夜明けから夜まで 第七十五話
わたしは師匠の病室へ向かいながら、少しもの思いに耽る。
わたしはこの病院へ収容されたとき、疲弊しきっていた。
わたしの人生の殆どを占める漂泊の日々が、わたしを消耗し尽くしていたためだ。
養父である、別宮六指はひとところに留まることができなかったひとだ。
今にして思うと六指は、何かに追われていたのだろう。
わたしはものごころがついたころから、旅の中で日々を過ごす。
学校には、通っていた。
色々な国の、色々な人種のひとびとともに教育を受けたが、ひとつの学校に一年以上いた記憶はない。
当然友人はいなかったので、わたしの世界に存在するひとは、六指だけだ。
わたしは成長するにつれ、彼の中にある焦燥を感じるようになった。
彼は、一冊の本を持っていたのだが、その本を何かから守らなければならないという強迫概念に取り憑かれていたようだ。
わたしたちがこの極東の島国へたどりついたとき、わたしは女子高校に通う歳になっていたのだけれど、学校に入学したすぐ後いつものように何かから逃げ出すように突然六指は旅立つ。
わたしたちは、この街、新宿の「ゾーン」とよばれるスラムに潜り込んだ。
そこからの記憶は、とても曖昧になる。
いくつかの常軌を逸した出来事もあったような気がするけれど、はっきりとは憶えていない。
憶えているのは、わたしを殺そうとする六指の顔だけだ。
真っ黒な星の無い闇夜となった絶望が彼のこころを覆っていたのかもしれないけれど、彼の凍てついた夜に輝く星の光を宿した瞳にはいいようのない哀しみと優しさに似た感情があったように思う。
奇妙なことだけれども、彼はわたしを救おうとしていたような気がする。
死よりも過酷な運命から、わたしを解き放とうとしてくれていたのだ。
幸いにしてなのか不幸にしてなのかは判らないけれど、わたしは生き延びた。
おかげでわたしは世界を救うための絶望的な戦いに挑むはめになってる。
それは、さておいて。
こころを失ったわたしはこの病院で色々なひとに話しかけられたようだけれど、ずっと機械的な反応だけを繰り返していた。
それは無意識の、行為だ。
だから、全く何がわたしの回りでおきていたのか、理解できていないし記憶していない。
たったひとつ憶えていること、それは師匠の言葉だ。
師匠は、こう言った。
(おまえは、アルケミアからきたようだな)
その言葉はまるで、封印されていた扉に指し込まれた鍵のように働く。
師匠の言葉によって、わたしの中でいくつかの歯車が噛み合い回りはじめた。
そしてわたしは、意識を取り戻す。
クリアになった意識の中で、わたしは師匠と出会う。
師匠は、老いたおとこだ。
かつては、邪悪であったのだろうと思う。
おそらくは残酷で、凶悪ですらあったのではないかと想像する。
彼に刻まれた幾つもの皺は、喜びよりは憎しみや絶望によって作られたものだとわたしは思う。
けれど老いた彼は、伽藍堂になっていた。
彼は何かと引き換えに、全てを放出しきったのだ。
だから彼は廃墟となり、その瞳は真冬の夜空が持つ透明さを得ている。
わたしは、貪るように師匠から話を聞いた。
アルケミアのこと、王国のことを。
わたしは病んだ獣が草を食むように、師匠の語る妄想の話を聞いた。




