夜明けから夜まで 第八十八話
百鬼は、あからさまにため息をついて言った。
「興味が、ないな」
「興味が、ない」
わたしは、思わず百鬼の言葉を繰り返す。
わたしは自分に、呆れ返る。
わたしは助け手を見いだせないことを恐れ、そのことが不安だった。
けれども、見いだした後その助け手にどうやって言うことをきかせるなんて、全く考えていなかったのだ。
もしわたしがいきなりやってきた誰かに世界を救わせてやるといわれても、同じ反応をするだろう。
あたりまえの、事だ。
百鬼は昏く闇夜より黒い瞳を晒して、言葉を重ねる。
「おれは、ひと斬りだ。けれどもう、十分斬った。満足している」
百鬼は、少し笑みを浮かべる。
死よりも深く、黒い笑みであった。
「明日、世界が滅んだとしてそれがなんだ。おれはここで酒を飲みながら、見物してやるよ」
わたしの頭の中で、何かが弾けた。
紅蓮の焔となった怒りが、わたしのこころを焼き焦がしている。
昼間でなければ本当に、トゥールーズの虐殺を再現させただろう。
わたしが誰も殺さなかったのは、奇跡だった。
わたしはこの街の家畜を皆殺しにする代わりに、言葉を発する。
「もちろん、お前の助力に対価を払うわ。当然じゃない」
百鬼は、驚いたように片方の眉をあげる。
「ほう」
そして、面白がっているように、笑みの形に唇を歪める。
「あんたは、何をおれに何をくれるというんだ」
わたしは、勝ち誇った笑みを浮かべて百鬼を見下ろす。
わたしは眼差しに、栄光の女神の輝きを宿し、百鬼を見つめた。
「愛と希望」
百鬼は、胸を刺されたように一瞬息を止める。
そして、戸惑ったような顔をして言った。
「何だって?」
わたしはさらに輝かしい笑みを、浮かべた。
「よく聞きなさい、家畜。わたしはお前に、愛と希望をくれてやると言ったのよ」
百鬼は、あきらかに困惑していた。
老いたおとこは、はじめて酒のグラスをテーブルに置くと額に指を当ててわたしに問いかける。
「それは、おまえがおれを愛して、おれに希望を与えるという意味なのか?」
「あんた、馬鹿?」
わたしは百鬼の問いに、速答する。
「何でこの夜の眷属たるわたしが、家畜のしかも老いてまずそうなお前を、愛したりすると思うのよ」
百鬼は、憮然とした表情で首を降った。
わたしは勝利を宣言するように、高らかに言う。
「もちろん、お前にわたしを愛させてあげて、愛に目覚めたおまえに希望をくれてやるのよ。あたりまえじゃあない」
少しだけ、百鬼は目を丸くして口を開いた。
その後、突然弾けたように笑いはじめる。
老いたおとこは、大きく声を出し楽しげに笑った。
わたしは、あっけにとられて百鬼を見る。
わたしはこの老いたおとこが、まさかこんなふうに笑うとは思ってもみなかった。
百鬼は楽しげに膝を打って笑いながら、言葉を発する。
「いいぞ。お前は、実にいい」
百鬼は笑い出したときと同じように、唐突に真顔へ戻る。
そして、言った。
「おれは、50年以上のときを、ひと斬りとして過ごしてきた」
老いたおとこは、唇の両端をあげ魔神の笑みを浮かべる。
「おれは、魔物や夜の眷属、あるいは神と名乗るもの、悪魔と名乗るものも含め、あらゆるものを斬ってきた。おそらく、この世で味あうことができることは、全て味わったつもりだった。しかし」
百鬼は星無き夜空の暗黒を湛えた瞳で、わたしを見つめる。
「愚かであったよ、おれは。それをお前が今、教えてくれた」
わたしは、百鬼の言わんとしていることを理解し、背中にぞくりとしたものが走る。
この老いたおとこはわたしに、興味を持ったようだ。
この老人にとって興味を持つということはすなわち、斬ってみたいということなのだと思う。
百鬼はわたしを斬るつもりになったようだが、どうやらそれは今ではない。
そのことの意味を考えてみたが、わたしには結論をだせなかった。
それよりも、わたしは自分の気持ちに気がつき、再びぞっとする。
わたしもこの老いた家畜に、興味を持ってしまった。
わたしは、このおとこを喰らってみたいと思う。
真冬の深海に蓄えられた、昏く重たい冷気。
それがこの老人の魂には、たっぷりと込められている。
それを喰らったら、どんな味がするのであろう。
それは、官能的な昂ぶりとなり、わたしのこころを焦がす。
わたしたちは、とても奇妙な形で互いを求めあっていた。
百鬼は、邪悪と言ってもいい笑みを浮かべた。
「いいだろう、夜の眷属。おまえのために、世界を救ってやる」




