ヤロカ火 1
その男は建築会社の作業員だった。霞ヶ丘の駅近い繁華街の外れのビルの補修作業の帰りだった。随分遅くなった。予定通り派遣のアルバイトは三名来たが一人は中年でやる気が無く、もう一人は体力が無く、残る一人は聞いた事もない中央アジアの国の出身の男でまるで言葉が通じなかった。作業は遅れに遅れて男が乗るつもりのバスは後、1本だけになった。電車ならまだ何本かあったが男の家の近くの駅までの連絡が悪く、バスで帰るより一時間余り遅くなる上に交通費も倍はかかるので経理に文句を言われる。冗談ではなかった。
昼間は知らないが最終のバスを待っているのは男だけだった。少し奇妙な程に人気もなく、ポツリとベンチに座っていた男は気味悪いというより寂しいような気になり、煙草を1本取り出した。どうせアパート帰っても誰もいない。アパートの近くのコンビニで、切らしていた酒と何かつまみでも買おうと思った。今、CMでやっている惣菜が美味しそうだった。それが売り切れてなければいい。仕事は遅れて酷く疲れたが、上手くその惣菜が買えたらそれでいい。
男はそんな事を考えて煙草に火を点けようとした。
「あれ?」
作業着の胸ポケットに入れたつもりのライターが無かった。煙草と携帯灰皿と一緒に入れておいたはずだった。午後の休憩でも1本吸っている。
「どっか置いてきたかな?」
男は残念そうに言って、煙草をしまおうとした。すると、
「火、貸しましょうか?」
「え?」
いつの間にかベンチの隣に身なりのいい初老の男が座り、骨董のような古めかしいライターを差し出していた。男は呆気にとられたが、まだ煙草を指に持っており、目の前にライターを差し出されていた。
「・・・あ、はい。すいません」
男は慌てて煙草をくわえ直した。初老の男はライターに火を点けた。オレンジ色の火は妙に粘付くように見えたが、そんなワケがないと、男はその火で煙草を灯した。
「ありが」
少し吸いながら男は礼を言おうとしたが、煙草は火の点けられた先から一瞬で激しく燃え上がり、男の指を焦がし男の頭部を全て炎上させた。
「あっ?! ぶっ? 熱っ! あっ、あああああッ!!!」
男は絶叫してベンチの前で転げ回った。
「ワシがぁ、『火ぃやろか?』と聞いたらぁ」
目を細めて満足そうに男が苦しむ様子を見ていた初老の男は口調を変えて話し出した。
「お前は『火ぃよこせ』と答えたぁッ!! グゥッヘェヘェヘェッ!!! 望み通りだぁッ!」
初老の男は顔を異様に歪めて笑い、その歪みは全身に拡がり、身体中から無数の光る目を持つ者達が溢れ出してきた。その者達は口々に囁く。
「火ぃをををッ、やろかやろかやろかやろかやろかやろかやろかぁッ!!」
作業員の男は全身を燃え上がらせ、
「ああああッ!! ああああああああッ!!!」
叫び、苦しみ続けていた。人気は無くとも繁華街である。明かりのある建物は多数周囲にあり、車道を通り過ぎる車もあった。だが、誰も、苦しみ炎上する作業員も、ベンチで笑ってそれを『鑑賞』する異形の者も、最初からいないモノであるかのように一人として気付く者はいなかった。程無く、男が事切れるとまだ辛うじて初老の男の原型を保つ異形の者はベンチから立ち上がり、燃える作業員の死体の足をおもむろに掴んだ。
「いい焼き具合だぁ、いただこう」
異形の者は口をゴキゴキと音を立てて拡大させると燃える作業員の死体を足から喰らい始めた。異形の者から溢れる無数の光る目を持つ者達は歓喜した。
「旨しッ! 旨しッ! 火ぃ分けてやったぁ、罪無い人を苦しめ焼き殺してぇッ! 喰うッ! 喰うッ! 喰うぅ旨ッ旨ッ旨ッ!!!」
異形の者は肉の一欠片も残さず燃える死体を喰い尽くした。
山元聡と千石結衣は二人ともオレンジと紫の仮面を付け、神主とも山伏とも陰陽師ともつかない装束を身に纏い、霞に包まれた岩だらけの山を駆け上がりながら、互いに青白い炎を灯した聡は五枚刃の片刃の剣、結衣は三枚刃の鉞を繰り返し打ち合わせていた。二人を追う形で聡に続いて蒼雀、結衣に続いて夜雀が飛翔していた。
「蒼雀!」
「はいなっ」
聡は蒼雀を結衣にけしかけた。
「夜雀!」
「行くきにっ」
結衣も聡に夜雀をけしかけた。
中型犬並みの大きさのある蒼雀と夜雀は剃刀のように鋭い突風を起こしながら中空で激突したが互いに引かず、こちらも繰り返しかち合い始めた。
「鳥刺にしたろかなぁっ!」
「こっちの台詞ちっ!」
意地を張り合う蒼雀と夜雀。
「散ッ!」
五枚刃の剣を振り下ろす聡。
「散ッ!」
同じく三枚刃の鉞を振り下ろす結衣。青白く燃える互いの得物の刃が一際大きく打ち合わされ、青い爆炎が上がった。
二人と二羽は霞の中、激しく競り合いながら山の頂上へと行き着いた。
「ん~、こんなもんか」
聡は五枚刃の剣を青白い炎と共にクルリと回し、小刀の形に変化させて鞘に納め、面を取った。結衣は頂上まで来るとへたり込んで肩で息をしていた。鉞の変化も解け、手斧の形になって青白い炎もかき消える。ついさっきまで争っていた蒼雀と夜雀もそれぞれ近く岩に止まって素知らぬ顔で毛繕いを始めた。
結衣はどうにか呼吸を整えると面を取り、顔を上げた。
「・・・だいぶついてけるようになったわ。山元」
「技量以前に俺とお前じゃタイプが違うけどな。俺は物理押し、千石は使役タイプ。その物呼玉を使えるヤツはそういないんだぜ?」
結衣の左腕には獣の毛を編んだ紐で勾玉が括り付けられていた。結衣は物呼玉を見詰めてからその場に胡座をかいて座り直しため息をつき、指で自分の額に触れた。額に『禁字』が浮かび上がる。
「もう自力で抑えられるし」
「うん、後は普通の暮らしとのバランス」
聡はそう言って、人のような形をした紙切れ『人形』を四枚、袂から取り出し、近くに放った。四枚の人形はそれぞれ違う服装の四人の聡の姿に変化した。学生服を着た聡、卓球部のユニフォームを着た聡、部屋着の聡、ピーターパンの格好をした聡。
「コピーにあまり複雑な事を代行させない方がいい、一度に複数体コピーを作るならバレないようにな」
「わかってるわ、ピーターパン必要?」
「例えさ」
聡はピーターパンの格好をさせたコピーをバナナの着ぐるみの格好に変化させた。二人は少し笑ったが、結衣はすぐに俯いた。
「上手くやっていけるかな?」
「・・・励ましたいけどさ、難しいかもな。『記憶操作』には限界がある。繰り返し書き換えている内に思いが溢れるんだよ。この間から八木が記憶消去を断ってるけど、無理に消してももう以前のようには都合よく書き換えられないよ。忘れた事が積み重なって今のあいつの心が決まったんだろう」
「野間は?」
「アレは例外。どっちかといったら俺達側さ。力の発現の仕方が妙な事になってるんだろうな」
結衣は聡の目を見た。
「何?」
「山元ってさ、ずっと嘘をついて生きてきたんだろ?」
「ひでぇ言い方だなぁ」
「こうして話してても、普段の学校の山元と凄い違うわ。何かサバサバしてる。実際、私達がこれまで接していた山元って、6割くらいはコピーの人形でしょう?」
聡は面を被り直した。
「ネットワーク系のゲームの中だけの人間関係ってあるだろ?」
「私達、ゲームだったの?」
「最後まで聞いてくれ」
「・・・わかった」
聡は面の中でため息をついた。蒼雀と夜雀は岩の上で目を閉じて黙っていた。
「もしも、その世界がそいつにとって本当の自分より自分らしかったら、それはゲームの中のそいつの方がそいつにとって本当なんじゃないか? 例え、インチキで、ずっとそこにはいられなくても」
「そう・・・香織にフラれて残念だったね」
「ちょっ?!」
「何驚いてんの? バレバレでしょ? 子供の時から、私は『全部』思い出してんだからね」
「いやっ、フラれてないしっ! 告白もしてないっ」
聡はまた面を取って抗議したが、結衣は取り合わず立ち上がった。
「同じ事、同じ事。香織はあんたの彼女にはならない! その『絶対の』結果があるだけ。オンボノヤスぅ、そろそろ送って」
「さすけなし」
周囲の霞と同化していたオンボノヤスは宙に上半身だけ、ぼんやりと実体化させた。
「くっそぉ、自分はちょっと三瀬と付き合えたからってさっ」
「はいはい、負け惜しみ負け惜しみ。霞真淵神社の奥屋敷ね」
「おっけーっ」
気軽に応え、オンボノヤスは一際濃い霞で結衣、聡、夜雀、蒼雀を包み込んだ。
学生服の椿岳と早坂寧々は並んで夜道を歩いていた。
「帰り遅くなってごめんな。今日土建のバイトでさ、社員さんが一人連絡つかなくなっちまって中々帰れなくて」
「いいよ、今日は岳ちゃんに会いたかったし」
「うん、俺も。あ、でもそれ嘘かも?」
「え?」
「俺、毎日寧々に会いたいから」
「ばか」
寧々は照れて少しズレていた眼鏡を指で上げた。六月の騒動で受けた御守りの火による火傷は綺麗に癒えていた。
「本当だよ」
岳は微笑んで寧々の頬を軽く摘まんだ。同じ浄火で焼かれた岳の手の火傷もやはり癒えていた。
「帰りたくなくなるから」
寧々は笑って岳の手をそっと払った。
前方の高架下から風が吹き込んできた。
「風、冷たいね」
「もう10月だからな」
二人はそのまま高架下へと歩いて行っていたが、その目の前で不意に寧々が足を止めた。
「寧々?」
「岳ちゃんさ、その連絡がつかなくなった人って、まさか」
「うーん、どうだろう? 確かに不自然だとは思った。トラブルは聞かないし、社員だしな。急に蒸発っていうのはちょっと」
「大丈夫なのかな? 岳ちゃんに近い人だし、また・・・オバケだったら」
「近いといっても同じ現場の人ってだけだ。それに、山元からまたもらった御守りもあるし、寧々も持ってるだろう?」
「そうだけど」
寧々は内ポケットから霞真淵神社の御守りを取り出した。岳もポケットから同じ御守りを取り出した。
「あの『猫』は、俺達の手には化け物に対抗する力が宿ったとも言ってた。きっと、大丈夫だ」
「そうだね、モフモフ猫が言ってたね」
その『猫』の尻尾で巻かれた事のある寧々にとっては『モフモフしてる』印象が強いらしかった。
「あのさ、岳ちゃん」
「ん?」
「あの猫、『子孫も』とか言ってたよ?」
「ああ、まあ、そんなような事、言ってた」
二人は互いに目を逸らして赤面した。と、それぞれ持っていた御守りが、ドクンッ、と脈打つ感覚があった。
「え?」
「何だ?」
二人が驚いていると、高架下のトンネルに奇妙な人影が三体いた。三体とも両手が燃えている。よく見れば一人は老婆、一人は会社員、一人は小学生であるようだったが体が異様に捻曲がっていた。
「ヤロカヤロカヤロカヤロカヤロカヤロカ・・・」
その者達は口々に呟いていた。
「あの人達っ、そうだよね?」
「くっそっ、またかっ!」
岳は寧々の前に立ち、御守りを手にボクシングの構えをとった。燃える手を持つ者達はそれに反応し、一斉に二人に走り寄ってきた。
「やろかぁッ!!」
「やる時ッ!」
「やるッ! ヤルッ! 殺るぅッ!!」
叫んで迫るその者達の口の中に、光る目を持つ小さな者達が無数に蠢いていた。




