六月猫 5 完
俺達は火柱の上がった方へ走ったが、近付くにつれ、何かに切り裂かれて青い火で燃え墜ち、霞の中に消えゆくた『魚』の死骸が多数が散乱しているのが目立つようになり、皿に近付くとコンクリート等で舗装された川の岸や川沿いの柵や道が滅茶苦茶に壊され、水浸しになり、所々は何か毒か酸のようなモノで爛れ、あるいは青い火でコンクリートが燃えていた。
俺達は思わず立ち止まった。
「凄い事になってるよ」
「ああ、『何か』がさっきの『魚』より大物と争ってるんだろう。あの『猫』かどうかはわからないけど」
言って、俺が先を急ごうとすると、
「待って」
寧々に呼び止められた。
「きっと、これは私達が知らなくていい範囲の事だと思う。君が、これ以上関わらなくても、誰も君を責めないよ、岳ちゃん」
「俺が、気が済まないんだ。このままやり過ごせない。アレはもう純くんじゃないんだろうけど、見なかった事にしたくない」
「・・・・わかった。もう言わない、行こ」
「ありがとう」
俺達は、改めて霞の中を進んで行った。
一際濃い生臭い霞を越えるとそれは突然中空に現れた。家を三軒繋げた程の大きさの『怪魚』で、鱗で覆われた巨大な人のような腕を左右に1本ずつ生やし、内、左腕は肘の辺りで既に切り落とされ、切り口と切られて川沿いの道に落下したらしい左腕は青白い火で燃え上がっていた。
怪魚は左腕だけでなく、全身に斬り傷があり、切り口は全て青い火で焼かれ続けていた。
だが、傷等どうでもいい、俺は怪魚の額に注目した。そこには『顔』があった。純くんの『顔』が、怪魚の額に張り付いていた。
「純くんっ!!」
俺が叫ぶと怪魚は体に多数ある目玉の数割をこちらに向けた。途端、怪魚の周囲に渦巻く刃のような水流が数個発生し、それらの渦は一斉に俺達へ向けて高速で放たれた!
俺は咄嗟に寧々を庇ったが、迫る渦に、こんなモノは人間の体ぐらいでは受けきれないと思い、寧々を連れてきた事を後悔した。
バシュッ!!!
俺達に命中する寸前、周囲の霞が『爪』の形をとり、全ての渦を切り払い、その霞は逆巻き、虎か獅子並みの大きさを持つ『猫』の形に実体化した。長い尾を四本持つ、霞越しの影ではなく、目の前に獣の姿を現してした。
山元の家の雌なのに『ムー太郎』と工藤に名付けられた猫に似ている気がしたが、身近に接する機会のある猫がムー太郎くらいなので、俺の『猫観』が狭過ぎるのかもしれない。何よりこの『猫』はサイズが大き過ぎるし、間違いなく動物の『猫』ではなかった。
「大きい猫だ」
寧々の呟きに構わず、『猫』は横目で俺の持つ、鉄アレイと寧々の持つ御守りをチラリと見てから怪魚の方に向き直り、大口を開けた。
「『お客』も来たよっ! さっさと殺っちゃいなっ!!」
『猫』が若い女の声で叫ぶと、怪魚の正面下方の川沿いの道に、霞の中からオレンジと紫の仮面と歌舞伎のカツラを小さくしたような物を付けた、神主やテレビか漫画でしか見た事はないが陰陽師を思わせる格好をした身長160cm台後半くらいの人間? が飛び出してきた。
手に切っ先に青白い火が灯った小刀を持っている。
怪魚は刃の渦を多数、仮面の者に放ち、残った巨大な右腕の爪で斬り付けたが、仮面の者は動画を早送りしたような素早さと、曲芸のような身軽さで全て避けて、少しずつ怪魚に間合いを詰めていった。
「ゴッゲッゲッゲッゲェェエエエッ!!!」
怪魚は俺達が倒した『魚』達と同質の奇怪な鳴き声を上げ、苛立つような素振りを見せ、仮面の者に向けて口から黒いガスを吐き出した。
ガスは舗装された川沿いの道を熱した飴のように溶かしたが、仮面の跳び上がってこれを避け、避けきれないガスは小刀から放った青白い火の刃で焼き払った。
仮面の者は中空で霞を実体があるかのように『蹴って』直線で怪魚に突進した。青い炎の刃で頭を守ろうとした怪魚の巨大な右手首を斬り落とした。
「ゴッギィイッ?!」
苦しむ怪魚。
斬った反動で突進の直線がズレた仮面の者はもう一度中空で霞を軽く蹴って、調製し、再び跳び掛かった。
「終わりね」
『猫』が呟く。
仮面の者が宙で上段に構えた小刀は炎に包まれ、五枚の刃を持つ全ての切っ先に青白い火の灯った太刀に変わり、振り下ろすと、
ザバァアアッ!!!
五本の青白い火柱の刃が怪魚の全身を斬り裂いた。
「ゴッゲッゲェエエエエエエッ!!!!」
怪魚は絶叫して、体をバラバラにされ、青く燃えながら落下していった。頭部は川沿いの道に墜とされた。
仮面の者もその前に体重が無いかのように身軽に降り立った。
「やっつけちゃった」
「ああ、倒したな」
俺と寧々は呆然と呟いた。
「以前はアイツがまだ未熟で倒し損なってねぇ、何年か梅雨の気を喰ってまた現れたんだよ。一番最後に喰った、お前の『トモダチ』の皮を被って現れたから、お前に絡んできたみたいだけどさぁ」
『猫』は世間話でもするように語った。
墜ちて燃える怪魚の頭の額にはまだ純くんの顔が見えた。
「寧々、御守りを」
俺は手を差し出した。
「・・・・気を付けてね」
寧々は渡してくれた。
「片付いたら、あたしの術で記憶を消してやってもいいよぉ?」
「必要無い」
俺は『猫』に答えて、墜ちた怪魚の頭の方へ歩き出した。仮面の者が振り返ってくる。遠目には男か女かわからなかったが、近くで見ると体つきが男だった。それも若い、たぶん俺と同年代くらいに見えた。人間だったらの話だが。
怪魚の前の仮面の者は俺が来ると、五枚の刃の太刀を炎に包んで元の小刀に戻した。俺は仮面の顔を見た。
「あんたらが何者か知らないが、悪いが俺に終わらせてくれ」
仮面の者は頷き、一歩下がった。俺は怪魚の頭の前に立った。二つ持っていた鉄アレイの内、一つは捨て、残り一つと御守りを纏めて両手で持って振り上げると、御守りが反応して鉄アレイに青白い炎を灯した。手は焼かれたが、不思議とそこまで熱さは感じなかった。
怪魚の額の純くんと目が合う。
「純くん、ごめんな」
「・・・・がっ、ちゃん。あり、がと、ね」
純くんは笑顔を見せた。俺は泣いて、青く燃える鉄アレイを純くんに振り下ろした。
怪魚の頭部は全てが燃え上がった。御守りも燃え尽き、俺は焼けた鉄アレイを取り落とした。
火は俺自身にも燃え移りそうだったが、泣いている俺はその場を動けずにいたが、後ろから仮面の者が俺の腕を取り、下がらせた。
「純くん、うっううっ」
俺がいつまでもグズグズ泣いているのに仮面の者は少し困惑した様子で、俺はそれを意外にも思ったが、仮面の者は俺の腕を離し、小刀を鞘に納め、袂にしまうと替わりに札を1枚取り出した。
札にはひとりでに青い火が点き、仮面の者はそれを宙に投げた。札は燃え上がり、その炎は膨れ上がって、中から注連縄を巻いた大きな岩のような怪物が現れると火は尽きた。
「おう、坊っちゃん。派手にやったな。これは高くつくぜ?」
坊っちゃん呼ばわりされた仮面の者が岩の化け物に頷くと、岩の化け物は不敵な顔で笑って、唐突に宙に浮かんだまま粉々に砕け散った。
「おおっ?!」
泣くのも忘れて驚いていると、岩の化け物の破片は壊されあるいは毒? で溶かされた周囲の舗装された道や川の柵等に突き刺さり、そのまま混ざり込むように合わさると、あっという間に全てを元通りの姿に戻した。
「ええっ? 戻せるのか?」
俺の驚きには一切構わず、舗装された道の中を『泳ぐ』ようにして、掌サイズに縮んだ岩の化け物が飛び出してきた。
「あらよっとっ! 支払は神社にツケとくかんなぁっ、あばよっ!」
小さくなった岩の化け物はプールにもでも飛び込むように、舗装された道の中にポチャンっと飛び込んでいった。
「済んだようねぇ」
『猫』が四本の尾の内の一本に寧々を抱え込んで近付いてきていた。
「寧々っ?」
「何か、モフモフするよ」
『猫』は俺の傍に尻尾を伸ばして寧々を降ろし、尾を離し、俺と寧々の火傷した両手を見た。
「その火傷は少し痛むだろうけど、わりと早く綺麗に治るよ。それからお前達と、お前達の子孫の『手』は大した力じゃないけどさ、これから穢れを祓う力を持つようになるよぉ」
「そんな力が」
俺はもうほとんど燃えカスしか残っていない怪魚の頭を見た。
「子孫、かぁ」
寧々は自分の手を見ていた。
「じゃ、そういう事で、よろしくぅ~」
『猫』は濃い霞を纏い、姿を消していった。仮面の者も後ろに大きく跳び退いて、姿を消した。
「行っちゃったね」
「ああ、これで、終わりだ」
見詰めていると、怪魚の頭も完全に燃え尽き、その燃えカスも霞の中に掻き消えて行った。
文化祭当日、天気は晴れだった。クラスの出し物の執事カフェで、厨房希望だったが結局執事役をやらされる事になった俺は冷やかしに来た残党会3班メンバーの対応に苦戦していた。
「椿っ! 貴方はショートケーキを持ってくると言うのっ?!」
オフィーリアの格好のままやってきた八木が役のテンションで絡んでくる。
「普通にオーダーしてくれ、ショートケーキだな?」
「ココアをセットで頼んで割引させると言うのっ?!」
「ココアとセットだな」
「つーか椿、『執事』の設定守れよぉ?」
「そうだよ、何普通に接客してんの? これじゃ執事カフェじゃなくてただの『高校生カフェ』でしょ?」
工藤と千石も絡んできた。
「いや、むしろそっちの方が引きが強そうじゃね?」
山元が半笑いで混ぜっ返した。
「それよりその手、大丈夫なのか?」
三瀬が包帯で巻かれた俺の両手を見て言ってくる。
「彼女も火傷したんだろう? 何してたの?」
野間も聞いてきた。
「いや、その、二人で『魚』を料理してたら、凄い油が跳ねて、さ」
「油が跳ねたと言うのっ?!」
「貴代、煩いっ」
千石が突っ込んでいると、執事カフェになっている教室に私服の寧々が入ってきた。七分袖のタックブラウスにクロッシェ帽子がよく似合っていた。寧々も両手に包帯を巻いている。
「おっ? 噂をすれば」
工藤が反応する。
「八木はココアとショートケーキのセットだなっ、後は適当でいいなっ?」
「おざなりだと言うのねっ?!」
「ちょっと椿っ、そんな対応はっ」
ややこしいので俺は千石にクレームのスイッチの入り始めた3班の席を離れ、寧々の元へ急いだ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ふふっ、執事の格好似合ってるね。後でスマホで撮っていい?」
「御望みとあらば」
「あ、これ、出来たから」
寧々は鞄からストーンビーズストラップを取り出した。ラッピングせずにそのまま持ってくるのが寧々らしいと思った。
「サプライズだよ? 手がこんなだから、ちょっとお母さんに手伝ってもらったけど」
「ありがとう、寧々」
俺達は微笑み合った。
「席に案内してくれる? 岳ちゃん」
「喜んでっ。こちらです」
俺は3班達の視線をスルーしながら、窓側の席に寧々を案内した。途中、寧々は軽く3班達に会釈する。椅子を引いて座らせ、メニューを渡した。
「御注文は?」
「ん~、セットで割引何だ。君のお勧めは何?」
「原価で言ったら、モンブランですよ? 値段決める時、クラスで揉めてたくらいですから」
「じゃあ、合理的にっ。モンブランとホットレモンティーをお願い!」
「かしこまりました、お嬢様」
お互い目で笑い合ってオーダーを取り終えると、俺は芝居掛かって一礼し、カーテンで仕切られた調理場スペースに向かった。
その時、何気なく窓の方を見ると、校舎の斜め向かいの開いた廊下の窓枠に、山元の家のムー太郎が乗ってこちらを見ているのを見付けた。
「あっ」
やっぱりあの『猫』にそっくりだと思ったが、ムー太郎はただの猫だった。だが一瞬、ムー太郎がニヤリっと、人間のように笑ったように見えた。
俺が戸惑うと、ムー太郎はすぐに廊下に飛び降りて、姿が見えなくなった。
「まさか、な」
俺は一人で言って、調理場スペースのカーテンの中に入って行った。