九月姑獲鳥 4 完
結衣は物呼玉を鳴らした。
「来いっ、アンモ『釜石惣右衛門』!」
結衣の傍で潮っぽい、つむじ風が起こり、鴎の様な風貌の天狗が現れた。
「惣右衛門、妊婦達の毒を祓って護ってあげて!」
「じぇじぇっ?!」
「そういうのいいからっ、早くっ!」
「あ、そうッスか? では、沁みますよっ!」
惣右衛門が右手に持つ旭の柄の扇を振い、煌めく潮混じり風を起こして羽根の毒で変化しかけていた妊婦達に吹き付けた。
「あああッ!!」
「痛い痛いッ!」
惣右衛門の言葉通り、それは沁みたらしいが、刺さった姑獲鳥の羽根は抜け落ち、変化の毒も祓われていった。
「お前ッ!」
様子を伺っていた姑獲鳥は激怒して毒羽根を惣右衛門に放ったが、結衣の頭の上で夜雀が羽ばたき、同じくナイフ状の羽根を放って姑獲鳥の毒羽根と相殺させた。
「おまさんの好きにはさせんきに」
「ケケケケェッ! 邪魔するんだな、邪魔するんだなっ」
姑獲鳥は赤い風を引き寄せ始めた。
「結衣っ! ウチらを吹っ飛ばした技使う気だよぉっ」
取り敢えず物陰に隠れながら忠告する貴代。
「千石っ、赤ちゃん達も何かヤバいっ、さっきから全然起きないよっ!」
宏一もまだ持っていた枝の棍棒を杖にして叫んだ。
「わかってる、わかってるよ! オンボノヤスっ、信夫常竹原に招けっ!」
「あいばっせ」
オンボノヤスは呟いて応えると同時に、爆発させるように生じさせた白い靄で姑獲鳥が引き寄せる赤い風ごと分娩室全体を包み込んだ。
次の瞬間、妊婦と惣右衛門以外の分娩室に居た者達は全員、全てが白い靄に覆われた電柱並みの太さの竹が果てなく生い茂る森、『信夫常竹原』に来ていた。
「何ここぉ?!」
「竹林?!」
戸惑う貴代と宏一。
「ちょっとっ! あの子達は招かなくていいのよっ?!」
「ん? もう招いちゃった」
「もうっ」
結衣がオンボノヤスに憤っていると、
「ケケェーッ!!!」
姑獲鳥は一際大きな赤い毒旋風を巻き起こした。
「オンボノヤスッ!」
「さすけなし!」
結衣の合図でオンボノヤスは片手を地につけると、地から多数の異様に太い『竹』が生え出し、結衣、結衣の頭の上の夜雀、貴代、宏一、オンボノヤス自身を毒旋風から護った。
「私と夜雀はいいから、貴代達を護って!」
「ああ、それは簡単。だなしっ!」
オンボノヤスは体全体を白い靄に変え、信夫常竹原の靄と一体化した。結衣は装束の袂から桃豆を二粒取り出し、貴代と宏一に一粒ずつ投げ渡した。
「二人とも、それ食べて大人しくしててっ!」
「結衣、ちょっとぉっ!」
「千石っ、赤ちゃんがっ」
「もうわかったからっ! 何回も言わないでっ」
イラつきながら、結衣は夜雀を頭に乗せたまま姑獲鳥に突進して行った。
「私の子供達を狙っているのかッ?!」
姑獲鳥は毒羽根を連続で結衣に放ったが、結衣は突進速度を殆ど落とさずに避け続けた。
「お前の子供じゃないっ! 夜雀、奪い返せっ」
「わかっちゅうきっ! 朔の木の陰、万さざめく忌みが羽の音っ」
夜雀は結衣の頭の上で唱えると、無数の小さな鳥の影に変化して中空の赤子達を抱えた姑獲鳥に殺到した。
「ケェーッ!! 去ねッ! 去ねッ!」
姑獲鳥は狂乱して、毒羽根と足の鉤爪で次々と影の小鳥達を叩き潰したが、数が違い過ぎた。あっという間に体に取り付かれ、八人の赤子を全て奪われ、さらに両目を突き潰された。
「返せッ! 返せッ!! 私の赤ちゃんッ!!!」
目を潰されたまま、赤い毒旋風を引き寄せ始める姑獲鳥。
「夜雀っ、一旦その子達を隠して護れ! コイツは私一人でヤれるっ!」
「はちきんやのぉっ!」
影の群体となった夜雀は声だけ響かせて、奪った赤子達を連れ白い靄の向こうに飛び去って行った。
毒の風を引き寄せる姑獲鳥の真下まで来た結衣は手斧を構えた。
「散散散散っ!」
結衣が唱えると、手斧は三枚刃の大鉞に変化した。
「八つ当たりは止めて、往生しなっ!」
「ケケェーッ!!!」
結衣は姑獲鳥の放った赤い毒旋風を大鉞で叩き割って祓うと、鉞の刃に青白い炎を灯して手近な竹に向かって跳び上がり、竹を蹴り、中空の姑獲鳥に飛び掛かって斬り付けた。
「ゲェーッ?!」
姑獲鳥は奇声を上げて上空へ逃れようとしたが、信夫常竹原の竹はどこまでも果てなく伸びていた。結衣は何度も竹を蹴って飛び掛かり、上へ上へと飛び逃れようとする姑獲鳥を斬り付け続けた。
「散ッ!」
短い気合いで結衣に強く一太刀、背に浴びると、
「ケェッ!」
姑獲鳥は体を半ば青白い炎に焼かれながら、力尽きて落下していった。
「仕止めちゅうき?」
影の群体の一部を実体化させたのか? 普通の雀と同じサイズになった夜雀が聞きながら、重力を無視した風に竹の側面に『立って』落ちてゆく姑獲鳥を見下ろしている仮面の結衣の肩に止まってきた。
「浅いと思う。姑獲鳥って、基本は屍鬼でしょ? 同じ女として、ちょっと可哀想だな」
「またそんな甘い事を言いゆうが」
小さくなった夜雀はうんざり顔をした。
「弱らせたし、説得してみるっ」
結衣は竹の側面を駆け下り始めた。
「結衣っ、無駄やきにっ! さっさと燃したらええがよっ」
夜雀の忠告に構わず、結衣は落下したまま体を青白い炎に燃やされたまま動けずにいる両目も潰された姑獲鳥の傍に跳び降りた。
「姑獲鳥、聞きなさい。お前は恨みで我を失っているのよ。まず自分がどんな『人間』だったか、思い出してみなさい」
「ちょっ?! 結衣っ、その論法はいかんきにっ!」
「え? 何で?」
慌てる夜雀に結衣が戸惑っていると、
「・・・人間、私が『人間』」
姑獲鳥は一瞬、気の抜けたような顔をした。
「いかんてっ、結衣っ、早く止めを刺しやっ!」
「何でよ? 思い出してきてるじゃん? 『人間らしさ』を取り戻せたら」
「『人間らしく』死ねた者は屍鬼にならんきにっ!!」
「えっ?!」
結衣が肩に止まった小さな夜雀を振り向いた瞬間、
「ケケケケケェーッ!!!!」
姑獲鳥はけたたましく奇声を上げて身を起こし、いきなり赤い毒旋風を周囲に放った。
「うわっ?!」
吹っ飛ばされて、背後の竹に打ち付けられる結衣。小さな夜雀は結衣の装束に脚でしがみついて何とか耐えていた。姑獲鳥の体を燃やしていた青白い炎も吹き消されていた。
「思い出した。アイツらアイツらアイツらぁああッ! 私をッ! あの『子』をッ!! ケケケケェーッ!!!」
奇声と共に姑獲鳥の体は異様に膨張し始め、体や目の傷は一切癒えていないが、人と鳥の中間の姿から象並みの大きさの完全な怪鳥の姿に変化した。
「ここで魂魄を使い切る気じゃきにっ、わりに合わん! もう放っていったらええきにっ」
「そんな事はっ、できないわっ! もっと悪いモノになるかもしれないし、オンボノヤスっ、あの『人』を押さえてっ!」
「造作ねっ、でもないかも?」
はっきりとした姿を見せないまま、応えたオンボノヤスは地中から多数の竹を生えさせて大怪鳥化した姑獲鳥の翼を貫かせた。
「ケケェーッ!!!」
赤黒く流血しながら姑獲鳥が叫ぶと、雷が落ちて刺さった竹を全て砕いた。
「雷撃?! 相性も悪いっ、ああもうっ、結衣っ! イチかバチかっ、水子の九十九神を呼んでぶつけるきにっ!」
「水子?! 何で? 嫌がらせっ?!」
「ケケェーッ!」
目が見えず、錯乱気味の姑獲鳥は周囲にデタラメに雷を落とし始めた。。
「どぅわああっ?!」
「だから言うたきにぃーっ!」
夜雀を肩に止めた結衣は転がり回って雷を避けた。
「発生基因からしてっ、姑獲鳥は絶対に『水子』に抗えんっ! 効果抜群きにっ!!」
「でも水子の九十九神はヤバいって虎三郎さんが」
「言うとる場合じゃないきによっ?! ワシ、雷は苦手ぜよっ」
「わかったっ、喚べばいいんでしょっ!」
結衣は物呼玉を鳴らした。
「来いっ! えーと、『その辺の』水子九十九神っ!」
「危ないゆうに、呼び方が雑ゆうんはっ」
「もうっ、うっさいからっ!」
揉めていると、
ズズズズズズ・・・ッ!!
引き摺るような不快な音を響かせて多数の腐りかけた人の大人程の大きさに肥大した胎児が数珠繋ぎなった化生が虚空から出現した。それらが、
「オギャアアッ! オギャアアッ!!」
凄まじい声量で一斉に血涙を飛び散らせて泣き出した。その声に姑獲鳥はビクリッ、と体を震わせて、雷を落とすを止めた。
「凄い泣き声だけど姑獲鳥が反応してるよっ」
「予想もつかん事をしてくる前に、さっさと仕止めるきにっ!」
「わ、わかったっ。お前達っ、姑獲鳥を、そうね・・・『懲らしめ』なさいっ!」
結衣の大雑把な指示に九十九神は従い、一匹の大蛇のようにして、戸惑い何かを探す素振りを見せた大怪鳥化した姑獲鳥に素早く絡みついた。
「お前達?! 戻ってきてくれたの?! ああっ、戻ってきてくれたの?!」
目の潰れた姑獲鳥はむしろ喜んでいたが、
「オギャアアッ! オギャアアッ!!」
全ての水子九十九神は泣きながら、姑獲鳥に『喰いつき』始めた。
「ケケェーッ!!」
絶叫する姑獲鳥。結衣は唖然とした。
「食べ始めちゃったよ」
「悪鬼化した水子の霊はあんなもんきに。いくらかじっても満たされんじゃろが、あれだけ大物なら食べ応えもありゆうよ」
水子九十九神は喰らい続けたが、姑獲鳥はもがき苦しみながらも抵抗はせず、潰れた目で泣いていた。
「ああっ、可愛いお前達。お腹が空いていたんだね。たくさんお食べ、たくさんお食べ・・・」
そのまま、喜び苦しみながら、大怪鳥化姑獲鳥は骨だけ残して水子九十九神に喰い尽くされていった。
「・・・これで、良かったのかしら?」
結衣が仮面を取って呟くと、小さな夜雀は止まった結衣の肩を足の爪で強く握ってきた。
「痛たたっ、何よっ?! 夜雀っ?」
「こっからが、本番きに」
「本番? どういう事?」
聞いた傍から、結衣は強烈な『視線』を感じ、弾かれたように振り向いた。骨だけになった姑獲鳥の体に巻き付いた水子九十九神達が泣くのを止め、その全員が結衣を『物欲しそうに』見詰めていた。
「やっばっ!」
結衣は慌てて仮面を被り直し、物呼玉を鳴らした。
「もういいわっ、水子九十九神! 戻りなさいっ!」
水子九十九神は見詰めたまま何も応じない。
「えっ? 何で?」
「あの子らに、『戻る』とこ何て無いぜよ?」
「嘘っ」
「オギャアアッ! オギャアアッ!!」
水子九十九神は泣き叫びながら、姑獲鳥の骨から離れ、結衣に襲い掛かってきた。
「ちょっ、待ってっ?!」
結衣は燃える大鉞の逆巻く炎の壁で大蛇のごとき九十九神の突進をどうにか受け止めたが、九十九神は泣きながら、力をどんどん高めてゆく!
「どうしよう?! この子達っ! 傷付けたくないよっ!!」
小さな夜雀はため息をついた。
「こういう救い難いモノを喚ぶ時は、依り代か鎮める手立てを用意しとくもんぜよ」
「自分が喚べって言ったでしょうがっ?!」
「一応、考えはあるちゅうき。オンボノヤスっ!」
「んん?」
竹の森の靄の中、声だけが応えてくる。
「さっきの人間二人をこっちに寄せるぜよっ」
「結衣、いいだべし?」
「何する気?」
「オギャアアッ! オギャアアッ!!」
九十九神は泣いてとぐろを巻き、結衣を囲み始めた。
「八木貴代は子を堕ろした事がある。水子の依り代になりうるぜよ」
「いやっ・・・大丈夫なの?」
「野間宏一を仮の夫にすれば突け込まれ難いきに。穏便に鎮めるにはそれしかないぜよ」
結衣は間近で自分達を喰らおうと血涙しながら喚き続ける九十九神を見た。
「この子達を鎮められるのね?」
「確証な無いぜよ。お前次第きに」
「・・・わかった。オンボノヤス、お願い」
「造作ねっ」
オンボノヤスの声が響くと、靄が渦巻き、結衣の目の前にすっかり回復した様子の貴代と宏一が出現した。
「あれぇ?」
「千石っ?」
「うわっ何この赤ちゃん?! デカいっ?!」
「赤ちゃん達も化け物にされたのか?!」
動揺する貴代達。
「二人とも落ち着いて。拐われた子供達は取り返して今は隠してある。この子達はさっきの鳥女を退ける為に喚び出した水子の霊みたいなものよ」
「水子」
貴代は顔色を変えた。
「それが暴走してしまっているんだけど、貴代、力を貸してほしい。私が護っているから、一時的に仮の母親になってこの子達の無念を鎮めてほしい」
「ちょっと、千石っ。それハードル高いぞっ」
珍しく、宏一が貴代を庇いに入った。
「野間にも仮の父親になってフォローしてほしいんだよ」
「仮の父親?!」
「その方が『母役』が襲われ難くなるぜよ」
「この鳥、凄い喋るよな」
「そこは今はどうでもいいきにっ!」
「あっ、すんません」
「貴代、やってくれる?」
九十九神が徐々にとぐろの幅を狭める中、俯いていた貴代は顔を上げた。
「私、やるよぉ」
結衣は頷き、袂から札を二枚取り出し、素早く貴代と宏一の額に貼り付けた。
「俺への意思確認は?!」
「うっさい! ボッケカスっ。・・・かの者、母者。かの者、父者。真、和々しく子を愛でり。失せし子ら、今ばかり、母の腕に帰りしや」
結衣が唱えると、貴代の額に貼られた札が光り、すぐに貴代の体、全てが光り始めた。その光りに、水子九十九神は泣き止み、動きを止め、探るように貴代を見詰め始めた。
「呼んであげて」
「うんっ・・・おいで」
結衣に促され貴代が両手を拡げると、九十九神達は膨張した醜い姿から人の子と同じ大きさの姿の透けた赤子の姿になると結衣が注意深く火勢を弱めた青白い炎の壁を越えて、貴代を取り囲んでその身にすり寄った。
「わっ、どうしよう。この子達、体、冷たいよ。泣きそう」
「泣いたらいいわ。あんたはいつもヘラヘラしてるから」
「・・・そうだね、たまにはいいか。君達さ、何ていうか、何か、私、私っ、私がバカでっ! ごめんね。ごめんね。ごめんね。ううっ」
貴代は九十九神にすり寄られながらすすり泣き、その場にへたり込んだ。貴代が鼻水を流して涙を溢す度に九十九神達は一体、また一体と光の粒子のようになって昇天してゆき、残るは一体のみとなった。
そこで、貴代は竹林の向こうで骨になっている姑獲鳥に気付いた。
「君、待って」
貴代は昇天しかけていた最後の九十九神を抱えて引き留めた。
「貴代?」
「大丈夫! たぶん『ウブメさん』に必要だから」
貴代は最後の水子九十九神を抱えて立ち上がり、骨となった姑獲鳥に歩み寄り始めた。結衣も続き、宏一もあたふたしながらも続いた。
間近まで歩み寄ると、象並みの血塗れの骨の山と化した姑獲鳥は骨だけの顔をゆっくりと上げた。
「うわっ、ヤバいよ千石っ! ヤバいヤバいっ」
「出川哲朗かお前は? 黙ってなっ」
驚いた宏一が結衣に一喝されたが、貴代は姑獲鳥の骨の顔に九十九神を掲げた。
「・・・あの子? あの子なの?」
最後の水子九十九神は掲げた貴代の手の中で無邪気に笑って、近付けてきた姑獲鳥の骨の顔に触れた。
「ああっ、ああっ、お前も私を探していたのね。ありがとう。さぁ、もうゆきましょう。誰か、とても尊い方が、『私達』を呼んで下さってるわ。ゆきましょう、ゆきましょう・・・」
骨の姑獲鳥と最後の水子九十九神は天から射し込んだ、虹のような眩い光に柔らかく包まれ昇天してゆき、それに合わせて貴代の体から抜けた貴代の魂も安らかな表情で昇天しようとしていた。
「・・・てっ、何でやねんっ!!」
結衣は全力で慣れない関西弁でツッコみつつ、跳び上がって抜けかけた貴代の魂を捕まえて貴代の体に叩き戻した。
「んはぁっ?! お花畑がっ!」
「何、あんたまで逝きそうになってんのよ?!」
「あっ、ごめーん。何か気持ちよくなっちゃって」
「無茶も大概にしてよねっ」
「まぁまぁ、ここは俺に免じて」
「誰目線だ?! オイっ! 出川、オイっ!」
「いやっ、出川じゃないよ、野間だよ? あはははっ」
「あーっ! この会話っ、嫌だわっ! 山元が卓球の試合で来れないから代打で来たけど、腹立つわぁっ」
結衣は仮面を付けたまま、憤慨していたが、貴代と宏一は顔を見合わせた。
「そう言えばさ、結衣。何がどうなってんの? これ」
「そうだよ千石。何か、こういうの始めてじゃない気がするんだけど??」
「後で説明するわっ、先に産婦人科で怪我人の手当てと記憶操作と施設の補修も済まさないと。夜雀っ、取り返した赤ちゃん達は?」
「おお、忘れとったぜよ。分身体戻すきに」
「オンボノヤス、赤ちゃん戻ったら元の病院に送って」
「はいはい、あいばっせあいばっせ」
結衣はテキパキと指示を出し、貴代と宏一以外の後始末を小一時間とかからず着けた。
もう日が傾いていた。産婦人科医院近くのマンションの屋上に貴代、宏一、頭に元のサイズの戻った夜雀を乗せた結衣が来ていた。オンボノヤスや惣右衛門、その他、『後始末』に使った化生達は既にいずこかへ帰していた。
結衣は改めて仮面を取った。
「端的に言うと、妖怪退治のアルバイト始めたのよ、最近」
「おまさん、随分はしょったきにのぉ」
「ややこしいから、お前は黙ってて」
「あー、へいへい。わかったぜよ」
夜雀は素知らぬ顔をしてそっぽを向いた。
「山元も関係あんのぉ?」
「山元の一族はそういうのが本業」
「じゃあっ、何か前にも結構こんな事があった気がするのって、ひょっとして?」
「そっ。二人は結構巻き込まれてる。というか、野間は妖怪をやたら寄せ易い体質だから。今回も野間が最初に姑獲鳥を呼び寄せたんでしょ?」
「うっ、確かに」
「ウチらが覚えてないのは、さっきの病院の人達みたいに記憶をイジってんの?」
「それもそうね。特に野間は遭遇する頻度が異常だから記憶を消さないと、ストレスが凄いみたいだから」
「そっかぁ、よしっ。じゃあ今回もよろしく!」
「えっ? いいの宏一?」
宏一はあっさりしていたが、貴代は困惑していた。
「野間、あんたは記憶消されるのに慣れ過ぎじゃない? ま、いいけどさぁ」
「・・・私は消さないでほしい」
結衣が呆れていると、貴代が結衣の目を見て言ってきた。
「どうして?」
結衣は真顔で聞いた。
「これまでの私が、どんな判断で記憶をリセットしてきたのかは知らない。でも、今回の事は、忘れたくないよ」
貴代と結衣はしばらく互いの目を見ていたが、先に目を逸らしたのは結衣だった。結衣はため息をついた。
「わかった。既に消した過去の分は山元に相談してほしいけど、今回の記憶はもう消さない。それでいいのね?」
「うん、それでいい。もう忘れない」
貴代ははっきりと答えた。
「じゃ、俺だけよろしく」
この会話の流れでも、宏一は特に動じない様子だった。
「はいはい。ある意味、鉄の心を持ってるわね、あんたはさっ」
結衣は半分は本当に感心しつつ、指で印を結んで桃色の霞を生じさせ、宏一を包み込んだ。記憶があやふやになる寸前、宏一は結衣の頭の上の夜雀と目が合っていた。
「じゃあな、鳥」
「どうせすぐ会うきに」
夜雀は飽き飽きした顔で応えた。
帰りのバスの中で、宏一は目覚めた。隣の席の貴代はすっかり日が暮れて夜の闇が落ち始めた窓の外をぼんやり見詰めていた。
「あ、起きたのぉ?」
「うん、えっと、何だっけ? 病院行って、それから・・・」
「カラオケでしょ? どんだけミスチルとEXILEでループしてんだよぉっ」
「ああ、そうだったそうだった。あっ!」
「何っ?」
宏一が急に大声を出したので、貴代は少し緊張した。
「検診結果、大丈夫だったよね?」
貴代は少し息を吐いて微笑んだ。
「大丈夫だったよ、そこは覚えてていいよぉ」
「ああ、うん。ならいいんだ。良かった良かった」
「・・・ねぇ」
「ん?」
貴代は宏一の頬にキスをした。
「そんなに好きでもないけど、クリスマスまで彼氏だったら、してもいいよ?」
貴代は宏一の耳元で囁いた。
「ホントに?! いやっ、今、そんなに好きでもないけどって?!」
「ふふふ、だって、宏一って変だもん」
「えーっ? 俺、『普通』だよ」
「普通に『変』だよぉ」
「何それぇっ?!」
バスの中、不満気な宏一に貴代は楽し気に応じていた。