夜明けから夜まで 第八十七話
苛立ちがわたしのこころへ、薔薇の刺となって傷をつける。
もし今が昼間ではなく、このおとこが助け手であるという確信がなければ、問答無用で縊り殺していただろう。
だが、今はそうしている場合ではない。
わたしは、一度大きく息を吸い込み吐き出す。
わたしは、自分に言い聞かせる。
目の前にいるこれは、家畜で愚かな獣にすぎない。
醜い獣が不愉快な行為をしたとしても、苛立つべきではないのだ。
用が済んだあとで、悲鳴をあげさせて殺した上で喰らってやるのだから。
わたしは、笑みを浮かべた。
ちらりと老いたおとこはわたしの微笑みに眼差しをむけたが、興味なさそうに手にした酒のグラスへ意識を戻す。
わたしはその無礼な振る舞いを無視すると、ゆっくりと語りかけた。
「我はアルケミアより来たりし魔道師、ブラッドローズ。故あって、汝の助力を乞う。まず、汝の名を我に給うことを願う」
老いたおとこはもう一度興味なさそうにわたしを見ると、鼻で笑った。
「冗談きついな、なんでおれが魔に力を貸すなんて思うんだ」
わたしの中で、何かがぷつんと切れた。
「ああもう、いい加減にしてよ!」
わたしは絶叫すると同時に、マインドシャウトを放っていた。
ほとんど物理的な威力を持った精神波動が、酒場の中を満たす。
酒場で気配を殺し災いをやりすごそうとしていたおとこたちは、わたしのマンドシャウトを受けてしまう。
おとこたちは、ひとり残らず意識を失い崩れ落ちた。
しかし、一体どうやったのか判らないが、目の前の老人だけは全く変わらず酒を飲んでいる。
このおとこは魔道師のような、精神ブロックを身に付けているというのだろうか。
おとこは薄く笑みを浮かべると、呆れたように言った。
「物騒な嬢ちゃんだな、騒々しいのは勘弁してくれ。ここは静かなだけが、取り柄の店なんだから」
わたしは怒りで目の前が紅くなったが、なんとか平静にも聞こえる声で言った。
「四の五の言わずに、わたしに名前を教えなさい。わたしがあんたを、殺してしまう前に」
老人の瞳に、少し面白がっているような色が浮かんだ。
ようやく、わたしに僅かばかりの興味を持ったらしい。
「百鬼だ。亜川百鬼という」
わたしは、満面の笑みを浮かべる。
わたしは、その奇妙な東洋風の響きを持つ名前を繰り返した。
「亜川、百鬼」
わたしは笑みを浮かべたまま、その老人を見つめる。
「喜びなさい、百鬼。わたしはあなたに、世界を救わせてあげるのだから」




