夜明けから夜まで 第八十六話
耳で聴くことはできないがこころに直接響きわたるその歌は、ひとがかつて原始の森で獰猛な捕食者から逃れるため隠れすんでいた時代の恐怖を呼び覚ます。
わたしは、謁見の間に現れた王の顔をして店の中を見渡した。
店にいるおとこたちは、頭を垂れ恐怖に震えわたしから目を逸らす。
おそらく彼らには、わたしの黄金色に輝く瞳は星が死に瀬したその瞬間に放つ光を宿しているように、見えただろう。
誰もひとことも発することはなく、身動きすらしなかった。
しかしわたしは既に、そうしたこと全てに興味を失っている。
わたしが求めるのはただひとつ、わたしの探索から逃れていった得体のしれぬ存在だ。
そしてわたしは、見出した。
その瞬間、わたしは興奮で身体を震わす。
酒場の片隅に、一ヶ所闇が濃くなっている場所があった。
そこを凝視することで、闇の中からひとりの老いたおとこが浮かびあがってくる。
その姿は日没後の残照に溶け込んでいる人影を見るように、幻想的で朧気であった。
わたしは、その老いたおとこの前に立つ。
夜の眷属たるわたしの瞳は、おとこの姿を闇から炙り出す。
その姿は、次第にリアルなものへとなっていく。
おとこは襟にボアがついた革のジャケットを、東洋風に見える漆黒の長衣の上に纏っている。
足には、見慣れぬ布で出来たブーツを履いているようだ。
一振りの長剣を小脇に抱え込み、琥珀色の酒が入ったグラスを手にしていた。
わたしはそのおとこの顔を見て、ぞくりとする。
おとこは何の特徴もない、のっぺりとした顔だ。
幾つもの皺は刻み込まれており、頭の髪は灰色になっていたがゆえ老人と知れるが、しかし老人らしい枯れた感じは無い。
とはいえ、おとこに若者が持つ覇気があるわけでもなかった。
新宿の病院で出会った老人ブラックソウルは全てを出し切ったようなおとこであったが、この老いたおとこは違う。
底があるのかどうかすら、判らない。
欲望や憎悪といった感情は感じられないが、こころ穏やかだとは全く思えない。
邪悪さは感じられないが、かといって安心して側にいることなど到底できそうになかった。
老いたおとこからはひりつくような居心地の悪さ、得体の知れぬ不気味さが涌きだしてくるようだ。
わたしは、驚愕する。
こいつが、我らに喰われるだけのひとという家畜であるのかと。
なぜこいつは家畜なのに、夜の眷属たるこのわたしを不安にするのか。
おとこは、唐突に口を開く。
「おれも、老いたものだな」
そして笑うように、口を歪めた。
「こんな小娘に、隠形の術を破られるとは」
わたしは、思わず苦笑する。
「夜の眷属が検知できぬほどに気配を断っておいて、よく言う」
おとこは、口を歪めたままわたしを見る。
「なるほど、おまえは魔であるか」
その瞬間、わたしは氷の針に貫かれた感覚に、身をふるわせた。
老いたおとこは、一瞬こころの中でわたしを斬れるか試してみたらしい。
殺気ともいえないような、鋭利な気がわたしの身体を走り抜けている。
そして、興味を失ったようにおとこは目を伏せた。
つまり、わたしは斬れると判断し、放置していいという結論に達したようだ。




