会津パープルオレンジ 1
鬱陶しい霞まみれの霞ヶ丘の梅雨も明けた七月の上旬、期末試験の勉強もそこそこに私は学校に秘密にしているガールズバーのバイトのシフトを増やしていた。
元々夏休み用に家に入れる分とは別に少し貯めていたけれど、三瀬が急に夏休み前の海の日の連休を使って福島県に観光に行くって言い出して、それについてゆく事になった。お金、必要。
三瀬は最初一人で行くと言い出したけど、話を聞くと四月に色々あった年上の女が今、会津で働いているらしくて、その様子を見にゆく何て言い出すワケよ。あり得ないっ!
五月に妙な具合に香織に気を遣われて、何だかんだで文化祭の後に付き合う事にはなったけど、まだキスどころか手も握ってない。小学生以下ね。
段階を踏んで、と色々シュミレーションしてたけど、いきなり『年上の女』とか『一度、会いにゆく』とか『大丈夫だから待ってて』とか、とても許容出来ないワードを連発され、危うく強気キャラを捨てて「行かないでよっ!」と三瀬に泣きすがってしまうところだった。
ずっと『三瀬は香織のモノ』だったから、これまで冷静でいられたけど、実際に三瀬が『彼氏』になってしまうと本当に困ってしまった。コツコツ築いてきた鉄壁の自分の城が、ただの砂糖菓子で出来たものだったと思い知らされてる。
小学生の時、霞ヶ丘に引っ越してきた私は明るく元気で人懐っこい香織に敵わないと思っていた。
霞真淵神社の祭りで一緒に八乙女を舞った時も香織は本当に可愛くて、練習の時も一人でブスっとしている私に話し掛けてくれるいい子で、香織なら三瀬とお似合いと思ってたから、今になってホントに困った。終わったはずのゲームに引き戻された気分だわ。
また、付き合ってみると三瀬って掴み所が無いようなところがあった。いいヤツだけど、一人で考えて一人で決めて、ある日、一人でそれを実行しようとする。頭でっかち。私も考えさせてって思う。
だったら本人に言えばいいんだけど『重い』と思われるんじゃないかと思ったりもして、身動き取れず、取り敢えず今夜も店のカウンターの内側に立ち、1杯100円程度のショボいドリンクバック狙いでせっせと酒を作っていた。時給評価のポイントにもなるんだよ。
私の働く池袋近くのガールズバー『猫目』。制服はやや体のラインをはっきりさせたバーテン服。別に男装バーやレズバーじゃないけど、女性客や両方イケる? 人もチラホラ来る事もある。
全体としては落ち着いた客層で、接客しやすいけど派手に注文する人もまずいない無難な店だった。
午後8時を過ぎた頃、山元の祖父の山元虎三朗さんがふらっと店にきた。霞真淵神社の元神主の虎三朗さんは不思議な人で、虎三朗さんが店に来る少し前には必ず、まるで『人払い』でもされたように私が担当した客は去り、私が一人でカウンター内で細々と作業しているタイミングで虎三朗さんは現れた。
家庭の事情で店で私が働き始めた頃から時々来てくれる。口説きに来てるんじゃなくて様子を見に来てくれてる。子供の頃から何かと気にかけてくれるから、私は虎三朗さんが来ると少し気恥ずかしかった。
「いらっしゃいませ」
「今晩は、結衣ちゃん」
私はお絞りを渡す。虎三朗さんはいつもの木彫りのループタイをしていた。
「今晩は、虎三朗さん。お元気そうですね。いつものでいいですか?」
「頼むよ。ふふ、私は気楽なもんだよ。ところで真澄君とは上手くいってるのかい?」
「またその話ですか」
私は店にある酒の中では虎三朗さんの好きな『富士山麓』で水割りを作りながら苦笑してしまう。
「虎三朗さんは、香織と三瀬を応援してたじゃないですか?」
「私は中立だよぉ? 男と女はなるようにしかならないよ。君達三人や、他の子達、後はまぁ聡のヤツも、皆幸せになってくれたらいい。色々あっても最後は幸せになってくれたらいい、そう思っているんだよ」
「・・・・ホント、色々ですよ。どうぞ」
軽くステアして水割りを出した。
「ありがとう。喧嘩でもしたのかい?」
水割りを飲みながら聞いてくる虎三朗さん。意外と鍛えてるから体はしゃんとしているけど、まだ確かまだ60代なのに髪は真っ白で、仙人みたいだった。
「喧嘩に何てなりませんよ。私、短気なクセに意気地が無くて、大事に思ってる人には何も言えなくなるんですよ、傷付けたらどうしよう、とか、傷付けられたらどうしよう、とか」
「結衣ちゃんは繊細だもんね」
「そんなっ」
いつもピリピリしている自分が繊細だ何て、思った事ない。私は赤面して、頼まれてもいないのに手近にあった林檎をカットし始めてしまった。どうするつもり? この林檎、どうするつもりよっ?
「真澄君も難しいところがある。でも優しい子だから、なるべく話せる場所にいて、話せる時を待ってみたらどうだい? なるべく、ね」
「話せる時、ですか・・・・あっ」
話してる内に、カットしていた林檎はいつの間にか兎型になっていた。お弁当に持ってくフルーツじゃないんだからっ、何してんだよっ、私っ!
「ふふふっ、それ、可愛いね。もらおうかな?」
「すいませんっ、どうぞ」
虎三朗さんに笑って言われてしまい、私はもうカウンター下にしゃがんで隠れてしまいたくなった。
「ああ、こりゃ美味しい」
虎三朗さんは兎型の林檎をフォークでシャクシャクと、機嫌よく食べていたが、ふと、私の額を見て、真面目な顔になった。
「どうかしましたか?」
思わず自分の額を触って問い返した。
「禁字が取れかかっているね」
「キンジ? ああ、子供の時の」
あまり覚えてないけど、私は子供の時、原因不明の熱病と夢遊病を患っていて、両親が親戚のかなり遠いツテを頼って虎三朗にお祓いしてもらう為に霞ヶ丘に引っ越してきていた。
主に額に『禁字』というお呪いを書いてもらう祓い方で、私の体調は戻ったが、今でも時々霊感のようなモノを感じる事はあった。
「また、お祓いしてもらった方がいいですか?」
「いや、結衣ちゃんは心が成長して元々持っていた『気』が子供の頃より高まっている。普通、大人に近付くと『気』は落ち着くものだが、結衣ちゃんは心が普通の人よりも強いからねぇ」
「短気なだけです。強くないです」
虎三朗さんは微笑んで私を見ていた。
「これを、しばらく持ち歩いてみるといいよ」
内ポケットから、虎三朗さんは掌に収まるくらいの勾玉を一つ取り出してカウンターに置いた。獣の毛のような物で飾り紐が付けられていた。
「これは?」
「物呼玉という霊器だよ」
「モノコノタマ・・・・」
「こうしてね」
虎三朗は一度置いた物呼玉を手に取り直し、指で軽く弾いた。すると、
キーンっ!
鐘を打ったような澄んだ音が店に響いた。私は驚いて、周囲を見たけど、他のキャストやお客さん達や男性のスタッフ達は全く気付いていなかった。
「え? 何で?」
「今の音は私と結衣ちゃんにしか聴こえていない。この玉は思って聴かせようとした相手にしか音が聴こえないんだよ」
「凄いですね」
「ただ、悪い『気』を込めて玉を打つと、悪い『モノ』を呼んでしまう事もある。御守りでもあるが、己の心のありようを試す霊器でもあるんだ」
「そんなっ、私、そんな難しい物、持ち歩けませんよっ! 日々邪な事ばかり考えていますよ?! 今日も学校でしつこく絡んでくるもんだから貴代を泣かせたし、もうとっくに切れてるのに三瀬と自然に話せる香織に嫉妬しちゃうし、他にも、色々っ・・・・私、全然ダメですっ」
とんでもない『モノ』を呼んでしまいそうだだった。
「子供の頃は仕方なかったが、禁字で無理矢理力を抑えるのはあまりいい事ではないんだ。それに結衣ちゃんの言う『邪さ』は善き人の範囲の心のありようだよ? まぁ、ちょっと、『変なモノ』が来てしまうかもしれないが、物呼玉は御守りでもあるし、結衣ちゃんは『気』がとても強い。きっと大丈夫だ」
「強い、ですか・・・・」
私は不安だ。病気だった子供の頃の事はあまり覚えていないけど、とても悪い事が起きていた気がした。
「もし、どうしても上手くゆかないなら、今度こそ念入りに禁字を書いて、力を『深く』封じてしまおう。試してごらん」
虎三朗さんは、真剣な顔で物呼玉を差し出した。
「・・・・はい」
私は受け取った。手に触れた『何か』の獣の毛で出来た飾り紐は、まるで生きてるように温かかった。
7月17日の日曜日、私、三瀬、なぜかついてきた貴代、野間の四人は大宮で新幹線やまびこに乗換、郡山駅でさらに乗換て目的地の会津若松駅に向かっていた。電車の席を向かい合わせにして、郡山で買った結構いい値段の駅弁を四人で食べていた。
私は山菜釜めし、三瀬は安積のとりめし、貴代は鮭のはらこめし、野間は牛肉の味噌焼き弁当だった。
「今更だけどっ」
私は貴代達に『警告』しようとした。が、
「とりめし、ちょっと食べる?」
「あっ、ありがと。釜めしも美味しいよ?」
出鼻に隣の三瀬に話し掛けられて、軽くあたふたしてしまった。とりめしと釜めしをシェアし合い。「旨いね」「美味しいね」と一通り言い合い、『これは、関節キッスに相当するっ!』と内心動揺させられたが、放っておくと貴代は予測がつかない。野間も主体性に欠ける。
私はグイっと顔を貴代達の方に向き直してもう一度切り出した。
「あんた達ねっ」
「何、結衣ぃ? はらこめしも食べたいのぉ?」
「味噌焼きとのおかずの交換レートは安くないよ?」
「どうでもいいっ!」
揃って苛立たせてくる。三瀬が黙って私の腕に触れて落ち着くよう促してきた。くっ! 私が短気みたいになってるっ。実際短気だけどっ!
「とにかくっ、現地で宿を出たら別行動だからね?」
「それはこっちの台詞だよぉ? ねぇ、宏一ぃっ?」
「勿論だよ貴代っ、二人で楽しもうねぇっ?」
貴代と野間は向かいの席でイチャイチャし出した。二人は4月以降も微妙な間合いだったが7月に入ってから急に再燃して、隙あらばこんな具合だった。
「八木はまだ小遣いストップ中だろ? よく旅行代作れたな」
三瀬が何気に聞くと、貴代は得意気に野間の腕に絡み付いた。
「宏一に全部出してもらったのぉっ」
「ええっ?」
三瀬も私も声を揃えて驚いてしまった。当の野間は「いやぁっ」と照れ臭そうにしていた。いやっ、そこ照れるとこじゃないよっ!
「野間って何かバイトしてたっけ?」
私が素で聞くと、
「全然使ってなかったお年玉貯金を開放してみた!」
「開放しちゃったかぁ」
面白がる三瀬。私は呆れた。
「三瀬、笑い事じゃない。こんなポンコツ甘やかすくらいなら、何か寄付でもしなよっ」
「愛への投資だよっ! 結衣っ」
「煩いっ!」
「千石落ち着けって」
「俺はこれでいいんだぁ」
「野間っ、それでいいのか?!」
「結衣とは『女』としての実力が違うから、エヘヘヘっ!」
「貴代っ!」
私達は小競り合いしながら、程なく会津若松駅に到着した。