚さんの朝風景だ。
俺はいつまでこんなオママゴトに付き合わなければならないんだ……
考えただけで頭が痛くなってくる。
「朝飯は出来てるぞ。 今日のは自信作だ。」
食卓に並んでいるのは真っ黒な卵焼きらしきもの、洗剤の匂いのする白飯。
こんなもの食えるかぁ!
と、ちゃぶ台返しでもしたい気分だ。
俺の平穏は何処に……
当然ながらこいつは学校にもついてくる。
こんな巫女服の女が一緒にいたら目立って仕方ないものだが、俺にしか見えないというご都合主義能力までお持ちらしい。
憂鬱だ……
「そんなに私と暮らすのが嫌なの?」
また人の心を読んだのか、彼女はストレートに聞いてくる。
こっちの考えが筒抜けなのはいい気分ではない。
「別に考え読まなくても顔に出てるわ。」
そうか、俺はそんな単純人間だったか……
もしくは顔に出てしまうほどに嫌な顔をしていたかだ。
どの道、あの悪夢から解放されるには今の生活に耐えなければならないわけで……
「……」
相手にしてもらえないでつまらないのか、彼女も口を閉ざす。
とりあえず今は我慢するしかない。
つんつん
後ろの席から背中をつつかれる感触……
紙切れが手に受け渡される。
”今日の放課後屋上で待ってるぜ。”
和也め、一体何の用事だ……
「悪ぃな、わざわざ来てもらって。」
フェンス越しの空を見つめながら、背後の俺に和也は話しかけた。
がしゃっ
フェンスから手を話してこちらに向き直す。
和也の顔はいつになく真剣だった。
「実はな、どうしてもお前に伝えなきゃいけない事があってだな……」
「いったいどうしたんだ?」
数歩前へ進み、俺に近づく。
「実はな、ずっとお前の事が……ひでぶ!」
俺の華麗なアッパーが和也に炸裂する。
「もう帰っていいか?」
和也は地面でピクピクと痙攣している。
まぁ死ぬことはないので無問題。
「冗談だ冗談! 俺な、もうすぐ引っ越すんだ。」
「ん?」
まだ悪ふざけが続くのかと思い振り返る。
和也は表情が見えないように俯いている。
「お前とはずっと仲良く悪ふざけ出来ると思ったのにさ、急にだぜ?」
表情は見えないが声音で和也の悲しみがよく分かる。
「親って勝手だよなぁ……ちくしょう!」
「和也、本当なのか?」
「……」
無言の肯定が返ってきた。
「別れが辛い?」
隣に座っている東が尋ねてくる。
「……」
ベッドで横になっている俺は東に背を向けた。
ショックじゃないといえば、嘘だ。
和也とは長い仲だし、あまりにも唐突すぎて何をしようかという考えも浮かばない。
「お前はほんとに分かりやすいな。」
後ろでひんやりとした雰囲気がしたような気がした……
別に気にすることもなく俺は眠りについた。
……まただ。
「……」
狐のお面をつけた女と俺は対峙していた。
ここ数日お目にかかることはなかったのだが……
「悲しみか……お前は本当に極上の餌だ。」
しゃべった……?
初めてソイツは言葉を放ったのだ。
「何故驚く? 何か不自然な事でもあったか?」
ソイツは微笑を浮かべながらこちらを見ている。
俺は体が石になったかのように体が重くて動けなかった。
それにしても何故また現れたのだろうか?
「妾が現れた事を疑問に思ってるようじゃな。」
こいつも東と同じように俺の心を覗いてきやがる。
「答えはいたってシンプル、妾が現れなかっただけじゃ。
あんな小娘の力で妾をどうこう出来るわけがないわ。」
なら俺は東に騙されたのか?
なんのためにあいつと一緒に生活しなければならなかった?
「大事な事を伝え忘れるとこじゃった……
あの男……死ぬぞ?」
あの男……?
「お前のその強い悲しみがあの男を殺す。
よく覚えておく事じゃ。」
「待てっ!」
……ガバッ!
もの凄い勢いでベッドから起き上がった。
体中汗だらけになっていた。
……東がいない?
時計を見ると深夜1時を差していた。
俺は嫌な予感がして家を飛び出した。
「はぁ……はぁ……」
踏み切りの近くで東を確認して、俺は目の前まで走った。
彼女は俯いて何も言わない。
「何かあったのか?」
「……ごめんね。」
俯きながら謝る彼女。
その表情をうかがい知ることはできない。
しかし、声の震え方で泣いている事は分かった。
「何があった?」
もう一度俺は尋ねた。
彼女はそっと指差した。
その指差した先に視線を移した。
――救急車のに乗せられる和也の姿。
……え?
目の前が真っ白になる。
時が止まったかのように、静寂が支配した。
全ての五感が消えうせる。
「何が、あった……?」
もう一度だけ、東に尋ねた。
しかし、彼女が口を開く事はなかった……
お互い何も話さず部屋に戻った俺達は、お互い睨みあうように向かい合って座っていた。
「話す事が無いなら俺は和也の所に行くぞ。」
正直今は和也の方が心配だ。
すぐにでも病院へ向かいたいところだ。
「待って。」
立ち上がろうとした俺を、彼女の腕が掴んだ。
「俺は和也の所に行く。 話が無いなら放せ。」
「あれは奴の仕業……
今外に出たらあなたも殺されるわ。」
”お前のその強い悲しみがあの男を殺す。
よく覚えておく事じゃ”
あの言葉が脳裏をよぎる……
「じゃあどうしろって言うんだ!
俺はどうすればいい!?」
乱暴に彼女の腕を振り払い俺は叫んだ。
わけの分からない奴に命を狙われ、
わけの分からない奴と一緒に住まわされ、
いい加減うんざりだ!
「私が奴を倒す。
条件が揃うまで少し早いけど……
やるしかない。」
それが自分が来た役割だと、彼女は最後に付け加えた。
「呼んだかのう?」
「!?」
背後から声がして振り向くと、奴が立っていた。
今はお面をつけていて表情をうかがい知ることはできない。
東は奴を睨み続けている。
「そう睨むでない。 妾に用があるのだろう?」
「えぇ、そうよ。」
奴は、ほほぅと答え東に歩み寄る。
彼女の目の前で立ち止まり、お面を外した。
やはりそこには東と瓜二つの顔があった。
「どうやら賭けは妾の勝ちのようじゃのう。」
奴はうっすらと笑みを浮かべた。
東は何も言わずに目を瞑っている。
「その代わり、彼には手を出さないで。」
「よかろう。」
微笑を浮かべ、奴は右手を東に掲げた。
――さよなら
そう、彼女の口が動いたような気がした。
その刹那、奴は消えうせた。
ドサッ……
倒れこむ東を残して……
機会は誰にでも与えられるものではない。
人生とは、人とは、不公平である
では、自分はどうか?
持つ者か持たざる者か。
凡人か非凡か。
「その選択はお主にはないさ。」
暗闇の中に浮かぶお面の女の姿。
俺には選択すら与えられないと?
自分でも、なぜこのような思考に耽っているのか理解できない。
「なら問おう。 お前はこの女をどうする?」
暗闇に照らし出される倒れた東の姿。
どうする?
それは選択するような事柄だろうか?
俺は東をどうしたい?
「助けたいか? それともこのまま見ぬ振りをするか?」
俺は……
東は確かに俺を助けてくれる事もあった。
しかし、共同生活を強いたり、変な事件に巻き込まれたりと、ろくな事がなかった。
このまま彼女を忘れれば、俺は日常に帰る事ができるだろう。
――本当にそれでいいのか?
頭では見捨てろという。
しかし、心の奥底では彼女を救えと訴えている。
”さよなら”
何故か、彼女から受ける既知感。
俺は彼女に会っているのかもしれない。
それは漠然な思いではあるが、俺の背中を押すものでもあった。
「どうやったら助けられる。」
面の中で女は笑った。
「お前を彼女の記憶の中に送りだしてやろう。
代価はそうじゃな、お前の魂だな。」
魂……?
「なんだそれ、俺の命よこせって事か?」
「まぁそうじゃな、ただしお前がこの女を助けるのに失敗した場合じゃ。
悪くない取引じゃろ?」
「――いいだろう。」
自分でも驚くほど簡単に答えを出した。
今、自分を突き動かしているこの思いは、自分でも分からない。
でも、行かなければならない。
きっとこれは、運命だから。
「今更、嫌と言ってもやめんぞ? 覚悟はいいな?」
「あぁ、やってくれ。」
俺はあぐらをかいてその場にどっしりと座り込んだ。
そのまま目を瞑り、その時がくるのを待つ。
「――」
お面の女が何か呟いたようだったが、それを聞き取る前に俺の意識は闇に沈んだ。