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案内に立つ娘族長は弓を携え、狩り用の軽装だ。山歩きも慣れたもので足取り軽く、斜面になった草地を跳ねるようにのぼってゆくのだが、サブラストはこれに追いつけない。
それも当たり前、女傑族というのは女性が狩りをする民族であるのだから、彼女もおそらく毎日のように山場をめぐって鍛えられているのだろう。
女たちが狩りをする間、男たちは山の斜面を切り開いた畑を耕し、子守をして一日を過ごす。女性は完全に上位であり、族長から村の重鎮まで全てが女性である。
サブラストはこれを書物で読み知っていたが、実際に見るとなるほど娘族長の体には余計な肉付きなど一つもなく、それでいてしなやかな筋肉の質感を服越しにも感じるのは、それが女であるという特性なのだろう。
――美しい野生の猫を見ているようだ。とびきり気まぐれでしなやかな獣……
そう思いながら足を止めたサブラストに、彼女が檄を飛ばす。
「まさか、もうギブアップかい、学者先生」
サブラストは少しむっとして再び歩を進めた。斜面は残すところ数メートル、一足飛びとはいかないがもう一息なのだから立ち止まることもなく一気に駆け上がる。
彼女は斜面の上で待っていた。そこは少し平たくなっていて腰をかけるによさそうな小岩のある広場だ。
少しだけ息を弾ませて、サブラストは座り込んだ。
「もうだいぶん来たなぁ……神殿はもうすぐですか?」
彼女は腰に両手をあてて大きく胸を張って笑う。さもおかしそうに。
「まだまだ。あっちに嶺が見えるかい? あそこが神殿さ」
「はあ……あの山の……」
ここまでは比較的なだらかな草地であったが、その途中からゴツリとした岩が多くなってきた。先を見れば樹木の濃い林も見える。
「まだまだ……遠いねぇ」
サブラストは心底げんなりとした様子で顔をしかめるが、彼女は少しも気にすることなく草の上に腰を下ろし、弓を置いた。
「あんたの足でも、明日の夕方にはつくだろうさ。そんなに遠くはないよ」
「そうか……じゃあ少し休んだらすぐに出発しよう」
「いや、今夜はここで野営するよ」
「ここで?」
「そう、このペースで進んだら林の中で野営することになるからね。あたしは優秀な狩人だが、森の中で眠るのだけはごめんだ」
いや、優秀な狩人だからこそだろう。使う武器が弓であるなら見通しの悪い林の中では不利であるし、見通しが利かぬということは獣などの接近にも気づきにくいということだ。
「不利を避けるのが必勝法ってことか」
「そんなおおげさなことじゃないよ。寝るときは平らなところに寝よ、ってのはあたしらの神様の教えさ。あんたら平地の人間にはわからないだろうけどね」
「いや、なんとなくわかる。獣と直接向き合い、厳しい地形の中で生きるからこそ山間の信仰というのは厳しく、神は偉大でなくてはならなかった」
「そうさ。こんな田舎でも最低限の教育というものが受けられるようになったが、神に対する信仰はあたしたちの生活の中にいまだ根強く残っている」
「ふうむ、興味深いな」
軽く腕を組んで顎をひねる長考のしぐさ。
そんなサブラストの横で、彼女は懐から火打石をとりだした。
「さて、考え事は飯の後にしろってのもあたしらの神様の教えでね、あんた、ちょっと燃やすものを探してくれないか?」
「なるほど、食事後には胃に血流が集まるために脳のほうはリラックスして……」
「だから、そういう理屈は飯の後! ほら、さっさと動く!」
彼女に促されてサブラストは手近な木切れやら枯草を集めた。それを使って手際よく火を起こした彼女が作ってくれたのは幾種類かの野草と干し肉で作ったスープだった。
「ほら、都会モンの口には合わないだろうが、食わなきゃ元気は出ないからね」
「いやいや、こう見えても私は学求のために世界のあちこちに足を延ばしているんだ。ひどく臭い、泥のようなおかゆを食べたこともある」
「へえ、面白そうな仕事なんだねぇ、学者っていうのは」
「面白いさ。学問というのは奥が深いからね、いつも新しい発見がある」
「そっちじゃなくて、世界のあちこちに行けるってのがさ。あたしなんか生まれてこのかた村と山しか見たことがない……」
「そうか……」
「あ、街も時々行くよ。獲物や毛皮を売りにね」
それでも世界の全てには全然足りないことを彼女は知っている。だから、せがむ。
「ねえ、世界のどんなところに行ったのか、教えてよ」
「そうだなあ、ガイド代の代わりとして、飛び切り面白い話を……」
パチパチと音たてる焚火の横で身を寄せ合うようにして、二人は遅くまで言葉を交わしあっていた。