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五月雨ジャンピン 1

 青空が遠い、夏の午後だった。子供の私は帽子が風に飛ぶのを恐れて鍔を両手で押さえていた。

「香織。帽子、取った方がいいんじゃないか? 今日、風強いし、どうせすぐ神社だぜ」

 子供の真澄が言ってきた。

「これ、可愛いから」

 子供の私は不服そうに答え、真澄は呆れたように何か言って先を急ぎ、子供の私は真澄とちょっと口喧嘩しながら追い掛けて、二人して木陰の多い霞真淵かすみまぶち神社の石段へと駆け上がって行った。

 その辺りから詳しく何を話したのかはあまり覚えていない。神社では山元達が待っているという事はわかるけど、この頃、小学六年生の頃、結衣、貴代、椿、野間とはそんなに親しくない。

 特に性格のキツい結衣の事は名字で「千石さん」と呼んで苦手にしていた。神社で待っていた山元以外のメンバーは他の友達だったと思うのだけど、それが誰か思い出せない。そもそも何をしに真澄と二人で神社に行ったのか? 思い出せなかった。

 とても重要な事だったと思うけど思い出せない。もしかしたらいくつかの記憶が合わさった夢の中だけの物語なのかもしれない。


 夢、


 ああそうか、また、この夢を見ているのか、私は。『今』の私は何をしている? どこにいる? 夢の中の子供の私は永遠に上りきれない神社の階段でいつか、子供の真澄に置いてゆかれ、その背中が見えなくなって、

「待って! 待って! 真澄!」

 泣いて叫んでいた。一方で、『今』の私は冷静だ。もうすぐ夢が覚める事を知っている。やがて神社の階段は霞に覆われる、そして、私は、目覚めなくてはいけない。どんなに叫んでも。



 目を覚ますと、辰彦の部屋のベッドの中にいた。俯せに寝ていた。ベッドには私しかいないが、布団から辰彦と、私の匂いがした。

 私は眠りながら泣いていたらしい。ハッキリとは思い出せない。枕が涙で濡れていた。裸の私は俯せのまま、何か書き物をする音にそちらに顔を向けた。

 机で辰彦が勉強をしていた。この間、中間テストが終わったばかりなのに、辰彦は真面目だ。

 私の通う霞ヶ丘高校の部活は週四日に基本的に制限されているけど、結構強い剣道部は活動が活発で土日も試合や自主練や警察道場通いになる事が多い。辰彦は塾に週一度しか通えない分、自宅勉強に余念が無い。

 お父さんに続いて刑事になりたいらしい。刑事は危険で忙しく、色々あって辰彦の両親は離婚して、今の辰彦はお父さんと二人暮らししている。

 二人暮らしと言っても、辰彦のお父さんは家に帰れない日が多いので、こうして私がもう夜の9時も過ぎているのに上がり込んでいたりする。

 大人のいない他人の家に夜中に忍び込むのは、猫か何かになったような気分。

 悪い猫が辰彦に話し掛ける。

「ねぇ、辰彦。喉渇いた」

 辰彦は、おっ、という顔で振り向いて、すぐには返事せず、私の顔を見ていた。何だろう?

「泣いてたのか?」

「あ、これっ」

 私は慌てて目元を拭った。

「何でもない。子供の頃の夢、見てたみたい。あんま思い出せないけど」

 辰彦は椅子から立ち上がってベッドの方に歩いてくる。辰彦はたぶん、もうシャワーも浴びて、部屋着に着替えていたけど、またするのかもしれないと思って私は少し緊張した。辰彦は鍛えているから体が強い。一回だけなら凄くいいけど、今日はもう嫌だった。もう、いい。

 辰彦は剣道で鍛え過ぎて岩みたいな指で私の頬にそっと触れた。

「恐い夢だった?」

「恐くない」

 たぶん、恐ろしい目に遭う夢じゃなかった。そこに帰れない事が恐ろしい、きっと、とても幸せな夢だったんじゃないかな?

 辰彦に、上手く説明できなくて、私は悔しかった。私の『恐れ』をわかってほしい。辰彦が知ってくれたら、きっと私はその分、恐くなくなる。でも、恐くなくなるって事は、私は、

「香織、いつか話してくれよ」

 辰彦は私の頬から固い指を離した。

「ポカリでいいよな?」

「うん」

 辰彦は部屋から出てゆこうとした。私の心臓の鼓動が跳ねるように高まった。

「辰彦っ」

 ドアの所で呼び止められたけど、辰彦は振り向かない。

「ごめんね」

「何が?」

 短く応えて、辰彦は部屋を出て行ってしまった。残された私は俯せのまま辰彦の枕に顔を埋めて、また少し泣いた。私は、弱くなったと思う。



 火曜日の放課後、私達バドミントン部の女子は細長い部室棟の裏で行ったり来たりと、走り込みをしていた。

 バドミントン部が体育館のコートを使えるのは水曜と木曜と二日だけ。月曜日は男子はテニス部と合同練習をし女子は卓球部と合同練習する。

 火曜日は男女共に三年は室内で筋トレとストレッチとミーティング、二年と一年は部室棟裏で主に走り込みや横方向のフットワークや試合じゃあんま使わないけど怪我対策のジャンプ、それから素振りをしている。

 女子は部室棟側、男子はその外側でトレーニングする。部室棟の表側ではハンドボールの二年と一年が練習しているけどこっちからじゃ見えないから、二年になった今でも向こうでどんな練習をしているのかは知らない。

 早朝と昼間、少し雨が降ったので部室棟裏の土は湿っていて、所々水溜まりもあって、走り難かったが、私はがむしゃらに走っていた。

「香織っ! ペースっ! 明日コートで動けないよっ」

 同じのクラスで二年女子部員の中の指導係でもある『もりまっちゃん』こと森松あずさが一人で先行する私を追い掛けてきた。首に指導用のホイッスルを提げてる。おっぱい大きい子。

「一年の子達も気ぃ遣ってあんたのペースで走っちゃうだろっ? 入部したばっかり何だからっ、逃げられちゃうよっ! 香織っ、聞いてんの?!」

 並走してきた、もりまっちゃんは声を潜めて言ってきた。

「もりまっちゃんっ」

「あによっ?」

「私、聞いてないっ!」

 私は更に速く走り出した。中学の時は陸上部だった。脚は速い。今は、思い切り走りたい。

「ちょっとぉっ?! 香織っ! あっ?」

 もりまっちゃんが大きな胸を揺らして慌てて私を追い出すと、急に雨が降り出した。バドミントン部の男子も女子も「あーっ!」とか「来たぁっ」とか騒いで練習を中断した。私も立ち止まって振り返る。もりまっちゃんは雨空を見上げていた。

「また、雨だよっ。だから五月は嫌いだ。皆、取り敢えず別棟に移動っ! 道具とか拾ってぇっ!」

 もりまっちゃんはホイッスルを鳴らしてテキパキと指示を出し始めた。

「香織も速くっ」

 私も、もりまっちゃんに促され、部室棟の壁側に置いた自分のラケットやスポーツバッグを取りに向かった。呼吸はすぐには整わない。

 雨足が強くなり出し、女子達は悲鳴を上げ、男子達はなぜか「うぉっほぉっ!」とか言って盛り上がり出した。私はズブ濡れで、ラケットとスポーツバッグを取り、他の子達と一緒に別棟へと小走りで急いだ。

 もう少し単純に走っていたかった。自分の芯を鍛えたい。強く強く、鍛えたい。五月の気紛れな雨に追われながら、私はそう思っていた。

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