五月雨ジャンピン 4 (完結)
夢じゃない。明けた木曜日の早朝。私は霞真淵神社の石段に座っていた。今朝も霞が濃い。昨日寒かったから学校指定のダサいカーディガンを着ていたけど、今朝は不思議と寒さを感じなかった。
気のせいか、私を包む霞が暖かい気がした。石段も座っている内にすぐに温まった。勇気づけられている気がした。料理に手間取って寝不足だけど、元気が湧いてくる。
スマホで、案外見るのを忘れがちな6-3残党会全体のSNSを見ていた。霞ヶ丘高校に進学しなかった皆も、それぞれの暮らしをしていた。
私はSNSを閉じて、残党会のアドレスを開いた。二十九人のアドレスの内、連絡できない子三人、答えてくれない子が一人いる。
連絡できない三人は、私達が六年生の時に病気でなくなった子が一人。中学で自殺した子が一人。少年院に入ってる子が一人。答えてくれない子は引き込もってる。
他の大半の子は普通の高校生の範囲だったけど、中には妊娠して堕らさず一人で子供を育ててる子や、高校行かずに職人の修業したり家の仕事したりしてる子、フリーターしてる子、芸能活動してる子、何もしてない子もいた。
そうだよね、そうだよね、って思う。私達一人一人が残党。今はバラバラになってどこかにいる。もう会わなくても、皆どこかで勝手にしていて、ちょっと変な事になったりして、慌てて、取り繕って、ズルもして、きっと私と同じ事してる。それができなくなった子達も今日があればきっとそうしてた。
私、大丈夫だ。
私はアドレスも閉じて電源を切ってスマホをスクールバッグにしまった。
目を閉じて、六年生の時、結衣も一緒に舞った八乙女神楽を思い出す。その場にいるように思い出せた。
龍笛が響く。私と結衣は対の位置にいて、緋袴に小袖の上に千早を羽織り、白塗りに紅を差した人形のような顔で、二人とも神楽鈴と榊を持って舞っていた。真澄が見とれるのもわかる、結衣は本当に綺麗だった。
その日、辰彦もその場にいたと言っていた。子供の辰彦。六年四組の辰彦。その頃、私は『剣道やってる子』としか辰彦の事を知らなかった。
四組には組単位のSNS何て無いそうだ。いつまでも拘って様子を知らせ合ってる私達の事を、辰彦はたぶん不思議に思っていると思う。
結衣は『外』と『中』って言ってた。私は、ちょっと変な事もしちゃったけど今度は、今度はね。『外』を選んでみようと思う。そうしよう。
そんな事を考えながら暫くは目を閉じたまま、記憶の中の龍笛を聴いていた。
と、チリンっ! と鋭く自転車のベルが鳴った。来た。
私が目を開けると、神社の石段の下に、自転車を押した真澄と、来た傍から怒った顔の結衣がいた。あの頃からそのまま大きくなって、やっぱり綺麗な顔をしている結衣が何だか可笑しかった。
「香織っ! 何のつもり?! 朝6時半に呼び出しって一方的過ぎるっ。電話も繋がらないし」
「朝食も抜きでって、メールにあったけど、弁当でも出るのかぁ?」
結衣は怒り、真澄は苦笑しながら石段の下から言ってくる。
「お弁当あるよぉっ! おいでっ!」
私は弁当箱を二つ掲げて見せた。結衣と真澄は顔を見合わせて、真澄は自転車をその場に停めて、二人は並んで石段を上り始めた。
「香織っ、お前は時々貴代より面倒だよっ!」
「山元から大丈夫って電話あったけど、何話したんだ?」
「三瀬っ! あんたが余計な事するからだよっ」
「元カノを自転車の後ろに乗っけただけだぜ? 話、あるっぽいのに放っておけっていうのかよ?」
「自転車を停めて、その場に立ち止まって用件を話し合えっ」
「何だよそれ? 遅刻するよ」
「なら、あんたは自転車を漕いで、香織は走らせて、並走した状態で話し合えっ!」
「はぁ? 千石、それ難しいわっ、はっはっはっ」
「わ、笑うなっ」
「笑うって、お前の発想っ! はっはっはっ!」
「ぐぅっ」
上りながら話してウケる真澄。顔を真っ赤にして焦る結衣。そうそうこの感じ。私じゃ真澄をこんな風に笑わせられないし、誰もこんな風に結衣を焦らせられない。
私は、今日まで二人に悪い事したかな? ってどっかで思ってたけど、そんな風に考えるのもうやめる。
私の『好き』は初めてキスしても、初めて抱き合っても、初めて独り占めにしても、真澄には届かなかった。結構ダメージ小さくなかったんだぞ、って二人にちょっとだけわからせてやったんだ。そう思う事にした。
最初に横入りしてきたのは結衣の方だしね。これで、お相子。
二人は座っている私の前まで来た。
「はい、お弁当」
私は二人に包みの結び口に割り箸も差した弁当箱を差し出した。二人は真面目な顔で、すぐには受け取らない。
「結衣はバイト明けだから、あさり御飯だよ。山元にレシピ聞いて、美味しくできた。真澄も同じでいいよね?」
「香織」
「言わないで」
真澄が弁当箱を受け取りながら何か言おうとしてきたから、私は止めた。最後にここは、甘えさせてほしい。
「山元のレシピなら間違いなさそうね」
結衣は弁当箱を取って「ほらっ」とまごつく真澄も促して、私の隣に座った。真澄はその隣に座る。結衣は最初に会った時も最初から怒ってたけど、結局いつも優しい。
「お茶は?」
「これ、飲んで」
私は蓋がコップになる水筒1本を結衣に渡し、真澄にはプラスチックのコップを渡した。
「あんたの分は?」
私はスクールバッグを肩に掛けて立ち上がった。
「私は、これから辰彦と仲直りしてくる」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃなくても、私の事だよ?」
私は真澄を見詰めて、真澄も私を見ていた。
「じゃ、二人とも、行ってくるね。バイバイっ!」
私は笑って言って、転ばないように気を付けて石段を足早に下り出した。
「頑張れよっ!」
叫んでくる真澄。私は振り返らずに石段を下りきった。
「香織っ!」
石段の上から結衣が叫んできた。私は小さく息を吐いてから、振り返った。霞の向こうで、結衣が弁当箱を持ったまま立ち上がっていた。
「こんなの『貸し』じゃないからっ! わかった?!」
「結衣っ! わかったっ!!」
応えて、私は霞む神社の石段に背を向けて走り出した。辰彦の家まで、少し遠い。でも走るのは得意だ!
私は玄関のドアからおろおろした様子で顔を出した、もうYシャツにスラックス姿の大柄な辰彦のお父さんに、すぐに頭を下げた。お父さんの後ろに心配そうな辰彦がいた。
「昨日はいきなり帰っちゃって、どうもすいませんでしたっ!」
「いやっ、いいんだ。いいんだよ、香織ちゃん。頭を上げて」
お父さんは慎重そうに頭を下げたままの私の肩を掴んで、顔を上げさせてくれた。お父さんの手は辰彦よりも固く大きかった。この二人は親子何だなって思う。
「すいません、あの、きんぴらごぼうと小松菜のお浸し作ってきました」
私はスクールバッグから料理が入った容器を二つ取り出した。最初から神社から走るつもりだったから普段使わないアウトドア用のちょっと重い、しっかり密閉できるやつに入れてきたから汁が漏れたりはしてない。
「ああ、悪いね。気を遣わせてしまって」
「いえ、好きでしたよね? きんぴら。途中で走ったから中が混ざっちゃいましたけど」
「香織、中に入ろう。朝御飯、食べよ?」
辰彦が上がり框の所から優しく言ってくれた。
それからダイニングの椅子に座っているように言われて、座ると、走って汗だくだったからオレンジジュースを出されて、タオルまで渡されて、出羽家の男達はあたふたと朝食の支度を始めた。
お父さんは昨日の残りの味噌汁を温め直して刻んだ葱を入れて、だし巻き玉子も焼いてくれた。辰彦は私が持ってきたきんぴらとお浸しを皿に持って、御飯をよそって、梅干しと味付け海苔を出して、お茶を淹れてくれた。私のお浸しは混ざってしまって温サラダみたいになってる。
「さぁ、食べよう」
私の隣に辰彦。私達の前にお父さんが座っている。誰よりもお父さんが緊張していた。全員かしこまって、それぞれ手を合わせた。
「頂きます」
私達は声を合わせて言って、食べ始めた。
「ああっ、このきんぴらっ。いい味だねぇ」
「親父、大袈裟」
「馬鹿やろっ! 辰彦っ、香織ちゃんが作って、朝から走って持ってきてくれたんだぞっ?! もったいないと思えっ」
「あー、はいはい」
「ふふふっ」
私は笑ってしまい、つられて辰彦とお父さんも笑ってくれた。
「お父さん、玉子焼き、甘くてとっても美味しいです」
「いやっ、そんなっ。香織ちゃん」
照れるお父さん。
「香織、大袈裟だよ」
「馬鹿やろっ! 辰彦っ」
「ふふふっ」
玉子焼きは本当に、こんなゴツゴツした岩みたいな人が作ったとは思えない程、ふんわりしていて美味しかった。
「香織ちゃん」
お父さんは急に真面目な顔をしたから、私も食べる手を止めてお父さんを見た。
「コイツは案外モテるようなところがあって、ちょいちょい彼女を紹介してくるんだが」
「親父?! 何だ?」
「いいから黙ってろっ。コイツは、面白味の無いヤツだから長続きしたためしがないんだ」
「辰彦君は面白いですよ、ちょっと・・・・」
この際だから、言っちゃおう。
「重たいけど」
「いやっ、香織っ?! それは、まぁ」
辰彦はがっくりした。
「ほらっ、言われてるじゃねぇか? カラオケにも行かない、マメに電話もしない、休みの日も部活部活。お前、女を舐めてんのかっ?!」
「親父に『女』の何がわかるんだよっ?! カラオケ関係無いだろ?!」
私は二人の言い合いにまた笑わされてしまった。
「とにかくっ、だ。香織ちゃん」
「はい」
「私は、こんな仕事してるから、余計に思うんだよ。人はやっぱり仲良くした方がいいってね」
「はい」
「辰彦と、付き合えるだけでいいから」
「親父」
「黙ってろ。付き合えるだけで、いいから、仲良くしてやってほしい。頼むよ」
「はい。よろしくお願いします」
私はまた頭を下げた。
「香織」
「香織ちゃん」
辰彦とお父さんはちょっと泣きそうになってた。ホント、親子だね。お父さんの片頬には古い刃物の傷痕がある。詳しい事は私はまだ知らない。辰彦のお母さんが何で家を出て行ったのか、それも詳しくは知らない。
出羽家は極端かもしれないけど、まるで知らない人と知り合ってゆくって不思議だ。あなたのこれまでや、傷を私は知らない。あなたも私がどんな風に暮らしてきたか、知らない。
全部知る必要はないんだろうし、話しだけ聞いても、同じ時間にいたワケじゃないから、知りきれないよ。辰彦、その不安をあなたにも感じさせてた。ごめんね。
「醤油、取って」
「ああ」
「ありがと」
私は辰彦が取ってくれた醤油を小松菜のお浸しにかける。今朝のこの食卓での事も、いつか私達だけが知る出来事になる。その時、私達が二人でも、一人でも。
私は少し震えたりしながら、箸を進めて、辰彦とお父さんとの朝食を、食べ終えた。
その日の放課後、また雨が降っていた。これからどんどん梅雨が近付いてくる。霞ヶ丘では梅雨に、連日濃い霞が発生して交通規制や夜間外出の注意喚起のサイレンやアナウンスが度々出されるようになる。
実際事故や川等に落ちて、そのまま行方知れずになる人が毎年のように出る。嫌な季節になる。
でも今は部活だ! ラケットを構えた私は『斜め』の練習で、もりまっちゃんとネット越しに対峙していた。
もりまっちゃんがロングサービスラインの向こうの片端からネット前の私にドロップとクリアーを連打してくる。
「香織っ! どしたぁっ?!」
「来いよぉっ!」
煽る、もりまっちゃんに応える。
ジャンプは怪我しやすいし、切り返しが遅くなるからあまり跳ぶなと指導されていた。けど私は背が低く、腕も別に長くない。
「はーいっ!」
気合いを入れて、跳び上がって食らい付いて、私は打ち返す。
「ファイトファイトぉっ!」
もりまっちゃんは叫んでシャトルを何度も何度も、打ち込んできた。