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花の輪 前編

「三瀬君さぁ、店長に頼まれたんだけど。賄い食べんの10分切り上げて洗い場早く入ってくんない? 途中で手が空いたら10分休憩入れていいから」

 休憩室にのそっと入ってきた大山さんが眠そうな顔で言ってきた。長髪をいつも後ろで簡単に纏めているが、前髪は右分けだったり左分けだったり、日によって違う。今日は10日ぶりくらいに左分けだった。俺のシフトが入っていない日は知らないけど。久し振りに正面から大山さんの顔を見たが、元々細身の大山さんはさらに痩せた気がした。

「それはいいッスけど、大山さん痩せました?」

「んん? ああ、そうかも、ちょっと貧血。とにかく洗い場、よろしく」

 大山さんは曖昧に答えて、休憩室を出て行った。

「風邪、かな?」

 俺は呟いて、やたら辛い賄いの端材海鮮炒めを掻き込んだ。

 洗い場に向かうとタチの悪い冗談みたいに洗い物が山積みになっていた。通ってる霞ヶ丘高校の事務局の紹介でこの店『居酒 定食 みのだ』でバイトを始めた当時の俺ならテンパって脂汗をかいていたところだろうけど週三日、もう半年以上働いている俺は全く焦らない。こんな事は月に4~6回はあり、別に珍しくもない。ドンドン追加される分を考慮すると1時間50分程度で一段落する。もっと急ぐ事もできるが、そんなに慌ててやるとミスし易いし、何より毎日無理するとすぐに腱鞘炎になる。急ぎつつ正確に程々に手を抜く適切なペース配分ってヤツがあるんだよ。

「おっしゃっ」

 軽く気合いを入れ、洗い物に取り掛かる俺。溜まった洗い物を一通り片付け、店長から休憩の許可が出たのは予想より少し早い取り掛かってから1時間43分過ぎた頃だった。

「お疲れっしたぁっ!」

 休憩後も定時の午後8時まで仕事を続け、店の作業着から高校の制服に着替え、主に手近にいた厨房スタッフに挨拶しながら俺は勝手口から『みのだ』の外に出た。

「あーっ、終わった終わった。今日賄い旨かった。担当平井さんか? あの人センスいい」

 俺は言いながら凝った肩を回し、何気にスクールバッグからスマホを取り出した。そういえば昼休み以降全く見てない。メールや電話の着信はゼロ。SNSを見てみる。

 霞ヶ丘高校全体のSNSは混沌としていて流れもよくわからない感じだったのでこれはスルー。二年の同じクラスのSNSはこの間作ったばかりで探り合いをしている段階で、これもスルー。一年の時のSNSは盛り上がってはいたが二年の新クラスの不満ばかりでどうでもよかったのでこれもスルー。同じ霞ヶ丘中学の三年時の同じクラスのSNSは別々の高校に進学したが、トラブって連絡もつかなくなったヤツらの噂話を延々としていてちょっと悪趣味な気がしたのでこれもスルー。霞ヶ丘中学出身で霞ヶ丘高校に進学した在校生のSNSでは新一年生が先輩に質問大会のような事をしていて面倒そうだったのでこれもやはり、スルー。

 あれもこれもスルーして、俺は最後に『6-3残党会 第3班』のSNSを見た。6-3残党会は霞ヶ丘小学校の六年生の時、同じ三組だったメンバーの会で、その中でも霞ヶ丘高校に進学したメンバーのSNSを『3班』と俺達はカテゴリーしていた。俺達の代の六年三組から霞ヶ丘高校に進学したメンバーはたった7名で案外少ない。当時から仲良かったのは山元聡だけだがこれだけ少ないと難破船の救命ボートに乗り合わせた乗客みたいなモノで、俺達はそれなりに結束していた。

「ん? 河童っ?! 何っ?! マジかっ? 陶芸っ?! 八木ぃっ! オイっ!!」

 俺は3班のSNSを見て、驚愕させられた。昼休みまでは当たり障りないいつものやり取りだったが、放課後になると進級した途端学校を休んで連絡もつかなくなっていた八木貴代が久し振りにレスしていた。それ自体驚きだが、その内容が、


『私、古文の勝山と不倫して妊娠したんだけどこの間堕ろしてきた。学校にバレてないけど気まずいからT高の夜学に移ろうと思う。勝山は教師辞めて陶芸家になるとか言ってる。でも離婚はしないってさ。バカだよね?』


 いやいや、おかしいおかしい。最初の『勝山と不倫して』のところから聞いてねぇよっ! いや、別に言う必要は無いんだろうけど、勝山かよっ! 確か40台後半だろ?! 別に渋くもない普通のオジサンだぞ?! 福山雅治とか阿部寛とかじゃねぇぞ?! いや待てっ、そこじゃないっ! 妊娠?! もう堕ろした?! 夜学?! 陶芸だと?! 陶芸関係無ぇっ!!

「どっからツッコめばいいんだ?! 八木っ!」

 取り敢えず声に出してこの場にいるワケでもない八木にツッコんでみる俺。3班のSNSも大混乱になっていた。俺以外も全員聞かされておらず、特に八木以外の二人の女子は相当動揺していた。書き込んだ八木本人は『ごめん』と何回かレスしてそれきりになっている。

 途中からメンバーは全くレスしない俺の話になり『またスマホ見てないよ三瀬真澄は』『バイトだろ?』『既読じゃないスルーだよ』『皿洗い過ぎ』『河童かよっ』『スルー河童真澄っ!』『みのだ一味っ』『バイト夢中過ぎ』『バイト河童』『みのだ河童っ!』と俺、不在のまま軽く炎上していた。何で俺だよっ! 河童じゃねぇよっ! 店の悪口書くなよっ!

「ちっくしょうっ、アイツらぁああっ!」

 俺は怒っては見せたものの、八木のレスが本当なら大事過ぎてワケがわからないし、嘘なら嘘で意味がわからな過ぎて、事態から目を逸らそうとしているだけだとはわかっていた。やたらSNSで俺をイジった3班のメンバーもそれは同じだろう。

「取り敢えず八木にメールか? いや、返信ないか? なら、香織に電話か?」

 香織、工藤香織は3班のメンバーで去年の3ヶ月だけ付き合っていた。3班内は『ややこしいから』という理由で恋愛禁止ルールがあったが俺達は発泡酒を飲みながら二人で鉄板の『六年三組時代トーク』をしている内になるようになってしまい、なったからには付き合おうという事になったのだが、お互い主張が強く昔から知ってる分、手加減もしないので結局大喧嘩して別れ、元のただの3班メンバーに戻っていた。別れてからも学校で普通に話しSNSでは頻繁にやり取りしメールもたまに送り合ったが、電話で話した事はなかった。

「気まずいな、メールか? いや、ここは電話だろっ」

 自分で自分にツッコみつつ、勝手口の前でスマホ片手に一人であたふたしていると、勝手口が開いて私服に着替えた大山さんが出てきた。髪を解いてデニムを穿き、モスグリーンのカーディガンを着ていた。高校生バイトでは出勤や退勤にシフトが重なる事は殆どなく、私服を見たのは新年会以来だ。大山朋さん、今年で確か29歳。身長は165cmくらい、高い。棒みたいな体型。

「おっ? 三瀬君。電話?」

「いや、何でもないッス」

 俺はなぜか慌ててスマホをスクールバッグにしまった。

「今、上がりですか?」

「わたし今日、早番。残業だよ」

「そうだったんッスか」

「そうだよ」

 大山さんは俺をしげしげと見詰めた。『みのだ』で働いて半年ちょっと、大山さんと揉めた事は一度も無いが、あまり絡んだ事もなかった。

「下の名前何だっけ?」

「えっ? 真澄です」

「ああっ、そうそう! 同じ名前の大学の時の女の子の友達いたわっ、ふふふっ」

 ウケる大山さんに俺はどう返していいかわからない。名前が女子っぽいのは久し振りに言われたな。大山さんは一頻り笑って、ふぅっと息を吸うと、少し真面目な顔をして、

「川の桜を見に行きたいんだけど、ちょっと送ってくれない?」

 試すように、そう言った。


 数分後、俺と大山さんは『みのだ』近くの川まで緩い坂道を二人で歩いて下っていた。店から川まで歩いて7分程度。大山さんは俺の自転車が近くの駐輪場にあると思っていたようだが、先週盗まれて俺は徒歩だったので、間が抜けているが二人で並んでとぼとぼ歩いていた。

「盗まれちゃって何か、すいません」

「ああ、いいよ。途中電灯少ないとこあるし、ついてきてくれたらいいよ」

 大山さんはヤケに機嫌がよく、この春に入ってきた大学生と専門学校生の接客バイトの人物評等をわりとポジティブにしていた。俺は同じ時間に店にいても接客担当とは接する機会が少ないのでそれなりに興味深かったが、いまいち話題にされてる年上の学生達の顔が浮かばず、頭の隅ではやはり八木の事と、それから妙になぜ咄嗟に自分は大山さんからスマホを隠したのかと考えていた。

 隠した? 隠したのか俺は? なぜ? 考えてみると、すぐに思い至った。

「あっ」

 思わず声を出してしまい、大山さんの話を止めてしまった。

「何? 三瀬君?」

 不思議そうに俺を見てくる大山さん。そういえば、彼女には店長と不倫している噂があった。業務中も、休憩中も、たまにある飲み会でも、それらしい様子は一切無かったし、どこかで会ってるという具体的な話もなかったが、俺が店で働くより以前から長くそういう噂があったようだ。

 中高年のパートを除けば料理人以外の非正社員で七年あまりも働いている女性は大山さんだけなので、どうしてもそういう噂が立つ。これまでそういう話は聞き流していたが、八木の話が出ると色々違ってくる。もし、大山さんの不倫の噂が本当なら、中絶とか、そういう話題はやっぱアレだろう。

「いやっ、ほら、専門学校生の河合さんって凄い胸のボリュームありますよね!」

 黙っているのは不自然過ぎるので苦し紛れに俺は言った。正直『河合さん』の顔は思い浮かばなかったがそのボインぶりと、男子従業員だけになった時の休憩室での話題ぶりは明確に思い出せた。大山さんは単純に笑ってくれた。

「ふふっ、何? 三瀬君おっぱいフェチかぁ」

「フェチじゃないッス! インパクトですよっ」

 何とかごまかし、巨乳好きと大山さんにイジられつつ、俺達は川の傍まで歩いていった。


「思ったより、凄いね」

 眉を寄せて、警戒するように言う大山さん。川沿いに満開の桜並樹が続いていた。街灯に照らされた様子はちょっと不吉に感じるくらい美しかった。日常生活で『美しい』何て滅多に思わないから、こんなコンクリートで固められた全て角張った人気も無い路地裏の川沿いに『美しい物』が放置されるように並びたっている事に、俺は上手く反応できなかった。

「朧橋まで歩こう。時間ある?」

「あ、はい。大丈夫です」

 俺は何とか応え、大山さんと桜の花弁がはらはら落ちてくる川沿いを少し離れた朧橋へと歩き始めた。薄情だが八木の話は一旦置こう。ここで『一旦置こう』と考える俺が友情ぶって急にあれこれするのは嘘臭い気もした。

 大山さんは暫く黙って、落ちてくる花弁を手で受けたりしながら歩いていた。本当に細い人だ。こうして間近で見ると目元の張りや首筋の張りの衰えに、加齢と、確か静岡出身の彼女が都会で消費した年月が浮き出ていた。

「ここの桜見にくるの4年ぶりくらい。すぐ近くなのに」

 不意に大山さんは話し出した。

「そうッスか」

「そうだよ」

 大山さんは薄く笑った。

「今、婚活してんだ。土曜も婚活で、釣りとかバーベキューとかする。何か、子供みたい」

 婚活しているという話も聞いた事はあった。

「楽しそうッスね」

「気恥ずかしいんだよ。大人だからさぁ」

 そう言って、大山さんはもう朧橋まで何も話さなかった。

「ありがとね。遠回りだよね。ごめんね、三瀬君」

「いや、いいですよ。送らなくて大丈夫ッスか?」

「うん、まぁ」

 大山さんは朧橋の向こうの帰り道を一度振り返った。

「ここからは電灯多いし、防犯カメラも何本か立ってるから。わたしが殺されてもすぐ捕まえてくれるよ」

「いやっ、大山さん。それは」

「ふふっ、冗談! おやすみ」

 笑って、手を少し上げて合図して、大山さんは少しふらふらとした様子で橋の向こうへ歩き去っていった。桜の花弁は緩い風に乗って、朧橋にも舞い散ってきていた。


 家に帰って金魚に餌をやって、風呂に入り、上がってスポーツ飲料のペットボトルとスマホを持ってリビングのソファに座るともう9時40分を過ぎていた。寝る前に学校の課題を片付けなくてはとチラリと思いもしたが、帰る頃には何だか疲れてしまって後にしよう、後にしよう、と後回しにし続けた香織への電話をいい加減、片付けなければならかった。

 八木のトラブルをダシに元カノと電話で直接連絡を取る機会を狙ってるだけ何じゃないか? とか、そもそも俺は何か狙っているのか? とか、香織は今は剣道部のヤツと付き合っているんじゃないか? とか、あれこれ余計な事を考え出してしまうがキリがない。

 父はプチ残業と飲み会のコンボでまだ帰らない。母は明日パート先に持っていく焼き菓子の仕込みをしていた。斜め向かいのソファには中学生の妹の真波が座り、口を開けて福山雅治のテレビドラマを見ていた。まだ風呂に入らず、制服のままだ。

 どうも違和感を感じたので足元を見ると左足の靴下の中指の所が破けて左足の中指が靴下の外に飛び出していた。マジか、コイツ?! なぜそこが破ける?! 普通は親指だろ?! それで1日過ごしたのか?! お前の通う、俺も通った霞ヶ丘中学は上履きはスリッパだ。真波っ、妹よっ! お前は1日その足を晒して過ごしたというのかっ?! 兄は情けないぞ?! 真波はすっトロいところがある。兄としてここは一言、言ってやりたいところだが、真波はトロいだけに反論も長い。今、説教すると、100%の確率で明日の朝食を食べる段になっても、「兄ちゃんさぁ、昨日の夜さぁ、あたしはさぁ」と延々と反論してくる。

 だぁっ! ダメだ。妹がアホ過ぎて兄妹喧嘩の始末に二日以上かかる。付き合ってられん。俺は真波への説教を諦め、香織に電話する事にした。

「・・・・あ、香織。俺俺っ」

「詐欺ですか?」

「違ぇよっ! 実家じゃねぇだろっ」

「私はお前の母ではない」

「ああもうっ、めんどくせっ! 八木だよ八木っ!」

「お前、既読じゃないスルーを」

「そこはもういいだろっ、アレどうなってんだよ?」

「わかんない。電話出ないし、明日放課後家に行ってみるよ。その前に勝山を詰めないとだけど」

「ああ勝山な。わかった。じゃ、明日な」

「そ、ね。何かさ」

「ん?」

「声、緊張してるね」

「別に」

「電話久し振りだから、私の事、恋しくなっちゃった?」

 電話越しに軽く笑ってくる香織。

「うっせっ! じゃあなっ!」

 俺は速攻で通話を切った。あいつ調子に乗ってるぜ。

「兄ちゃん、今の香織さんでしょぉ?」

 真波がニヤニヤしながら言ってきやがる。

「そうだよ。だから何だよ?」

「よりを戻すのぉ?」

「はっ? 戻さねぇしっ」

「二人の運命はどうなってしまうのぉ?」

「うるせっ、お前はテレビドラマでも見てろっ! 靴下も破けてんぞっ!」

 俺は真波に手近なクッションを投げ付けてやった。


 翌日の昼休み、俺達3班の男子四人はあまり人の来ない棟の階段の踊り場に集まっていた。今、香織と千石結衣の八木以外の3班女子も女子同士で別の棟の踊り場に集まっているはずだ。男子は俺、山元、野間宏一、椿岳だ。俺、こと三瀬真澄は帰宅部で『みのだ』に週3日勤務し、近所の塾に週2日通っているっ! 保育園時代からの俺の友人で、山元こと山元聡は卓球部だが週2日予備校にも通い、地味に忙しいが週に2、3回は自分で自分の弁当を作り、しかも上手っ! 野間こと野間宏一は卓球部より練習のキツいバスケ部所属で塾も予備校も通う暇はないが、成績はそこそこいいヤツだっ! 椿こと椿岳はパソコン部の幽霊部員だが普段はボクシングジムに通い、野間よりパワー系で学校に無届けで週2日くらい土建の手元作業のバイトもしていて、彼女は偏差値高い近くにあるF高の吹奏楽部部員だっ! なお、学校で直接四人集まる事は意外と少ない。

「勝山を締めるのか?」

 椿が見も蓋も無い事を言った。

「八木の話がホントなら、ちょっとアレかもなぁ、あのオッサンがなぁ、何で勝山に行くかなぁ?」

 呆れているようでわかり難いが、これでも結構心配している山元。

「話が本当だとしたら、やらかした勝山のせいで俺達が停学とか退学とかワリに合わないぜっ」

 不穏な流れを牽制する俺。

「俺、中学の時、少しの間さ」

 急に野間が自分語りを始めた。どうした? 俺、山元、椿の視線が野間に集まる。

「八木と付き合ってた」

 一瞬固まる俺、山元、椿。

「ええーっ?!!」

 声を揃える俺、山元、椿。

「そんな気配、一切無かったぞ?!」

 ビビる椿。

「お前から勝山って、八木っ、守備範囲、広っ!」

 勝山に拘る山元。

「野間っ、今回の件、何か知ってるのか?!」

 早口で聞く俺。何だ? 入り組んだ感じなのか?!

「わからない。聞いてない。俺、怒った方がいいのか?」

「いや、それは」

 俺は山元と椿を見たが、二人とも困惑していた。

「三瀬、もし工藤の事だったらどうする? お前は怒れるか?」

 野間は思ってもみない事を聞いてきた。反射的に香織の話じゃないっ、と言い返しそうになったが、野間は真面目な顔で、ここでムキになるのは八木を馬鹿にしたようになるような気もした。もし、香織でもそんな事があったとしたら。もし、その時の俺だったとしたら・・・・

「何か、ヘラヘラして、嘘ばかりついているなら怒るかもな」

「誰が誰にだよ」

 野間は力無いように笑って、言いながら踊り場から去り出した。

「おいっ、野間っ!」

「方針決まったら知らせてくれ、皆が決めた通りにする。多数決でいい」

 野間は自分のスマホを取り出して見せて、そのまま去っしまった。

「何だよ、あいつ」

 元カノのトラブルにしたって妙な反応だった。

「野間は真面目なヤツだし、八木は思い込み激しいヤツだから、セットにするのはあんまりよくない気がするな」

 椿が淡々と言った。

「三瀬と工藤も、鶏の喧嘩みたいになるもんな」

 山元も意地悪く言ってきた。

「鶏じゃねぇしっ!」

 俺は何だか思った以上に面倒な事になる気配に、正直投げたくなってきていた。自分達で好き勝手した挙げ句、自分達で始末できないって、どんだけだよっ!


 放課後、香織と千石も加え、俺達3班の6人は勝山が顧問をしている演劇部の稽古場に向かった。連中は人の少ない別棟の空き教室を稽古場としている。勝山は珍妙な体勢でストレッチをする演劇部員達を冷静な顔で指導していた。これまでなら、ああ演劇部だな、人間の専門家みたいな顔しているのが鼻につく、演劇部達だな。としか思わないところだが、今は、違う。なぜなら、八木は演劇部員だっ!!

「勝山っ!」

 俺が怒鳴るより先に、香織が廊下の窓から大声で呼びつけていた。さすが俺の元カノ、怒鳴りどころを心得ているぜ。しれっと指導していた勝山は揃いのジャージの演劇部員達と共に驚いて振り向き、俺達の姿にすぐに事態を了解したらしく、部長らしい部員に何か言って、稽古を続けさせてから一人で廊下に出てきた。

「ここじゃ何だから」

 勝山は最初にそう言った。

「どこでもいいですよ、勝山先生。何なら職員室に行きますか?」

 自分でも意外に思う程、嫌味ったらしく俺が言うと、勝山はみるみる青い顔になった。

 通路を曲がった、別棟の一番奥のどん詰まりで話を聞く事になった。自然と俺達6人で勝山を囲む形になる。

「貴代が中絶したというのは本当?」

 黙っていた千石が最初に口を開いた。静かな口調だが、俺と山元と椿は目配せした。この中では千石が一番激情的なところがあった。

「僕も後になって聞いたんだ。あの子は、何というか勝手にどんどん進めてしまう子だから、ついてゆけなくなる事がある」

 千石はじっと勝山を見詰めていた。蛇のようだ。マズいな。

「退職して、陶芸家って本当ですかぁ? そんな簡単になれるもんですかぁ?」

 山元がスカした感じでカットインした。ナイスっ、山元。

「陶芸家? ああ、陶芸教室か。趣味で陶芸をやっていて、学校には秘密にして休日に知り合いの主宰している陶芸教室の手伝いを随分前からしている。たまにバザーに自分の作品を出したりもしているよ。前から田舎に引っ込んで古民家を改修してカフェをやりながら焼き物も焼こうと妻と話していたんだ。二人とも田舎の生まれで、妻は元料理人だ。僕も、もうそろそろ教師はいいかと思っていたし、これを機会に、心機一転、身辺も綺麗に整理して、ごふぅっ?!」

 最後の『ごふぅっ?!』は椿がノーモーションからいきなり左のボディブローを勝山に打ち込んだ為だ。勝山はゲロを吐きながら廊下に膝をついた。

「椿っ」

 椿の腕を取る山元。

「お前は殴ったらダメだって」

「ジム行ってるから、捕まったちゃうよっ」

 俺と香織も言ったが、椿本人は案外落ち着いた顔をして、野間の方を振り向いた。

「野間、ポケットの中、出せよ」

 鋭く言う椿。野間はため息をついてから、ポケットからカッターナイフを取り出した。

「ひぃいいっ!」

 膝をついたままの勝山がゲロまみれで大袈裟に怯えた。

「別に本気じゃない。一応持ってきただけだ。殴ったりするの苦手何だよ」

 言いながら、刃を出さないカッターナイフを見詰める野間。殴れないからナイフ、野間らしいっちゃあ野間らしい。

「お前ら、頭おかしいのかっ?! 俺は教師だぞ?! それに俺から口説いたワケじゃない、あの子の方が付きまとってきたんだっ!」

「何故、お前何かに?」

 千石が冷たく聞いた。

「お前っ?! ふんっ」

 勝山は鼻を鳴らし、居直ってその場に胡座をかいた。

「タチの悪い男に金を渡したりしていたから、止すようにと相談に乗っていたんだ。下心等無かった! だが、あの子が一方的に僕に惚れてきて、それからはストーカーだよっ、とんだ地雷だった。一日中連絡を取ろうとする、家まで会いにくるっ、本当に迷惑だった。1回抱けば少しは大人しくなるかと思ったらとんでもないっ! 離婚してほしい、結婚したいと一人で騒いで、挙げ句この有り様だ!! 何故、俺がこんな目にっ!」

 勝山はドロっと濁ったような目で俺達を見上げてきた。

「僕の事を見下したつもりだろうが、君達もああいう女とは関わらない方がいい。ああいう女は一生人の情けに喰い付いて生きてゆく蚤みたいなもんだ。あんな、薄汚っ、んべぇふぅっ?!」

 言い終わらない内に勝山は千石に顔を思い切り蹴り上げられ、鼻を折られた。

「痛いっ、痛いっ! クソッ、最悪だっ。何なんだよお前ら?!」

 ゲロと鼻血にまみれた勝山が鼻を押さえながら言うと、俺と香織はグイっと半歩前に進み出た。

「何って程の者じゃないッスよ」

 俺が言い、

「六年三組舐めんなよっ、つってんだよっ、カッスカス野郎がぁああっ!!!」

 香織が吠えた。

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