ヤロカ火 5
宏一は拝借した自転車で古い国道を激走していた。その真横をすっかり乾いた人形に乗った面を付けた小さな聡が飛んでいた。
「一応確認しとくけどさっ、咄嗟に人気のいない道を選んだっ! これでいいんだよな?!」
小さな聡は面を付けたまま頷いてきた。
「俺っ! 何とかなる気がしてるっ、お前達が何なのかもよくわかってないんだけどっ! どうだ?!」
小さな聡は肩をすくめてきた。
「おおっ?! 何だよっ? 何かお前も知ってる気がしてきたっ!」
相当な勢いで自転車を走らせながら、宏一が傍を飛ぶ小さな聡とやり取りしていると、ドガァッ!!! 国道沿いの潰れたラーメン屋を突き破り、失った手足の代わりに全身に突起のような器官を生やしたヤロカ火が蜘蛛ともアメンボとつかない動作で猛然と宏一達を追い始めた。
「や、ややっ、ヤヤヤ、ヤロカッ! ヤロカぁああッ!!! んんッゲゲッ!!」
「追い付かれたっ! くっそっ!」
宏一はさらに力を込めてペダルを漕ぎだし、小さな聡は指で印を結んで宏一のより傍に人形を寄せた。
「か、か、川の底ぉおお、戦じゃ、こ、今宵も戦じゃああッ!! 雨、雨、降れ降れッ! 水、水ッ!! 火、火ぃいいいッ!! 降れ、降れッ! 火ぃいッ!!!」
ヤロカ火は下水で聡に使った時よりもより乱雑に、火球の雨を周囲に降らせ始めた。
「どぅおおっ? 熱チチチっ! 危なっ、危ないってばっ!!」
振り返り、自転車を漕ぎながら必死で火球を避ける宏一。小さな聡は右手で印を結んだまま左手で宏一の制服の生地を掴んで宏一に跳び乗り、印を結んだ右手で強く宙に残した人形を指し示した。
途端、人形は青白く燃え上がり、炎の中からバレーボール程度の茶褐色の苔の玉が出現した。
「ンンジジジーイィっ!!」
苔の玉の化生は大口を開け、背? から蝙蝠と水鳥の翼を突き出し、カン高い声で叫ぶと吹雪を巻き起こした。吹雪は宏一に迫った火球を次々と打ち落とした。
「助かったっ! でもっ、凄ぇ寒いんだけどコレぇっ!!!」
宏一は一転、震えて絶叫した。どうも苔の化生は範囲指定の絞りが甘いようだった。
「に、ににッ! ニタッラサンペかぁッ!! じ、じゃ、邪魔ッ! おっ、おぅっ、邪魔ぁああッ!!!」
ヤロカ火は突起器官の一本に力を込めて高速で打ち出し伸ばし、正確にニタッラサンペを貫いた。ザフッ! 貫抜かれたニタッラサンペは吹雪を止められたが、一瞬で三体の小さなニタッラサンペに分裂した。
「ンジジーイィっ!!!」
小さなニタッラサンペ達は力を合わせて吹雪を再び起こし、ヤロカ火に直接叩き込んだ。
「つつつ、冷た、冷たぁああッ!!」
ヤロカ火の体を支えていた突起器官の内、細い物は次々と凍り付き砕け、ヤロカ火は体勢を崩し、宏一は大きく引き離すことができた。
「やるなっ、お前っ!」
「ンジィっ!」
宏一に言われると、機嫌良く応え、合体して三体から一体に戻り、そのまま渦巻く吹雪と苔の欠片の姿に変化して掻き消えていった。
「・・・え? 帰った?!」
戸惑う宏一。その顔の傍までよじ登ってきていた小さな聡は、また肩をすくめてみせた。
「マジでっ? くっそっ!」
宏一は改めてペダルに力を込めた。
「ああ、自転車で逃げる時は『自転車しか通れない道』を選んだ方がよかった気がしてきた。何だっけなぁ? こういう場合、典型的なリスクが何かあった気がする。お前、わかる?」
宏一が顔を向けると、小さな聡は後方を指差した。宏一は予感し、小さくため息をついてから後ろを振り返った。ゴオオォッ! キャブの屋根にヤロカ火が張り付いたトラックが激しく蛇行しながら宏一の自転車に追い縋ってきていた。
「ああ、コレかぁっ。速いんだよなぁ、自動車っ!」
うんざりする宏一。トラックの運転席側の破れた車窓から入ったミミズともゴカイとも知れない器官が白眼を剥いた運転手の口に深々と突き込まれ、体を乗っ取られているようだった。
「・・・二つ思い付いたんだけどさっ。1、この速度でガードレールにぶっ込んで草地に着地する。2、反転急ブレーキで上手いことやり過ごす。どっちがより『マシ』だと思う?」
宏一は小さな聡に聞いた。小さな聡はまず片手で人差し指を立て、その指で自分を指し、最後にその手で小さな自分の胸を叩いた。
「『1』で、俺に任せろって? 頼もしいね、まったくさっ!」
宏一がヤケクソ気味に笑っていると、トラックを操るヤロカ火は車体を激しく蛇行させながら、いよいよ間近に迫ってきた。
「や、やややッ! ヤロカッ! 殺ろかッ!! 殺ろかぁああッ!!!」
「ああ、煩いヤツだなぁ。一方的何だよ。友達いないんじゃないの、っと!」
宏一はハンドルを切った。ガードレールに一気に迫る。印を構える小さな聡。
「頼んだぜっ!」
宏一は自転車の前輪をガードレールに激突させた。
「だあああっ!!」
宏一は自転車と共にガードレールの外側へ投げ出された。宏一の制服の肩口に片手で掴まった小さな聡はもう片手で結んだ印で集中した。投げ出された宏一は草地を軽く越えて荒い舗装の農道へと落下してゆく。シュウウウゥっ! 小さな聡は宙で霞を発生させた。霞は宏一を覆い、浮かび上がらせて軟らかに農道に着地させた。ねじ曲がった自転車は宏一を越えて農道の先に叩きつけられ、前輪は吹き飛ばされた。
「助かっ」
霞のクッションの上で安堵しようとすると、ガッシャアアッ!!! 国道で激突音が響き、すぐに国道脇の雑木林の木に激突していたトラックは炎上を始めた。その炎を背に、蜘蛛のようにして国道をゆっくりと歩んでくるヤロカ火。ミミズのような器官の先にはトラックから結果的に車窓から引っ張り出すことになったらしい血塗れの運転手が付いたままだった。
「ヤロカヤロカヤロカ・・・」
呟きながら運転手を国道に放り捨てるヤロカ火。捨てられた運転手は痙攣しながら気絶していたが、まだ息はあるようだった。
「切り替え早いな、あいつ。どうする?」
宏一は霞のクッションの上で小さな聡に聞いたが、不意にクッションは霧散し、宏一は農道に尻餅をついてしまった。
「痛っ、何だよ?」
尻餅をついたまま見ると、肩口の小さな聡は平手を顔の前に立てて『すまん』とジェスチャーすると人形の姿に変わり、その人形は青白い炎に包まれて灰となって消えてしまった。
「ええええーっ?! お前も消えるのかよっ!」
慌てる宏一。ヤロカ火はゆっくりとガードレールを乗り越えてきた。
「火、やろかぁああ?」
ほぼ原形を止めない初老の男の顔で、ヤロカ火は歪んだ笑みを浮かべた。ヤロカ火の周囲に多数の火球が出現する。
「いらないです。大丈夫です」
宏一は愛想笑いをしながら立ち上がり、後ろ手に効果があると『確信』している霞真淵神社の御守りを握り締めた。
「そ、そそそそそ、そうかぁ。ざ、残念だぁああ。さ、寂しい気持ちだぁ『俺達』はぁ」
ヤロカ火は落胆の表情を浮かべた。宏一はじわりと後退り、素早く見渡せる範囲で周囲を伺った。物陰自体はいくつかあった。
「で、でもぉ、『火』を、熱い熱い熱い『火』を!! やるッ! ヤルッ! 殺るよぉおおおッ!!!」
ヤロカ火は火球の雨を宏一に放った。宏一は手近な畑の脇の柿の木に走った。しかし、間に合わない。走る宏一に迫る火球。
ドドドドドドドドッ!!!
炸裂が連続したが、火球が宏一を捉えた音ではなかった。デフォルメされた蜻蛉の群れが火球に突進して全ての火球を撃ち落とし、さらに群れの内、数十匹はヤロカ火の顔面に突進した。ヤロカ火は突起で一部の蜻蛉を払ったが、残りは全て顔面に命中して炸裂していった。
「ギィイイイイイイッ!!!」
叫び仰け反るヤロカ火。顔の半分を吹き飛ばされていた。
「おお? 何だよっ?」
取り敢えず柿の木の陰に隠れつつ様子を伺う宏一。そこへ一陣の旋風が吹き込んだ。旋風には制服姿で手に仮面と五枚刃の剣を持った素顔の聡が乗っていた。
「山元?!」
「よっ、野間。ちょっと説明ショートカットしようと思ってな。詳しくは後で話す」
「また、このパターンだよっ」
いい加減呆れてきた宏一。聡は旋風から降りると面を付け、剣を構えた。聡を降ろした旋風は一所に収斂し、蒼雀に変化した。
「か、かか、狩り手ぇええッ!! 許さぬぞ! 許さぬ! 顔ッ! 顔ッ!『俺達』の顔をををッ!!!」
再び周囲に火球を出現させるヤロカ火。
「お前達じゃなくて被ってる『人の皮』の顔だろ? ま、いいや。よくねーけど。とにかくっ! あんま手こずってると爺さんと千石と、ウチの『猫』が煩いから、そろそろ詰めさせてもらうかんなっ!!」
聡は構えた五枚刃の剣を鋭く発光させた。




