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五月雨ジャンピン 2

 部活の後でSNSで辰彦に『お先。外、雨降ったよ。夜電話するね』とだけ書き込んだ。剣道部の男子は制限されてる午後7時15分まで練習している。気を遣うから、会わない日は帰るの待ったりしないルールにしていた。

 家に帰ってお風呂から上がって、夕飯前だけど水やお茶じゃ部活で使ったエネルギーを回復できないから牛乳を台所でゴクゴク飲んでいたら、母に父が今日はわりと早く8時半頃帰るからそれまで夕飯を待つように言われた。

「飢え死にするってば」

 と応えて、牛乳もう一杯と冷蔵庫にあった菓子パン一つを持って取り敢えず部屋に引っ込む事にした。

 このまま台所でうろうろしていると、あれこれ家事を手伝えとか、この間の中間テストの結果とか、真澄を見習ってアルバイトしろとか、毎日牛乳飲んでもチビだねとか、母はあれこれ煩い。

 特にいい加減、真澄とセットで考えるのをやめてほしい。付き合って別れたの知ってるくせに、ちょっとヒドいと思う。『チビ』に関しては母も背が低いから、あんたのDNAだと言ってやりたい。


「俺は三重でマグロを育てる事になった」何て言って進学して家を出てから、無人になって静か過ぎて気味が悪い兄の部屋を素通りして自分の部屋に入る。

 中学の時は自分の部屋に鍵を掛ける事に拘って、度々鍵を掛けたまま鍵を無くしたりどっかに忘れてきたりして、大騒ぎして兄や母にバカにされてたけど、今はもう鍵は開けっ放しにしている。さらば中二病。さらば誰とも付き合ってなかった頃の陸上部で日焼けし過ぎな私。

 部屋に入って、菓子パンの袋を口にくわえて空いた手で本棚の上にマッチ箱みたいな小さいスピーカーと一緒に置いてある携帯音楽プレーヤーの電源を入れる。適当に組んであった去年流行った曲が踊るように流れ出す。このスピーカー、チビだけど最高。私もチビだからちょうどいい。

 曲は、芸能ニュースで『コイツは叩いてもいいヤツだ』って判断されて、しつこくボッコボコに批判されてた不倫ボーカルのバンドの曲。私の中の『不真面目さ、不誠実さ、不義理さ』のパワーがどんより高まる感じ、上がるっ!

 軽くお尻を振って曲に合わせて踊ったらコップの牛乳を溢しそうになって慌てた。

 私は小学生の頃から使っている、使い易過ぎて何だか恥ずかしい『学習机』の前の回転椅子を引いて座り、コップを置き、机の上に置いておいたスマホの電源を入れ、スマホをイジりながら菓子パンを食べてやろうとくわえていた菓子パンの袋を開けてパンにかじり付いた。

「んっ?!」

 あまりの美味しさに驚愕する。

「香ばしさの中にもハッキリとした全粒粉の主張がある。ふっくらとしていながらしっとり。甘過ぎず、それでいて甘いっ。定価100円でこのボリューム、このクオリティ。神戸屋か、この会社・・・・就職したいっ!」

 何て言いながら、スマホを放置して夢中で菓子パンを食べ、牛乳を飲み、あっという間に完食した。

「ふうっ」

 ため息をついて、少しゲップもして、私はスマホに取り掛かった。

 まずクラス全体のSNSをざっと読んで、大した事話してなかったから菓子パンの袋の写真をスマホで取って『このパンの実力、はんぱない。口に吸い込まれたっ!』と書き込んだ。

 すぐに『中身www』『食べ終わったのかよっ』『吸い込まれたwwww』『急になんだよ』『工藤、パン好きだなぁ』『神戸屋か』『ウチもこれ好き』と反響はあったが、キリがないから『じゃあね』と書いて適当にスタンプを貼り、クラスのSNSからは去った。

 次に3班以外の霞ヶ丘高校の女子の友達のSNSを見てみる。書き込み少なっ! 普段の事はクラス全体のSNSに書き込んじゃう子多いからなぁ。

 やっぱ人多い方が面白いし、また私の友達は結構クラスがバラバラだったりして、自分のクラスのSNSに書いた事をまた友達のSNSに書き直すのめんどくさいってのもある。

 私、個人に用のある子は普通にメールくれるしね。今日、メール2件だけど! もりまっちゃんから明日の部活の連絡事項が1件。山元から飼ってる猫のムー太郎の写真が1件。もりまっちゃんっ! 山元っ! あんた達だけが頼りだよっ。

 高校では一番仲いい、もりまっちゃんはそもそもSNSあんまりやらない子だし、まぁ、こんなもんか。お義理程度に書き込みして、さっさと女友達のSNSからは去った。

 3番目は私達の代の霞ヶ丘小学生六年三組の卒業生の内、霞ヶ丘高校に進学した七人で組んでる。『6-3残党会 3班』のSNSの見る。開いた途端、結衣が貴代に延々と『お前は人として不真面目である』と説教し、野間がちょいちょい貴代のフォローに回っていた。

 書き込んでたのは千石結衣、八木貴代、野間宏一の3人だけなのに、やっぱ濃いなぁ、3班。私は笑ってしまう。

 椿は彼女とデートでたぶん今夜はSNSに参加しない。真澄はもうバイト終わってるはずだけど、元々少ない書き込みが最近益々少なくなっていて、今もSNSを見てないと思う。

 私達はとっくに別れていて、それはもういいんだけど、友達付き合いでも疎遠になるのはちょっと違うんじゃないかって思う。でも、それは私にはどうしようもない事でもある。

 切り換えて私は、ちょっと『不真面目な』でも軽快なBGMを聴きながら、頭に血が昇って説教書き込みが止まらなくなっている結衣を余計怒らせないよう注意しながら『血圧高っ』とか、軽くイジって3班のSNSに参加し始めた。

 そう言えば、山元も参加してない。家がダイニングバーをやってるから手伝ってるのかな? 基本的には付き合いのいい山元だけど、夜だけ、時々連絡がつかない日があった。ま、いっか。



 3班SNSがもう全然関係無い話で意外と盛り上がって、気が付くと8時20分を過ぎていた。やっば。父が帰ってきて、夕飯になると、手が空くのが9時過ぎてしまう。

 私は3班のSNSを『のっぴきならないアレなんで』ときっかけは忘れたけど、3班に限らず残党会のSNSで使用頻度の高い便利な決まり文句を書き込んで、スタンプ代わりに今日山元から送られたムー太郎の画像を貼って3班のSNSを切り上げた。

「掛けるかぁっ」

 私は呟いて、気が付くと去年ちょっとだけ流行ったベッタベタのラブソングのBGMを流していた携帯音楽プレーヤーの電源を切った。

 私はこれから辰彦に『電話』を掛ける! 部屋は『無音』がいい。普段、親と3班メンと、もりまっちゃん以外に電話を掛ける事何てあんまり無いから、無駄に緊張する。

 真澄もそうだったけど、辰彦は真澄以上にSNSあんまりやらない人だから、私と辰彦のSNSのやり取りは殆んど用件の書き込みだけ。それ以外はメールか電話でのやり取りになる。辰彦は優しいけど、付き合うハードルはそんなに低くない。

「よしっ、やれる。できる! 工藤香織は出羽辰彦の彼女。彼女が彼氏に電話を掛けるのは自然の摂理。摂理なら普通。普通なら出来る。私は普通。普通の私・・・・ふぅ」

 スマホを手にブツブツ言って、ため息をつき、心を落ち着けた。

 私は辰彦に電話を掛けた。

 家だと特に、スマホを手近に置いていない事が多い辰彦はコール7回で出た。

「あ、ごめん。スマホ近くになかった」

「うん。今、家?」

「そう。親父が弁当買ってきてたから食べてたところ。親父はすぐ出掛けてったけど」

「事件?」

「ああ、逃げてる連中は9時から5時で活動してないからさ」

「だよねぇ」

 相槌を打ちながら、この真面目な人は、お父さんと同じようにあまり家にいれない人になるんだな、と思う。

「あのさ! 辰彦」

「ん?」

「明日、夜、ちょっとだけ会おうよ」

 週の後半はいつも木曜に会っていた。金曜は二人とも部活は無く、替わりに塾があるけど辰彦は遅いコマまで授業を取ってるから会い難い。土日は辰彦の剣道の予定次第。

 それで木曜日に会ってるから、水曜部活の後で会う事はこれまであまりなかった。

「いいけど、どうした? 何かあった?」

「何も無いよ。ただ・・・・会おうよ」

「わかった。会おう、香織」

 こうやって、スパっと真っ直ぐ答えてくるんだよ辰彦は。こっちがふにゃふにゃした球をいい加減に投げてもばっちりキャッチして、凄い速球で返してくる。私はそれを受け止め切れなくて、よろめいてしまう。

「うん。あ、さっきさぁっ、菓子パン食べてさぁ」

 私はクラスのSNS何て見ない辰彦に、また菓子パンの話を始めた。そりゃあもう、必死で、だよ?



 水曜日の朝、街にうっすら霞が掛かっていた。私達の住む街、霞ヶ丘はその名の通り霞が掛かり易い。江戸時代初期に開拓されるまではこの辺りは丘陵地帯でありながら窪んだ場所は全て湿地だったらしい。

「寒っ」

 霞のせいか、体感温度が低い。家から出た私はダサいけど、学校指定のカーディガンを着てくればよかったと少し後悔した。

 また家に戻るのは面倒だから仕方無くそのまま家の前の道を歩いていると後ろから自転車のベルを軽く鳴らされた。振り返ると、先月盗まれた自転車の代わりに中古自転車を買い直した三瀬真澄、私の元彼だった。

 真澄は私の近くで停まった。

「よぉ、香織。菓子パンばっかり食ってるとまた太るぞ?」

 クラスのSNS見たらしい。

「煩いっ、『また』って何だよっ!」

「はははっ、じゃ、なっ!」

 真澄は笑って、さっさと自転車で去ろうとした。

「あっ、真澄っ!」

 思わず呼び止めちゃったよ。真澄も振り返ってきたけど、案外真面目な顔をしていた。私は益々焦った。

「いや、別に用は無いんだけどさ、ほら、最近あんたウチら3班と付き合い悪くない? ほら、ね? 違う違うっ!」

 じっと見てくる真澄に私は本格的にあたふたし始めてしまった。

「結衣はピリピリしちゃうし、貴代は変な感じになり易いし、野間じゃフォローし切れないし、山元は付かず離れずなところあるし、椿は元々大人っていうか、距離置いてるから。ほら、アレだよ! 私以外にも、もう一人くらい間に入るメンバーがいないとさっ」

「乗ってく?」

「え?」

「後ろ、乗ってく? 久し振りに」

 真澄は自転車に荷台を示した。

「いいの?」

「早く、タルいから」

「タルいってっ」

 ちょっとムッとしながら、私は去年別れて以来、初めて真澄の自転車の荷台に座った。

「足、気を付けて」

「わかってる」

 後輪のハブに足を置き、スクールバッグを肩に掛け、体を寄せ過ぎないように慎重に真澄の肩を持つ。

「スカート敷いてるか? パンツ全開になってない?」

「なってないしっ!」

「ならいいけど」

 真澄はゆっくりと自転車を発進させた。この感じ、懐かしい。

「今日サービスいいね。どしたの?」

 真澄は答えずに少し黙って自転車を漕いでいたけど、

「出羽と何かあった?」

 やっぱり聞いてきた。山元なら適当に話を合わせてくれるんだろうけど、真澄は真澄だ。

「ちゃんとしてるんだ、辰彦。私の事、凄い大事にしてくれる。男らしい。将来刑事になるって、ホントにそうなる人だと思う」

「重いんだ」

 ぐっ、と言葉に詰まってしまった。

「・・・・もっと、ふぁ~って付き合いたい。楽しいね、って。高校生っぽいね、って。あんたと初めて付き合って、何か、最後は喧嘩ばっかりになっちゃったから、何か、もっと、ふんわりしたやつがよかった」

 言ってしまった。手が震える。

「ちゃんと掴まれよ、落ちるぞ」

「うん」

 私は精一杯、真澄の肩を掴んだ。痛いんじゃないか? って思ったけど、真澄は何も言わない。

「出羽に、そういうの話してみたらどうだ?」

「大丈夫なのかな?」

「それはわからないけど、俺も、部屋の縫いぐるみに話し掛けるのと同じじゃないから」

 真澄は何だか難しい事を言ってきた。

「えー、今のどういう意味?」

 真澄はため息をついた。

「とにかくっ、色々ちゃんとしろって事だよ」

「わかったよ」

 私は何だか胸の奥がこそばゆくて温かくなった。子供の頃から真澄に心配させるのは私の特権みたいなところがあった。この特権、まだほんの少しだけ、有効らしい。

「ちょっと遠回りするけど、大通りに出る前に降りろよ? 目立つから」

「あー、はいはい。わかったよ」

 やっぱり『不真面目で、不誠実で、不義理な』私は顔がニヤけてしまって、自転車を漕ぎ続ける真澄の背中に額を置いてみた。温かい。

「おいっ」

「すぐ降りるし、霞が出てるから大丈夫だよ」

 私はそう言って、額をそのままにした。真澄の匂いがする。薄い霞の中、自転車の荷台に座った私は、これは、よく知っている匂いだと思っていた。

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