○○王、勇者になる
「やったぞ!召還成功だ!!」
「勇者様だ!」
「勇者様がいらしたぞ!!」
こんな信じられない目覚めを体験したのが、3年前。
パジャマ姿で、下宿の万年床から突然召還された俺には、当然のごとく何の心構えもなかったし、ついでに言うなら召還につきもののちょっとは役に立つ異世界アイテムなんてものも持っていなかった。だって、パジャマで寝てたんだからさ。
そんな、よれよれで毛玉も付いた灰色のスウェットを着て寝癖で髪を逆立てた俺を見て、沸き上がっていた人たちも徐々にテンションが下がっていく。あれ、なんか違わないか、という目が、じろじろと俺を観察して、なんとかイメージと『違わない』点を探そうとするのを、俺も目をこすって観察した。
・・・異世界だあ。
俺の感想はのどかなもんだった。半分、寝ぼけていたのが幸いだったのかもしれない。素面で正常時だったら、もっと取り乱してパニックになったかもしれないし。
ともかく、そのとき俺は、周りにいるゴージャスな服を着た人々・・・の中にいた、三人の美しいお姫様に見とれていた。きらっきらふわっふわしたドレスを着込んだ、ピンクと水色と黄緑の髪の女の子は、頭の上に華奢なティアラをのせていて、紛れもなくお姫様だった。
その子達を見たこともあって、あ、ここって地球じゃないっぽいとか、ここってきっとお城なんだなとか、そういうことが飲み込めた。
でも、残念なことに、なんだかお姫様たちの表情は優れなかった。戸惑いというのだろうか。え、なんか違う、という、さっき他の人たちにも感じたあの顔をしていたのだ。
その微妙な空気を咳払いで誤魔化そうとしたのは、禿げた頭の上に王冠を載せたおじさんだった。
「見よ、勇者が困惑している。ゼス、勇者に説明をするのだ」
は、と畏まって頭を下げた紫の髪の美少年が、長い服を引きずりながら俺の側まで来て、また深く頭を下げた。
「彼方異界におわすおうよ、我らは御身の助けを求むる者。我らは御身の力を求むる者なり」
おお、良く読むようなやつだあ、と俺は感動した。でも俺、古文は苦手なんだ。だから、この時実は半分しか分かってなかった。もう少し優しく教えてくれよ。
「あの、普通に話してくれませんか」
遠慮がちに頼むと、紫の人は、は、とまた畏まって、それから言葉遣いを改めてくれた。
「我々の世界は今、魔王によって支配されようとしています。日一日、刻一刻と人間の住む地は魔に奪われ、この5年の間に半分になりました」
「王よ、どうか我々を魔王の手からお救い下さい」
「王?」
俺はさっきの頭のつるんとしたおじさんを振り向いたけど、だれも彼を見ていないので、王様は彼ではないらしいと気付いた。でも、王冠被ってるぞ、と首をひねっていたら、さっきの紫がもう一歩ずいっと寄ってきた。そして彼は、ひどく真剣な顔で、頷いた。
「我々は、魔王を倒して世界を救うことのできる異界の王を召還したのです。ですから、あなたは王であらせられる」
「お・おおお王?」
「はい!」
人違いだったらしい。
それからいろいろあって、修行の日々が始まった。
もちろん、俺はちゃんと人違いを主張した。
だって、勇者とか異世界召還とか大好きだけど、王様と人違いされたんじゃさすがに無理だと思ったからだ。
「一応聞くけど、その、召還によって何か特別な能力が芽生えるとか・・・」
「ございません」
「勇者の特別な装備を身につけると、超人的なパワーが使えるとか・・・」
「ございません」
何をおかしなことをとでも言うように、紫の男・・・ゼスは眉を寄せた。
「太古より伝わる召還術は決して嘘偽りをいたしません。ですから、召還されたということは貴方には救世の力がもとより備わっているはずです」
「・・・だから、人違いだって」
「いいえ。王よ、もしも身に覚えがないとおっしゃるのなら、貴方はまだその力に目覚めていないだけのこと。召還術に誤謬はないのですから」
ゼスは絶対の自信があるようだった。
でも、この自信家はともかく、他の人たちは疑いはしなくとも拍子抜けはしたみたいだった。
あのときの女の子たちとか。綺麗に着飾ったティアラの女の子たちは、やっぱりはげの王様の娘でれっきとしたお姫様で、ゼスが異界から王を召還するというので出迎えのために臨席していたらしい。
彼女らは、勇者にふさわしい王子様が出てくるのを待っていたのだ。ところが出てきたのが寝癖マックスの地味男で、その上自分は王ではないと言い出したものだから、かなりがっかりしたようで、その後全く姿を見せてくれなかった。女の子というのはどこの世界でもゲンキンなものだ。
まあ、残念だけど王子様という柄ではないし、仕方がない。残念だけど。
そういうわけで、俺は一月後、城中に漂うがっかりを背負って、雲を掴むような魔王退治の旅に出ることになった。
もちろん行きたいわけがない。何しろ、何のチートもなく、装備も普通、だ。つまり、ただの俺そのまんま。俺が魔王を倒せるわけがない。
俺のことを説明しよう。
中肉中背、どちらかといえばもやし体型。
頭は中の中、いや、少し見栄を張った。中の下だ。でも眼鏡はかけていたんだ、寝たまま召還されたから今はないけど。
運動経験は小学5年生までサッカーをたしなむ程度に。
格闘経験は、出来心でぬんちゃくを振り回していたのが4年前。他に修学旅行先でも模造刀を買ったけど、こっちはさすがに振り回してない。
それじゃあ対人関係は、というと、これも普通としか言いようがない。俺と似たような仲間が、リアルにも少し、ネットにも少し。
ああ、これは無いな。自分で振り返っていて、魔王を倒せる要素とか欠片もない。運頼みしようにも、どっちかというと運も悪い方だ。
「先行きが、暗すぎる・・・」
「何をおっしゃいます、貴方には魔王を倒せる力が眠っているのです」
一人ゼスだけが信じている。
俺は、彼を振り返った。
「なぜ半目で私を見るのです?」
「いや・・・」
こいつは、ひとっかけらも思わないのかな。皆が召還の失敗を疑っていて、それで俺と召還士だったゼスを体よく城から追放したんじゃないかとか、そういうこと。
だって、装備もどう見ても普通だし、これってお城の貴族の騎士様たちよりも平兵士のおっちゃんたちの鎧に近い。剣もさびちゃいないけど、名剣って感じでもない。
ぶんと振ってみたそれは、重くて太くて、手になじまないことこの上なかった。
「まあ、剣なんて使えないからいいけど」
「何をおっしゃる。これから眠れる能力を引き出すべく、修行に行くのではないですか」
ゼスは、国王から賜った旅の資金と魔王領への地図を背負って俺の隣を歩いている。
そうだ、俺たちは、徒歩だ。期待の無さが分かるってもんだろう。
「まあ、馬なんて乗れないからいいけど」
「またそんなことを。いいですか、これは太古より伝わる、由緒正しい魔王退治のスタイルなのです」
それ、馬車もない大昔のことじゃないのか、と言いたかったけど、口を閉じた。そう信じ込んでいるゼスが可哀想に思えて。
元はといえば俺を人違いで召還したのはゼスで、こいつが悪いといえば悪い。
でもこうして将来有望な城付き魔術師という立場を追われて当てもない旅に出された時点で、こいつも立派に被害者の仲間入りだ、と俺は思った。なによりゼスは、この世界で唯一俺を信じて必要としていて、俺自身右も左も分からない世界で唯一頼れる相手だ。
「さあ、まずは剣豪キュロスの庵に参りましょう!そして修行をしつつ、仲間集めです!」
紫の髪の下から、きらんと同色の目が光った。
「気合が足りませんよ!こういうときの由緒正しいスタイルは、『お~!』です」
「お~・・・」
こうして、3年が経った。
「そして見事に、魔王を倒しましたとさ」
「いやいや、省きすぎでしょう」
そんなことは、分かっている。
でも、省きたいのだ。
だって、本当に、語るべき程のことは何もないのだから。
俺は半目でゼスを見た。
「代わりに、どうぞ」
ゼスは、ためらうかと思いきや、こほんと咳払いをして、意気揚々と話し始めた。
「あれから私たちは、剣豪キュロスの庵、癒しの女神の住まう神殿などを巡りました。その間に分かったことですが、やはり私の召喚は成功していたのです。勇者様は、まぎれもなく、異界で王と呼ばれた男でした」
おお、と声が上がる。
「キュロス様や女神様を、お仲間に迎えたのですね?」
「いいえ」
「なんと、勇者様は高名な彼らの力すら必要としなかったのですか」
「そうなりますね」
すばらしい、と誰かが感涙にむせび泣いた。他の誰かが、恐れおののいたのか身を震わせた。
俺はなるべくそれらを聞かないように、遠くの空に思いを馳せた。
正直なところは、こうだ。
俺は、キュロスにも、女神にも、会っていない。
いや、もちろん彼らと仲間になりたかったし、修行もつけて欲しかった。
でも、会えなかったのだ。
魔王の妨害にあったとか、俺の失敗を望む王様の陰謀とか、そんなものはない。
ただ、行ったけど会えなかった、それだけ。
剣豪の庵で『旅に出ます』の張り紙を見て一月待ち、女神の神殿で先代女神が数日前に亡くなったことを知り、そのあたりでなんとなく怪しいとは思っていた。
そして獣使いのジルという男が友達の狼と長期の狩りに出て戻らないと知ったとき、絶望に顔色を失ったゼスに俺は白状した。
自分が地球で、『不在王』と呼ばれていたことを。
小学校時代から、友だちと遊ぼうと思って尋ねていくと、必ず『ごめんねえ、あの子たったさっき、塾に行っちゃったのよお』とお家の人に謝られる。時と場合によって、塾の部分が遊びに、だとかピアノに、だとか変わるけど、ともかく会えないことは変わらない。一応断っておくと、あちらから誘いに来る分には遊べるのだから、これは居留守を使われていた訳じゃあなかった。
中学のとき、職場体験のための電話を何度かけても、担当者につながらなかったのは困った。最終的に先生がかけてくれたけど、あまりに予定日が目前になってしまったので結局お断りされた俺は学校で先生の仕事を体験という一番さえないグループに回された。
高校時代、同じ部の好きになった女の子に会いたくて何度もその子のクラスに行くのだが、会えた試しはなかった。あげく、卒業後に偶然再会した彼女は、『避けられてるんだと思ってた』と言ったのだ。
付いたあだ名が、不在王。
ごめんと謝った俺に、ゼスは黙って首を横に振った。それからしばらく考え込んで、こう言った。
「やはり、あなたは異界の王だったということですね。それでは、あなたが救世の力をもっていることも、また偽りの無い事実だということです」
ここまできてそれを言うか、とそのときの俺は思った。
本人にも、そう言ったと思う。でも、ゼスの目は変わらなかったし、顔色もすでに元に戻っていた。
「私は、信じます。私の召喚士としての力も、あなたも」
「・・・俺、きっと何の力にも目覚めないよ」
「いいえ、きっとあなたは魔王を倒します」
そして、どちらが正しかったかというと、ゼスも俺も、正しかったということになるのだろう。
俺たちはその後も仲間になりたい相手の誰にも会うことが出来ず、修行を請おうにも会えず、ろくな情報も得られないまま魔王領に入ってしまった。
しかし、そこで出会うはずの地獄の沼女にも、炎のドラゴンにも,会わずじまいだった。
「・・・」
「・・・」
道中俺たちが無言だったのは、緊張で息を潜めていたとかそんなことじゃない。もう、これはもしかしてという情けない予感がむくむく湧き上がっちゃって、なんにも言えなかったのだ。
その予感は的中した。
「勇者様は、そうして見事な知略でもって魔王の隙をつき、魔王の力の源である力の宝珠を奪うことに成功したのです」
ああ、うまいこと言ってるよ。俺はゼスの熱弁を聞いて遠い目になるのを止められない。
全ての魔力の源である力の宝珠は、魔王城の礎になっているので、普通、魔王は魔王城を離れたりしない。力の宝珠を奪われればどうなるのか、魔王だって熟知しているのだから。だけど、そんな魔王の常識や行動原理をも、俺の不在王の運命が上回ったということだ。
知略も何もない。強制力とでもいうのか、俺たちが魔王城にたどり着いた日、魔王はそこに居なかった。そして魔王城を守っていると聞いていた噂の幹部連中にも、会わなかった。
時折沸いて出る中の中程度の敵を倒したのは、主にゼスだ。俺は旅の途中に独学で身につけた剣で、何とか自分の身を守りながらついて行っただけで。
「宝珠を手にした勇者様は、誰よりも強い魔力を手に入れました。そして、その力で魔王やその幹部たちを一掃したのです」
そこは本当だ。
「こうして、勇者様は魔王城を譲り受け、魔物たちをもとの魔の山一帯に戻しました。今では彼らを統率し,魔・・・失礼、王と呼ばれるにいたったのです」
うん、今言っちゃいけないことを言いかけたな。
俺は、ハアとため息をついた。
魔王を倒せ、と言った王様たちは、きっと俺が力の宝珠を奪うとは思わなかったのだろう。でも、剣の力も魔法の力も女神の奇跡もない俺たちには、それを奪って結界を張るしか方法がなかったのだ。
魔王を倒すだけなら、次の魔王が自然に生まれるまで魔王領の力が弱まり、人間の世界が力を盛り返していくことになる。魔王を倒した勇者は、盛大に祝福され、凱旋する。
でも、魔王から力の宝珠を奪ったら。
その者が、次の魔王になるのだ。だから、魔王城は俺の望み通りに前の魔王とその幹部たちをはじき出し、魔力を奪った。
そうだ、俺は、魔王になってしまった。
ゼスは、勇者が魔物を退治した土地に新たな国を建てましたなんていっているけど、正式には新たな国なんてもんじゃない、ここは魔界の中心部、れっきとした魔界だ。
俺は、不在王から、魔王になった。
「うれしくない・・・」
「え?何かいいました?」
ゼスはあまり気にしていないようだ。
俺は、じとりとやつを睨んだ。
「お前、知っていて黙ってた?」
魔法のエリートだったこいつなら、宝珠を奪えば魔力も領土も自分のものになってしまうことくらい分かっていたんじゃないのか。
そう思って尋ねると、ゼスはにっこりと笑った。
「まさか。私は、あんな奴らに領土を返してやらなくてもいいじゃないかなんて、思いませんでしたよ」
こいつ、やっぱりそんなこと思ってたんだ。
旅の途中、国からなんの支援もないことをさすがに気にし出していたもんな、ゼスも。苦労した分、すれてしまったんだ。
まあ確かに、ゼスもあの国の被害者ではある。
でも、だまし討ちのように魔王にさせられた俺としては、この紫の髪の相棒に一矢報いたい。
「じゃあ、俺もお前に黙ってたことを言おうか」
俺はにやりと笑ってみせた。
「なんです?」
ゼスはまだ涼しい顔をしている。
「勿論お前はよおく知っていることだろうが、俺も知っていて黙っていたことがあるんだ」
「・・・あの・・・?」
やつの眉間に怪訝そうにしわが寄せられた。
それを眺めながら、俺は頬杖をついた。
魔王になった俺には、以前はなかった魔力がある。それは、ほぼ全ての人間の魔法を打ち破るレベルの。
「お前なら分かると思うけど、俺には今、大抵の技が通用しないんだよ。もちろん、お前のもね」
ゼスのまるで女の子のような顔が、ひきつった。
そう、美少年に見えていたのは、ここに着くまでのこと。力の宝珠を手にした俺の目には、もう紫の髪の美少年は映らなかった。
「ゼス、お前、本当は・・・」
きれいなきれいな、紫の長髪の、美しい旅の相棒は、その女らしい顔を、さあっと青ざめさせたのだった。